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都会で生活するのに嫌気が差した。
サービス残業は当たり前で休みもろくに取れない日々。しかもノルマが達成できなければ上司の罵倒が待っている。
そしてとうとう心が限界になって会社を辞めた。
会社を辞めたものの、収入源は確保しないといけないからまた働き口を探さなければならない。
しかし、残念なことに特別なスキルは持っていない、学生時代の就職活動ではことごとく希望した会社に落ちた結果、あのブラック企業に拾われたいきさつを考えると、次の就職先が決まるまで時間がかかるだろう。
現に、転職活動をしているものの、書類選考がなかなか通らない状況だ。
そんなある日、近所のビルで「夕日島移住プロジェクト」というものが目にかかり、『当日参加OK』と書いてあったので寄ってみた。そこでプロジェクトの担当者のお婆さんに今の状況を話すと、「それなら島に来ないか?仕事も紹介するから」と誘われた。
お婆さんの名前は長野里美といい、すでに夫を亡くして孫と二人暮らし。孫の相手になってほしいというのもあったそうだ。
家賃はいらないと言われたのに罪悪感はあったが、どっちにしても就職先を探すのも難しいし、都会でやっていく自信ももう無かったのでそれならと了承した。
そして引っ越す日が来て、夕日島行きの船に乗っている。
夕方、港に着いて船を降りる。船着き場の近くで迎えに来るという孫を探す。中学2年生で、背は低く、学ランを着ているという。
だが、どこを見てもそのような人がいない。
ドドドドドドドドドと音がした。
音のする方を見て見ると、一頭の大きい熊が猛スピードでこっちに向かって来ている。
びっくりして体を伏せると、熊の走る音が止まった。
誰かが止めてくれたのだろうか。ゆっくり顔を見上げると、イノシシの背中から少年が降りてきた。
その少年は背は低く、学ランを着ていた。聞いた特徴と同じだった。
「すみません。もしかして、里美さんのお孫さんでしょうか?」
「そうだよ。婆ちゃんが言っていた、今日からうちに住む人ね。俺は長野瑞則。これからよろしく」
「僕は東優斗です。今日からよろしくお願いします」
「俺の方が年下だし、一緒に暮らすんだから堅苦しいことはナシ。敬語使わないで。じゃあ乗って」
「乗るって、どこに?」
「熊にだよ」
「え?」
「荷物は俺が持つから。ほれ」
瑞則は優斗から荷物がたくさん入っているキャリーバックを取ると、片手で軽々と持ち上げた。
「家に行く前に良い所に連れてくよ。振り落とされないようにね」
「え?え?」
ツッコむ間もなく、言われるまま熊に乗って島の中で一番高い山を登っていき、頂上に着いた。
「綺麗でしょ?」
頂上を見渡すと、島全体が見えた。麓の森、海がはっきり見えてとても綺麗で心を奪われた。
「そうだね。すごく癒されて、気持ちが楽になっていくような‥‥‥」
気付かれていたのか。
「ここの景色を見ると、この島に住んでいて良かったっていつも思うんだよね」
「瑞則君はこの島が好きなの?」
「ああ。自然がいっぱいだし、空気が美味しいから、それだけで幸せだね」
「確かに、そう感じるかも‥‥‥」
「海があるから1年中泳げるし」
「1年中?瑞則君、もしかして、冬でも泳いでるの?」
「そうだよ」
「風邪引くよ?」
「そうか?寒いって思ったこと無いけど」
熊に乗って来たことといい、驚くことばかりだ。
「どう?少し元気出た?」
「そういえば……」
「それなら良かった。婆ちゃんから元気無い様子だって聞いていたし、ここに来るまで浮かない顔していたからさ」
「顔出てた?ごめん」
自分を励ますためにここに連れてきてくれたのか。
「前に何があったかは聞かなけど、ここでの生活が楽しいって思えるようになると嬉しい。慣れるまでは少し大変かもだけど」
瑞則はニッコリ笑って言った。
瑞則も親ではなく祖母と二人で暮らしているということは、親はもう‥‥‥。
瑞則はもしかして、辛い過去を抱えているのだろうか?
もしそうだとしたら、どうして自分を慰めることが出来るのだろうか?
「どうしたんだ?」
「いや‥‥‥瑞則君、親がいなくて辛い中、笑っていられるなんてすごいって」
「親がいない?いやいや、俺の親は生きてるから!!勝手に殺さないでくれ!!」
「生きてるの?ゴメン。早とちりで‥‥‥でも、それならどうしてお婆ちゃんと二人暮らしなの?」
「さっき言った通り、俺はこの島に住むことが幸せなの。でも俺の親はこの島の仕事が嫌だって、都会で暮らしてるんだ」
「‥‥‥そうなの」
「親と一緒に暮らした方がって思ってる?」
「あ?いや、別にそんなこと‥‥‥」
「別に良いよ。それは婆ちゃんにも言われたし。でも俺は別々に暮らしてでもこの島が良いの。だから親も恨んでない。自分が選んだことだから」
「瑞則君、本当にこの島が好きなんだね」
「そう。だから今回この島に移住する人がいるって聞いてすごく嬉しいんだ。何なら一生ここにいてよ」
「一生?」
「楽しいって思えばね。でもさっき言った通りいい島だよ。早く生活に馴染めるよう俺らも強力するから。何か困ったことがあれば遠慮なく俺や婆ちゃんに言ってくれよ」
「ありがとう。ここで頑張ってみる」
都会から逃げる感じで来ることになって自信も無く不安だけど、ここで新しいスタートが切れるんじゃないか。瑞則の笑顔を見て、そんな気がした。