第六話:手紙の切れ端
再び歩き始めたふたりの足元には、昨夜の雨でぬかるんだ土が音を立てていた。湿気を含んだ空気が肌にまとわりつき、森の緑がいっそう深く感じられる。
「ちょっと休憩しよ。あの小屋、使えそう」
リィナの提案に、セイは頷いた。丘の斜面に、古びた農具小屋が斜めに傾いて立っていた。扉は少し開いており、鍵はかかっていない。中に入ると、埃っぽいが風雨はしのげそうだった。
「こういう場所、昔の仲間とよく使ってたな。隠れる時とか、荷物を一時的に置く時とか」
リィナが、どこか懐かしむように笑いながら言う。
セイはその隅にあった木箱の山を片づけ、座る場所を確保した。ふと、箱の隙間に何かが挟まっているのが見えた。
「……これは?」
セイが取り出したのは、茶色く変色した封筒だった。封は既に解かれており、中には紙片が数枚入っている。丁寧な筆致の文字が並んでいた。
『――次の“鍵”は、赤砂の谷。その地にて、再び記憶は交わるだろう』
「赤砂の谷……」
リィナが眉をひそめた。
「聞いたことある。かなり西の方だったと思う。盗賊の間でも“死の谷”って呼ばれてた。昔、大きな抗争があったって話」
セイはもう一枚の紙を取り上げた。そこには、子どものような筆跡でこう書かれていた。
『お父さんへ。はやくかえってきて。わすれものしちゃだめだよ』
その文字に、リィナの手が止まった。顔を強張らせたまま、紙を震える手で撫でながら、小さくつぶやく。
「……これ、私の字だ」
「え?」
「たぶん、小さい頃に親父に書いたやつ。記憶がぼやけてるけど、赤砂の谷に向かう前に、見送りの代わりに手紙を渡した記憶がある。……まさか、こんなところに残ってたなんて」
リィナはしばらく言葉を失い、膝を抱えて黙り込んだ。
セイは隣に腰を下ろし、そっと声をかけた。
「じゃあ、やっぱり行こう。そこに何かがあるなら、行って確かめるしかない」
リィナはうなずいた。目元は少し赤くなっていたが、その奥には確かに強い意志が宿っていた。
「赤砂の谷……うん。いいね。いよいよ、旅って感じがしてきた」
セイは立ち上がり、風の向かう方角を見据える。
「遠回りでもいい。俺たちの足で、ちゃんと辿っていこう」
ふたりは古い封筒と紙片を大事に荷物にしまい、小屋を後にした。
“記憶の糸”は、手紙すらも結び直していた。
かつて交わされた想いの欠片が、ふたりの足をまたひとつ、深く繋げていく。
その道の先には、きっと父たちの真実と、まだ知らない記憶が眠っている。
風が、再び動き出していた。