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商人子息、婚約破棄計画の阻止に奔走する

作者: 丘野 境界

異世界恋愛は初めてです。

王太子殿下の婚約破棄計画を立ち聞きしてしまった商人子息が、頑張ってそれを阻止する話となります。

40000字ほどある短編です。

いわゆる設定ゆるゆる(学園の制服があったりカレーがあったり)なので、その辺りご了承ください。

それでは、よろしくお願いします。

 王都の学園。

 ここは貴族も多いが、裕福な平民も通うことがある。

 テリー・ホランドが中庭を訪れたのは、天気も良く、昼食は外で食べようと気まぐれを起こしたからだった。

 中庭の少し奥まったところにある小さな広場が、穴場なのだ。

 ただ他の生徒も同じことを考えるようで、その広場には先客がいた。


「そこで俺は宣言するわけだ! シャーロット・ベンブルック公爵令嬢、貴様がミリス・クローバー男爵令嬢をいじめているのは明らかだ。貴様をここで断罪し、婚約を破棄する。貴様は国母にはふさわしくない!」

「お見事です、レオン殿下。しかし、ミリス嬢にこの計画を黙っているのは何故ですか?」

「卒業パーティーという大舞台で、彼女と婚約する。婚約破棄とはセットだからな。彼女を驚かせたい」

「なるほど」


 何と、王太子とその取り巻きの高位貴族の子息達が、とんでもない計画を立てていた。

 テリーはそそくさと、その場を逃げ出した。

 こういう時、小柄な身体は有利に働く。

 えらい話を聞いてしまった。

 当然、うっかり小枝を踏んだりなどして、自分が盗み聞きしてしまったことを知られるようなヘマなどはしなかった。

 全く、変な気まぐれなどを起こさなければよかったと、ランチボックスを手にテリーは後悔した。

 王太子達から距離を取り、大きく息を吐いた。

 制服についた葉を、軽く手で払う。

 一応小麦色の髪も払うが、こちらには葉はついていなかった。

 幅の広い煉瓦敷きの遊歩道には、何人も生徒が行き来し、もし誰かが追いかけてきても、自分は生徒達の中に紛れることができるだろう。

 あくまで希望的観測だが。

 ……さて、どうしたものか。

 ミリス・クローバー男爵令嬢は、テリーと同じクラスだ。接点と言えばその程度で、特に話したこともない。

 美人というよりは可愛いという印象があるが、基本的に一人でいることが多い。

 というのも、女子からの評判はすこぶる悪いからだ。

 王太子や他の高位貴族の子息達のお気に入りで、いつも彼らを侍らせている……というのが、その理由である。

 だから、正確には一人でいることが多い、というのは王太子達を抜けばの話となる。

 でまあ、そんな人達に囲まれている人達と接点を持ちたいと思う、男子はいない。

 テリーの見た感じでは、男爵令嬢が彼らを侍らせているというよりは、休み時間のたびに王太子達が教室を訪れているという感じなのだが。

 ちなみに王族や高位貴族の子息達の教室は、下位貴族やテリー達平民の教室とは別である。向こうの教室を訪れたことはないが、おそらく調度も段違いだろうし、設備も充実しているのだろう。

