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1・雪の朝

 朝から大粒の牡丹雪が降っていた。それは見る見るうちに降り積もり、道という道はただ真っ白く埋め尽くされていた。

かなめちゃん、ねえいいでしょ? 学校まで送ってよ」

「またか? だけどなあこの雪だし、俺、一番下っ端だから遅刻したらまずいんだよな」

 瀬川要せがわかなめはトレンチコートの袖をめくってちらちらと腕時計に目をやり、出勤時間を気にしている。

そんな彼を車庫の前で捕まえて、矢萩やはぎまつりは駄々をこねていた。

「いいじゃない、どうせ一緒の方向だもん。この雪じゃ、バスで行ったら遅れちゃう。要ちゃんの銀行前で降ろしてくれてもいいよ。そこから歩くから」

「わかったよ。仕方ないなあ」

 眉間にしわを寄せ、眼鏡の奥の涼しげな目を細めて、ぶつぶつと文句を言いながらも瀬川要は車の助手席のドアを開けた。

 ――やったあ! 十二月初めての成功!

 矢萩まつりは心の中で叫んだ。

 瀬川要の方が最後には折れてくれる。昔からそうだった。ちょっと口が悪いが誰にでも優しい。自分だけが特別じゃないのが矢萩まつりには少し寂しかったのだが。

 半年間も雪で閉ざされる冬は、寒くて憂鬱だったが、矢萩まつりにとって大雪の朝は特別だった。

 ――要ちゃんとミニドライブができる。

 この冬、三回目のミニドライブだった。

 お向かいの洒落た洋風の家に住んでいる、まつりより六歳上で背の高いお兄さん。この辺りでは少しばかり大きい家で、ビルトインの車庫も二台分あり、車は三台あった。

 瀬川要は面倒見が良く、小さいまつりともよく一緒に遊んでくれた。だが、瀬川要が高校に入学した頃からあまり構ってくれなくなった。

 部活動だの、同級生と遊びに行くだの、ほとんど家にもいないようだった。大学は札幌に進学して下宿暮らしだったし、卒業後は地元、旭川の銀行に就職したのだが、今は、「お早う」の挨拶をするくらいだった。

 危機的関係だった。

 といっても、そう思っているのは矢萩まつりだけなのだが。

 初めからまつりの一方通行の想い。ただのお向かいさんという関係なのだ。

 瀬川要が旭川に帰ってきて一年、高校二年生の矢萩まつりは二階の窓からじっと彼が出勤するのを覗き見るのが日課になっていた。

そして、瀬川要が玄関ドアを開けた瞬間、まつりは慌てて家を飛び出すのだった。

 ただ、「お早う」の挨拶をするために。

 だが雪の日は違った。普段より早く起きて入念にヘアスタイルをチェックする。肩より長い髪は癖毛があるから手入れに時間がかかる。でも丸顔を隠すには髪を切るわけにはいかない。寝癖が直らないなんて絶対許せなかった。微かに甘い香りのする保湿リップも忘れない。本当はアイシャドウやアイライナーで二重を強調したいところだったが、いくら私服の高校だとはいえ、さすがに化粧はしていけない。

 美人顔ではない矢萩まつりは、子供っぽく見えないよう最大限の努力をしていた。

寝坊をしようものなら、泣き出したい気分になった。朝、瀬川要に会えないと、一日中憂鬱な気分になるのだ。

 今朝の矢萩まつりは、ちょっと子供っぽいグレーのダッフルコート意外は完璧だった。

 これから、瀬川要の車でプラタナス並木の道を通れるのだ。

 木が生い茂る、神楽岡公園に沿って伸びている道。冬枯れしたプラタナスの並木道は、夏とは違った表情を見せる。灰色の世界はもの悲しい雰囲気もあるが、好きな人と一緒だと景色が一変する。

 綿菓子のようにふんわりと枝に乗っている純白の雪。美しく雪化粧した街路樹のトンネルが続き、なんともロマンチックな気分に浸れるのだ。

 ――いつか、腕を組んで二人で歩いてみたい。そして、その途中にある教会を訪ね、結婚式はいつ? なんて、日取りを決めたりしてみたい。

 とりとめのない空想の世界に浸っていた矢萩まつりは、車窓の景色を見て現実の世界へ引き戻された。

「えっ? 何で曲がるの?」

 プラタナスの並木道の途中で、瀬川要はハンドルを右に切ったのだ。

「この雪じゃ、神楽橋は渋滞しているからね」

「えーっ、いいのに」

「何がいいんだ。遅刻するだろう?」

「きっと、どの橋を通っても渋滞してるんじゃない?」

「そんなことはない」

 瀬川要が行った通り、手前にある大正橋方面はスムーズに通過できてしまった。

 屋根にどっかりと雪が覆い被さっている家々が重苦しそうに立ち並んでいる。そんな住宅街を、車はするりと通り抜けていった。 

 ――折角のドライブコースなのに……。

 矢萩まつりの盛り上がっていた気分が、一気にしぼんでしまった。

 ――あと十五分もしないうちに、学校についてしまう。今日こそ要ちゃんに言わなきゃ。クリスマスに会ってくださいって。今年は旭川にいるんだもの。……でも、要ちゃんはどう思うだろう。

