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God Bless 異世界! ~当たらなきゃノーカウント。これが算数ってやつさ~

作者: 詩永あえし
掲載日:2026/05/09

頭を空っぽにしてお読みくださると助かります。

インチに対するセンチの数字を修正しました。63センチって。

 サム・"バレット"・マクレーンが死んだのは、土曜日の朝だった。

 場所はテキサス州サンアントニオ郊外のどこにでもある住宅街。

 死因は、芝刈り機のエンジンが暴走してガレージの棚を倒し、その上に積んであった予備のプロパンガスボンベが落下して引火、という世にもマヌケな連鎖だった。


 しかし、本人にとってはマヌケでも何でもなかった。あの芝を、あの日のうちに刈らなければならなかった。

 なぜなら、隣のビル・トンプソンが金曜の夜のうちに自分の庭を仕上げていたからだ。


 サムとビルの芝生戦争は、もう七年になる。サムがこの家を買った翌週、ビルが朝の六時からジョンディアの乗用モアーで庭を刈り始めた。

 エンジン音で叩き起こされたサムは窓からビルの庭を見た。芝が信じがたいほど青かった。

 均一で、朝露がひとつひとつの葉先に光っていた。まるでオーガスタ・ナショナル――マスターズが開かれるゴルフ場のフェアウェイだった。


 その日からサムの週末は芝に捧げられた。

 刈り高は二・五インチ(約6.3センチ)。週に二回の散水。春先の施肥は窒素多め、秋はカリウム。エアレーションは年に一度、九月の第二週。

 すべて陸軍特殊部隊グリーンベレーで叩き込まれた規律と同じだった。芝もまた、戦場だった。


 それでビルに勝っていたのかと問われれば、サムには分からない。

 たぶん互角だった。いや、ビルの方が少し青かったかもしれない。

 だが、認めるわけにはいかない。認めたら負けだ。

 グリーンベレーは、負けを認めた瞬間に負けるのだ。


 土曜の朝、ビルの庭が完璧に刈り揃えられているのを見たサムは、コーヒーを一口だけ飲んでガレージに向かった。

 右手にマグカップ、左手に芝刈り機のプルコード。まだ陽が昇りきっていなかった。

 あとは、ガスボンベが落ちるまで七秒だった。


 意識が途切れる直前、サムが最後に見たのは、自分の庭の芝だった。

 ――悪くない緑だった。


 ████


 目を開けると、草原だった。

 サムはまず地面を見た。草だった。芝ではなかった。

 丈が不揃いで、雑草が混じり、密度が話にならない。

 ブルーグラスでもバミューダグラスでもない、ただの野草だった。


 次に空を見た。青かった。雲の形が妙に鋭角で、太陽がひとつ。

 それから自分の体を見た。服は陸軍時代のOCP――マルチカム迷彩の戦闘服だった。

 ブーツも当時のもの。なぜか体が軽い。四十代の体ではなく、二十代前半の毎朝五マイル走っていた頃の体に戻っていた。

 

