第九話 ケータリングと携帯は関係ない
がちゃり。
ドアノブを回す。
扉を開けると彼女はそこが定位置かのように前いた場所にたたずんでいた。
こちらにはまだ気づいていなさそうだ。
……話しかけるの、嫌だなぁ。
だってこの前はこっちがあからさまに拒否されたのに。
今まで知らなかったけど、多分これが気まずい空気ってやつなんだろう。こんなことになるんだったら、空気が読めるわけないとか屁理屈を並べていた自分に自己啓発本でも読ませておけばよかった。
「…………あれ……?」
ついに人の声まで聞こえはじめて。
脳内の激しい葛藤から生み出された幻聴の割にはかなりリアルで。
人気のない屋上、俺が喋ってなかったらもちろん喋ったのは一人しかありえないわけで。
「野宮……さん……?」
俺の長い葛藤を無駄にし、さらには
「野宮さんですよね!よかったです!話したかったから……」
先方には葛藤のかの字もなかったようだ。
「……で!だから!そうなってですね!…………」
女はよく喋る。
あれから20分。
神崎の舌はすり減らないのに対して、俺の耳と神経はごりごりとすり減っていた。
「……ああ。うん……。……そうだな……」
定期的にうつ相槌も今や魂が抜けている。
削り取られた神経はきっと相槌と一緒に口から出ていっているのだろう、心底どうでもいいが。
あまりにも気の抜けた顔と返事だったのか、神崎が申し訳なさそうに、
「……わたしの話……つまらないですか……?」
と聞いてきた。
「い、いや。そんなことはない……」
そしてせっかく到来した話を中断するチャンスさえ、上目遣いで見られたら簡単に逃してしまう。
男の悲しい性だ。
やはりここは意を決して、自分から切り出すべきだろう。
「いや……、やっぱ、ちょっと話したいことがあって……」
「…………?」
まあ、こっちから話すチャンスをゲットしても中々話しにくいんだけど……。
「あの……俺と話すところを人に見られるとまずい……?」
「あっ……その……すいません……」
改めて事実を突きつけられる。
やはり神崎は俺と話すことで友人などから俺と同類、すなわち不良と見られたくなかったのだろう。
知っていたとはいえ、複雑な気分だ。
「やっぱり、話しているところを見られない方が……野宮さんのためでもあって、わたしのためでもあるので」
多少、言葉を濁しながら話す神崎。
まあ、なかなか直接言えることでもないし……。
でも仕方ないことだろう。病弱な女の子と不良の仲がいいなんて知られたらお互いに良い影響は出ないだろうし……。
それに俺がきっかけで神崎がいじめられでもしたらイチジクになんて言われるか知ったもんじゃない。
「……その……あの……」
場が気まずい空気に呑まれる。
「いや、ごめ……」
キーンコーンカーンコーン
反射的に謝ろうとしたら、予鈴に言葉を遮られる。
だけど、結局は気まずい空気を破ってくれたから礼くらいは言うべきだろう。
「……じゃあ、予鈴鳴ったからまた今度な」
その場から立ち去ろうとする。
「待ってください!……次……いつ会えますか?」
いつ会えるか。確かに俺らの場合、校内で堂々と相談なんてできない。
「あ、そうだな。メアド、交換すっか」
携帯を取り出して神崎に差し出す。
「ほれ。携帯出せよ」
すると神崎は携帯を取り出すことはなく指を胸の前でくにくにさせながら、
「……携帯……持ってないです……」
と呟いた。
「……え……、……もう高校生……だぞ……」
「なんですか!そのリアクションは!高校生だからといって必ず持ってる訳じゃないはずです!」
「あ、すまんすまん。家によって違うもんな」
顔を真っ赤にして抗議する彼女に素直に謝る。
「大丈夫です!携帯なぞなくたって手紙とかで伝えてみせます!」
根拠のない自信を見せる神崎。
「いや、どうやって渡すんだよ」
「大丈夫なんです!野宮さんは心配せずに授業に向かってください!」
「でも……」
「いいから!」
半ば強制的に授業に送り出される。
別にサボったって、そう変わらないのだけど……。
案外負けず嫌いなところもあるようだ。
それにしても、
「どうやって……?」
その後の授業でも俺の頭の中ではそんなことがよぎっていた。
……やっぱ授業が頭の中に入ってこないのだったら、出る必要はなかったのかもしれない……。