第十話 分を弁える
俺は校門で出会った盾二のクラスメイトを名乗る女子、勝呂桔梗と共に『喫茶店田村』に入り、彼女の話を聞くことにした。しかし席に着くなり彼女が話し出した内容は、まったりとした空間が広がる店内にはおよそ似つかわしくないほどに物騒なものだった。
「まさか……本当に盾二が『異端者狩り』の主導者だって言うのか……?」
「断言は出来ませんが、彼の口振りからしてその可能性は高いです」
勝呂さんが言うには、市倉が言った噂通り、盾二の学校で『異端者狩り』なる事件が多発しているらしい。そして『異端者』とは盾二をよく思わない生徒たちを指し、主に彼らがターゲットになっているようだ。
そして勝呂さんの推測では、『異端者狩り』の実行犯は盾二の『信奉者』たち。即ち、文字通り盾二を崇めている一部の生徒たちではないかということだ。
さらに当の盾二本人が、勝呂さんに『敵を見つけろ』と指示を出した。ここまでくれば、決定的なのかもしれない。
それでも俺は、そんなことを直ぐに信じることなど出来なかった。
「そもそも、盾二は学校でそんな大きな立場なのか?」
「……外部の人たちから見れば異常だとは思いますが、あの学校の生徒は盾二くんに味方する者と敵対する者がほとんどで、その二つの勢力が常にいがみ合っています。つまりそのいがみ合いの中心にいるのが盾二くんなんです」
「じゃあ、もし盾二がその気になれば……」
「『信奉者』たちを使って、自分に敵対する者を力ずくで排除することも容易です」
……本当にこれが現実の学校で起こっていることなのだろうか。たった一人の生徒が学校の空気をここまで操れるなどということが。
だけどもし盾二なら、鵠沼盾二ならそんなことも可能かもしれない。そう思わせるほどの能力とカリスマ性が、あいつには備わっている。あいつは紛れもない天才だ。だからこそ俺はあいつに嫉妬し続けたのだし、あいつの背中に追いつこうと挑み続けたのだ。
「最近では盾二くんは学校ではほとんど発言してません。その代わりに、『信奉者』の代表格である枕木という男子が発言力を強めています」
「表向きはその枕木って奴が、『異端者狩り』を主導しているってことかい?」
「おそらくは。枕木は『信奉者』の中でもかなり過激な考えを持ってますし、以前から『敵対者』に何かと突っかかっていました。『異端者狩り』のメールを生徒たちに送っているのも、多分あいつです」
「じゃあ、仮に『異端者狩り』が公になったとしても、処罰を受けるのは枕木たちだけということか……」
「そうです。盾二くんと『異端者狩り』が関係していると知っているのは、今のところ私たちだけです」
「……」
まさか、これが町針さんの言葉の意味なのか?
『鵠沼盾二は近い内に多くの下僕を従えて行動を起こす』
確かにここまでは彼女の言った通りだ。盾二は『信奉者』たちを使って、学校内の『敵対者』を排除しようとしている。
だけど何で盾二はそんなことをするんだ? こう言ったら何だが、盾二があの学校を支配したところで何かあいつの得になることがあるとは思えない。いや、それ以前にこんな手段を取らなくとも、もっと正攻法で学校を掌握することも出来るはずだ。
ダメだ。そもそも俺に盾二の考えなんてわかるはずがない。あいつは常に俺の上を行っていたんだから。それに……
「剣一さん。私は現時点で盾二くんを止められるのはあなただけだと思っています」
勝呂さんは俺から目を離さず、真剣な眼差しで訴えかけてくる。
「お願いします。何とか盾二くんを説得してください。このままではあの学校に何かよくないことが起きます」
勝呂さんは頭を下げて、俺に精一杯の懇願をする。本来ならば年上として、盾二の兄として彼女の願いを聞き入れるべきだろう。
だが、俺は躊躇してしまった。
「勝呂さん。多分、盾二は俺の言う事なんて聞いてくれないよ」
柄にもなく、小さい声で発してしまったその言葉は今の俺をそのまま表しているようだった。自分でも情けないことを言っているとは思う。だが俺は、まだ忘れられないのだ。
『やっぱり兄さんはその場に座り込んでいるのがお似合いだよ』
盾二が、俺を嫌っていたのだという事実を。