 サムは立ち上がり、首を鳴らし、周囲を見回した。草原の向こうに森があり、森の向こうに塔が見えた。

 中世の城だった。


「……Huh.」


 彼は混乱しなかった。グリーンベレーは未知の状況に放り込まれることに慣れている。

 知らない土地、知らない言語、知らない敵。

 まず状況を把握し、次に行動する。パニックは三番目にも来ない。

 ポケットを探った。財布はない。スマホもない。

 右の太もものホルスターに、コルトM1911A1が収まっていた。.45ACP、七発。使い慣れた重さだった。


 サムは銃を抜き、スライドを引いて薬室を確認し、ホルスターに戻した。

 それからもう一度、足元の草を見た。


「……ひでえ芝だな」


 それが、異世界で最初に発した言葉だった。


 歩くこと四十分。街道らしき道に出た。轍がある。馬車のものだ。文明がある。

 サムは街道を南に向かった。根拠はない。特殊部隊では、迷ったらとにかく動けと教わる。

 止まっている標的は撃たれるだけだ。


 やがて、馬車が追いついてきた。御者台に中年の男が座り、荷台には樽が積まれている。

 男はサムの服装を見て目を丸くしたが、恐怖の色はなかった。


「――旅人か?乗るかい?」


 脳が翻訳しているような感覚だった。

 サムはそれについて深く考えなかった。

 便利ならそれでいい。


「ありがとう。どこへ行く?」

「エルスタインの町さ。この先一時間ってとこだ」


 サムは荷台に飛び乗った。樽の上に座り、流れていく景色を眺めた。

 緑が多い。だが、どこもかしこも手入れされていない。野放しの自然だった。

 この世界には芝刈り機がない。つまり、隣人との芝生戦争もない。

 少しだけ、それが寂しかった。


 エルスタインは小さな城壁の町だった。門番がサムの奇妙な格好を怪しんだが、御者の男が「よお、道に迷ってたんで拾ってやった。俺の連れだ」と気さくに笑いかけると、門番も「またお前さんか」と苦笑いであっさりと通してくれた。

 セキュリティは甘いが、田舎町特有の温かい人情味がある。


 町の中は賑わっていた。石畳の通りに露店が並び、人々が行き交う。

 人種は白人に近いが、耳が長い者や、尾がある者もいた。

 サムはそれを見ても驚かなかった。特殊部隊の海外派遣で学んだことがある。


『異文化に驚いている暇があったら、水の確保を考えろ』


 冒険者ギルドという看板の建物を見つけた。中に入るとカウンターに若い女性が座っている。

 金髪で耳が長い。エルフ。映画で見たことがある。


「登録したい」

「は、はい。お名前と、ご出身を……」

「サム・マクレーン。テキサス。元アメリカ陸軍特殊部隊」

「て、てきさす……?」

「気にするな。遠いところだ」


 登録は簡単だった。名前と簡単な身体検査。身体能力は問題なし。


「Fランクです。最下位ですが……身体能力は、その、A以上かと……」

「ランクなんてのは後からついてくる。まずは仕事をくれ」


 エルフの受付嬢は、目を瞬かせた。

 目の前の男が放つ、場違いなほどの余裕に気圧されているようだった。


「で、では……こちらの依頼などいかがでしょう。東の森に出没するゴブリンの討伐です。報酬は銅貨五枚で――」

「場所は?」

「ひ、東の門を出て、徒歩で一時間ほどです……」

「よし、もらった」


 サムは依頼書をひったくると、踵を返した。

 背後で「あ、あの!まだ説明が!」という声が聞こえたが、振り返らない。

 目標と現在地。それだけ分かれば、あとは現場で対処する。

 手取り足取りのブリーフィングなど、陸軍特殊部隊グリーンベレーには不要だった。


 東の森は、鬱蒼とした広葉樹林だった。

 サムは落ち葉を踏む音を殺し、木々の間を慎重に進む。


 ゴブリンの討伐に向かうにあたり、彼は一つだけ懸念を抱いていた。弾薬だ。

 太もものM1911A1には、七発の.45口径弾しか装填されていない。これでは乱戦になれば心許ない。


「もっとデカい獲物ライフルがあればな……」


 ふと呟いた瞬間だった。サムの脳内に、奇妙な感覚が走った。

 それは本能的な理解だった。合衆国憲法修正第2条――己の身を守り、自由を勝ち取るための権利。

 異世界に放り込まれた代償か、あるいは神の気まぐれか。


 かつてアメリカで設計・製造されたあらゆる『武器』を呼び出せるという直感が、明確な手応えとして彼の中に芽生えた。

『セカンド・アメンドメント(武器保有の権利)』。それが自分に与えられた能力チートらしい。


「……試してみるか」


 サムは呟き、森をさらに奥へと進んだ。

 やがて、腐った肉のような異臭が風に乗って鼻を突いた。

 茂みを掻き分けると、開けた場所に五匹の緑色の小鬼――ゴブリンが群れていた。

 一番奥には、一回り体の大きいリーダー格がふんぞり返っている。


 サムが静かに歩み出た、その瞬間だった。

 ヒュッ、と風を切る音が響き、サムの頬の数ミリ横を粗末な石の矢が通り過ぎた。

 背後の樹皮に深々と突き刺さる。見張りのゴブリンが木の上から放ったのだ。


「Nice try, pal.(外したか、マヌケ)」


 テキサスの隣人に猟銃を誤射された時すら、芝刈りの手を止めなかった男だ。

 ゴブリンの矢ごときで動じるはずがない。


 サムは能力チートを解放した。

 虚空から引き抜くように彼が構えたのは、全長一・四メートルに及ぶ巨大な鉄塊――バレットM82対物ライフル。

 本来なら伏せ撃ちで使う代物を強靭な腕力でスタンディングのまま構え、リーダー格のゴブリンに照準を合わせる。


 ズドォォォォンッ!!


