その6 フィラとショーン、マッカーシー領へ向かう
コバルト色に沈んだ空に一番星が輝く時刻になってから、マッカーシー邸の玄関前に二頭の馬が用意された。
「こんな時間に出発されるのですか? 朝まで待っていただければ馬車のご用意も調いますが」
ギャレットが心配そうに言った。
「いや、急ぐから」
マッカーシー家で昼食を振る舞われたあと、グレアム満足して王宮へ戻った。
フィラは初めて訪れた邸内をショーンに案内してもらいながら、久しぶりにゆったりとした午後を過ごした。
しかし、夕食の食卓に着いている時、王宮からグレアムの手紙を携えた使者が駆け付け、穏やかな時間を終わらせた。
手紙には、
『学園での事件を耳にしたカニンガム公爵が、エディを連れてレンデル伯爵邸へ向かったようだ。公爵はバカ息子が勝手に婚約破棄宣言したことを、烈火のごとく怒っているらしい。エディに謝罪させて婚約破棄を取り消すつもりだろうが、フィラが帰宅していないことを知ったら、そちらへ向かう可能性があるから注意せよ』
と書かれていた。
手紙の内容を聞いたフィラは食事途中で席を立った。
「いまさら謝罪なんか受け入れるつもりはないわ」
「カニンガム公爵が来たら、俺では対処しきれないし、すぐ領地へ発とう」
父親のいるマッカーシー領に逃げ込むのが最も安全だ。
そう言う訳で、夜の帳が下りるこんな時間に出発することになったのだ。
「でも、護衛も付けずに二人で向かわれるなんて……」
ギャレットは鐙の調節をしているフィラを心配そうに見た。
フィラは長いくせ毛を無造作に一つ括りにしてフード付きのマントに身を包んでいる。その下はギャレットが用意してくれたシンプルなシャツに、ショーンから借りたブカブカのズボンをウエストで締め上げて履いていた。
「フィラと俺に護衛は必要ないだろ」
ショーンは荷物を鞍に括り付けながら言った。
「いくらお強くても、フィラ様はご令嬢ですよ、未婚の男女が二人きりで旅するのは問題があるのでは」
「変な心配はするな」
二人が話をしている間に、フィラはさっさと馬に跨っていた。
「大丈夫、私、ショーンより強いから」
ギャレットがなにを心配しているかわかっているのか、フィラはニッコリ笑みを向けた。確かに剣の腕前はフィラの方が上かも知れないとショーンは苦笑した。
「……だそうだ」
ギャレットにそう言いながらショーンも騎乗した。
「鳩を飛ばしておいてくれ」
「かしこまりました、お気をつけて」
二人はマッカーシー邸を後にした。
* * *
「フィラ嬢はまだ帰らんのか?!」
不服そうなエディを伴い、レンデル伯爵家に乗り込んだカニンガム公爵は、応接室で声を荒げた。
「ええ、今日はまだ帰宅していません」
先触れもなく訪問した公爵に、アーサー・レンデル伯爵は慌てて対応に出た。
学園での出来事はシャロンから聞いていた。アーサーにしてみれば、エディとフィラの婚約が破棄され、愛娘のシャロンと婚約し直してもらえるなら大歓迎だ。
後日カニンガム公爵と話し合いを設けようとしていたが、いきなりの来訪は予想外だった。それに、ご立腹の様子に困惑した。
「こんな時間まで帰宅しないのに、捜しもしないのか」
「勝手気ままな娘ですので、いつものことなのです。貴族令嬢としては非常識と申しますか、思慮がないと申しますか、私どもとしてはほとほと困り果てている次第です」
「嫁入りするまでに公爵家に相応しい淑女教育を施す約束だろう」
「それがですね、やはり卑しい生まれの者は矯正が難しいようなのです、まことに申し上げにくいのですが、フィラはレンデル家の娘ではありません」
「なにを言いだすのだ?」
カニンガム公爵はエディからその情報は聞かされていなかった。ただ、フィラとの婚約を勝手に破棄したと聞いて、慌ててやってきたのだ。
「フィラは兄の実子ではなかったことが判明したのです。それでカニンガム公爵殿に今後のことをご相談しようと思っていたところなのです」
「フィラ嬢がピーター殿の娘ではない? それは真なのか?」
カニンガム公爵は片眉を上げた。
