そよ風と彼岸花
風が地を這いずり回り、木の葉を巻き上げて空へと昇るとどんよりとした厚い雲に覆われた下弦の月が、鬱蒼とした森の木々を僅かに溢れる光で怪しく照らしていた。
「不気味といえば不気味であるが、村の連中の怯えようはこれだけではないのだろうな」
古ぼけたランタンを片手に道とはいえない道を進んでいた男は、丁度腰掛けるのに適した木の根っこに座り一休みする。男は感じるままのことを口に出してみたのだが、周りを見渡す限りは答えてくれるような者は誰もいない。傷だらけの外套から伸びた腕が持つランタンの灯が揺めき、森の静けさに溶けてゆく。灯に浮かび上がる男の顔は陰を帯びており、無作法に伸びた髭と周囲を警戒する鋭い眼光に目元の深い隈も合わさって、幽鬼のような雰囲気を漂わせている。
「山の主が直々に御出になられたか」
男がその言葉を発した時には、生き物の声はすでになく、身を潜める気配すら無くなり、風や空気の流れはまるで絶えたかのように重苦しくまとわりついてくる。ランタンの灯を消して、ゆったりとした動作で男は立ち上がると腰に帯びていた刀に手を掛けていた。それに呼応するように、森の木々はざわめきだし、荒ぶる風に枝を揺らし葉を散らせ舞い上がる。下弦の月を覆っていた雲はいつの間にか散々となり、男とその眼前に現れた主を明るく照らす。
「最近は手順を守らず境界を侵す者ばかりで困るな。本来であればそうした不躾な輩の命を貰い受けるのだけど、今すぐ山から立ち去るというのなら命ばかりは見逃そうか」
黒地に赤き彼岸花をあしらった着物に身を包んだ少女は、夜というのに深紅の番傘をさして現れ、口を開くなり傲岸不遜の態度で物騒な言葉を男に浴びせる。肩口までに切り揃えられた黒髪、うっすらと紅い唇、陽を知らぬ色白い肌、ややキツい印象を与えるが整った顔立ち、着物の袖より覗くか細い腕に、男は魅せられて息を飲んでいた。
「……此方の非礼は詫びよう、お嬢さん。事態は一刻を争っていてねぇ、何がなんでもあんたを都へと連れていかなきゃならないんだ」
男は抜刀して上段に構えると、少女に対して明確な敵意をぶつけて斬りかかるタイミングを計り始める。できる限りは殺さずにおきたいが、少女がゆっくりと番傘を閉じているというのに何もできずにいた。罪悪感からくる躊躇いではなく、そのゆったりとした優雅な動作の一つ一つが男を誘い込む蒔絵のように感じられ迂闊には動けなかったのだ。
「中々辛抱強いな、都の剣士さん。今までやって来た連中は十を数える前に詰め寄って来たというのに、こうして私が構えるまで待ったのはあなたが初めてだ」
少女が感心しているように見えるが、捉えようによっては貶しているようでもあり、挑発的な態度は理性的な部分で分かっていても、脊髄反射で刀を強く握り締めてしまい心拍数が速まり落ち着かなくなる。少女は気に止めた様子もなく番傘に仕込んであった刀を抜き、惜し気もなく傘を上へと放り投げる。
それが合図となり、男は少女もとに一気に駆け寄り、けだものをも震わせる叫びと共に刀を振り降ろし斬りかかる。元より少女を生かして都へと連れていく気は無かったらしく、その一撃には一切の手加減はされていない。一刀の下にか細い身体を両断しようと迫りくるのを前に、少女は不敵な笑みを浮かべ緩やかでかつ最小限の動きで必殺の太刀から逃れる。
「お行儀の良い剣術だ、だから容易く見切れる」
少女は男の逆手に回り込んで刀を振れなように片手で抑え込もうとするが、悠然と立ち尽くす巨木の如く、ほとんど動かすことができずにほんの少し男が力を入れて振り払っただけで、はね除けられてしまった。僅かに身体が地から離れて浮いてしまった隙をつかれ、男の間合いに戻されて二撃目の準備を許してしまう。