勝呂さんから『異端者狩り』の話を聞いて、疑惑が確信に変わった。やはりあの時の盾二こそが、あいつの本当の姿だったのだ。俺を含めて、周りの人間はあいつに高潔な人物像を無理矢理当てはめて、本当の姿を見ようとしていなかったのだ。
本当は、盾二にとって俺は目障りな存在でしかなかったのだ。
そうとは知らず、俺はあいつに迷惑きわまりない挑戦をし続けた。何が『盾二に勝ちたい』だ。何が『鵠沼剣一を確立させる』だ。俺は自分の都合ばかりで、あいつの兄らしいことは何一つしてやれてないじゃないか。
「盾二にも言われたよ。『分を弁えろ』ってさ。俺は所詮、あいつに敵う人間じゃなかったんだ」
諦めたように天井を見上げ、ぽつりと呟く。俺にはもう、『盾二の兄』を名乗る資格なんて……
「剣一さん、私は違うと思います」
そんな俺に、勝呂さんのはっきりした声が届いた。目線を下ろしてみると、彼女は再び俺と目をしっかり合わせて、真剣な顔を崩さずに俺を見ていた。
「違う? どういうことだよ?」
彼女は盾二のクラスメイトではあるが、俺と会うのは初めてだ。それにも関わらず、俺と盾二の関係に口を挟むのが不愉快だった。だから口調も少しトゲのあるものになってしまう。
「『分を弁える』って、そういうふうに諦めることじゃないと思うんです。私はその言葉にはもっとプラスの意味があると考えています」
「プラスの意味?」
「皆、誰しも自分を大きく見せたいと思う心があるはずです。でも、現状の自分を受け入れないと、努力することも出来ません。『分を弁える』というのは、今の自分の力量を受け入れて、それが気に入らないならもっと自分を伸ばす努力をしろということだと思うんです」
「……それが、なんだって言うんだ?」
「わかりませんか? 剣一さんはずっと、自分を伸ばす努力をしてきたんじゃないんですか?」
「……!」
確かに、彼女の言う通りだ。
俺は盾二に喝を入れられてから、自分に何が出来るかを考え続けた。その結果、走りで勝負することにたどり着いたんだ。それからずっと、盾二に勝つために練習を重ねてきたんだ。
「剣一さんが盾二くんにずっと勝負を挑み続けていたというのは聞いています。だから私はあなたに彼を説得するように頼んでいるんです。あなたなら、盾二くんの横に立とうとしているあなたなら、彼を止められると思ったから……」
……そうだったな。
俺は兄として、盾二と対等でいたい。あいつが間違った行動をしているのなら、正さないといけない。それが兄としての務めだ。
情けないな……こんな年下の女の子にそれを教えられるなんて。
「勝呂さん、ありがとう」
「はい?」
「君のおかげで、また盾二に挑戦出来そうだ」
「お礼を言われるのはありがたいのですが、まずは盾二くんをどうにかして止めましょう。そうでないと、挑戦も出来ませんよ?」
「そ、そうだったな。さて、しかしどうやって盾二と接触するか……」
そう、問題はそこだった。盾二は学校の寮で暮らしているから、家では顔を合わさない。電話やメールをしようにも、無視をされればそれまでだ。そうなると、寮に直接出向いて盾二と対面で話し合うしかないか……
「勝呂さん、君の学校の寮なんだけど……」
だが、その時だった。
「感心しないな剣一、私という下僕がいながら、他の女を従えようとするのは」
いつのまにか俺たちのテーブルの横に立っていた町針さんが、今までにないほどに険しく怒りに満ちた表情で俺を見ていることに気づいたのは。
「ま、町針さん!?」
「ふん、順調にいっているのかと思いきや、とんだイレギュラーが現れたものだ」
町針さんは俺から目を離すと、今度は勝呂さんを睨みつける。刺すどころか潰してきそうな強い視線に、勝呂さんはすっかり押されてしまっている。
「な、なんですかあなたは?」
それでも彼女は精一杯の強い声で、町針さんに対抗した。
「ここにいる剣一の下僕、町針楓だ。残念だが、お前は剣一に仕えることは出来ない。他をあたれ」
「は、はい?」
「あー、ちょっと待っててね勝呂さん。この人とお話してくるから。直ぐ戻ってくるから!」
早くも勝呂さんにケンカを売り始めた町針さんを、強引に店のトイレの前まで引っ張る。くそ、折角話が進みそうだったのに、何でこの人は邪魔をするんだ。
