第七話 鼻セレブ盗難事件
「なあ、野宮。俺、ちょっと用事あるから先に帰ってくれ」
「は?用事?」
放課後。帰り支度をしていると坂本からそう言われた。
「ああ。実は……ちょっと……逆ナンに成功いたしまして……」
いつの時代の漫画表現か、坂本は右手を頭の後ろにやってテヘへと照れてみせた。
「そうかそうか。よかったな」
「あれ?あまり驚かないんだな」
驚く?俺に湧いた坂本への感情はそれではない。
「そりゃそうだ。なんにしてもめでたいことだしな。祝うべきだろ」
そう言って坂本の肩に手をかける。
「ならその手に持っているカッターはなんだ……?」
ちっばれたか。
「いや、だから呪ってやろうかと……」
「字、変わってるぞ!それに明らかに呪いより直接的な何かをしようと思ってただろ!」
「なんのことだ?」
「そのとぼけっぷり……あるいみ称賛に値するよ……」
気づいたら体が動いていた、なんてこと……よくあるよね。
「とにかく、そういうことだから一人で帰れよ!」
「ああ。お前が脳内彼女と付き合っている設定なら仕方ない。一人で帰ってやるよ。早く卒業しろよ!」
「はぁ……もうそれでいいよ……」
ははは。坂本は仕方のない奴だな、なんて捨て台詞を残して俺は去っていった。
そんなこんなで俺は坂本の戯れ言を聞き流し、帰路に着き、坂本は件の彼女のもとへと鼻歌交じりに向かっていった。
☆
「……あれ……?あいつ、神崎……?」
校門の前は相変わらず談笑している生徒で溢れている。
そんな中、神崎は一人で歩いていた。
……どうしようか。いちいち小見山の頼みを遂行するのは癪だし、気安く話しかける間柄でもないだろう。
「……へくちっ!」
俺がどうすべきか悩んでいると神崎は小さくくしゃみをした。
この季節。花粉症だろう。
あれはつらい。
咳やくしゃみ、かゆみとかもつらいけど……
「あ……ティッシュ……」
独り言だろうか。神崎が呟く。
……ポケットティッシュだとすぐなくなるからな……。
ずびー
鼻をすすっている。大変そうだ。その気持ちは分からなくもない。
「…………」
そして袖を見つめ唸っている。神崎だって年頃の女子だ。
さすがにそれは……。見るに絶えない。
「ほらよ」
「……?」
ティッシュを差し出すと、鼻水をたらしてきょとんとした顔、まさにアホ面とも言えるような顔で見つめてきた。
こちらの意図を理解していないようだ。
「……鼻、かめよ。袖よかは随分とましだぜ。鼻セレブだからな」
ちょっとした自慢を交えて話すと、彼女はようやく理解したのか少し頬を赤らめてティッシュを受け取った。
「あ、ありがとうございます」
神崎が鼻をかむ。
……結局、話しかけちゃったよ。こうなったら少しは話でもしてみるか。
柄にもなく、話す内容を考えてみる。
「あ、あのさ……」
勇気を振り絞った一言目。
しかし、彼女は何かに気づいたかのような挙動を見せると、
「……す、すいません。話は……昼休みとかに屋上で」
二言目は彼女に届くことはなかった。
たっ、たっ、たっ。神崎は走り去ってしまう。俺は予想外の反応に立ち尽くしてしまっていた。ただ、ようやく状況を把握してきたところで
鼻セレブを袋ごと持ってかれたことに気づいた。
☆
「ただいまー……」
我が家の戸を開く。ただいま、なんて言ってみるが誰も答える人はいない。そんな生活も慣れたし、一人暮らしも悪くないと思えてきた。
「……少なくともあの家で過ごすよりはな」
自分で言っときながら家のことを思い出して不愉快になる。
早く忘れよう。将来のことなんて分からないが、今はあいつと顔を合わせなくて済むんだ。
そう考えると少しは気が晴れた。
「さて、夕飯作るか」
家の電気をつけ、買ってきた材料を並べ、棚から鍋を出す。
今日の献立は麻婆豆腐だ。
もちろんご飯も忘れない。
牛肉を炒め、水、調味料を加える。豆腐も入れるとだんだんそれっぽくなってきた。
漂う匂いを嗅ぐと母さんを思い出す。
今みたいな狭い部屋。決して贅沢はできなかったけど、夕飯だけはきちんと作ってくれた。働いていて時間がなかった母さんにとって手軽に作れる市販の麻婆豆腐はまさにぴったりだったから麻婆豆腐はよく食卓にのぼって、俺の大好物になった。
そうしている間ににたった鍋に水溶き片栗粉を入れる。
ちょうどよいタイミングでご飯も炊けたみたいだ。
火を止めて、皿に盛り付ける。
「いただきます」
麻婆豆腐のためだけに買った、山椒入りのラー油をかけて食べる。
やっぱり麻婆豆腐はおいしい。週に三度は食べている。
好きだからっていうのもあるけど、仏壇に拝むことすらできない今じゃ、母さんのよく作ってくれた麻婆豆腐を食べることはその代わりなのかもしれない。
……自分で考えておきながら、それはないだろうと思った。
だいたい母さんの味とは似ても似つかない。母さんの味ったって、市販の麻婆豆腐だし……。
「ごちそうさま」
ピロピロピロ
食べ終わると携帯が鳴る。
どうやらメールのようだ。
送信元は……坂本だ。
携帯をとって文面を読む。
from 坂本 陽
to 野宮 浩
件名 逆ナンについて
本文 割りと好感触!なお彼女
の胸が好感触かどうかは
未だに未確認!でも見た
め的に好感触だと思う!
なんじゃ、そりゃ。
テンションが高い。
今頃、おっさんでもこんなセクハラメールはないだろう。
全ての文末に!がついているところを見ると相当浮かれているのがわかる。
明日は今日よりさらにうざくなって絡んでくるのか……。
……いよいよ鎮静剤が必要かもしれない。
本気でそう思った。