 森の静寂を粉砕する、落雷のような轟音が轟いた。

 12.7ミリの凶悪な弾丸がリーダー格の胴体に命中し、その体を文字通り破裂させる。

 そればかりか、弾丸が掠めた大木の幹をも抉り取った。


 圧倒的な暴力と未曾有の轟音に、残された四匹のゴブリンは完全にパニックに陥った。

 彼らはサムの姿を見るなり、武器を放り出して蜘蛛の子を散らすように森の奥へ逃げ去っていく。


 硝煙が晴れた後、サムは肩に担いだ巨大なライフルと、ゴブリンがいた場所を見比べた。


「……」


 数秒の沈黙の後、彼はスッとバレットM82を虚空に消した。


「やりすぎた。目立つ行動はグリーンベレーのセオリーに反する」


 遅れて正気に戻ったのだ。

 いくら強力とはいえ、こんな人目を引く派手な武器を振り回していては隠密行動ステルスもクソもない。

 よほどの緊急事態でもない限り、この能力チートは封印すべきだと彼は心に誓った。


「だがまあ、チマチマ数を減らす必要はない。ホームランなら自動的に1点入る。二塁打や三塁打は0点だ。これが算数ってやつさ」


 それが作戦を一瞬で終わらせる彼の戦術論だった。

 ボスの首さえ取れば、烏合の衆は自壊する。

 サムはリーダーだった肉塊の残骸をつま先で転がした。


「……食えそうにないな」


 真顔で呟く。テキサス男のBBQへの情熱を満たすには、こんな貧相で臭い肉では話にならない。

 ふと、脳裏に一人の男の顔が浮かんだ。

 テキサス出身の元海兵隊で、どんな状況でも肉を焼くことだけは諦めなかった戦友ブラザーの顔が。


「アイツなら、こんな不細工な肉でも極上のBBQにしちまうんだろうがな」


 でかくて無茶苦茶だった男の豪快な笑い声を思い出し、サムの口角がわずかに上がる。

 自分にはあいつほどの料理の腕はない。ここは無難にやり過ごすべきだ。


「まあいい。まずはハンバーガーを探そう。ケチャップをかけるかマスタードをかけるかで、五分は悩まなくてはいけないからな」


 サムは踵を返し、意気揚々とエルスタインの町への帰路についた。


 ████


 エルスタインの冒険者ギルドに、サムは戻ってきた。

 カウンターに血生臭いズタ袋を置く。中から半ば吹き飛んだゴブリンリーダーの首が転がり出ると、エルフの受付嬢は短い悲鳴を上げ、目を丸くしてそれを見つめた。


「え、えっ……!?もう討伐されたんですか?しかもこれ、群れのボスの……!あの、討伐の証明はゴブリンの耳だけでよかったんですが……」

「そんな説明は受けてない。とりあえず一番デカい奴の首を持ってきた。残りの雑魚は逃げた」


 サムが真顔で答えると、エルフの受付嬢は美しい眉を逆立てた。


「だから!出発される時に後ろから説明しようとしたじゃないですか!」


 ピシャリと言い返され、サムは僅かに目を丸くした。

 脳裏に依頼書をひったくって背を向けた時の「あ、あの!まだ説明が!」という声が蘇る。


「……確かに。アンタの言う通りだ。悪かった」


 サムは素直に非を認めた。己のミスは潔く認めるのもまた、兵士の務めだ。

 受付嬢はまさか謝られると思っていなかったのか、毒気を抜かれたように瞬きをする。

 まだ戸惑った様子で、銅貨五枚をカウンターに置いた。


「あの、お怪我は……?」

「擦り傷一つない。徒歩で往復二時間。仕事に一分。少し手間取ったな。それより、この町で一番美味いハンバーガーを食わせる店を教えてくれ」

「は、はんばーがー……?」


 当然のように通じなかった。異世界にジャンクフードはない。

 サムは妥協し、受付嬢に教えられた町で一番マシな酒場『踊る豚亭』の扉を蹴り開けた。


 店内は薄暗く、汗とエールの酸っぱい匂いが充満している。

 人間だけでなく、獣人の戦士、猫耳の盗賊、鳥人間の商人が酒を酌み交わしている。

 典型的な冒険者の溜まり場だ。


