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紀美の涙の理由

二十五日、午前十時に国立記念博物館の前で中谷教授と史学科の生徒達と待ち合わせするこになった宏明と紀美。

しばらく待つと、全員がやってきた。

「やぁ、二葉君」

中谷教授は軽く手を上げる。

「その子は…?」

「オレの彼女です」

「西野紀美です」

紀美はゆっくりとした口調で自分の名前を告げた。

「こっちも紹介しなくちゃな。史学科の生徒だ」

中谷教授は史学科の四人のほうを見た。

「茶山健です」

元気よく挨拶するのは、茶山健と言う青年で背に高い爽やかな感じだ。

「私は薬丸庸子です」

薬丸庸子はギャル系で、ミニのタイトスカートに黒のニットを着ている。

「浦井有沙です。よろしく」

浦井有沙は大人っぽいしっとりとした感じだ。

「元山光一です」

元山光一も庸子動揺、今風でダボダボとした服装をしている。

「自分は国文科の二葉宏明です」

「庸子ってファンじゃなかった?」

有沙は庸子に言う。

「うん。私、すごくファンなの!」

庸子は熱い視線を宏明に向ける。

「は、はぁ…」

困惑する宏明。

「まったく…二葉さん、困ってるだろ?」

光一が呆れた口調で言った。

「放っておいてよ」

「まぁまぁ…とにかく中に入ろう」

中谷教授はなだめつつ催促した。

七人は中に入ると、辺りを見渡した。

中は日本史の資料や置き物が置いてあり、国文科の宏明と紀美でさえも興味を持って見ていた。

「今回の展覧会は、聖徳太子の政治や大化の改新などの古代国家の歩みなんですね」

有沙は目を輝かせて言った。

「そうだ。オレはこの部分が好きだ」

健も目を輝かせて頷きながら答える。

「二葉君、日本史は得意かい?」

物珍しそうに見ている宏明に聞く中谷教授。

「どちらかというと苦手です」

「西野さんは?」

「私もです」

「そうか。日本史は奥が深いからね。話を聞くだけでも楽しいんだがね」

中谷教授は残念そうに言う。

「教授の話、聞いてて楽しいんですよ。毎年、前期と後期には先生の授業を取る生徒が多いんですよ」

庸子は宏明の横に立って言った。

「そうなんですか」

「そんな楽しい授業ではないんだがね」

苦笑する中谷教授。

「教授、そんなことないですよ」

光一はフォローする。

「そう言ってもらえると光栄だね」

中谷教授は照れる。

「ここは奈良の都の事みたいですね」

健が資料に目を向けて言う。

「奈良の都といえば平城京ですね」

「うん。七百十年、元明天皇は都を藤原京から奈良に移したのを平城京というんだ。七九四年に平安京に移るまでを奈良時代というんです」

光一は置き物を見ながら、宏明と紀美に言った。

「産業が発達していて、特に鉱山の開発が進んでいたんです。武蔵の銅が代表的なんです」

次に有沙が言う。

「あと貨幣もすごいんですよね?」

宏明は史学科の生徒に聞く。

「うん。役人の給与を貨幣で支払ったり、税の銭納を命じたりしたんだが、一般には物々交換が行われていて、都やその周辺でしか使われなかったんだ」

中谷教授はゆったりとした口調で説明した。

そして、七人はそれぞれ見終わった後、国立記念博物館の中にある喫茶店でお茶をすることになった。

「二人共、文学部でしたっけ?」

健が宏明と紀美に聞いた。

「はい。国語の教師になりたくて…」

宏明は答える。

「いい夢持ってるんだね」

健は宏明の夢に微笑む。

「ねぇ、二葉さん、外に行こうよ!」

庸子が弘明の腕を組む。

「え…?」

「じゃあ、そろそろ外に行こうか?」

中谷教授は立ち上がる。

七人は喫茶店を出て、少し散歩することになった。

「こっち行こう!」

まだ庸子は宏明の腕を組んでいる。

宏明はバツの悪い表情をしている。

「まったく、仕方ない娘だねぇ…」

有沙は呆れた口調になる。

「二葉さんには彼女がいるっていうのに…。気にしちゃダメよ」

「あ、はい…」

「付き合ってどれくらいなんですか?」

「二年五ヶ月です」

紀美の脳裏には、宏明から告白された時の事が蘇った。

「長いんですね」

「よく言われます」

宏明と庸子の楽しそうな姿を切なそうに見つめて答えた紀美。

(宏君の笑顔、久しぶりに見たような気がする。このところ、宏君ってば全然笑ってくれなかったから…)

