第一話:旅立ちと短剣
朝の空気は、凛と張り詰めていた。遠くで鳥が鳴き、小さな村に一日の始まりを告げている。
村の外れ、小高い丘の上に立つ少年――セイは、風に髪をなびかせながら、遠く地平線の向こうを見つめていた。
背中には旅の荷物。腰には銀色の短剣。どちらも、今の彼には少し重たすぎた。
「……本当に、行くの?」
背後から声がかかる。振り返ると、そこには幼なじみの少女――メルが立っていた。心配そうな顔で、手には小さな包みを抱えている。
セイは短くうなずいた。迷いはある。けれど、引き返す気持ちはなかった。
「ありがとう。……でも、俺、行かなきゃ」
彼は腰にある短剣に触れる。柄の部分は冷たく、けれどどこか安心できる感触があった。
「母さんが言ってた。これは俺にしか使えないって。……だったら、父さんの死の真相は、俺が確かめなきゃ」
メルは黙ったまま、包みを差し出す。
「干し肉とパン、それと……薬草。いつ戻ってきてもいいように、村のみんなから」
セイは受け取り、小さく礼を言うと、再び丘の向こうを見つめた。
あの短剣――それはただの武器ではなかった。触れた者の“記憶”を映し出し、ときにはその記憶に干渉する力を持つ。
つまり、記憶の中に入り、“選び直す”ことができる刃だった。
セイがその力の存在を知ったのは、母が亡くなる前夜のことだった。
病に伏した母は、震える手で一冊の古びた日記と一通の手紙を彼に渡した。
『この刃は、記憶を映す“鍵”。けれど、扉の先にあるものが望む真実とは限らない。見ることには、責任が伴う。』
日記には、父がかつてどのような人物だったのか、どんな仲間と共に生き、何を守ろうとしていたのかが記されていた。父は義賊として動いていた。そして、その裏で“記憶”を扱う仕事にも関わっていた。
母はそのすべてを知り、守り抜いてきた。
そして今、その秘密を託されたのがセイだった。
記憶に干渉する力――それは同時に、“代償”を持つ力でもある。記憶の中に長く留まれば、自分自身の記憶が薄れていく。
過去を知る代わりに、未来を失う。
「父さんのこと、ちゃんと知りたい。……真実を、見つけたい」
自分が何者なのか、父が何を遺してくれたのか。知りたいという思いは、恐れを上回った。
「……気をつけて。記憶って、優しくないよ」
メルの言葉に、セイは笑った。
「うん。でも、父さんがこの“鍵”を俺に遺したのなら……きっと、何か意味がある」
しばらくの沈黙のあと、メルがぽつりと呟いた。
「帰ってくるって、約束して」
セイは静かにうなずき、彼女の手をそっと握った。
「必ず。何かを見つけて、帰ってくる」
朝日が昇る。
風が、旅人の背中を押すように吹いた。
セイは一歩踏み出す。
その歩みは、まだ始まったばかりの、真実を探す旅の第一歩だった。