謎の暗号
国立記念博物館に行って、五日が経った。
あの日、日本史の展覧会から宏明と紀美の関係はギクシャクしたままだった。
宏明は自分の中にある自分一人では解決しようのない悩み事を紀美に打ち明けようか悩んでいた。
その時だった。
宏明の携帯が鳴った。
「もしもし?」
「二葉君、今から出てこられるか?」
電話の主は、谷崎警部だった。
「大丈夫だけど、どうしたんだよ?」
「二葉君と同じ大学の元山光一さんが殺害されたんだ」
「えっ? 元山さんが…?」
「うん。元山さんの家が現場なんだ。南区だ」
谷崎警部は一気に言う。
「今から向かうよ」
宏明は携帯を切ると、南区へと向かった。
約三十分、宏明は光一の家に着いた。
玄関まで行くと、谷崎警部を呼んでもらい現場の中に入った。
「現場の状況は?」
「青酸カリで殺害されたんだ。リンゴジュースの中に混入されていたんだ」
「青酸カリ?」
宏明は驚く。
「そうなんだ」
「なんでオレを呼んだんだよ?」
「二葉君の知り合いの教授が、二葉君のことを言ってたから…」
「あぁ、中谷教授か…」
宏明は日焼けした中谷教授の顔を思い出した。
二人は現場となった光一の部屋に入る。
いつも通り鑑識が調べ回っている。
光一が倒れていた場所には、テープで形作られていて、その近くにはコップが落ちていて、青酸カリ入りのリンゴジュースがこぼれていた。
「来客が来てたんだな。コップが二つもあるし、菓子が皿にたくさん盛ってあるし…」
宏明は机の上を見ながら言った。
「そうみたいだ。次は大接間に行こう。元山さんの家族や教授もいるんだ」
二人は現場を後にすると、大接間に向かった。
大接間には、政治家で父親の誠一と料理教室の先生で母親の亜矢と中谷教授や健達がいた。
「お待たせしました。谷崎といいます」
谷崎警部は警察手帳を見せながら言った。
「光一さんと同じ大学の二葉です」
宏明は誠一に会釈をする。
間近で見る政治家は迫力がある。
「光一の父の誠一です。こちらが母の亜矢です」
誠一は自分と妻を紹介した。
「こちらに座って下さい。オイ! 刑事さんと二葉さんにお茶を持ってこい!」
誠一は家政婦に命令した。
家政婦はかしこまりました、と言い残し、大接間を後にした。
「お構いなく…」
谷崎警部は遠慮がちに言った。
「いやいや、こういうことはしておかないと…」
誠一は媚を売っているわけでもなく、正直な気持ちでした様だ。
「さっそくなんですが、ご子息は今日一日中、家におられたのですか?」
「はい。午後から友達が来ると言っていたので…」
亜矢が答える。
「誰が来るとか言っていませんでしたか?」
「いや、何も聞いていないな。お前は?」
誠一は答えると、亜矢に聞いた。
「私も何も…」
「そうですか」
手帳に書き込んでいく谷崎警部。
「光一がなくなったのは何時頃なんでしょうか?」
亜矢は心配そうに谷崎警部に聞いてきた。
「午後一時から三時半頃です。その間のみなさんのアリバイをお聞きしますが、どちらで何をしていましたか?」
谷崎警部は手帳から目を離して聞いた。
「私はゴルフに行っていました」
「どなたとですか?」
「大学時代の友人です。これが友人の住所と電話番号です。調べてもらえればわかります」
誠一は電話帳に書いてある大学の友人の名前の欄を谷崎警部に見せた。
「わかりました。でも、それにしてはお帰りが早いですね」
「寒い上に友人が体調が悪くなったので、早目に切り上げたんですよ」
「そうだったんですか」
「私は料理教室を振り替えでやっていたんです。本当は一昨日だったんですけど、私に用がありまして、今日になったんです」
次に亜矢が自分のアリバイを答えた。
「料理教室をやっていた時間はいつですか?」
「午後一時から三時までです。片付けをして、教室を出たのは四時前だったと思います」
亜矢はさっきより小さな声で答える。
「では、アリバイは完璧ですね。次に教授と史学科のみなさんは?」
「私は図書館に行っていました。中央図書館です」
先に中谷教授が答えた。
「私はバイトです」
「僕も午前中からバイトでした」
有沙と健は交互に答える。
「私はゲーセンにいたけど…」
「誰かに会いませんでしたか?」
「いつもつるんでいる仲間と一緒だった」
庸子はキョトンとした口調で答えた。
「みなさんにはアリバイが一応ある、ということですね」
全員のアリバイを聞いて、やっと宏明が口を開いた。
「そうみたいですね」
誠一は自信ありげに言った。
「光一さんを先にどちらが発見されたんですか?」
「私です」
誠一が宏明の質問に答える。
(なんか、変な感じだよな。この風景…)
宏明は誠一達を目の前に言いようのない違和感を感じていた。
「光一さんが殺害される理由は何か心当たりはありませんか?」
「私は特に…」
亜矢は思い出そうとしているが、首を振ってわからないという様子を見せる。
「あなた方は?」
谷崎警部は史学科の生徒にも聞いてみる。
「そんな話聞いてません」
庸子が代表して答える。
「そうですか」
谷崎警部は軽くため息をつくと手帳に目を落とした。
「それにしても、茶山さん達の組み合わせがおかしくないですか? なんか、合ってないというか…いや、別に悪い意味ではないんですが…」
宏明は自分が引っかかっていた事を聞いてみた。