「今度は逃さない」
男は少女を振り払う際に森の木がある方向へとはね除け、己の太刀を避ける為の空間を奪い、体格差と力勝負に持ち込めるように仕込み刀で受ける選択肢を強要する。だが、少女は背後の木とその大きさ、場所を把握しており、しゃがみこんで器用に巻きつけた腕に沿って木の後ろへと隠れてやり過ごす。二撃目は木を伐採寸前まで切断し、綺麗な軌跡を残して刀は通り抜ける。
「なるほど、お行儀のよさを通すだけのことはある。けれど、そんな“そよ風”のような剣では私を捉えることはできないよ」
木の刻まれた断面は微量に発火して、ところどころが赤くなって傷痕から白い煙を吐く。男は少女の挑発に沸々とわき上がる感情を圧し殺し、少女が身を隠す木から大きく距離を取り、己の力を最大限に生かせる上段の構えをとって様子を伺う。いつの間にか少女は木の上へと登っており、履き物が雪駄にも関わらず器用にも枝へと乗って男を見下ろしていた。
「……“そよ風”か、随分な謂われようだが、僅かなやり取りで我が秘術を看破したというのか、恐るべき眼力だな。一体どれだけの修羅場をくぐり抜ければ身につくのやら」
お互いに注視し続けなければならないほどの緊迫感が相変わらず続いているが、男は頭の冷静な部分で“そよ風”と評した少女に対して感心の念を抱いていた。少女が仕込み刀を身体の前方に横一文字に構えると、刀身は闇夜の色に染まり天空に散らばる星屑の煌めきを映し始める。心なしか先ほどより少女の表情は暗くなっており、瞳は深淵を覗きこみ光を失ったかのような漆黒へと染まりきっていた。
「【宵闇】……、帝を守護する四天王の一人がこのような場所で賊と違わぬ行為を重ねるのは忍びない。都へと帰れないというのなら、せめて我が“そよ風”を以て安らかに眠らせてやる」
──できるのであれば……、と遥かに底深いところより囁くように少女の口が動くと、一瞬の猛き風が吹きすさび森の木々を揺らす轟音が辺りに響くと同時に少女の姿は木の枝からは消えていた。男はその猛き風に逆らい、か細い風切りの音よりも速く己の左側面に達する闇夜の刃を、己の得物と“そよ風”の力を籠められるだけ籠めて荒れ狂う“暴風”の鎧と成して防御する。
「何だと……っ!?」
男の最大にして最高峰の秘術の防御を、少女は物ともせずに闇夜の刃を以て意図も容易く障子紙を引き裂くかのように“暴風”の鎧を破り、男の得物へと達して刃と刃がかち合って仄かに閃光が散り、闇夜の刃に星が流れる。そのまま、闇夜の刃は男の得物を中程で叩き折り、離れた刃は強い風に乗って少女の後方の木に突き刺さる。刃は左の脇腹から胴を通り、反対側へと抜けていき、少女は流れるように振り返って上段に構えて、男の右肩口から袈裟斬りにして止めをさす。
「さようなら、剣士さん。あなたの抱いてきた闇に包まれて眠るといい」
男の身体は斬られた跡も無ければ血が流れていなかったが、足元から崩れ深い絶望と悲嘆の叫びを上げて地へと転がり落ちる。少女はそんな男を尻目に横切り、番傘を拾い上げて仕込み刀を納めると再び闇夜の中へと消え去っていく。後日、森へと捜索へやってきた都の武官が白骨と化した男と折れた刀を発見する。さらに山全体を大規模に捜索されたことによって、あらゆる場所で似たような白骨死体と遺品が残されているのが確認された。
都に残る記録とあまりにも特徴的な手口から、行方不明として所在を捜索されていた守護の四天王【宵闇】は、表へとあまり出ていないことをいいことに存在と痕跡を抹消され、超一等級の犯罪者として指名手配されることとなったのだった。




