おきよさんの話
おんやおや、よく来なすったねぇ。
さあさ、お上がんなさい。ここは田舎だから、バスもあんまりなくて苦労したでしょうに。
ああ、そうですか、東京から。あらあら、まぁ、そんなお気遣いなんていいんですよ。そうですかぁ。じゃあ、お茶でも。
ちょっと待ってて下さいねっ。本当にお疲れになったでしょう。
バス停からは随分とあるから。もっと、ちゃんとした道路があればいいんですけどねぇ。
ええ、ええ、そうですかぁ。ええ、本当にねぇ。
えっ? そうなんですよ、息子夫婦も滅多に帰って来てくれなくてねぇ。……本当に若い人は珍しくって。
ほほほ、やですよお、もうお婆あちゃんなんだから。いやぁだ。さあさお茶が冷めちゃいますから。
えっ? ああ、そうでしたね。でもぉ、この辺りの伝説や昔話と云っても、そんなに大した話なんてなくってぇ……。あたしも、お電話をいただいた時から色々と思い出してみてたんですがねぇ。
……ええ、そうですねぇ。ちいちゃい時に聞いたお話でよければ。
……はぁ、そうですかぁ? それじゃあ。
昔はねぇ、この辺りはもっと人が住んでて小さいながらも割と裕福な土地だったんですよ。
隣の邦が日照りなんかで作物が採れなかった時でも、不思議とここだけは作物が豊かに実ってたりしてたんだそうですよぉ。
だけど今じゃぁこの有様で、若い人だってどんどん都会へ出て行って仕舞うし……。家の三男だって、東京へ行ったきりで……。
ああ、そうでしたそうでした。ごめんなさいね。
そうね、いつごろの事なんでしょう。多分、江戸時代の初めごろでしょうね。
ここを治めている御領主様の所へ将軍様からのお使者がやって来たんです。
この辺りで採れる珍しい石を献上しろってね。
ええ、あの山を二つ程越えた辺りにころがってたらしいんですけどね。今は立ち入り禁止になっちゃってるんですよぉ、危ないからって。
そうそう、それで御領主様も将軍様の云う事だし、それくらいならってOKしちゃったんですって。
で、こちらから江戸まで贈る算段をしようとしたら、わざわざ取りに来るって云う事になったそうです。
ええ、そうなんですよ、わざわざ。
えっ、どうしてかって?
それはね、御領主様にはそれはそれは美しいお姫様がいらしてね、どうも、お使者の方は一目惚れして仕舞ったらしくて。もうそれはそれはお美しい姫様で、花嫁人形のようだったそうです。
ま、いつの時代もそうですけどねぇ……。で、しばらくして江戸から人足やら誰やらを引き連れて、もう一度お使者がやって来たんです。
ところが折角やって来たのに、お姫様にはどうしても会わしてもらえない。これでは何の為にわざわざ戻って来たのか判らないってんで問い正したら、「姫様は今病で臥せっておられる」と云うではないですか。
それは大変と、お使者は、やれここに善い薬があるとか、江戸から名医を呼ぶとか、いやいやそれよりもとにかくお見舞いにとか大慌てで。
ところが、家臣の方は妙に落ちついてて、「殿様に任せておけばよろしい」と云っている。
……えっ? ええ、ここのお殿様は天狗の子孫で妙な術を使うってんで、近隣一帯から畏れられてたんですよ。
とにかく、「一目でもお会いしたい!」と云うお使者に根負けして、お見舞いは許されたそうです。
お姫様は、その美しさも全くそのままでとてもご病気とは思えないご様子だったんですが、よくよく見るとなるほどピクリとも動かず懇々と眠り続けておる。息もほとんどしているようには見えない。お付きの目を盗んで手を触れてみると冷たい肌をしている。
これは大変もう江戸から医者を呼ぶしかない、すぐ使いを江戸へやらねばと、大騒ぎになって仕舞った。
その時、姫が目を覚まして、自分は大丈夫だからそうご心配なさらぬようにと、宥めてやっと収まったそうです。
それ以来、お使者の方は本来の役目も忘れて、もうひっきり無しに見舞いに来る。献上の品の吟味もそっちのけで、日数ばかりが過ぎていったんです。
そんなある日、何か欲しい物がないかと訊ねるお使者に、困り顔ながら姫が『水晶の華』を採ってきて欲しいと云う。「よし、判ったすぐ採って来よう」と云ってはみたものの、水晶の華なんて聞いた事もない。
それで家臣等に問い正してみれば、それこそこの地の珍しい華。それさえあれば姫の病が修るのだが、毒の谷や魔物のいる山を越えた更に奥の谷に咲いていて、余りに危険なものだから殿様以外誰も行こうともしないのだそうです。
ですが、ここで引き下がっては三河武士の名折れ、魔物なんぞなんのその、必ず採って来ると大見栄をきったんです。