紀美は言いようがない気持ちになっていた。

「薬丸さんっていつから宏君のファンなんですか?」

「痴漢騒ぎがあったでしょ? あれが二葉さんが犯人を捕まえたってわかった時だ」

紀美と有沙の背後から光一が答えた。

「そうだったんですか…」

「ホントに何考えてるんだろうな。場をわきまえろって感じだよな」

光一ははしゃぐ庸子を見て言う。

「どうやって痴漢の犯人を見つけたんだろ?」

健も近付いてくる。

「さぁ…。私もよくわからなくて…」

「彼女もわからないのにオレらなんてもっとわからないって事か」

健は残念そうに言う。

(他に好きな娘出来たのかな? 出来たなら言って欲しいんだけどな…)

いつしか紀美の中で二年五ヶ月も付き合ったんだから、宏明に他に好きな女性が出来ても仕方ない、そうなったら悔いはない、と思うようになっていた。

「二葉さんのところに行ってきなさいよ」

有沙が紀美の肘をつつく。

「え…?」

「庸子の事はいいから…。彼女なわけだし、ドーンと行かなくちゃ!」

有沙は紀美の気持ちを見透かしたのかアドバイスする。

紀美ははい、と返事すると、二人のところまで行く事にした。

「宏君!!」

「おっ、紀美…」

「何してるの?」

「風景が綺麗だなって話してたんだ」

「へぇ…」

今にも泣き出してしまいそうな紀美。

「宏君って呼んでるんだ? 私もそう呼んじゃおうっかなー?」

庸子はまるで彼女のように熱い視線でチラッと宏明を見て言った。

「好きなように…」

いつもなら断る宏明だが承諾してしまう。

その時だった。

紀美の張り詰めていた緊張の糸が、プツリと切れて紀美の目から涙が溢れ出す。

「の、紀美!?」

驚いて慌てる宏明。

「なんでもないの」

首を横に振り、手で涙をぬぐうと無理に笑顔を作ってしまう紀美。

「どうしたんだよ? 急に…」

「なんでもないの。私、トイレに行ってくるね」

トイレに行こうとする紀美の腕を掴む宏明。

「ちょっと二人で話してくる」

「うん…」

庸子は自分が原因だと気付かず気のない返事をする。

その様子を中谷教授達は心配そうに見つめる。

宏明と紀美は館内に入り、人気のない場所に向かった。

「いきなりどうしたんだよ?」

「なんでもない」

「なんでもないことないだろ?」

宏明は少し怒り気味で聞く。

「今だから聞くけど、宏君、好きな娘いるでしょ? いるんだったら遠慮しないで言ってくれたえらいいのに…」

紀美は自分の中に思っていた想いを言った。

「好きな娘なんていないって…」

「ウソ! 私わかるもん。最近の宏君、何か違うもん!」

「紀美…」

宏明は言い返す言葉もなく紀美の名前を呟く。

紀美の言った事は本当ではないが、数日前から抱えている悩みがあるのだ。

「実は悩み事があるんだ。今はその内容は言えないんだ」

宏明は沈んだ声でその事実を告げた。

「そうだったら言ってくれたら良かったのに…」

紀美は自分が勝手に宏明が好きな娘がいると思い込んでいたことを反省しつつ、涙をぬぐって言う。

「言えるわけないだろ? そんな事言ったら紀美を心配させるだけだし…。それが逆に心配させてたんだな。ゴメン」

謝る宏明に、頷くしか出来ない紀美。

「大丈夫かい?」

中谷教授が心配して二人に近付く。

「はい、大丈夫です」

中谷教授に心配かけまいと笑顔で答える宏明。

「何があったか知らないが、彼女を泣かせてはいけないよ。大切にしなきゃいけないぞ」

中谷教授は紀美が泣いているのを見て、宏明を諭すように言った。

「わかりました」

「じゃあ、行こう。みんなが入り口で待っている」

中谷教授は入り口に向かって歩き出す。