「ええ、確かな筋からの情報です、貴族ですらないのです。我々を謀っていたフィラの罪は軽くありません、除籍にする予定です」
「だから婚約を破棄したんですよ、父上、どこの馬の骨ともわからぬ女を我が公爵家の嫁には出来ないでしょ」
エディはそれに乗っかって、ここぞとばかりに口を挟んだ。
「ごもっともです、エディ様の方から婚約破棄を言い渡して頂いて、ホッとしていたところです」
満面の笑みを浮かべるアーサーと得意げなエディをよそに、カニンガム公爵は額に血管を浮かべながら怒り心頭の形相。
それを見たアーサーは慌てて、
「御心配には及びません、我が家にはレンデル家の血を引く娘シャロンがおります、エディ様とシャロンは愛し合っているようですから、婚約はシャロンとし直して」
「バカなことを言うな! 貴様はなにも理解していなかったのだな!」
カニンガム公爵はテーブルを拳で叩きつけた。
「レンデル家の血筋などなんの価値もない! 価値があるのは聖騎士だ! 聖剣を顕現させたフィラ嬢にどれほど価値があるのか、お前たちにはわからんのか!」
横に座るエディの頬にいきなり拳骨を入れた。
エディは敢え無く椅子から転げ落ちた。
おバカな彼にはなぜ自分が殴られ、父が憤慨しているのか、まだ理解していなかった。
カニンガム公爵は現在、近衛騎士団を束ねる総司令官の職にある。近衛騎士は騎士の中でも花形で、憧れの部署である。しかし、昨今は近衛騎士より、各地に派遣されて、盗賊や魔獣から国民を守る王国騎士団に人気が集まっている。その理由は、魔族討伐を成し遂げて国を護った英雄マッカーシー将軍がトップにいるからだ。
そして王国騎士団にはマッカーシー将軍を含め、現在十二人の聖騎士が所属している。魔族が全滅した後も魔獣は出没する。魔獣と戦う王国騎士団と聖騎士は、騎士を目指す者にとってヒーローで憧れの的だった。
それに対し、近衛騎士団に聖騎士はいない。魔獣と戦うこともなく、王都で王族の警護に当たる近衛騎士に聖剣は必要ないのだが、カニンガム公爵は引け目を感じていた。優秀な騎士候補生が王国騎士団に流れるのを食い止めるためにも、かつて聖騎士として活躍した英雄ピーターの娘で聖騎士候補のフィラを囲い込みたかったのだ。
「我が公爵家にはフィラ嬢が必要なのだ! 一刻も早くフィラ嬢に謝罪して、婚約破棄をなかったことにしてもらうんだ」
「あんな女に謝罪しろとおっしゃるんですか?」
エディはまだ食い下がろうとする。
「そんなに聖剣が重要なら、俺が顕現させればいいことじゃないですか」
自分の能力を知らず、プライドだけが高い輩は厄介だ。そんな愚息を見てカニンガム公爵は怒りぶつけるのもバカらしくなって呆れ返った。
「婚約者の義妹と浮気するような卑しい心の者に聖剣は顕現しない、一生かかってもな」
「浮気だなんて、いくら父上でも言葉が過ぎます、俺たちは純粋な愛で結ばれているのに」
「婚約者を蔑ろにして他の女にうつつを抜かすことを、世間一般で浮気と言うのだ!」
昼休みショーンから言われたのと同じ内容に、エディは返す言葉がなかった。
「フィラ嬢の行き先に心当たりはないのか」
「あの時、ショーン・マッカーシーと一緒でしたから、おそらく彼が連れ帰ったのかと」
エディは不貞腐れながら答えた。
「よりにもよってマッカーシーとはな、婚約させたことで安心して、お前を放置していた私にも落ち度はあるが、お前がこれほど愚かだったとは……」
騎士科の生徒でありながら、聖騎士の重要性を認識していないバカ息子を横目に、カニンガム公爵は大きく息をついて肩を落とした。
「フィラ嬢との婚約がなくなるのなら、お前も身の振り方を考えておけ、我が家には男児があと三人いるのだからな」
「そんな!」
カニンガム公爵の大きな声はドアの外まで丸聞こえだった。
エディと父親が訪問したと聞き、シャロンは慌てて着飾り、挨拶に出向いたが、すぐに期待していた内容と違うことがわかった。
エディが公爵に頼んで、婚約し直すために訪れたと思っていたのだが、全くの逆だった。
(フィラに謝罪して婚約破棄を取り消す? いったいどうなってるのよ!)
シャロンは唇を噛みしめた。