二枚の写真
翌日の午後、谷崎警部が中谷教授に話があるから今から大学に行く、という連絡が入った。
宏明は何か情報が入るかも知れないと思い、大学に行く事にした。
家を出る前に中谷教授の携帯に一言連絡を入れた。
大学に着いて、中谷教授の部屋に行くと谷崎警部はまだ来てなかった。
宏明が来て、二、三分すると、谷崎警部がやってきた。
「二葉君、来てたのかね?」
谷崎警部はさほど驚いた様子もなく言った。
むしろ、宏明が中谷教授の部屋に来ていると予知していたようだ。
「うん。さっき来たばっかりだ」
「そうか。では、早速ですが…」
イスに腰をかけると同時に言った。
「二葉君に聞けば良かったのですが、国立記念博物館へ何をしに行かれたのですか?」
「日本史の展覧会がやっていたので、それで生徒何人かを誘って行ったのです」
中谷教授は谷崎警部の目をまっすぐ見て答えた。
「なぜ生徒を…?」
「四人は生徒の中で一番、私になついてきてくれるもので…」
「それは授業後に授業の事を聞きに来てくれたり、とかそういうことですか?」
谷崎警部は手帳から目を離して聞いた。
「まぁ、そういうことですね。二葉君は私と二葉君の父親が知り合いで、小さい頃から知っていまして…。二葉君の彼女は二葉君が誘って連れてきてくれたんです」
中谷教授の話に驚いた表情を見せる谷崎警部。
「本当か? 教授と二葉君の父親が知り合いっていうのは…」
「本当だ。高校時代の部活の先輩後輩同士なんだ。教授が先輩、親父が後輩なんだ」
宏明の説明を聞くと、納得した顔つきになった谷崎警部は話を続けた。
「お話はよくわかりました。大学の教授が、生徒を誘って日本史の展覧会でしたっけ? そういうのに行くというのは珍しいですね」
物珍しそうにしている谷崎警部。
「えぇ…。一度は生徒と課外授業をやってみたいなと思っていましてね。大学だとなかなかそういうわけにはいかなくて、今回、ダメ元で言ってみようと思って生徒を誘ってみたんですよ」
中谷教授は照れながら答える。
(そんなこと思ってたんだ…)
「そして、ついに叶ったというわけですね」
「そういうことです」
「教授、元山さんってどんな人だったんですか? 一回しか会った事ないし、よくわからなくて…」
宏明は苦笑いしながら中谷教授に聞いた。
「外見はチャラチャラしているが、中身は実に真面目な青年だ。人間は外見で判断してはいけないとは、こういうことだということがわかりました」
中谷教授は宏明ではなく、谷崎警部にも言った。
谷崎警部もそうだというふうに頷く。
「あ、二人にお茶も出さずに…」
中谷教授は宏明の谷崎警部の前にお茶が出ていない事に気付く。
「いえいえ、お構いなく…」
「遠慮しないで下さい。今、コーヒーが切れていまして、缶コーヒーでも買ってきます」
中谷教授はそう言うと、カバンから財布を取り出し、部屋を出て行ってしまった。
谷崎警部は呆れたようにため息をついた。
そして、宏明は立ち上がって中谷教授の机のほうへ向かった。
机の上には色んな書類や資料が置いてある。
まだ異動の用意はしていないようだ。
「教授と二葉君の父親が知り合いとはねぇ…」
谷崎警部は宏明を見て言う。
「まさか、この大学で会うとは思わなかった。最後に会ったのが七年前、オレがまだ中学の時だったから…」
谷崎警部に背を向けて答える宏明。
「入学して大学の中庭で会った時は驚いてしまって…」
宏明は中谷教授と再会した日の事を思い出していた。
あれは入学してすぐのことだった。
茂と二人で大学内を散策していた時、一人の中年男性とすれ違った。
向こうは気付いていなかったみたいだが、宏明はすぐに気付いた。
宏明は後を追いかけ、中谷教授に声をかけた。
首を傾げる中谷教授に二葉です、と言うと、すぐに思い出してくれた。
それから、数日後に二人で会おうということになったのだ。
「中谷教授は親父が言うとおりの人物だった」
「お父さんから中谷教授の事を色々教えてくれたんだな」
「うん。学科が違うし、たまにしかあってないけど…」
宏明がそう言った時、伏せて置いてあった写真立てが目に入った。
宏明は写真立てを手に取ってみた。
写真は十五年前ぐらいに撮られた、まだ三十代前半の中谷教授と幼い幼稚園ぐらいの男の子と二人で写っている写真だった。
(教授って子供いたんだ。この前、家に行った時は子供がいるという雰囲気ではなかったけど…。でも、幼いけど、どこかで見たことのある顔だよな)
宏明は最近、会った事のある人物の顔と写真の中の幼い男の子の顔を照らし合わせていた。
「二葉君…?」
