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『 ――― エヴァってば、どうして反応しないのよ?』
丁重にお断りの言葉を告げた後、ピクリとも動かなくなったエヴァンジェリスタを見つめながら、八重は焦りはじめていた。
再召喚されてからわずかな時間しか流れてはいないが、とりあえず今回の召喚がエヴァンジェリスタの意思によって行われたものだということはすでに確信しているし、その理由が八重をエヴァンジェリスタの花嫁として迎えることであるということも理解できた。
若くもない八重を今になって再召喚したことは理解に苦しむところだが、それはおいおい問い詰めていけばいいだろう。
十も年上とわかっていて求婚するのだから、エヴァンジェリスタが八重に向ける想いが深いこともわかる。
しかしわかっていても今の八重に、彼の求婚を受け入れる覚悟はないのだ。
「ちょっとエヴァ、大丈夫なの?」
いつまでたっても反応しないエヴァンジェリスタに思いきり不安になった八重は、自分の前で膝を折ったままの彼に合わせて自らも床に膝をついた。
『なんだかんだいってもエヴァは王子様だから、よほどのことがない限り他人から拒絶されたことはないんだろうなぁ ――― って、えぇぇっ!? 』
恥ずかしさはあったが彼の顔を至近距離で見つめた八重は、とんでもないことに気づいてしまった。
じっと見つめていればわずかに動いているのがわかる鼻や口もと、何より胸元が全く動いていないことに。
「エヴァっ、ちょっと息! 息してないってどーゆーことよ! ハッ…まさかわたしの返事を聞いて心臓発作? って、そんなバカなことあっていいわけないでしょう! 息しなさい、息! いーきーしーろーっ!」
思わず胸倉を掴んで大きくゆさぶる。
それこそ遠慮なしにグイグイ、グラグラと前後左右、構わず揺り動かした。
八重の言葉を聞いてさすがに黙っていられなかったのか、二人がいる魔法陣の外側から「陛下!」という男たちの声が聞こえるが、彼らにまで気を配る余裕は八重にもない。
「結婚を断られたくらいで心臓って止まるの? 一度断られただけで心臓が壊れちゃうような軟弱男に、わたしの人生を賭けられるわけがないでしょう。一度目がだめなら二度目があるでしょ!とにかく、どーでもいいから息しなさいよっ!」
倒れもせず膝をついた体勢のままなのだから、絶対に死んではいないだろうと、八重は暴力的ともいえる激しさでエヴァンジェリスタをゆさぶり続けた。
正直、あせりすぎて自分が何を言っているのかもはっきりわかってはいない。
「強ければいいのですか?」
どのくらいゆさぶり続けただろう。
ポツリと目の前のエヴァが口を開いた。
「は?」
「ですから、私が弱くなければ…貴女を諦めず、貴女にふさわしい強い男であれば、その人生を私に賭けてくださいますか?」
上目遣いに金の瞳が八重を見つめる。
『ななな、なんなの、そのロックオン状態の視線は』
思いがけない返答に衝撃を受け、数分間呼吸をすることすら忘れていたエヴァンジェリスタだったが、八重の口ぶりから自分が嫌われているわけではないと判断し、このまま彼女と向き合うことにした。
「あのー、エヴァくん。わたしの返事をちゃんと聞いていましたか?」
「聞いていましたよ。ですが、簡単には納得できません」
「納得できないって…どうしてよ? わたしは結婚はムリって言ったでしょう。ムリって、できないという意味だけどわかってる?」
幼い頃のエヴァが、とても賢い子どもだったことは八重も承知している。
だから、自分の告げた言葉を彼が理解できないはずがないこともわかってはいたのだか、思わず聞いてしまった。
「わかっていますよ。ですがつい今しがた、言ってくださったではないですか。一度目がだめなら二度目がある、と」
「はっ!?」
