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第二話

 メメント森は、出社した際にエレベーターホールで盗撮された。青白い顔をした犯人の男は、カシャリと撮影音を響かせたあと、走って逃げた。

 警察に相談するために、ビルの管理会社に話して防犯カメラの映像を提供してもらおうとしたが、セキュリティ上の問題で「警察か弁護士を連れてきて欲しい」と言われてしまった。防犯カメラの映像は一週間で消えるので、それまでに対応が必要とのことだった。

 警察は「防犯カメラの映像がないと捜査できません。盗撮は肖像権の侵害にあたるが、法律上、その捜査権が警察にはないのです」と申し訳なさそうに言った。たらい回しにされるうち、結局一週間が過ぎてしまい、盗撮事件はうやむやになった。

 整体に行けば、店の前で待ち伏せをしている男性がいる。特に話しかけてくるわけではない。一度であれば「なんだか気持ち悪いな」で済む話だが、何回も続くので、さすがのメメント森も見逃せなくなった。

 警察への通報を迷うほど、数々の不愉快な出来事が積み重なっていた。そんなとき、スマホのネット閲覧のタブに、表示した覚えのない精神科のコラムが開いていた。気のせいだと打ち消すことは、もはやできなかった。


 一体どういうことなのか──これまでも不幸をどろどろになるまで煮詰めたような人生だったが、なぜこんなことが起こるのか。


 奇妙なことが立てつづけに起こりはじめたのは、その頃である。自分の家でくつろいでいても、誰かに見られている。トイレ、お風呂、食事、買い物……生活の細々としたところに文句をつける人々が現れた。

 たとえば、植木に水をあげ忘れた日には「植木に水をやらなかった」というポエムがSNSのおすすめタイムラインに表示された。「下痢で危機一髪!」「オナラが多い人は……」といったWeb広告やニュースが表示された。下痢で駆け込むことなど、トイレをのぞきでもしない限りわからないはずなのにと、メメント森はゾッとした。メメント森には年頃の娘がいる。もしのぞかれているならば、娘まで被害に遭っているということではないか。Webニュースには「シングルマザーの彼氏が、連れ子を盗撮した事件」などが並んでいる。

 この異変はファンレターを送ってから発生している。推しに話を聞かねばならないと、メメント森は躍起になった。

「どうしてこんなことが起こるのか?」と推しにメールをした。情報漏洩していませんか? と。

 推しからの返答はなく、メメント森の日常をからかうような発言を、ステージ上でされるだけだった。ライブ後に直接、話をしたいと伝えても「準備がある」「コロナ禍である」ことを理由に断られた。

 だとしても、推しが集団ストーカーの加害などするだろうか? 長く見てきた推しだからこそ、メメント森は疑念を持った。

 話を聞けないまま、被害はどんどん悪化していった。短歌、音楽、小説、漫画、動画、TVドラマ、ゲーム──さまざまなジャンルで、メメント森をモチーフにしたような創作作品が次々に現れた。

 名前を聞いたことのあるミュージシャンに、ファンレターをモチーフにした楽曲を作られた。推しと一緒にステージに出ていたから、ライブの感想を書いた手紙を共有されたのかもしれない。メメント森は最初、「私はフリー素材じゃない」と腹を立てたが、ライブはアーティスト一人で作り上げるものでもないしな、と考え直した。それが間違いだった。

 メメント森は、たびたび推しに「ファンレターをきっかけにこのような被害に遭っています。なぜですか?」と尋ねて呼び出そうとした。情報漏洩の責任を持つべき推しは、メメント森の日常を真似してからかうだけで、声をかけてくることはなく、すれ違いの日々がつづいた。挙げ句の果てには、その様子を有名な漫画誌に「会いたくて会えない二人」などとネタに使われる始末だった。プライバシーの侵害も甚だしい。いいねを押す以外に接点のなかったクリエイターが、メメント森のプライバシーを侵害した作品を作り、SNS上で公開したので通報した。


 メメント森は、犯人に激怒した。必ずや犯人を逮捕して、公的な裁きを受けさせねばならぬと息巻いた。

「壁は自分自身だ」──あるとき、推しがSNSでそう発言したのに、メメント森は首を傾げた。

 嫌がらせの加害者たちは「絶対に謝らせてやる!」と遠回しに伝えてくるが、メメント森には何ら思い当たる節がない。一度、父と買い物に出かけた際、ゴミ箱にアイロン台を入れていたのを忘れたままレジを通ってしまい、ゴミ箱だけが会計されたことがあったが、それ以外は概ね真面目に暮らしてきた。被害者として警察に相談することは何度かあったが、加害者側としてお縄を頂戴したことはない。