 カウンターに陣取ったサムは、肉料理を注文した。

 しかし、出てきたのは塩茹でされただけの硬い肉と、石のように硬い黒パンだった。


「……茹ですぎだ。アイツがいたらシェフを厨房から叩き出してるぞ」


 ボヤきながらも砂漠で食ったレーションよりはマシだと言い聞かせながら、サムは無表情で肉を噛みちぎる。


 その時、背後でガシャンと派手な音が響いた。

 振り返ると、酒場の中心で揉め事が起きていた。

 プレートアーマーを着込んだ大柄なベテランらしき冒険者が、みすぼらしいローブを着た若い魔法使いの少年を床に突き飛ばしていた。


「おいおい、Fランクのガキが俺たちのテーブルにぶつかっておいて、謝罪もなしかよ!」

「ち、違います!そっちが急に足を――」


 大男が蹴りを放つ。少年は床を転がりながらも、必死に立ち上がろうとしていた。

 周囲の客は関わり合いを恐れて目を逸らしている。

 だが、少年は諦めなかった。

 震える足で立ち上がると、大男の胸倉を掴み返し、弱々しいながらも確かな怒りを込めて睨みつけたのだ。


「……謝りません。僕は……悪くない!」


 その光景を見ていたサムは、手の中の黒パンを皿に置いた。


「Holy cow...(なんてこった)」


 感嘆の溜息が漏れる。


「あいつ、絶対(ミルク)飲んでるだろ」


 サムの呟きは、喧騒の中で妙によく響いた。

 大男が動きを止め、胡散臭そうにサムを睨みつける。


「あぁ?なんだてめえ。変な服着やがって。ミルクがどうしたって?」

「最高の賛辞さ」


 サムはスツールからゆっくりと立ち上がり、大男たちのテーブルへと歩み寄った。


「おい、そこのデカブツ。白紙の小切手を今すぐ用意しろ。その坊主のガッツは買いだ」

「はぁ!?意味わかんねえこと言ってんじゃねえぞ、オッサン!」


 激高した大男が、拳を振り上げながらサムに殴りかかってくる。

 大振りの右フック。サムから見れば、スローモーションにも等しい鈍重な一撃だった。


「Nice try, pal.(外したか、マヌケ)」


 サムは最小限の動きで拳を躱すと、大男の腕を掴み、近接格闘術(CQC)の流れるような動作で関節を極め、そのまま酒場のテーブルへと顔面から叩きつけた。

 メキッ、と嫌な音がして分厚いテーブルが真っ二つに割れる。

 大男は白目を剥いて完全に沈黙した。


 静まり返る酒場。残された大男の仲間たちが、顔を青ざめさせて後ずさる。

 サムは倒れた大男の懐から無造作に銀貨を数枚抜き取ると、呆然としている少年の手に握らせた。


「よく立ち上がったな、坊主。次はもう少し腰を入れて殴れ」

「あ、あの……!ありがとうございます。あなたは一体……?見ない服装ですが……」


 少年がおずおずと尋ねる。サムは自分のマルチカム迷彩を見下ろした。


「サム・マクレーン。テキサスから来た」

「テ、テキサス……?海の向こうの国ですか?」

「似たようなもんだ。気にするな」


 サムは肩をすくめた。


「ジャパンでさえグンマへ行くにはパスポートが必要な時代だ。それと同じさ」

「ぐ、ぐんま……?」


 少年がさらに混乱した顔を見せたが、サムはそれ以上説明する気はなかった。

 彼は何事もなかったかのように自分の席へ戻り、冷めきった肉の攻略を再開した。

 石のように硬い肉と格闘していると、先ほどの少年が申し訳なさそうに隣の席へやってきた。


「あの……さっきは、本当にありがとうございました。僕はレオと言います」

「おう。それで、坊主。なんであんなデカブツに絡まれてたんだ?」


 レオは俯き、ローブの裾をぎゅっと握りしめた。


「……パーティーに入ってくれと頼んでいたんです。どうしても倒さなきゃいけない魔物がいて。でも、誰も信じてくれなくて……『Fランクのガキが一人で何ができる』って笑われて……」