「どうした剣一。こんな所に連れ込んで、下僕に何を命じるつもりなんだ?」
そんな俺の苛立ちをよそに、騒動を起こした本人は俺を見ながら不貞不貞しく笑っている。
「町針さん、今大事な話をしてるから邪魔しないでくれ。これが俺の命令だ」
「その命令は聞けないな。お前はまだ鵠沼盾二と関わろうとしている。それは私の目的に、そしてお前の身の安全に反することだ。だから聞けない」
「あんた……さっきの話を聞いていたのか?」
「鵠沼盾二がいよいよ動き出したそうだな。だがお前はそれに干渉する必要はない。時間が経てばお前と私の望みは自動的に叶う」
きっぱりと言い切られたが、盾二に関わるなと言われて、『はいそうですか』と素直に従うわけにもいかない。しかしこのままでは町針さんの妨害があるのも事実。どうするべきか……
そう考えながら何気なく勝呂さんがいるテーブルを見ると、彼女はメモ用紙にペンを走らせていた。
「……!」
俺はそれを見て、勝呂さんの意図を理解する。角度的に、町針さんには今の勝呂さんの行動は見えていないはず。よし、それなら……
「……わかったよ。この場はあんたの言うとおり手を引こう」
「わかればいいのだ剣一。お前は私を従えていればいい。さて、結論が出たところであのイレギュラーにはお帰り頂こうか」
そう言って、町針さんは勝呂さんに向かっていく。俺はその後ろを着いていき、町針さんの死角から素早くテーブルの上のメモ用紙を回収した。
「残念だが、剣一には急用が入った。これ以上の会話を、剣一は望んでいない」
「……わかりました。それでは、失礼します」
勝呂さんは町針さんに押される形で俺たちに一礼した後、店を出ていった。
しかし彼女も只では引き下がらなかったようだ。その証拠に、今俺の手の中にあるメモ用紙に、彼女の連絡先が書いてあるのを確認した。いざとなったら、これで勝呂さんとまた相談が出来る。これは収穫だ。
会計をすませて店を出た俺たちを、冷たい風が出迎える。もう日が沈みかけている時間だった。
「さて剣一、イレギュラーもいなくなったことだし、私たちも帰宅するぞ」
「はいはい。それじゃあまた……」
早く勝呂さんと盾二についての話し合いを再開したかった俺は、急いで町針さんから離れようとする。
だが、そんな俺の動きを止めたのは町針さんのタックルだった。
「ごぐう!?」
油断していた所にいきなり後ろからタックルをかまされれば、いくら相手が女でもよろめいてしまう。おかげで俺は体勢を立て直すのに時間がかかってしまった。
その隙に町針さんが後ろから俺の体に抱きついてくる。女性特有の暖かさが俺の体を包み込んでいい気持ちに……じゃなくて!
「何するんだよ! あんたももう帰るんだろ!?」
「剣一、お前をこのまま一人で帰すわけにはいかない」
「はい?」
町針さんの手が、俺の頬をなでてくる。
「私が見ていない隙に、またあのイレギュラーと接触されては困るのだ。従って、お前にはしばらく私と行動を共にしてもらう」
「は、はあ!?」
ちょ、ちょっと待て。この人は何をするつもりなんだ? 行動を共にしてもらう?
そう考えていると、彼女は俺の前に周り、右手を差し出してきた。
「『招待』しよう。私の家に」
「……え?」
「お前はしばらく私と一緒に暮らすのだ。私の主なのだから、当然だろう?」
「……」
おいおいおいおい、何言ってくれたのこの人!?
え、なに? この人自分の家に俺を上がらせようとしてんの? 年頃の男子高校生であるこの俺を?
「安心しろ。私は一人暮らしだ、誰も文句は言わない」
「全然安心できねえよ!」
「ふむ、しかしお前が私の家に来ないと言うのであれば、逆に私がお前の家に押し掛けることになるぞ?」
「う……」
やばい、この人は本気だ。多分俺の家も既に調べてあるんだろう。そもそもこの人は俺のためなら人だって殺そうとする人間だ。放っておいたらまずいかもしれない。
……仕方がない、本当に俺の家に押しかけられるくらいなら、俺がこの人の家に行った方がマシか。
そこまで考えた俺は、しぶしぶ町針さんの自宅に行くことにした。