 焦れば焦るほど、矢萩まつりは口が重くなった。ずっと言いそびれていた。早く言わなければ誰かと予定を立ててしまうかもしれない。

「なあ、その髪、うっとおしくないか? まとめるか切るかしたほうがすっきりするんじゃないか?」

 正面を向いたまま言った瀬川要の思いもよらない言葉は、矢萩まつりを突き刺した。

「に、似合わない?」

「うーん、勉強するのに邪魔くさそうだ。髪や服装ばかり気にしてたら、落ちこぼれるぞ」

「失礼ね。これでも成績は学年上位なんですからね!」

 そんな髪、切ってしまいなさい。

 瀬川要の言葉は、母を思い出させた。口煩い母。常に監視されているような気さえしてしまう。

 ――要ちゃんとは六歳しか違わないのに、どうしてお母さんと同じことを言うの? 大人になったら、皆同じ考え方をするの?

 こんな時、まだ高校生である自分と社会人の瀬川要との年の差を痛切に思い知らされてしまうのだ。

「でも不思議だよなあ。まつりが東高に行っているっていうのがさ」

 矢萩まつりが無言で抗議していると、瀬川要はポツリと言った。

「なによそれ。どういう意味?」

「そんな風には見えない」

 ちらりとまつりの方を見て、意地悪そうににやりとしながら瀬川要が言った。

 ――ショック。私って頭悪そうに見える? 要ちゃんは一体私のことをどんな風に見ているの。

 東高は市内でも偏差値レベルの高い高校だった。だが、矢萩まつりは必死に受験勉強をして見事合格したのだ。

 同じ学校へ一緒に通えることはないが、せめて瀬川要の母校に入学したかった。少しでも接点がほしい。それに、いつだったか、「知的な娘が好みだ」と瀬川要が言っていたのを覚えている。瀬川要の好みに近づこうとまつりなりに頑張っていたのだ。    

 ――軽い娘に見られていたなんて。

「さあ、着いたぞ」

 落ち込んだ気持のまま、瀬川要の横顔を見ている間に高校の正門前に到着してしまった。

 まつりが無言のまま車を降りると、「じゃあな」と言って、瀬川要は車を発進させた。

 ――だめだ。クリスマスのこと、言い出せなかった。送ってくれたお礼まで言い損ねた。

 まつりは益々落ち込み、その場に棒立ちになった。

「おう、矢萩。門の前で突っ立って何やってんだよ」

 クラスメイトの萩原紀はぎわらかなめが走り寄ってきた。

「いいじゃない、構わないでよ」

「遅刻になるぞ」

 リュックを肩にかけ、まつりと同系色のダッフルコートを着ている。並んでいるとペアルックのようだ。

「いいの、先に行ってよ!」

「なんだよ、可愛くない女」

 萩原紀は言い捨てて走っていった。

 校門付近には学生の姿はなく、走って教室まで行かないと遅刻してしまう時間だったのだが、まつりはどうしても萩原紀と一緒に教室へ入りたくなかった。

 矢萩と萩原、つなげて『矢萩原やはぎわら』とあだ名され、ことあるごとにクラスメイトに冷やかされていた。それに、瀬川要と同じ『かなめ』という名前。漢字こそ違うが、大切な要ちゃんと同じ名前だ。『かなめ』と誰かが呼ぶたびにどきりとして反応してしまう。学校に瀬川要がいるはずもないのに。性格も物静かな要ちゃんとは正反対で、萩原紀はスキー部に所属し、体育会系だ。萩原紀が嫌な性格だとか、生理的に受け付けない外見だとか、そういうことではないのだが、名前が同じというだけでいちいち気に障る。その紛らわしさにまつりは苛々させられた。

 理不尽な感情なのだが、矢萩まつりにとって、とにかく、萩原紀の存在は許せないのだ。

 瀬川要との朝の貴重なひと時を楽しく過ごせなかった矢萩まつりは、一日中憂鬱だった。

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