3月 木南知景
3月私の人生は信じられないスピードで転落した。
なんの努力もせず生きてきたしっぺ返しと思えば、少しは気持ちが楽になるかと自分を慰めていた。
私の家はごく平凡なサラリーマン一家で私は中学校まで公立でそこそこに生きてきた。
特に何かを頑張ったわけでも勉強が出来たわけでもなく、それでも私は桜華学園に入学した。
しかも一番ランクの高い金のランクで。
家が世間とは一つだけ違ったのは父の遠い親戚がこの桜華学園を作った桜華子の血縁だということだった。
女子校のため父には全く縁もゆかりも無い場所であったが私には当然のように桜華学園の道が用意されていた。
入学してから驚いたことは、セレブのお嬢様は本当にいるんだということだった。
文房具から下着からすべてブランド品の数々。
朝や放課後の車での送迎は生徒玄関のアプローチに次から次へと高級外車が並んでいる。
私はただ大人しく過ごしていた。
当然話は合うわけはなく、下手に口出しをすれば自分の素性がばれそうで私は金ランクにも関わらず全く友達は出来なかった。
一度は下のランクの人と一緒にいようと思った。
修学旅行のころだ。
しかし銅ランクの女子はあからさまに私を違うものとして接してきた。
銀ランクのグループは金以上に見栄やプライドを強く感じた。
中学校のころ平和な学校で特にイジメられたことのなかった私は高校でもそれが続くと思い込んでいた。
しかしそれは幻想であった。
お金の価値が人間を決める。
人間性はランクで決められる。
そんなことを強く感じ私はどんどん荒れていった。
具体的には髪の毛を茶髪に染めた。
メイクを濃くして堂々と校則を破った。
周りの学校ではこれくらい当たり前、普通の範疇だった。
でも桜華学園ではただ一人のマイノリティになった。
ここでは出る杭は打たれる。
部活動も同好会もランクの高い金と銀の生徒しか認められていない。
銅の生徒はいないも同じ。
私もそう思っていた。
では何故銅のランクの生徒はこんなに多いのか。
卒業したときに様々なメリットがあるというのは誰もが知っている。
有名私立大に裏口で入学を斡旋してくれる。
金は一番学生に必要な学力の補完というところに湯水のように流れていた。
結果、3月この桜華学園は倒産に至った。
卒業生の進学先一覧は素晴らしくても中にいる生徒は学力も低く、著しくやる気がない。
さらには教師も公立学校で校長やらなんやらをやっていた定年後のじじいやばばあしかいない。
天下り。
おかげでランクの上から下への無視や暴言は当たり前。
さらにはランク内でも陰湿なイジメは横行していた。私がターゲットになっているのだから間違いない事実である。
3月に私は銅ランクへの転落と寮への強制入寮が言い渡された。
普通金から銅へのランク落ちなんてありえない。
なんらかの事情で寄付金が払えなくなった場合この学園を去るのがルールだ。
まして寮なんてただの使用人部屋だ。
金ランクのお嬢様に掃除や学園の様々な仕事をさせるわけにはいかないと銅ランクの生徒は有無を言わせず奉仕の時間が充てられる。
ランチの皿洗いからトイレ掃除から、学園の人件費削減のため朝から放課後遅くまで無償で働かせる。
もちろんアルバイト料などはでない。
まさにシンデレラ状態だ。
それでアルバイト禁止なんて笑わせる。
実質銅ランクの子たちは部活動などに時間を割けないのだ。
茶髪で校則違反ばかりしている私が今までお咎めなしで許されていたのはただ、理事長の身内というだけだった。
私は転校を願ったが勉強していないつけからどこにも入れないという人生の危機を迎えていた。
仕方なく私は髪を黒に戻しこの銅ランクの使用人部屋にやってきたのだ。
知らなかったことにこの寮は相部屋で他人と二人部屋だというのだ。
何から何まで目の前をすごい勢いで過ぎていった。
両親は卒業まであと1年大人しくしていてくれと、それだけを願っていたようだ。
私の転校したいという人生二つ目のわがままは全く相手にされないまま空中分解してしまった。
一つ目の願いは中学校で吹奏楽部に入り楽器がほしいとねだったことだ。
さしてうまくもなく人数もいない部活だったが、トランペットを手に入れてからは毎日宝物のように大事にした。
友達とも部員ともそれなりにうまくやっていた。
高校でも吹奏楽部に入りたい。
一人名門の桜華学園に入学して鼻が高かった。
もちろん身内が理事長なんてことは言わなかったが。
桜華学園に入って部活も何もかも打ち砕かれた、楽器のレベルは桁が二つ違ったし小さい頃から有名な先生にレッスンをつけてもらっていたという筋金入りのお嬢様しかいなかった。
部活で仲間と涙したいなんて志のお嬢様は一人もいなかった。
私はここでも居場所を見つけられなかった。
4月3年生の新寮生で事情も事情だったので引っ越しはひっそりと行われた。
同室の子は九州から来たとかいう一年生だった。
彼女もまた居場所を見つけられていないようだった。
夜になるとベッドで泣いていた。
私も泣いていた。
お互いほとんど言葉を交わさなかった。
彼女とそして新しい理事長との深い深い関わりは制服が夏服に変わり、夏休みを迎えるころの話である。