この世の春は我が手に
「ん?妹さんと婚約を結び直す?え?クリスティーネさんは納得済み?
近いうちに手続きでお父上が来るだろうからよろしく?」
帰ってくるなり物凄い早口で捲し立てるソルビタン。なんだか不穏なことを言ってないか?
四男ということで平民になるか婿入り先を探すか。そんな瀬戸際から婿入り先を探し出し、そつなく婚約期間を送り間も無く我が家から送り出すことができそうで安心していた。
親である私が言うのもなんだが、四男はまぁ…ボンクラだ。いや、学業成績は良いのだ。良いのだがなんと言うか…浅いのだ、全てにおいて。
だからクリスティーネ様との婚約をもぎ取ってきた時には椅子から転げ落ちるくらいに驚いた。
まぁその後、クリスティーネ様の領地経営の邪魔にならない程度の知能はある。かと言って深く考えを巡らせるほどではないその浅さが婿養子として求められたと侯爵から聞き。我が息子ながらよくそんなニッチな需要を見つけ出してきたなあと感心したものだ。
侯爵の夫、というそこそこ学がないとキツそうだがいざという時の判断は人に任せられる立場というのは彼の人生でこれ以上は得られないような幸福だと思っていたのだが。何やら雲行きの怪しい話になってきてはいないか?
「お前、何言ってんだ?カルボシス侯爵には娘は1人しかいないはずだぞ。
え?異母姉妹?そんな話聞いたことないけど…。母親が違っても姉妹なんだから自分の婿入りにはなんの支障もない?」
凡庸な息子が見つけてきた良縁だが、あまりにも話がうますぎる気がして、当初裏がないか必死に調べたのだ。ーその時はまさかその凡庸こそ求められているなどとは思わなかったから。
その際には亡くなった夫人との間にクリスティーネ様、それ以外にお子様がいるなんてのはどこをどう探しても話は出てこなかった。
「えーっと。その妹さんの名前は?
エステル?
おい、エステルなんて言う娘のこと聞いたことあるか?」
そばで控える執事に問いかける。
「いえ、旦那様。婚約の際に先方の周辺を詳細に調査いたしましたが、そんなお嬢様はおられませんでした。」
そう言いつつも調査資料を確認していた執事のグリセルドだったが、あるページで手を止める。
「エステルという女の名前がありました。ハウスメイドのようですね。母のセリンもハウスメイドのようです。クリスティーネ様が幼い頃に勤め始め、その頃お母上を亡くされたクリスティーネ様がとても懐いておりエステルとも姉妹のようだった、との報告があります。」
「違うよ!グリセルド。彼女たちは母違いの姉妹なんだ。」
「いえ、そのようなはずは。
彼女は男爵家、もう亡くなっていますがプロムヘキシ家のラベン氏のひとり娘ですよ。」
ああ、あのプロムヘキシ家か。そういえば男爵が処刑となった後奥方とその娘はカルボシス侯爵家で世話になったと聞く。その温情は当時話題になったなあ。
「は?」
ソルビタンが間抜けな顔をしておる。
グリセルドはあまりソルビタンに優しくはない。この時も思うことがあったのだろう。受け答えは少し皮肉まじりのものだった。
「たしかにラベン氏は色々やらかしましたが。プロムヘキシ家はお取り潰しになったわけではありませんから、婿入りは可能かとは思いますが。」
「何を言っているんだ、彼女は確かに母親が違うからハウスメイドとして虐げられているって…」
「確かに母親は違うでしょうね。ハウスメイドとして雇われているのは虐げると言うより父親が亡くなって生活の糧が無くなった親子への温情ではないかと。」
「で、でも彼女は学園に通っているぞ、それこそ貴族の娘という証拠ではないか!」