「かつて貴女は私のことを好きだと言ってくださった。私の気持ちがずっと貴女から離れなければ、結婚してくださると言ってくださったではないですか。貴女の心が私から完全に去ってしまったのであれば、四肢を引き裂かれるほどに辛いですが諦めるしかないでしょう。ですが、貴女が私をそこまで嫌っているとは思いたくありません」
相手が八重でさえなければ、“去る者追わず”な態度で冷たくあしらうのだろうが、彼女相手にそんなことはできない。
そもそも簡単に諦められる想いなら、とうの昔に八重以外の女性を妻として迎えていただろう。それができない時点で彼には八重しかいないのだ。
「八重、どうしても私と結婚できないとおっしゃるのなら、私が納得の行く理由を教えてください。顔も見たくないほど嫌いなら、はっきりそうおっしゃってください」
「顔も見たくないほど嫌いって、ないない!それはさすがにない! 断る理由はほら…エヴァだってもう大人なんだからいっぱい考えられるでしょう? お互いに異世界人であることとか、身分差とか、年齢差とか、とにかくいろいろ~」
説得力に欠ける理由だと思いながらも八重は答える。
そしてそれを聞いたエヴァンジェリスタは、彼女の口から直接自分を拒む台詞が一切出てこなかったことに安堵した。
「確かにいろいろと理由はあるようですね。ですが安心してください。異世界人であることは、出会ったときからわかりきっていることで、私は全く気にしていませんし、重臣たちも否やは言いません。身分差については、貴女自身が昔おっしゃったでしょう? 自分はこの世界の人間ではなく、無理やり召喚された立場の人間だから、この世界の身分制度に拘ることはないと。年齢差は、さすがに如何ともしがたいですが、たかが十の差などこの先の長い人生において問題にもなりません」
「あー、でもやっぱりあの頃と今は違うでしょう? あの頃はわたしも若くて怖いもの知らずだったから、好き放題させてもらっていたけど、もう充分に分別の付く大人だから、王子様の奥さんになれるような身分じゃないってことくらいわかるわよ」
何とかしてエヴァンジェリスタを納得させようとするが、説得力に欠けていることは自分でもわかっている。
「そんなことはありません。貴女以上に私に相応しい女性は世界中どこを探してもいませんよ」
エヴァンジェリスタがそう言うと、二人の会話を固唾を呑んで聞いていた年配の重臣たちが魔法陣の外側で「「そうですよ、ヤエ様ー」」と口々に叫んで大きく頷いた。
「ヤエ。貴女は自分がフリオ・アラーニャを、魔王と呼ばれた男を倒した勇者であることを忘れてしまったのですか? 貴女は世界を救った英傑なのです。どんな大国の姫も貴女に太刀打ちできるはずがないのですよ」
エヴァンジェリスタの口から語られた八重の正体に、若い重臣たちが息を飲む。
「きゃー、それはこの世界での私の黒歴史なんだから、今更蒸し返さないでよ。いくらムカついていたとはいえ、あれはやりすぎたと自分でも思ってるんだから! 勇者とか英傑とか、そんなのどーでもいいのよーーーーっ」
フリオ・アラーニャの城で自分がしでかしたことは、いくらむかついていたとはいえ、乙女にあるまじき行為ばかりだったと八重は思っているので正直、蒸し返されたくない。
「ですが、貴女が救世主であることは変えようのない事実です。そしてその事実があるかぎり、誰も貴女をないがしろにはできない。貴女は誰よりも私の……神聖ファーノ帝国皇帝の伴侶に相応しい女性なのです」
「はぁ? ちょっと待ってよ、ファーノ王国じゃなくて、帝国ってどういうこと? んでもって、皇帝? 王子様でもなく、王様でもなく、皇帝ってなんなのよ?」
王子様の嫁以上に、言葉の響き的に皇帝の嫁は荷が重いでしょう! と一人心の奥で突っ込みながら、八重はムンクの叫び状態に墜ちていくのだった。