 意見の相違による言い争いや断絶などはあったが、売られた喧嘩を買っただけのことで、断じてメメント森だけに責任のあることではなかった。


「悪いのは、君。本当に俺のこと、忘れてるんだね」──そんな言葉を遠回しにかけられて、メメント森は、ようやく元カレのことを思い出した。性的DVが原因で別れた相手だ。

 なぜ何十年も前の話を今さら持ち出して、こんな嫌がらせをしてくるのか。

 嫌がらせの加害者たちは「かつてお前がやったことだ」と言いたいらしい。「いじめた側だから忘れたんでしょ? いじめられた側は、決して忘れないのに」と。

 嫌がらせに使われる内容は、本人たちしか知り得ない情報も含まれている。しかしおそらくは、情報を聞いた誰かが代理で嫌がらせをしているのだろう。元カレは大それたことをしでかす度胸のある男ではないし、断片的な情報しか持たない代理だからこそ、元カレに全く非がないかのように平気で嫌がらせできるのだろうな……メメント森はそう理解した。元カレはメメント森に関する情報を売ったのだろう。


──「情報漏洩」「拡散」「作品化」。


 メメント森には当初思い当たる節がまるでなかったが、あれのことかな、とうっすらと記憶が蘇ってきた。

 性的DVにうんざりして、周りの友人たちに相談したり、愚痴を言ったことがある。それを「情報漏洩と拡散」だと、加害側は言いたいのかもしれない。しかしメメント森は相談をするとき、「これは私の感じ方だから、あなたの判断は別だ」と前置きすることが多いし、元カレを孤立させたいのなら、もっと実態を赤裸々に話すだろう……まるで、この「しきたり」でメメント森が受けてきた嫌がらせのように。

 作品化という点では、確かにメメント森は元カレの要素を持つ登場人物を自作の小説に出したことがある。しかしながら、あくまでも「要素」であり、本人そのものをモデルにしたことはない。癖っ毛の男性など、世の中には星の数ほどいる。今の世にあふれるような、メメント森のプライバシー情報やアイデアを≪違法に盗んで金儲けに使う≫創作をしたことは、イヌマエルに誓ってありはしない。

 なにより、先にメメント森をモデルにした小説を書いたのは、元カレだ。


 ──タンスからパンツを盗み出して「繊細なレースの舌触りが最高ですな」ともぐもぐ味わう男性キャラ。「やめてよ! なにしてるのっ!」と顔を真っ赤にしてぷるぷると震え、男性の背中をぽかぽか叩く女性キャラクター……。

 その女性はメメント森をモデルにしたもので、パンツを食べる男性は自分がモデルである……元カレはそう言って、はにかんだ。気持ち悪い。


 これをもってして、メメント森に非があるかのように嫌がらせを行うのは、あまりにも悪意のある、うがった見方だろう。メメント森はますます怒りを激しくした。

 元カレが情報を売ったなら、メメント森は自分の身を守るために、元カレについての赤裸々な話をするしかなくなるではないか。武士の情けで黙っていたものを──と、メメント森ははらわたが煮えくりかえるような思いがした。


 元カレのさらに前に付き合っていた男性は、多額の借金を抱えていた。メメント森はデート代などの大半を出し、かなりの金銭的被害を受けていた。その相談も、したことがある。

 それ以外で「情報漏洩」と言われかねないことといえば、共同制作の参加者に必要な情報をCC配信・転送するとか、仕事で上司にCC配信するといった「情報共有」である。


 なにがなんでも、メメント森に非があることにしたい者がいる──。

 おそらく、メメント森に反論させることで「情報漏洩だ」と言いがかりをつけて、さらに嫌がらせをする理由にし、自分たちを正当化する──そういった仕組みがあるのではないか? だから何度も同じ反論をさせられるのでは? と、メメント森は考えた。


 その悪意に満ち満ちた構造を叩き潰さねばならぬと、メメント森は決意を新たにした。

 ……もっとも、メメント森は高血圧なので、怒りすぎると本当に命に関わる。血管が切れかねない。

 嫌過ぎたから、忘れたんだよ! とメメント森は胸の内で毒づいた。事実無根の言いがかりなど、思い出せるはずがない。ようやく固まったかさぶたを、無理やり剥がされたような気分だった。

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