 それはさておき。


「どうしたものかね。これは」


 テリーは悩んだ。知らなかったならどうしようもないが、聞いてしまったからには動かざるを得ない。

 事は、王太子と公爵令嬢の婚約破棄(予定)である。

 放置しておいて、実際にこれが起こってしまった場合「どうして知っていたのに、止めなかったのだ」と責められても困る。可能性としては低いが、ゼロではない。

 テリーは商人の子だ。

 必要なリスクなら取ることもあるが、今回の場合はメリットが何一つない。

 ただ働きになりそうな予感に、テリーはうんざりした。

 とはいえ、やれることをやるしかない。

 といっても、テリーはそれなりに大きな商会の息子ではあるが、平民である。王族や高位貴族の知り合いなどいない。


「本当にどうすればいいんだこれ?」


 どこから手を付けていいやら、悩んだ。

 チャイムが鳴り、テリーは昼食を食いっぱぐれたことに、ようやく思い至ったのだった。


 ◇◇◇


 四日後。

 テリーは動きやすい格好で、朝の日課のジョギングをこなしていた。

 テリーは実家、ホランド商会の三男坊だ。

 長男が跡取り、次男がそのスペアとなると、三男であるテリーが後を継ぐことはない。

 商会の従業員になるという道はあるが、テリーはどちらかといえば自分の商会を立ち上げたいと思っている。

 父親である会長から資金を借りて、まずは行商人から始めるつもりだ。

 当然、王都を出て様々な町や村を巡ることになる……となると、体力は多い方がいい。

 このジョギングも、その体力作りの一環なのだ。

 王城の周囲はジョギングコースになっていて、子どもから大人まで、色んな人が走っている。

 テリーにも、時間帯が同じの顔見知りが何人かいて、テリーの前を走っているエレノア・ハートウッド子爵令嬢は、そんな仲の一人であった。

 テリーとは教室は違うが、彼女もまた王都の学園に通う生徒である。

 テリーは少しペースを上げ、エレノアに並んだ。


「おはようございます、ハートウッドさん」

「おはようございます、ホランドさん」


 エレノアはペースを落とさない。

 短い黒髪で、テリーよりもやや背が高い。

 ……まあ、テリーが小柄というのもある。

 中性的で端正な表情は変わらず、汗も殆どかいている様子がない。


「ちょっと後でお話があるんですけど、いいですか?」

「私の家は、跡継ぎとなる兄がいますし、子爵家とはいえ三女なので、政略結婚の必要もない気楽な立場ですよ?」


 テリーは転びそうになった。

 何とか立て直す。


「一体何の話ですか!?」

「プロポーズのお話だったのでは」

「だとして、早朝のジョギングの最中にします!?」

「ムードも大切ですが、ホランドさんの場合は実利を取るタイプだと思ったので、あり得ない話ではないかなと……」


 エレノアはこの手の冗談を、よく使う。

 いや、冗談だよな?

 少なくとも嫌われてはいないようだが、ペースが乱れるのも事実だった。

 今は、メンタルと同時に体力的なそれも、乱れそうだった。


「しませんよ!? せめて、いい夜景の見えるレストランの予約ぐらいはしますし! いや、その予定がそもそもない……!」

「指輪のサイズも、お伝えした方が……?」


 エレノアは左手を差し出してきた。

 白くて細いな、とテリーは思った。


「しなくていいです!」

「冗談半分の内容はさておいてですね」


 手を引っ込め、エレノアが再び腕を振り始める。

 まったく乱れのない、綺麗なフォームの走りだ。


「残り半分のどこら辺が本気!?」

「どういうお話でしょうか?」

「ツッコミがスルーされただと……!? お、お話は、このジョギングが終わってからということで……まずは、ハートウッドさんのペースに……はぁ、はぁ……ついて行くのが優先ですね……」


 一方、テリーのペースは乱れっぱなしだ。

 息が切れ、何とかエレノアの食らいつくのが精一杯だった。


「私のペースに合わせなくても、ゆっくりでいいと思いますよ。ゴールは、いつもの広場でいいんですよね?」

「は、はい……」

「では、先にゴールしていますね」


 エレノアは軽く微笑むと、そのままペースを上げた。


「メ、メチャクチャ、体力あるんだよなあの人……」


 テリーには、彼女に追い付くだけの体力は残っていなかった。




 テリーがヘロヘロになって広場に到着すると、エレノアがドリンクを差し出してくれた。

 テリー達のように運動している人向けに、朝早くから営業している屋台も、幾つかあるのだ。


「ありがとうございます」

「どういたしまして。それで話というのは何なのでしょうか?」


 二人揃って、ベンチに座る。

 テリーは、ドリンクを口にした。

 レモン味の冷たい水分が、実に身体に染みる。

 一息ついて、テリーは腰に巻いたバッグから、手紙を取り出した。


「それなのですがこちらです」

「私にですか?」

「ハートウッドさんにです」

「ラブレターでしょうか。ワクワクしますね」


 表情を殆ど変えないまま手紙を受け取られて、テリーは困る。


「違います。ワクワクしないで下さい。こういう形で、ハートウッドさんの立場に接するのは大変失礼だとは思っているのですが、非常事態ですので、こちらもちょっとなりふりを構っていられなくて……とにかくまずは目を通していただければと思います」