「オレと光一は大学に入ってからの友達なんです。入学した当時、光一は庸子と付き合っていて…。別れても二人は仲良かったんですよ。有沙は庸子と友達なんです」
健は雰囲気が違う四人が仲が良くなった経緯を話した。
「光一さんと付き合っていたんですか?」
警察手帳から目を離し驚いた表情を庸子に向けた谷崎警部。
「そうです。高三の三学期から二回生の秋までね」
庸子はため息交じりで光一との交際を認めた。
(どうりで…。服装や雰囲気が似てるよな)
宏明は光一と庸子の服装などを見て、なるほど…と思っていた。
「簡単な質問はこれで終わりますので、解散にしてもらっても構いませんよ」
谷崎警部は手帳を上着に中に戻しながら言った。
「わかりました。光一の遺体はいつ戻るんでしょうか?」
亜矢がソファから立ち上がり聞いた。
「検視が終われば戻ってくるので、ご安心を…」
谷崎警部の答えを聞いて亜矢はホッとしていた。
そして、宏明は谷崎警部と共に大接間を後にした。
「警部、なんかおかしくない?」
大接間から光一の部屋に戻る階段の昇り途中で、宏明は引っかかっていた事を谷崎警部にぶつけてみた。
「あぁ、光一さんの親御さんの事か?」
「そうだ。普通、取り乱すとか泣き崩れるとかあるだろ?」
宏明はついさっきまで大接間で会った誠一と亜矢の態度を見て思い出していた。
「確かに二葉君の言うとおりだが、ああ見えて、内心、動揺しているのだろう」
谷崎警部は宏明の言っている事もわからなくないが…というふうに、光一の部屋のドアを開けて言った。
(自分の息子が亡くなったっていうのに、もう少し動揺を見せてもいいような気がするけどな)
宏明は誠一と亜矢の態度が腑に落ちないでいた。
そして、宏明は警察官ではないのに光一の部屋に入ってはいけないと思い、中に入らず谷崎警部を待つ事にした。
「警部、被害者の机の上から‘縦に四つ、横に三つ交わった場所’という文章は、どういう意味なんでしょか?」
若い刑事が谷崎警部に問いただす。
若い刑事の言葉に驚いて、光一の部屋に顔だけを覗かせる宏明。
「さぁ…。さっきから考えているんだがわからないな」
谷崎警部は腕を組んで答える。
(‘縦に四つ、横に三つ交わった場所’かぁ…。元山さんが残したダイイング・メッセージだな。それにしても、どこなんだろうな?)
考え込んでしまう宏明。
「二葉君、‘縦に四つ、横に三つ交わった場所’ってどこかわかるかい?」
谷崎警部は部屋の外にいる宏明に近付いて聞いてきた。
「さぁ…。犯人の名前をを示してるんだと思うんだけど…」
「犯人の名前か…?」
「確証はないけど、場所を突き止めればわかると思うぜ」
宏明は自信なさげに答える。
「でも、青酸カリで亡くなったのに、ダイイング・メッセージなんて書く暇ないだろ? それに、今机の上って…」
宏明はダイイング・メッセージが変だという事に気付く。
「紙にボールペンで書いてあったんだ。恐らく、犯人と会う前に書いたんだろう。犯人はこの紙に気付かず立ち去った、ということだろうな」
谷崎警部は光一の机のほうを見て言った。
「そういうことか…」
納得したように呟く宏明。
(紀美との事も解決してないのに、事件なんて…。今回はどっちも両立出来なさそうだ)
宏明の胸中は一抹の不安が駆け巡った。
「二葉君?」
「あ、うん…」
「大丈夫かい?」
「事件の事考えてて…」
宏明はとっさに嘘をついた。
「今回は難しい事件になりそうだ」
谷崎警部は光一の部屋を見て呟いた。
翌日、宏明は久しぶりに京子と茂の三人で会う事になった。
紀美は誘っていないのだ。
三人は大学の最寄りの駅近くのハンバーガー店で昼食をすることになった。
「今日、ノンちゃんは用事なの?」
京子は席に着いたのと同時に、紀美がいない事に気付いて宏明に聞いた。
「うん、まぁ…そんなとこ」
宏明はごまかして答える。
「なんか、ノンちゃんがいないと変だよな」
茂がハンバーガーを口に入れる前に言った。
「そうか?」
「うん。ヒロの隣にはいつもノンちゃんがいるから…」
「確かにそれは言えてる」
茂の言った事に同感する京子。
(オレの隣に紀美、かぁ…)
宏明は茂の言葉に、紀美の笑顔が浮かんだ。
「それより、話ってなんなのよ?」
京子は話題を変える。
「うん、実は昨日、事件が起こって…」
宏明は中谷教授と史学科の生徒と国立記念博物館へ行った事から始まった事件を話した。
国立記念博物館で紀美が涙した事以外は…。
「‘縦に四つ、横に三つ交わった場所’って…?」
全てを聞き終えて茂が聞く。
「オレもさっぱりわからないんだ」
「そんな場所あるのかよ?」
「きっとあるんだろうな。場所さえわかればいいんだけどな」
宏明はさっぱりと答えた。
「あるんだろうけど、何を示してるかわからないと犯人には繋がらないと思うぜ?」
意外にあっさりと答えた宏明に、逆に聞き返す茂。
「この場所は犯人の名前だよ」
昨日、谷崎警部にも伝えた事を二人にも伝えた。
茂と京子はえ?という表情をしている。
「犯人の名前って…どうやってわかったの?」
「なんとなくだ」
「なんとなくねぇ…。ヒロらしくないじゃない?」
京子は納得していたが、いつもの宏明らしくないということを感じ取っていた。
「早く事件解決するならしろよ。せっかくの春休みが台無しになってしまうぜ」
茂はジュースを飲んでから言った。