その9 レイフ、六年前を語る
「残念ながら、お前が何者なのかは、誰も、ピーターも知らなかったんだ」
レイフは眉を下げた。
「お前を見つけたのは、魔族たちが放棄したネフライトの中だった。たった一人で茫然と立っていたんだ。なぜこんなところに人間がいるのかと驚いたが、そのあと、あちこちで大勢の人間を発見した。百人以上の人間が、どこからか拉致されて来て奴隷にされていたようだ。お前もそうした人間の一人だったのだろう」
「奴隷……」
「そうは言っても、虐待されたあとはなかったし、栄養状態も悪くなかったから、本当のところはわからない。魔族の生態はわかっていないから、もしかしたら食用の家畜だったのかも知れないし」
「あなた!」
エリンが思わず声を上げた。
「いや、真実は何一つわからないんだ。みんな記憶を消されていて、どこから連れて来られたのかも誰一人わからなかったが、ただ、ご丁寧に名前と生年月日が書かれたカードを所持していた。我々は全員を保護して、とりあえずマッカーシー領都に連れ帰ったんだ」
「その後、ピーターがお前を引き取ると言い出した時は驚いたよ。運命的なものを感じたのだろうな。それがなんだったのか、翌年、お前が聖剣を顕現させた時にわかったよ、お前の中にすでにあった聖なる力を感じ取っていたんだろう」
「保護された他の人たちはどうなったんです? 記憶を消されたと言っても、少しくらい思い出している人もいるかも知れないし、私のことを知っている人だっているかも」
「マッカーシー領に残った者も出て行った者もいるが、残ったものの中に記憶を取り戻した者はいない。だから、忽然と姿を消した魔族の正体もわからないままだ」
「魔族の正体って?」
「我々王国騎士団は魔族と直接対峙して戦ったとは言えないんだ。ネフライトへ向かう途中の砂漠では魔獣との激しい攻防があったし、魔族が魔獣を操って攻撃を仕掛けていたのは間違いない。しかし、ようやく到着したネフライトはもぬけの殻だったんだ」
「魔族は恐れをなして国を捨てて逃げ出したんでしょ」
ショーンが口を挟んだ。
「ああ、でもどこへ? 極小国といっても、戦闘に出ていた者だけでなく多くの仲間がいたはずだ、それが砂漠の真ん中から忽然と消えたんだぞ、逃げる場所などなかったはずだ。王国騎士団が魔族を討伐したともてはやされたが、実際は納得いかない終わり方だった」
レイフは息をついた。
「もちろん、兄上には事実を報告した。しかし、魔族との戦いに大勝利を収めて壊滅したと発表する方が、国としては都合が良かったんだろう」
「そうなのか……」
当時はまだ十歳だったショーンに、詳細は知らされていなかった。
「私が保護された場所へ行けば、なにか思い出せるかも知れないわ」
フィラがボソッと呟いた。
「ネフライト国跡にか?」
ショーンは聞き逃さなかった。
「砂漠を超えてラクダで二日かかる場所だ、森を抜けるのとはわけが違うぞ」
レイフはショーンに視線を流した。
「行くしかないだろ、でなきゃフィラは納得しない。俺は父上について行ったことがあるから、場所は知っているし案内する」
「ありがとう、行ったところで、なにかがわかる保証はありません、でも、なにもしないで悶々としているのも嫌なんです」
フィラは自分のルーツが知りたかった。もし、辿れなかったとしても、出来る限りの努力はしてみたかった。
「まったく、フィラは女の子の自覚がないのね、砂漠の直射日光に当てられたら、白いお肌がボロボロになってしまうのよ」
エリンがぼやいた。
「お前も若い頃はそうだったじゃないか」
「そうね、それでもあなたは気にせず、妻に迎えてくださったものね」
中年なのにいきなり甘々ムードになる二人を、ショーンは白い目で見た。親のイチャイチャを見せつけられるとこちらが恥ずかしくなる。
「お話し中、失礼いたします」
そこへ執事のギャレットが入って来た。王都のロイ・ギャレットの双子の兄ルイである。フィラが見分けられないくらいそっくりだ。
「マクスウェル伯爵家のリーゼ様がお見えです」
「リーゼ嬢が?」
「ショーン様にお会いしたいと」
「俺に?」
エリンは溜息をもらした。
「まあ、なんでショーンが帰ったことを知ったのかしらね、我が家にはネズミが潜り込んでいるようね」
ギャレットに目配せする。
「客間に通して待ってもらって」
「承知いたしました」
「待って、ここへ来てもらおう、俺一人で相手するのはちょっと」
助けを求めるようにエリンを見るが、エリンは目を合わせない。
「じゃあ、フィラは疲れているでしょから、ゆっくり入浴して、マッサージもしましょうね」
エリンはよそよそしくショーンをスルーして立ち上がり、フィラを促した。
「マッサージなんかしてもらったことないわ」
「じゃあ、なおさら、うちの侍女は上手なのよ、一緒にしてもらいましょ」
エリンはフィラを連れてダイニングを後にした。
それを見送りながらレイフは眉を下げた。
「逃げたな、エリンはリーゼが苦手だからな」
「父上は逃げないでね」
ショーンは牽制する冷ややかな笑みを浮かべた。
「だいたい、お前が無駄に男前だから悪いんだぞ」
「違うでしょ、人のせいにしないでよ。父上が毅然とした態度に出ないからでしょ」
「それを言ってくれるな、大昔のことを子供の代まで引き摺るなんて思わないだろ、女の執念は恐ろしいな」
「もう怨念だよ、俺に降りかからないように、なんとかしてよね」
「それなら簡単じゃないか、お前がさっさと婚約すればいい、もう障害は無くなったんだからチャンスじゃないか」
「そう簡単には……」
「十日間も二人きりで過ごして、なにもなかったのか?」
「あるわけないでしょ」
「情けない奴だな、俺がお前くらいの年頃にはもっと積極的だったぞ」
そこへちょうどリーゼが入室した。
ライトブラウンの髪に青い瞳で優しい顔立ちの癒し系、清楚可憐な雰囲気で庇護欲をそそるタイプの美少女である。
「お帰りなさい、ショーン様」
リーゼは満面の笑みをショーンに向けた。