 その言葉を聞きつけたのか、遠巻きに見ていた別の冒険者たちが、酒の勢いも手伝って下品な野次を飛ばした。


「当たり前だろ!お前が探してるのはレッドドラゴンだぞ!?」

「バケモンに挑むなんて、集団自殺の志願者しかいねえよ!」

「どうせ一瞬で黒焦げのローストになっちまうのさ!ギャハハハ!」


 酒場に嘲笑が響く。

 レオは悔しそうに唇を噛んだ。


「……ローストだと?」


 サムの手が止まった。

 フォークを皿に置き、ゆっくりと野次を飛ばした男たちへ顔を向ける。

 その射抜くような鋭い視線に、酒場の笑い声がピタリと止んだ。


「火加減もろくに知らない素人が、適当なことを言うな」

「は、はぁ……?」


 サムは真顔だった。冗談を言っている空気では全くない。


「いいか。本物の肉ってのはな、Low & Slow.(低温でじっくりと)時間をかけて火を通すんだ。ドラゴンなら……そうだな。チェリーウッドのチップで燻しながらリブのスロークック、18時間ってところか」


 酒場の全員が、意味が分からずポカンと口を開けた。レオすらも呆然としている。

 だが、サムの脳内ではすでにテキサスの青空の下、巨大なドラゴンのあばら肉に特製のBBQソースをたっぷりと塗りたくる映像が出来上がっていた。

 先ほどのゴブリンでは満たされなかった、テキサス男の魂に火がついたのだ。


「坊主。そいつの居場所を知ってるんだな?」

「えっ?あ、はい。北の廃坑の奥底に巣食っているのをこの目で見ました……」

「よし、交渉成立だ。俺が雇われてやる」


 サムはスツールから立ち上がり、にやりと笑った。

 それは戦場に向かう特殊部隊の顔というより、週末のBBQを待ちわびる父親のような顔だった。


「だ、駄目ですよ!あなたが強いのは分かりましたけど、相手は巨大なドラゴンなんです!二人だけで行くなんて絶対に無理です!」


 レオが慌てて引き止める。常識的に考えれば、中世ファンタジーの住人であるレオの言い分が100%正しい。

 サムは服の襟を正すと、ふと己の能力チートである『セカンド・アメンドメント』を意識した。


 かつてアメリカで作られた、あらゆる武器を呼び出す権利。

 前へ進むための心を奮い立たせるための道具もまた、兵士にとっては立派な「武器」だ。


 サムの指の間に、一本のマルボロ・レッドが実体化する。

 彼はそれを口に咥えると、星条旗が描かれた使い込まれたジッポライターを取り出し、カチンと小気味良い音を立てて火を点けた。

 煙を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。


「昔な、月に行こうと決めた奴がいたんだよ」


 サムは炎を見つめながら大真面目に言った。ケネディ大統領の演説の引用など、異世界の少年には伝わるはずもない。

 しかし、煙の向こう側から放たれたその言葉に宿る絶対的な自信と底知れぬ覇気は、レオの心を震わせるには十分だった。


「そいつは本当に月へ行きやがった。それに比べればドラゴン退治なんて、朝飯前だろ?」


 サムは親指でドアを指差した。


「行くぞ。魂に火をつける時間だ」