回りの者は幾らなんでも無茶だと止めたんですが、絶対に採って来ると言い張る。
それではと、華のある谷への道を教え、華を入れる鉛の函と妙な音の鈴の音の小箱、更に毒消しの面と守り刀を渡したそうです。
当のお使者の方は、これさえ有ればと数人の供と共に勇んで出発しましたとさ。まぁ、男の人なんていつの時代でも同じですよねぇ。
ええ、本当に。
まぁ、それで、お使者はお供を連れて華の有る谷へと向かったのですけど、聞いた通りに険しい道行になって、供の者も途中で一人、また一人と減っていって仕舞って、毒の谷を抜けた頃には四人だけになっていました。
それでも、ようよう魔物の山に入ったんだが、仔牛程もあるコウモリやら人より大きな立って歩くトカゲやら、恐ろしげな魔物がひしめいていた。
とうとう一人はしゃもじの様な丸い頭の巨大な毒蛇に咬まれ、一人は六本足の黒い山猫に喰われて仕舞って、目的の谷に着いた時には二人の共が残るだけになって仕舞ったそうです。
しかし、谷に着いてはみたもの、いったいどれが『水晶の華』なのか見当もつかない。
その時、お使者の方は、はたと気がついて出発の際に渡された鈴を取り出して谷を歩きだしたんです。華の在処に近づくと、鈴が鳴り出すと聞いていたからです。
しばらく三人で歩き回っていると、成る程、パリパリと鈴が鳴り始めた。でかしたとばかりに音のよく鳴る方向へ歩んでいくと、谷の暗がりにほの白く輝いている物が見えてきた。さてはあれが例の華に違いないと、お使者はその輝きに方へ進んで行く。鈴の方も、更に大きく鳴るようになる。とうとう、光っている処に着いた時には、もう、うるさいくらいに鳴り響いていたそうです。で、お使者の方が辺りを見渡してみると、光っているのは妙な石で、物によっては成る程華の様に見えない事もない。鈴を近づければ、確かによく鳴り響くので、これが姫の云う水晶の華に違いない。このような石なら、姫の病を打ち払うような霊力を秘めているに違いないと、その内の大きな塊をこれも手渡された函に丁寧に収めて、急いで引き返したそうです。
帰りは何故か魔物は襲って来なかったので、すんなりと城まで戻って来れたそうですよ。
で、水晶の華の霊力の為か、姫の病も一晩でよくなって仕舞ったそうです。
お使者も喜んで、しばらくは一緒に領地を散策などしておられたのですが、元はと云えば献上品輸送が本来のお役目ですから、そうそういつまでも滞在している訳にはいきません。とうとう、名残りは尽きねど江戸に帰る日が来て仕舞いました。お使者の方は、「必ずまた来るから」と云って江戸へ戻ったのですが、ついにこの地へ再び訪れる事はなかったと云う事です。
お姫様の方は毎日毎日お使者を待っていたのですが、何年かして風の便りに彼の人はもう帰らぬ人になったと聞くに及んで、また以前と同じ病で床に伏して仕舞ったそうです。
これが、あたしの聞いたお話。
ええ、そのお使者は江戸へ還ってすぐに病気で亡くなられたんだそうですよ。何でも石に関係した者みんなが何かしらの病気になったものだから、これは石の祟りじゃと云う事でどこかしらのお寺でお払いをしてどこかに封印して仕舞ったそうですよ。
ええ。特に、お使者と最後に残った二人お供の家では、妙な子供ばかりが生まれたそうですからあ。
まぁ、お使者がお役目そっちのけでいたんで、天罰が当たったんでしょうねぇ。
あらあら、お茶が冷めちゃって。もう一杯入れましょうね。……はい、どうぞ。
えっ? なんですって?
ああ、石ですかぁ。あたしも、それがどんな石なのか判らないんですけどねぇ……。
えっ、谷ですか?ええ、今でも毒の谷はありますよ。流石に魔物はもう出て来ませんけどね。石のあった谷の方は立ち入り禁止になっちゃっててねぇ、時々大学の先生やらがやって来るくらいですよ。
ええ、何でもあの辺は放射能が危ないそうで、ウランやらプロトンなんとかってのが転がってるから誰も入っちゃならないんだそうですよぉ。
注)
Plutonium:94番元素,原子量242,人工放射性超ウラン元素
Pterodactylus:翼手竜,中性代ジュラ紀末から白亜紀に栄えた恐竜亜綱翼竜目の爬虫類
Tyrannosaurus:暴君竜,中性代白亜紀に生存した恐竜亜綱の肉食恐竜
Cobra:爬虫類トカゲ目,南アジアからアフリカに分布する毒蛇
ガイガー=ミュラー計数管:1928年にドイツのハンス・ガイガーとヴァルター・ミュラーが開発したガイガー=ミュラー管を応用した放射線量計測器