人生の区切りに
些細な何事にも区切りというものがある。
朝食を終え洗面台の前に立つまでの数歩。通勤のため駅のホームまで歩き、電車に乗るまで数分の待ち時間。 授業の合間クラスメイトと雑談しながら教科書を取り出す時間。
1つの目的を終えた後、次の目的に意識を向けるまでの、思考を切替える瞬間、動作の区切り。この一瞬と呼べる時間、次はどこに、何をするために、どんな手段で、無意識にきっとたくさんの思考が巡っているだろう。
しかし次の目的が大きく、長期的で、困難なものだった場合、区切りというのは一瞬のものではなくなる。順序よく手順を組みたて、目的達成に必要な要素を取り出す思考は目的の大小を問わないが、その量があまりに違うし何より不慣れだ。
日常の中の区切りであれば、毎日のように発生しては達成できる目的の、隙間にあるものばかりだ。毎日こなしているのだから素早く思考を切りかえ、目的を達成できるのは間違いない。
ところで、私はつい最近、ある映画の影響で小説書きをやるのが目的になった。
現職に限界を感じ、転職を決意し有給消化中という大きな区切りが出来たので、さっぱり学生の頃から離れていたアニメや小説に意識が向き、今話題だという映画を見ようと劇場へと足を運んだらまんまと感化されてしまった。
学のない現場作業員の気の迷いだ。売れるとは思っていないし評価を受けるとも思っていない。ただ、少年時代に憧れた夢を忘れて社会人になり、恋人もおらず仕事への熱意もなく、惰性で生きているだけの自分に気がついてしまい、居てもたってもいられなくなってしまったのだ。
とはいえ、生き方を大きく変えようというのはやはり難しいもので、この駄文を書き始めるにもなかなか踏ん切りがつかなかった。
整っていない文章を人目に晒すのは恥ずかしいやら気まずいやらでなかなか書き始めることが出来ない。
しばらく小説を読んでもいなかったからまずは慣れようと言い訳をし本屋でピックアップされた作品を買っては、肝心の自分の文章に着手しない。
パソコンの周りがごちゃついているからと片付けを始め、やはり自分の文字から離れる。
小説を書くというのは私にとって大きく困難な目的だ。書こうと決めてから書き始めるまでの区切りは1週間になってしまった。しかもその時間のほとんどは言い訳を重ねての逃避である。自分で決めた「やりたい」から逃げてしまうのだから、彩りのない惰性の人生になるのもむべなるかな、というやつである。
だが、踏み出せた。この文章が世に出たことが私が1歩だけ惰性の生き方から踏み外すことが出来た証明になる。
この小説とも呼べないような文字の羅列を読む人がもしいるならば、少し大きめの人生の区切りが見つかった時に、今までの自分がやらなかった事や諦めたことに少しだけ手を出してみてほしい。
書いていてベタな展開だなと自分でも思うのだが、アニメ映画1本の影響で私の生き方は少しだけ変わった。これからの私が綴る文字がどこかの誰かの人生をほんの少しでも変えられたら、ほんの少しでも感情を動かせたら、私はきっと5,60年後笑って死ねるのだろうなと思うのだ。