 ████


 エルスタインの町を出発したのは、その日の午後だった。

夜間行軍ナイトマーチは得意だが、お前にはキツイだろう」というサムの判断により、二人は街道から外れた森の中で野営キャンプの準備をしていた。


 パチパチと爆ぜる焚き火の炎を見つめながら、サムは向かいに座るレオへ口を開いた。


「それで、坊主。なんであんなバケモンの巣に用があるんだ?命知らずな冒険者ってツラには見えないが」

「……師匠の形見なんです。あの廃坑の奥には、僕に魔法を教えてくれたおじいさんの遺した『魔導書』が眠っているんです。でも、レッドドラゴンが住み着いてしまって……」


 レオは少しだけ俯いてから、ぽつりと語り始めた。

 誰も手出しができない。ギルドも依頼を断る。だから、自分で行くしかなかったのだと。

 Fランクのひ弱な魔法使いがドラゴンに挑むなど、ただの自殺行為だ。誰もが彼を鼻で笑った。


 サムは笑わなかった。

 ただ、吸い終わったマルボロを携帯灰皿にしまい、淡々と告げた。


「奪われたものがあるなら、自分で取り返すしかない。誰かに泣きついても、自由は手に入らない。そういうもんだ」

「……はい」


 レオの顔に微かな決意の色が宿る。サムはそれ以上、何も聞かなかった。

 男が腹を括ったのなら、余計な御託は不要だ。


 翌朝、さらに歩くこと数時間。周囲の植生が変わり始めた。

 青々としていた木々は姿を消し、代わりに黒く焦げた立ち枯れの木が目立つようになる。

 空気には微かに硫黄と、何かを焼き焦がしたような不快な匂いが混じっていた。


「……着きました。北の廃坑です」


 すり鉢状になった岩山の底。ぽっかりと空いた巨大な洞窟の入り口から、陽炎のように熱気が立ち上っている。

 周囲の岩肌は、凄まじい高熱でガラス状に融解していた。


 ズシン、ズシン……。


 奥から地響きのような足音が聞こえてくる。

 洞窟の暗がりから姿を現したのは、深紅の鱗に覆われた巨大な爬虫類――レッドドラゴンだった。


『――グルルルォォォォォォ……!!』


 大気を震わせる咆哮。それだけでレオの膝がガクガクと震え始める。

 生物としての圧倒的な格の違い。本能が「逃げろ」と警鐘を鳴らしていた。

 ドラゴンの口の端から、チロチロと赤黒い炎が漏れ出ている。

 周囲の温度が一気に跳ね上がった。


「サ、サムさん……!やっぱりあれは……!」


 レオが悲鳴のような声を上げた、その時だった。


「Huh.」


 隣に立つ迷彩服の男は、全く別の次元からその巨体を見上げていた。


「悪くないサイズだ。適度な運動をしてる証拠に足腰の肉が引き締まってる。あばら周りの霜降り(マーブリング)も期待できそうだな」


 まるでスーパーマーケットの精肉コーナーで品定めをするような目だった。

 強大なモンスターに対する恐怖や畏敬など、微塵もない。そこにあるのは、純粋なBBQへの果てしない探求心だけだ。


「よし、レオ。野球で言えば、お前が一番打者リードオフマンだ。どんな泥臭いヒットでもいい、アイツに一発かまして気を引け。そうすりゃ俺が確実にホームランで返してやる」

