Ep13.「夜風」
壁に掛けられたモノクロ時計の針は、21時を過ぎていた。
「すみません、僕は一度家に戻ります。必ずお金は持ってきます、だから……」
優しく「そんなの必要ないよ」
と愛美ちゃんは言ったけれど、やっぱりそうはいかない。
よろよろ立ちあがった僕は、ゆっくりと外へと続くドアへ向かった。
ゆっくり引き戸を引くと冷たい夜風が頬を撫でた。
電灯に照らされた、たぶん雨で黒く染まったアスファルトの駐車場。
横たわるハンドルの曲がった僕の自転車。
ステンレス製のフレームについた、いつくつもの引っ掻いたような傷。
もう乗れそうにない。
「自転車、壊れちゃったね……」
僕を支えるように傍に立った愛美ちゃんは、悲しそうに呟いた。
ズルズルとスリッパを引きずって出てきたお父さんは、バサバサと僕の髪を撫でると僕にコートをかけマフラーを巻いてくれた。
「言ったろ、診察料はいらないって。愛に感謝しろよぉ。気をつけて帰れよ」
お父さんはそう言うと、「おぉさぶい」と言って暖房機の前に張り付いた。
「だってさ。お家に誰かいる?」
そうえば、今日は父さんも母さんも遅くなるって言ってたっけな……
「う、うん、大丈夫。たぶん家に誰かいるからそこまで迎えに来てもらうよ」
「なら、途中まで一緒に行くよ。一人で立ってるのつらいでしょ?」
―え、まずい。
歩いて帰ろうと思ったけど……たしかに言われた通り辛い。
携帯電話を取り出して一応、家に電話をかけてみた。
―はい、もしもしぃ?
思いっきりの外行き声で優奈は愛想良く答えた。
「あ、僕だよ。父さんいる?」
―なぁんだ、たく兄か。パパならいないよ、まだ帰ってないから
「……あ、もしもし父さん?今、ちょっとワケあって駅の近くの公園にいるんだけれど、怪我しちゃってさ。悪いんだけれど迎えに来てくれないかな?」
―はぁ?意味分かんないんだけど!パパはいないっつうの!
「それじゃあ、”お願い”ね。ばいばい……」
-ちょっ、たく兄?……
一応、連絡はした。優奈は気付いてくれるかな……
多少は遅くなっても仕方ないか。
ノッポの電灯ひとつしかない公園は、冷たい夜風が頬と散った木の葉に吹き荒れる。
愛美ちゃんが公園近くの自販機から”あったかいココア”を二つ買ってきてくれた。
缶を握る右手がジリジリとかゆくなる。
「あの時もこうやって一緒にココア飲んだよねぇ……」
愛美ちゃんは、懐かしそうに呟く。
「そうだね、なんだかずいぶんと前の事みたいだ。本当は僕、10年くらい眠っていたんじゃない?」
笑いながら冗談を言ったつもりなんだけど、愛美ちゃんは真面目に答えた。
「そんなはずないよ!だって、わたし、巧くんが眠ってる間ずっと起きてたもん!」
そ、そうだよね。
と呟いた僕に愛美ちゃんは、そうだよ!と嬉しそうに微笑んだ。
小さな手の平でコロコロと缶を転がす愛美ちゃんと僕は、他愛もない会話をした。
二人で同じくらい笑い合うと、さっきより倍くらい強くなった夜風に顔をしかめた。
「たっく、なぁにやってんのよ?」
見ると見覚えのある赤いコート、肩までの髪を首と一緒にマフラーで巻いた優奈が現れた。
口の元から薄く白い息が風に流れてく、走って来たのかな?
あ、と驚いた顔をした愛美ちゃんだったが、母親譲りのほとんど僕と同じ顔の優奈を見ると”何か”に納得したようだった。
「妹さん?」
クルリと首を傾げて呟く。
「うん」と返事した。
「あら、お邪魔だったぁ?こんばんは、妹の優奈です」
僕にツッコミ、愛美ちゃんに向き直る。
これまた外行きの声で愛嬌たっぷりのあいさつをする。
「ご丁寧にどうも。わたしは、川下愛美っていいます。よろしくねっ」
女の子同士の初対面ってゆうのは、どうもなにかを感じる。
ゆっくり近づくと優奈はジロジロと愛美ちゃんを見た。
「ど、どうかした?」
困った愛美ちゃんは、恥ずかしそうに俯く。
「愛美さんって、お兄ちゃんの彼女さんですか?」
「えっ!?」
「なっ!!」
そんワケないよ!
と否定されると思ったけれど、愛美ちゃんはただ薄暗くてもわかるくらい顔を真っ赤にしていた。
「本当にありがとうございました。ふつつかな兄ですがこれからもよろしくお願いします」
一著前にあいさつすると、優奈は僕を引きずるように歩きだした。
「愛美ちゃん、ありがとね。あ、お父さんにもっ!」
優しく微笑むと彼女はコクリと頷いた。
「たく兄、愛美さんの事好でしょ?」
なかなかストレートに物を言う妹だ……
「う、うん。まぁ……」
「ふぅん。でも、もっとハッキリしないと逃すよ?」
「わ、わかってるよ」
顔だけ僕に向けると優奈は、ふふっと笑った。