第十一話 招待日
「さて着いたぞ、ここが私の家だ」
「はあ……」
『喫茶店田村』から三十分ほど歩いた所で、町針さんが前方を指さした。町針さんの指の先には、水色の外壁と白い窓枠が特徴的な、二階建てのアパートが建っていた。建物の大きさからして、おそらくは多人数が住むためのものではない。どうやら本当に一人暮らしをしているようだ。
とうとう着いてしまった、俺の心に憂鬱な気分が広がる。何しろまだ知り合って一ヶ月も経っていない先輩女性の家に無理矢理連れてこられたのだ。俺が彼女に気があるのならいいが、生憎自分を下僕と名乗って奇想天外な行動を繰り返す変人に惹かれるほど、俺は常識から外れてはいなかった。
「どうしたのだ剣一。下僕の住処に入るのがそんなにイヤか?」
「正直言えばイヤだ。何で俺があんたと一つ屋根の下で暮らさなければならないんだ」
「お前は私の主だからだ」
「本当にブレねえよなあんたは!!」
ある意味では、この人の一貫性は尊敬に値するレベルだ。『俺の隣にいる』、彼女がいつか言ったその目的を全く見失うことがない。一体どんな思考回路をしているのだろうか。
「それでは、いよいよ剣一が私の家に上がる時がきた。この日を『剣一招待日』として、私の心に刻むとしよう」
「勝手に妙な記念日を作るな!」
……相変わらずの奇怪な言動に突っ込むのも疲れたので、さっさと彼女の部屋に上がらせてもらうとしよう。
「で? あんたの部屋はどこなんだ?」
「うむ、二回の一番奥の部屋だ。このアパートは防音がしっかりしているからな。多少私に何かをしても誰も来ないぞ」
「何もしねえよ!」
結局突っ込むことになってしまいつつも、俺たちは二回の一番奥にある町針さんの自宅に入った。
「お、お邪魔します……」
「そこまでかしこまらなくてもいい。自分の家だと思ってくつろげ」
「……」
意外にも町針さんの部屋は、まさしく『女の子の部屋』のイメージに近いものだった。間取りはワンルームで玄関の横にはキッチンがあり、調理器具が整頓されて置かれている。そして白い壁に合わせるようにカーペットや家具は白色の物で纏められていて、奥のベッドの横には赤い化粧台が置かれていた。どうやら彼女は白の他にも赤色の物が気に入っているようで、時計やアクセサリー入れなどの小物は赤色が多い。それらが白を基調した部屋と絶妙にマッチしていて、何故か俺はドキドキしてしまった。
「さて、あまり広くはないがこのクッションにでも座ってくれ」
「し、失礼します……」
彼女に促されるままに白いクッションに座ろうとした時だった。
「いや待て、その前にやることがあった」
「え?」
「申し訳ないが、携帯電話を回収させてもらう。さっきのイレギュラーとまた接触されると困るのでな」
「……!!」
まずい、もしかしたら連絡先を渡されたのがバレているのか? いや、彼女としても俺が勝呂さんと接触する可能性は少しでも減らしておきたいのだろう。まだそのことがバレているとは限らないし、ここで焦ってボロを出すわけにはいかない。それに電話番号は既に記憶してある。メモを回収されても公衆電話にさえたどり着ければ勝呂さんとは連絡が取れる。
「わかりました……はい」
「いい子だ、私としても事は穏便に済ませたいのでな。お前は私の主としてどっしりと構えていればいい」
「前から思ってたけど、あんたって自分を『下僕』って言う割には俺の言う通りに動かねえよな」
「それに関しては私も心を痛めている。だがこれもお前と私の未来のためで、私の行動は全てお前の安全のためだ。近い内にお前にもそれがわかるだろう」
……よし、どうやら俺が勝呂さんのメモを受け取ったことには気づかれていないみたいだ。隙を見て外に出られれば連絡は取れる。だけど町針さんを下手に刺激するのもまずい。しばらくは大人しくしていよう。
そして俺はクッションに座り、今後の動きを考える。とにかくまずは盾二をどうにかして説得しなければならない。そしてそのためには盾二と直接会って話をしなければならない。そうなると、俺が盾二に嫌われているこの状況であいつと直接会うには、あいつの学校か寮に行くしかない。しかしいくら親族とはいえ、アポ無しでいきなり押し掛けるのもまずい。
そうなるとやはり勝呂さんの協力が必要だ。彼女に何か適当な理由で盾二を呼び出してもらい、そこに俺が現れれば盾二と直接会える。しかしその後は……
「さて剣一、今から夕食の準備をするぞ」
俺の思考が袋小路に入りかけた時、町針さんが立ち上がった。
「あ、ああ、俺も手伝うよ」
「いや、お前は座っていろ。下僕が夕食の準備をするのに主に手伝わせるわけにはいかないからな」
「そう言われてもなあ……」