「ぼ、僕がですか!?無理です、僕の魔法なんてドラゴンの鱗には傷一つ……!」

「傷なんていらねえ。俺が欲しいのは、肉を柔らかくするための『下ごしらえ(プレップ)』の時間だ。やれるな?」


 サムの強い視線に射抜かれ、レオはごくりと息を呑んだ。

 逃げ出したい本能を必死に押さえつけ、震える両手をレッドドラゴンへ向ける。


「……や、やります!《ファイア・ボルト》!」


 レオの掌から放たれた小さな炎の弾が、ドラゴンの巨大な鼻先に直撃した。

 パァン、と乾いた音が響く。当然、硬い鱗には傷一つ付かない。

 だが、ハエが止まったようなその鬱陶しい一撃は、ドラゴンの意識を確実にレオへと向けさせた。


『――グアアアアッ!』


 レッドドラゴンが苛立ちに任せて巨大な顎を開き、業火のブレスを吐き出そうと息を吸い込む。

 レオが恐怖に目を閉じた、その瞬間だった。


「ナイスバッティングだ、坊主」


 迷彩服の男はすでに、射撃体勢に入っていた。

 ふたたび己の能力チートに意識を集中させ、虚空から引き抜いたのは無骨なオリーブドラブ色の筒。

 M136 AT4・対装甲無反動砲ロケットランチャー


「BBQの始まりだ」


 戦車すらスクラップに変える一撃必殺の成形炸薬弾(HEAT)が、無防備に開かれたレッドドラゴンの大口めがけて発射された。

 鼓膜を破るような爆音と共に、ドラゴンの頭部が内側から弾け飛んだ。

 巨体がぐらりと揺れ、地響きを立てて崩れ落ちる。


 もうもうと立ち込める粉塵の中、レオはへたり込んでいた。

 レッドドラゴンが、得体の知れない金属の筒の一撃で即死したのだ。

 現実感が全く湧かない。


「やった……!本当に、一撃で……!」


 我に返ったレオは、慌てて廃坑の奥へと駆け出した。

 やがて瓦礫の下から古い革表紙の分厚い本を抱えて戻ってくる。その目には大粒の涙が浮かんでいた。


「サムさん!ありました、師匠の魔導書です!本当に、本当にありがとうございます……!」

「そいつは重畳だ。こっちもメインディッシュの真っ最中でな」


 サムはすでに、倒れたドラゴンの脇腹から巨大なあばら肉を切り出し、焚き火の上に組んだ無骨な即席の網に乗せていた。

 岩塩と粗挽きコショウ――アサルトパックに常備している――をまぶし、じっくりと焼き上げる。

 やがて、脂の焦げる香ばしい匂いが漂い始めた。


「完璧だ……」


 サムはナイフで肉を切り分け、期待に胸を膨らませて大口を開けた。

 そして、力強く噛みしめる。


「……」


 数秒後、サムは口に含んだ肉を無表情のままペッと吐き出した。


「失敗したな。火薬と硫黄の味がする。廃タイヤを齧った方がマシだ。不合格リジェクト


 その声には、一切の感情がこもっていなかった。

 サムの肩ががっくりと落ちる。能力チートで気の利いた調理器具や別の食材を出そうにも、武器以外のものは召喚できない。

 煙草は例外なのかもしれないが、今はそれどころではない。何より絶望でテンションが地に落ちていた。

 テキサスの男にとってBBQの失敗は、人生の敗北に等しいのだ。


「あ、あの……サムさん!もしかしてドラゴンの肉を炎袋の近くから取りませんでしたか!?」

「……ああ?」

「炎を吐く魔物は、首から胸にかけて硫黄の成分が溜まってるんです!でも、尻尾の付け根の肉なら、よく動かすから臭みもないはずです!」


 恩人が岩に座り込んで完全にフリーズしているのを見て、レオは慌てた。

 レオは急いで短剣を抜き、ドラゴンの強靭な尻尾の付け根に取り付いた。

 悪戦苦闘しながらも赤身の肉塊を切り出し、近くに自生していた香草ハーブの葉で包んで臭みを消す。

 それをじっくりと焚き火で丁寧に炙り、サムに差し出した。


「た、食べてみてください……!」


 サムは死んだ魚のような目でその肉を受け取り、仕方なく一口齧った。


「……!」


 サムの目が、カッと見開かれた。

 硬いが、噛みしめるほどに濃厚な野性の旨味が溢れ出す。

 香草が僅かな泥臭さを消し去り、純粋な赤身肉としてのポテンシャルを極限まで引き出していた。


 サムは立ち上がり、レオの肩をガシッと掴んだ。


「レオ」

「ひぃっ!す、すいません、やっぱりマズかったですか!?」

「白紙の小切手を用意する。好きな額を書き込め。お前の料理の腕(スキル)は買いだ」


 大真面目な顔で放たれた最高の賛辞。

 意味が分からず目を白黒させるレオに向かって、サムは口の端をニヤリと吊り上げた。