谷崎警部は写真に見入っている宏明に近付いてきた。
それと同時に中谷教授が缶コーヒーを持って部屋に戻ってきた。
宏明は写真立てを元に戻し、中谷教授のほうを向いた。
「遅くなりましてすいません」
中谷教授は缶コーヒーを渡しながら謝る。
「こちらこそお手数をおかけしまして…」
谷崎警部も缶コーヒーを受け取りながら頭を下げる。
宏明は写真を見た後のせいか、中谷教授をじっと見つめる。
「二葉君、なんだい?」
宏明の視線に気付いた中谷教授は首を傾げる。
「なんでもないです」
慌てて首を横に振る宏明。
それから三十分、中谷教授の部屋でゆっくりとしてから、二人は部屋を後にした。
大学の正門の前で谷崎警部と別れた宏明は、中谷教授の部屋に飾ってあった写真の男の子の事を思い出せずにいた。
生徒用のバイク駐輪場の近くで庸子とバッタリ会った。
「薬丸さん…」
「二葉さん、大学に来てたんですね。事件のほうはどうですか? 進んでますか?」
庸子はハキハキとした口調で聞いた。
「いや、全く…」
「事件解決するのって難しいですよね。何か手伝える事があったら言って下さいね」
庸子は宏明に色目を使って話す。
その庸子に引き気味の宏明。
「ええ、わかりました」
ちゃんと声で答えたはずが、思わず上ずった声になる宏明。
「それより、そのアルバムは…?」
宏明は庸子の持っていたポケットアルバム二冊が目についた。
「これですか? これは高校時代に撮った写真なんです。サークルのみんなに見せようと思って…見ます?」
「あ、はい」
宏明は庸子からポケットアルバムを受け取る。
(今日は写真に縁がある日だな)
そう思いつつ、宏明は写真を見ていく。
庸子の説明を受けながらアルバムをめくっていく。
二冊目の最後のほうの写真に庸子と一人の女の子と二人で撮られた写真が、宏明の中で気になっていた。
(この写真…)
「二葉さん…?」
「いや、なんでもないです。ありがとうございます」
宏明は何か引っかかりつつも、ポケットアルバムを庸子に返した。
「さっき写っていた女性は誰なんですか?」
「私の姉です。今、化学工場で働いているんです」
「そうだったんですか。似てるなーって思ってたんですよね」
「よく似てるって言われるんです。それでは、私行きます」
庸子は宏明に頭を下げると校舎の中に入っていく。
(姉かぁ…。中谷教授の時も聞いたら良かった)
そう思った宏明だが、写真立てが伏せてあっただけに聞きにくかったのだ。
(見られるのが嫌だったのか、あるいは知られたくない何かがあるかのどちらなんだろうな)
中谷教授が写真の事を隠している理由が、よくわからないでいた。
その日の夜、自分の部屋を掃除をして、ふと高校の日本史の教科書が目に入った宏明。
(日本史か。どうも憶えるのが苦手なんだよなぁ…)
そう思いながらペラペラと日本史の教科書をめくる。
途中までくると国立記念博物館でやっていた古代国家の場面が出てきた。
(博物館でやってたところだ)
次のページをめくると、宏明の目に‘ある物’が入ってきた。
その‘ある物’を全体を見ると、光一が残したダイイング・メッセージと重なる部分があったのだ。
(これは!? 元山さんのダイイング・メッセージで、犯人がわかったけど、トリックも証拠もない。しかも、あの人には明確なアリバイがあるのに…)
宏明は中谷教授から国立記念博物館に誘いがあった時からついさっきまでの出来事を思い出していた。
まだ、一本の線に繋がらないのだ。
宏明は自分の頭をフル回転させるために、台所にコーヒーを淹れに行った。
台所から戻ると、再び事件の事を考え始めた。
(元山さんのダイイング・メッセージを証拠にしてもいいけど、それだけじゃとても弱すぎる。明日、警部にでも元山さんの部屋にあった皿やカップにあの人の指紋がなかったか聞いてみよう。それが何かの証拠になるはずだ。それに、昼間、教授の部屋で見た写真。幼い男の子が誰だか思い出したけど、一体なぜ教授と…?)
中谷教授の部屋で見た、幼い男の子との接点がわからなかった。
それに宏明には思い出したことがあった。
それは前に大学内で歴史の捏造があったと友達から聞いたことがあったのだ。
どの学部もその話題で持ちきりだったが、二ヶ月もすると誰だかわからない上に、本当かどうかも定かではないため、すぐに噂として終わってしまった。
(もしかして、あれは噂じゃなくて本当の事だったのかも…。教授が関係してるのかもしれないよな。捏造の事が本当に異動の理由なのかもしれない)
マグカップの中のコーヒーを見つめて思っていた。