19 癒えない傷と、手の温もり――彼女たちが歩き出すまでの話
それから、リセリアとセラフィナの治療には、二ヶ月近くかかった。
……いや、正確には、身体は戻っても、心の傷はまだ癒えていない。
骨がつくまで一ヶ月。極度の栄養失調もなんとか回復の兆しを見せたが、問題は――夜だ。
「殺さないで」
「やめて、もう、やめて!お願い!」
リセリアもセラフィナも、夜になるとうなされて、泣きながら助けを求めることが多い。
リセリアには、夜な夜な魔王が付き添う。
そっと手を握り、静かに何度も声をかけ、抱きしめてを繰り返す
一方で、セラフィナには、そういう相手がいない。
唯一そばにいるのは、ベッドの横でソファに寝ているアルファードだけ。
セラフィナのうなされる声に、アルファードは何度も目を覚ます。
「……大丈夫か?」
「……ああ、大丈夫。ごめん、起こした」
汗だくで目を覚ましたセラフィナは、申し訳なさそうに眉をひそめる。
どこか、少年のような口調。無理やり男として生きてきた名残かもしれない。
家族でも恋人でもない。けれど、何かしてやりたい。
清浄魔法で体を清めてやるくらいしかできなかったが、ふと、アルファードは思い出す。
(父上、母上に……手、握ってたな)
「……治療の一環だから」
言い訳じみた声で、セラフィナの手を握る。
魔力は流さない。ただ、それだけ。
「……ありがと。明日、学園なんだろ?邪魔して悪かった」
「……邪魔じゃない。無理するなよ」
セラフィナは、記憶に焼き付いた折檻の夢を見ていたのだという。
言葉には出さないが、どれだけ苦しかっただろう。
女の子なのに、男としてのふるまいを強要されてきたその過去が、胸に刺さる。
(……女子に転ばれたり、溺れかけられたり、ハンカチ飛ばされたりするより……こういう気遣いのほうが、まだ気が楽だ)
アルファードはそう思ってしまう自分に、少しだけ苦笑した。
⸻
結局、リセリアとセラフィナは、そろって学園を退学した。
リセリアは、いざ通おうとすると――
「俺も行く!!」
魔王が聞かなかった。
……いや、そもそもリセリアに学ばせるようなことは、学園にはもうない。
それよりも、魔王のそばでゆっくり回復しながら、彼の仕事を手伝う道を選んだ。
セラフィナはというと、今さら「女でした」と戻るのも難しい。
男として通っていた過去、そして、今までの環境で基礎学力がそもそも足りず、授業もまったく理解できていなかったらしい。
アルファードが「将来、秘書官にしたい」と告げると、彼女は少し照れて――
「アルファード様のお役に立てるかわかりませんが、このお屋敷で勉強させてください」と深く頭を下げた。
⸻
やっとふたりが、自分の足で歩けるようになったのは、二ヶ月以上が過ぎてからだった。
「リセリア……ごめん……ごめんなさい……助けられなくて……!」
「ううん、セラフィナ。追いかけてきてくれた。心配してくれてたんだね。ありがとう」
涙を流し、抱き合う二人。
アルファードも、思わず目頭が熱くなる。
……だが、その直後だった。
「セラフィナ。体調は戻ったようだね」
にこやかに、魔王が声をかけた、その瞬間――
「っ――は、あ、あぁ……ッ!」
セラフィナが突然、苦しみだした。呼吸が乱れ、肩を震わせ、目を見開く。
「まずい!」
アルファードが駆け寄る。リセリアも驚きで固まる。
魔王が表情を引きつらせる。
そうだ――セラフィナは、あの恐怖の事件以来、魔王と顔を合わせていなかったのだ。
「ゆっくり呼吸して!セラフィナ、俺を見ろ!」
アルファードが慌てて声をかける。
だがセラフィナは、ただ必死に胸を押さえ、震えながら、過去の幻影に捕らわれていた――