「テキサスに帰ったら、奴に自慢してやらなきゃならんな。異世界ここには、アイツに負けない最高の助手がいるってことをな」


 ████


 翌日、エルスタインの冒険者ギルドはかつてないパニックに陥っていた。


「あれほど初心者は大人しく薬草採取でもしてと言ったのに、数日でレッドドラゴンを爆散させる馬鹿がどこにいますか!!」


 カウンターの奥で、エルフの受付嬢が顔を真っ赤にして雷を落としていた。

 サムとレオが「ドラゴンの素材」を持ち帰ったことで、ギルドの常識が根底から覆されたのだ。


「仕方ないだろう。アイツが火を噴こうとしてきたんだ。正当防衛セルフ・ディフェンスだ」

「あんなオーバーキルな正当防衛があるもんですか!!」


 素知らぬ顔で言い返すサムに、受付嬢は頭を抱えた。

 一方、ギルドの片隅では感動的な光景が広がっていた。

 昨日、レオを笑っていたベテラン冒険者たちが、揃ってレオの前に頭を下げていたのだ。


「まさか本当にあのバケモンをやりやがるとはな……悪かった、坊主。お前は立派な男だ」

「いえ、僕はサムさんに助けられただけで……」

「謙遜するな!隙を作ったのはお前の魔法だって聞いてるぜ!」


 冒険者たちから次々と背中を叩かれ、レオは照れくさそうに誇らしげに笑った。

 それを見たサムは口角を上げるが、すぐに受付嬢の鋭い声に引き戻された。


「とにかく!サムさんは登録したばかりの新人です!勝手な真似をしたペナルティとして、本日は『ランクに見合った罰則依頼』をやってもらいます!」


 ドンッ、とカウンターに叩きつけられた依頼書。

 そこに書かれていた文字を見て、受付嬢は「ふふん」と勝ち誇ったように鼻を鳴らした。

 凄腕の兵士を自称するこの尊大な男にとって、これ以上ない屈辱的な雑用だろうと思ったからだ。


「依頼内容は領主様のお屋敷の『庭の芝刈り』です!広大な庭の雑草を一日かけて素手と鎌で――」

「――芝刈りだと?」


 サムの目の色が、レッドドラゴンに遭遇した時よりも鋭く変わった。


「は、はい。文句があるなら――」

「最高の依頼だ」

「えっ?」


 受付嬢が呆然とする中、サムは依頼書をひったくり、弾かれたようにギルドを飛び出していった。


 ████


 数時間後。エルスタイン領主の館の裏庭。


「あぁ……この匂い。切り立ての草の匂い……最高だ。アメリカの週末には欠かせない」


 雲一つない青空の下。サムは支給された麦わら帽子を被り、満面の笑みで鎌を振るっていた。

 特殊部隊で培われた洗練されたナイフ捌きと無尽蔵のスタミナ。

 それは庭の手入れという平和なミッションにおいて、かつてないほどの異常な効率を発揮していた。


「見てみろ、レオ!この完璧なカッティングエッジ!雑草との戦いは文字通り『戦争』だ。だが、手入れをされた芝生は決して俺たちを裏切らない!」

「は、はぁ……」


 ポーチの木陰に座り、領主から振る舞われた冷たいミルクを飲みながら、レオは苦笑した。

 ドラゴンと対峙した時の冷酷な兵士の顔はどこにもない。

 そこには、純粋に週末の庭いじりを楽しむ、ただのアメリカ人男性の姿があった。


「でも……確かにすごく綺麗ですね。ただの庭が、まるで王城の緑の絨毯みたいだ」


 レオが素直な感想をこぼすと、サムは弾かれたように振り返った。


「そうだろう!そうだろうとも!分かるかレオ、この均等な高さと境界線の美しさが!お前、やっぱり見どころがあるぞ!」


 我が子を褒められた父親のように、サムは麦わら帽子を空へ放り投げて大はしゃぎ。

 額の汗を腕で拭うと、自らが刈り揃えた緑の絨毯を見渡し、満足げに腰に手を当てる。


「God bless America.」


 異世界の青空に向かって、彼は誰に聞こえるでもなく呟いた。


「……God Bless 異世界、か」


 テキサス出身の男の異世界サバイバルは、ドラゴンBBQと芝生と共に、まだ始まったばかりである。


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― 新着の感想 ―
おいおい、最高のピットマスターの次は傭兵まで異世界に飛ばされちまったってのか? blessはいいがbreathは控え目にってお祈りしなきゃ明日にゃテキサスがゴーストタウンだぜ
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