「いいから座っていろ。待っている間、そこの本棚にある小説でも読んでいるといい」
町針さんに制され、仕方なく俺は座ったまま夕食が出来るのを待つことにした。そして壁際にある白い本棚を見る。確かに色々な小説が置いてあるな……
俺はその中から一冊の本を取りだしてみた。えーと、これはどんなストーリーだ? ん? 女子高生が主人公の男の子に殺されるために頑張る話? 何だこのわけのわからない小説は……他のにするか。
こっちは……現代に蘇った恐竜と配達員が戦う話? お、なんかこれはすごい面白そうだな。ちょっと読んでみるか。
そして俺がその小説を読み進めていると、町針さんから声がかかった。
「剣一、夕食が出来たぞ」
「え、もう出来たのか?」
まだそんな時間も経ってないし、包丁の音やコンロの音もしていなかったような……
「さあ、私が腕によりをかけて作った夕食だ。遠慮せずに食べろ」
自信満々の顔で町針さんは大皿をテーブルに乗せる。何があるのかと皿の上を覗いてみると……
「……?」
そこには白い直方体の物体が十数個、大皿の上に所狭しと並べられていた。顔を近づけてみると、かすかに嗅ぎ慣れた匂いが漂っている。
おい、まさかとは思うがこれは……
「町針さん、一度だけ聞く」
「何だ?」
「これは、なんていう料理だ?」
俺の質問に対し、町針さんは腕を組みながら一旦目を瞑った後、俺の目を真っ直ぐ見て言った。
「よくぞ聞いてくれた。これこそが私の得意料理、『切り餅の盛り合わせ』だ」
「……」
なあ盾二。もしかしたらお前のせいで、兄ちゃんは拷問に近い行為を受けることになりそうだぞ。
「町針さん、一応聞くけどこれはまだ未完成なんだよね?」
「何を言っている? これが完成形だ。遠慮せずにガブリと行け」
「食えるわけねえだろうがあああああああ!!」
斯くして俺は、夕食を食べずに風呂に入ることになった。
「腹減ったな……」
町針さん宅の風呂場を借りての入浴中。俺は空腹に耐えながら考えを巡らせていた。
とにかくこのまま町針さんに監視されている状態では自由に行動できない。その間にも盾二はさらなる行動を起こすかもしれない。つまりどうにかして勝呂さんとコンタクトを取り、盾二に会わなくてはならない。
そうなるとチャンスは町針さんが風呂に入っている間だ。あの人が入浴中にそっとこの家を抜け出し、ポケットに入っていたはずの小銭で公衆電話から勝呂さんに連絡して、明日の夕方にでも盾二を呼び出してもらう。それさえ出来れば、後は明日町針さんを振り切って盾二の学校に行けばいいだけだ。
「よし……」
考えを纏めた俺は、タオルで体を拭いて風呂場の扉の横に置いてあるはずの服を探した。
「あれ?」
しかし、風呂に入る前にそこに置いてあったはずの服は、下着以外見る影も無くなっていた。仕方がないので、パンツとシャツのみを着て風呂場を出る。
「あの、町針さん? 俺の服は……」
だが、そこで俺が目にしたものは。
「おお剣一。湯加減は大丈夫だったか?」
台所で俺の服を水浸しにしている町針さんの姿だった。
「ちょ、ちょっと! 何してんだよ!」
「なに、お前の服を洗ってやろうと思ってな。大丈夫だ、明日の朝には乾くだろう」
「そうじゃなくて! なんでそんなことをするんだよ!」
「決まっている。こうでもしないと、お前はあのイレギュラーとコンタクトを取りに行くだろう?」
「……!」
……み、見抜かれていた! 服が無ければ外に出るわけにもいかないし、何よりおそらく小銭も没収されているはずだ。考えが甘かったか。
「心配するな。お前が無理に行動を起こさなくとも、お前の安全は私が保証してやる」
「……なんでだよ」
「ん?」
「どうしてそこまで俺の邪魔をするんだ! 俺はただ、盾二と対等でいたいだけなのに!」
どうしようもない憤りを感じる。なぜこの人はこうまでして、俺から盾二を離そうとするんだ。何の権利があって、こんなことをされなければならないんだ。この人は一体なんなんだ。
俺の叫びに、町針さんは一瞬悲しそうな顔をしたが、直ぐに表情を引き締めてこう言った。
「お前は私の主であり、私はお前の下僕だ。『あの時』からそうなのだ」
「あ、あの時……?」
「お前のことは……私が護る。そうすると決めたのだ。だからお前の隣に鵠沼盾二がいてもらっては困るのだ」
その時、町針さんは顔を俯かせた。角度のせいで、その表情を見ることは出来ない。
「あの男の存在が……私とお前を……」
そこまで言った所で、町針さんは俺にタオルケットを渡し、無言で風呂場に入った。
残された俺は、渡されたタオルケットに包まりながら、彼女が戻るのを待つしかなかった。