「はい、過去に何があったとしても確かに彼女はプロムヘキシ家のお血筋ですから貴族ですね。学園に通うことができたのは、カルボシス侯爵による温情のようですよ。学園を出ているのと出ていないのではこの先の人生大きく変わるだろう、と。」
「そんなはずはない!もしかしたら侯爵は自分の娘と認めていないのか⁈親子揃ってなんと血も涙もないことよ!あんなにも健気に虐げられる事を仕方ないと受け入れているのに!まだ認めないとは!」
ソルビタンは怒り心頭とばかりに喚いているが、その話キナ臭いぞ。
なんだか嫌な予感がする。喚き続けるソルビタンを早々に追い出し、カルボシス侯爵に訪問の約束を取り付けた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「旦那さま、セスキオレイン伯爵様がお見えです。」
執事が父を呼びにきた。先触れが来たのがつい先程だというのに、どれだけ急いでいるんだか。
よっ、大将仕事が早いねえ!などという軽口が出そうになるのは前世でそこそこの年齢まで生きていたからか。でもゼッタイ今言っちゃダメだよね。
「ほお、思ったよりも随分早かったな。」
父が感心したように言う。
「もうお前の腹は決まっているな。ここからは私に任せなさい。」
そう言う父はものすごく楽しそうだ。
だって、こんなアホな事態を引き起こす輩はそうそういないから。ここはじっくり甚振るのであろう。ご愁傷さま。
「カ、カルボシス侯爵!この度は愚息が失礼をしたようでして、誠に申し訳ありません!」
随分と少なくなったお髪を振り乱しながらセスキオレイン伯爵が頭を下げる。
入婿予定さんこと、息子のソルビタンは来ていないようだ。そりゃそうか。あんなうっかりさんを連れてきたら纏まるものも纏まらないからな。
「いえいえ伯爵、話は娘から聞きました。彼は魂の片割れをみつけたそうではないですか。そんな幸運を手放す必要はないでしょう。我が娘のことは気にせんで下さい。」
「そ、その件なのですが愚息が何やらおかしな事を言っておりまして。異母姉妹のエステル様と婚約者を交替することになったとか。クリスティーネ様もご納得されているので話を詰めて欲しいと」
伯爵の振り乱して少し地肌が見えている頭に大粒の汗が浮かび上がる。
なんだかちょっと可哀想だけど、子育て失敗の責任は君にあるからね。
「婚約の話をいただいた時に失礼ながら周辺調査をさせていただいたのですが、当てはまるようなお嬢さまはいらっしゃらないかと思いまして、状況を擦り合わせていただきたく」
あら、伯爵はうっかりさんでは無かったのね。
「伯爵、わたくしからも良いかしら。
あなた、息子さんからなんて聞いてらっしゃるのかしら。おそらくまともに話も確認せずにここまで来られたのだと思うのだけど。」
話に割って入るようでお行儀悪いのが気になるけど、私が入らないと話が進まなさそうだしね。
「彼には以前から母親が違うからといってそこまで虐げるな、とか質素な生活をさせすぎではないか、とお叱りを受けていました。
その度に父親も違いましてよ、と訂正しようと思いましたがエステルが怯えたように私は今のままで満足、お仕えできて光栄に思っておりますから、と被せてくるのでお伝えしきれなかったのです。
そしてその言葉を聞いて更に異母姉妹になんたる仕打ち、と叱責を受けていましたの。」
あらら、伯爵の頭から雨のように汗が滴っておりますね。加齢臭もそこそこありますしちょっと逃げたくなってきました。でも言いたいことは言ってしまわなきゃ!
