第15話「接触」
声を失った闇の中を進む。
足元の泥がぬかるみに変わり、時折、石の割れ目から地下水が滲み出して靴を濡らす。湿った冷気が背筋を這い上がり、神経を研ぎ澄ませる感覚はすでに限界近い。
それでも止まるわけにはいかなかった。
「……足跡はまだ新しい」
水無瀬が屈み込み、ライトで床を照らす。
人間の靴跡が泥にくっきりと残っている。その隣には、あの四腕の魔物の足跡もあった。
「これだけ鮮明なら、さっきの声は確実に本人だ」榊原が低く言う。
「なら急ぐしかない」俺は竹刀を握り直し、前へ出た。
通路が右に折れた瞬間、空気が変わった。
鼻を刺す金属臭と、生温い風。
壁にこびりついた黒い液体が光を反射し、嫌な予感が膨らむ。
その奥――いた。
壁際に寄りかかるように座り込んだ一人の女性隊員。制服は泥と血にまみれ、右腕を押さえている。顔色は蒼白だが、息はある。
「第三班の……斉藤巡査部長!」水無瀬が駆け寄ろうとした瞬間、榊原が腕を伸ばして制止した。
「待て」
榊原は銃を構えたまま、周囲を素早く確認する。
「罠の可能性がある。周囲、警戒」
俺も竹刀を構え、闇に視線を走らせた。
だが、女性隊員が弱々しく口を開く。
「……助け……て……」
その声は震えていた。
榊原が目で合図を送り、水無瀬が慎重に接近する。
肩に手をかけ、呼吸と脈を確認。
「意識はある。外傷は右腕だけ……骨折か、関節脱臼の可能性」
「立てそうか?」
「介助すれば……」
水無瀬の答えを聞き、俺は安堵しかけた。
その時だった。
背後の通路から、低く湿った唸り声が響いた。
振り返ると、闇の奥で二つ、三つと赤い光が瞬く。
「来るぞ!」榊原が叫ぶ。
現れたのは四腕の魔物――クアッドアームの亜種。通常よりも背が高く、甲殻は黒に近い灰色。両腕には刃のように尖った突起が伸びている。
榊原が一発撃ち込むも、甲殻に弾かれ火花が散る。
「防御が厚い!」
「面なら通る!」俺は踏み込もうとしたが、その前に魔物が腕を振り下ろしてきた。
咄嗟に横へ転がり、反撃に転じる。
「小手っ!」
竹刀が甲殻の隙間を叩く――が、感触が浅い。
「……効かない!?」
すぐさま距離を取り、再び踏み込む。今度は頭部を狙い、全力で振り下ろした。
「面っ!」
甲殻を割る感触と共にスキルが発動し、一体が崩れ落ちた。
だが、残る二体が一斉に飛びかかってくる。
榊原が一体を牽制射撃で押し戻すが、もう一体が俺の横へ回り込み、爪を振るった。
竹刀で受け止めるも、衝撃で腕が痺れる。
その瞬間、背後で水無瀬の声が上がった。
「女性隊員を確保! でも敵が近い!」
「俺が押さえる!」榊原が位置を変え、銃口を向ける。
短い銃声と共に、魔物がわずかにひるんだ。
俺はその隙を逃さず、胴を狙って一撃。
今度は刃筋が通り、スキルが発動して二体目も崩れた。
残る一体は榊原の正確な射撃で足を止められ、そのまま俺が突きで仕留めた。
戦闘が終わると同時に、呼吸が荒くなる。
水無瀬が女性隊員を背負い直し、短く告げた。
「急ぎましょう。ここに長居はできません」
「そうだな……」榊原が頷く。
俺たちは再び隊列を組み、来た道を引き返し始めた。
だが、背後の闇の奥から、まだ何かの気配がついてきているのを俺は感じていた。