「大丈夫?」

有沙は紀美に声をかける。

「はい…」

涙目の紀美は声を震わせて返事する。

「さっきはごめんね」

庸子は全員に宏明にベッタリしすぎだと言われたのか、すまなそうにして紀美に謝った。

「教授、これからどうします?」

光一が中谷教授の隣でこれからの予定を聞く。

「私の家にくるかい?」

「行きます」

「私も行きます」

「日本史の話をもう少ししようか」






中谷教授の家に着くと、六畳の部屋に通された。

中谷教授を前に座る宏明達。

まるで授業のようだ。

「平城京は東西約四・二km、南北四・八kmであるんだ。東側に東西約一・五km、南北に約四・ニkmの外京があるんだ。これは重要だぞ」

中谷教授はテスト前の出すぞという口調で言った。

「はい。それは唐の都の長安を手本とし、碁盤の目のような規則的な道路で区切られているんですよね?」

光一は自信満々に言った。

「そうだ。都には東大寺などの大寺院が建てられ、‘青丹より奈良(平城)の都は咲く花の匂うがごとく今盛りない’と万葉集で詠われたんだ。国分寺は国府の近くに建てられたんだ。今も国府台、国府津、府中、甲府、国分などの地名が残っているんだ」

一気に説明してしまう中谷教授。

宏明は日本史に対して興味を持ち始めていた。

「次は公地公民制の話だ」

「口分田の話ですか?」

「そう。中学の歴史で勉強したと思うが、簡単に話そうか?」

中谷教授は全員の顔を見て言った。

「口分田を与えられた農民は、面積に応じ租を負担し、成人男子には都まで運んで納める調・庸などの税に加えて、兵役などが課せられていたんだ。食料がなくなった農民は、豪族などから稲を借り、秋に高い利子をつけてかえさなくてはいけなくて苦しんだそうだ。このため農民は戸籍を偽ったり、逃亡して貴族や大寺院の私有民になったりしたそうなんだ」

中谷教授は身振り手振りを交えながら説明する。

「戸籍の偽りに関しては、常陸国、今の茨城県の戸籍には、九十人中女性が七九人だったという例があるんだ。また、山城国、今の京都府の戸籍には、成人男性が四二人中八人が逃亡しているんだ」

「へぇ…」

中谷教授の知識に、今まで知らなかったという表情をする宏明。

(さすが、教授だけあるな。当たり前だけど…)

「でも、口分田の不足して荒れたため、それを補うため大規模な開墾計画が立てられたんですね」

健は中谷教授の補足をするよう言った。

「そうなんだ。三世一身の法と懇田永年私財法の二つだ。この二つの違いはわかるね?」

「まぁ、なんとなく…」

自信なさげな庸子。

「史学科がそれじゃあ、ダメだろ?」

「あ、はい…」

すまなそうに返事する庸子。

「三世一身の法は、水路を作って開墾した場合は三代、すでにある水路を利用し開墾した場合、本人一代の私有を認めているものなんだ」

中谷教授は風邪を引いているのか、時折、鼻をすすりながら説明した。

「墾田永年私財年は、国家の許可を得て、開墾した土地の私有を認めるものなんだ。わかったかい? 薬丸君」

「はい」

次は元気よく返事する庸子。

「簡単に説明するとこんな感じだ」

中谷教授はそう言うと、机の引き出しからタバコを一本出し火をつけた。

「教授、タバコ吸うんですか?」

健は珍しそうに聞いた。

「たまにね」

「今日は楽しかったな」

有沙は伸びをしてから言った。

「もう二時だ。そういえば、昼食取ってなかったな。軽く何かご馳走するよ」

中谷教授はタバコを消して、部屋を出て行った。

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