「そしてね、彼はこうもおっしゃってましたの。」
『なに、母親が違うだけだ。私が婿入りして君の家を支えていくことに支障はない。
君にも良い嫁入り先を探してやろう。』
渾身のモノマネですけど似ていたでしょう?下を向いた侍女が震えているもの。
でも伯爵の顔色は悪くなるばかりね。少しは和むかと思ったのに。
「伯爵、ご子息はどうやら私を追い出してエステルと2人侯爵家を盛り立てる予定らしいですわよ。
ただわたくしもね、流石に血の繋がりのない方とご結婚された方に当主は譲れないのです。それにこのままお話を進めようとされるならお家乗っ取りとして王家にも報告せねばなりませんし。」
「いえ、いえ、そんなつもりは全くなく、わたくしどもは予定通りクリスティーネさまと」
「は?何を言うておる、伯爵。クリスティーネを排除しようとするくらいに好いておる女がいるんだぞ。しかもその女とこの家を盛り立てて行こうという計画まで。
このまま婚姻に進んだとて、その女と確実に切れるかも分からないのだぞ。
夫という一番身近なはずの家族が他の女に入れあげた上、財産を狙っているなどひとときも心休まらぬではないか。
ここまで言っても引き下がらぬのならお家乗っ取りの意思ありとして貴殿のことも一緒に訴えでるが。」
えーっと伯爵。そのおズボンはその…どちらかしら。汗?それとも…。
はっ、そんなところに気を取られている場合ではないわ!
「伯爵、わたくしこう見えてかなり気分を害しておりますの。父の言うとおりお家乗っ取りで訴えでたいくらいには。
でもね、伯爵もそれではお困りでしょう?
ですのでね、私と父の溜飲を下げつつ伯爵がお困りにならず、しかも彼の婿入り先も確保するというのはいかがでしょうか。
彼の人生設計は大きく変わるでしょうけど、それでも罪人になるよりは良いでしょ?」
伯爵は不安な顔をしていたけど、私の案に乗るしかないことを理解してくれた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
父上が帰ってきた。すぐにでも話したかったが、グリセルドだけ連れて執務室に籠ってしまった。
2時間ほどした頃、グリセルドが私を呼びにきた。
「父上!グリセルドがあんなことを言ってましたけど、何かの間違いですよね?私の婿入り話はどうなりましたか?」
「ああ、その話をしようとしてお前を呼んだのだ。
侯爵様とクリスティーネ様との話し合いの結果、お前の婿入りは希望通りとなったぞ。
クリスティーネ様との婚約は破棄ではなく解消、エステルとの婚約が結ばれることになった。」
「それでは!エステルとの仲は認められたのですね!クリスティーネに今までの態度を謝罪させたい所ですが、解消まで持っていけたことでまずはよしとしましょう。
あとは周囲に認知させるうちに彼女の非道さも浸透するでしょうし、因果応報はこれから味わって貰えばいいですからね。」
私はその夜全て自分の思い通りに事が進んだことを喜んだ。そして翌日、それをエステルに伝えたのだ。
「まぁ!本当ですか?私たちのことが認められたのですね。」
そう言って涙ぐむエステルは美しかった。
そしてとうとう私たちは身も心も結ばれたのだった。
私たちだけが幸せなのは流石に気まずいし、このまま行き遅れの姉として家に居座られても困る。早くクリスティーネの嫁ぎ先も決めてやろう。とはいえこれだけ悪どいことをしてきた彼女だ。何も知らぬ善人には娶らせるわけにはいかない。
歳の離れた後妻か、訳ありの人物なら私もお相手を騙す罪悪感から逃れられそうだ。それでも嫁入り先があるだけ彼女には過ぎた幸福かもしれないがな。
ふふっ。うまくいったわ。
いつでも偉そうなクリスティーネ。わたしだって本来ならアンタと同じ傅かれる側の人間だったのよ!
お父様のやらかしでハウスメイドとして生きていくなんてまっぴら。アンタの居場所は私がもらってやる!
母さんは侯爵様に感謝しろなんて言うけど、ハウスメイドなんて感謝するほどのものでもないじゃない。それに私はクリスティーネと同じくらい侯爵様には可愛がられているの!昔は姉妹のようだね、と言って可愛がってくださったのよ。
ソルビタン様はこの家を継ぐ人。その方が私を選んだのだから私は侯爵夫人になるのよ!