 エレノア・ハートウッド。

 ハートウッド家の子爵令嬢であり、王太子の婚約者であるシャーロット・ベンブルック公爵令嬢に仕える侍女兼護衛の一人でもあった。

 王太子達の婚約破棄計画を阻止するには、対抗勢力にそれを知らせる。

 それしかないと、テリーは考えたのだった。

 とはいえ、シャーロットは同じ学園に通っているとはいえ、高位貴族の、それも成績上位者の教室に在籍しているので、接触できない。

 なので、公爵家に仕えるエレノアを頼ったのだった。

 勿論、内密の話になるし、こんな広場で話せる内容でもない。

 そういう事情で、手紙をしたためたのであった。


「分かりました。今ここで読んでも?」

「はい」


 エレノアは手紙を開封して、中に目を通した。

 そして顔を上げた。


「なるほど。手紙にした理由がわかりました。これは確かに、話すのは憚られる内容ですね」

「本当にすみません。という訳で、こちらの手紙を、届けていただけますか。内容はほぼ一緒です」


 テリーはもう一通、バッグから手紙を取り出した。


「わざわざ二通用意したんですか?」

「ハートウッドさんに読んでもらう手紙と、あちらへお伝えする手紙を一緒にする訳にはいかないでしょう」

「では、こちらの手紙は大切に保管して」


 エレノアは、自身のバッグに手紙を入れた。


「はい」

「こちらの手紙も大切に保管しましょう」


 エレノアは、バッグから革袋を取り出すと、自身宛の手紙を入れた。


「別に焼いて処分してもらっても構わないんですけど!? というか大切にする方、間違っていますよね!?」

「せっかくの、ホランドさんからのお手紙ですから、家宝にします」

「こんな色気のない手紙を残されたら、子孫の人達はとても困ると思うんですが」

「では、私の部屋に飾っておきます。額縁を用意しなければなりませんね」


 名案、とばかりにエレノアは、両の手を合わせた。

 テリーは咳払いをした。


「冗談はさておき」

「え、冗談ですか?」

「冗談はさておき」


 テリーはもう一回、言った。

 いや、本当に冗談にしていただきたい。


「そういうことにしておきましょう」


 エレノアの承諾を得たので、テリーは話を真面目な方に戻すことにした。


「あちら宛ての手紙に関してですが、もちろん、ハートウッドさんか他の人が中を検めてからで構いません。さっきも言った通り、内容はほぼ変わりません」

「分かりました。問題がないようでしたら、お嬢様にお届けします」


 エレノアは、バッグから革袋を取り出した。

 いや、それは俺の手紙を収納した革袋では、と思ったら、エレノアの手には革袋が二つあった。要するに、どちらの手紙も革袋に入れていたのだ。


「よろしくお願いします」


 テリーは、大きく息を吐いた。


「はぁ……これで肩の荷が下りました」


 まあ、疲れたのには、革袋の件とか別の理由もあったが、それはそれとして。

 とにかく、一番の課題はクリア出来たのだ。


「安心するにはまだ早いと思いますが」

「そうかもしれませんけど、一人で抱え込むには、ちょっとしんどい内容でしたし」


 あとは、公爵家に丸投げだ。

 テリーにできることは、もうない。


「それは確かにそうかもしれませんね。お疲れ様でした。こちらからの返答は……早ければ学園で。そうでなければ、またこの時間にしましょう」

「分かりました。よろしくお願いします」


 ◇◇◇


 夜のベンブルック公爵家。

 公爵令嬢であるシャーロットの部屋は広く、また調度品も一級品だ。

 そして、輝きうねる金髪に、蒼い瞳、陶磁器のような白い肌を持つシャーロットもまた、存在自体が一級品であった。


「以上が報告となります」


 侍女服に身を包んだエレノアが、テリー・ホランドから手紙を受け取った経緯を話し終える。

 寝間着姿のシャーロットは、ゴロンとベッドに転がった。

 その手には、テリーが書いたという手紙があった。


「ご苦労様。それにしても律儀なことね。わざわざエレノアを通して手紙を送ってくるなんて。このホランドと言う子はどういう子なの?」

「……」


 シャーロットが聞くと、エレノアは沈黙で応えた。


「エレノア?」


 いや、これは違う。

 表情が殆ど動かないので分かりづらいが、これは答えに困っているヤツだ。

 しばらく待つと、エレノアが小さく頭を下げた。


「すみません。いい表現が思いつきませんでした。……そうですね、一言で言えば、とても面白い人です。あと、悪い人ではありません。それは間違いありません」

「エレノアが言うのなら、相当ね」

「あの、シャーロット様。それはどういう意味でしょうか」

「そのままの意味よ」


 どうも自覚がないようだが、シャーロットからすればエレノア本人が結構面白いのである。


「そうね、一度実際に会ってみたいわ。わざわざ殿下の計画を、こちらに伝えてくれた真意も問い正したいし」

「それに関しては、特に深い意味ないと思いますけれども」

「それでもよ」


 まあ実際、公爵家へのご注進に、公爵家に縁のある友人を頼った以外の理由はないだろう。

 ただ、他の思惑もあるかもしれない。

 商人の子息だ。

 恩を売る、金目当て、公爵家と誼を結びたい。

 そういう下心がある可能性は、充分考えられた。

 だからといってどうこうするつもりは、シャーロットにはない。

 気に入れば、望みを与える。

 気に入らなければ、潰す。

 それだけの話だ。

 何にしろ、エレノアの話だけでは、テリーの為人は分からない。

 なので、直に見てみたいのだ。


「しかしシャーロット様は、王太子殿下の婚約者です。男性を家に招くのは、無用な誤解を招くと思うのですが。ホランド様は商会の人間ですし、そちらの方向で呼びましょうか」


 つまり、御用聞き的な名目だ。

 シャーロットは少し考え、首を振った。


「それはあまり良くないわね。ホランド家の長男が、殿下の取り巻きの一人なの。そうね、今度開催される定例のお茶会に招待しましょう」


 いいことを思い付いたシャーロットに、エレノアは首を傾げた。


「あの定例のお茶会は、令嬢のみの参加となっております。ホランド様を呼ぶのには向いていないと思いますが」

「それについては問題がないわ。私に考えがあります」


 笑うシャーロットを見て、エレノアは微かに不安そうな顔をした。

 失礼な。


 ◇◇◇


 休日。

 エレノアに呼び出されたテリーは、大通りにある高級服飾店の前にいた。

 テリーは、建物を見上げた。

 確か、公爵家御用達のお店だ。

 建物の素材自体も、いいものを使っているしデザインも悪くない。

 いや、今は聞きたいのはそこじゃない。


「あの」

「はい」


 エレノアが答える。


「服飾店に見えるのですが? それもかなりお高めの」


 看板があるのだから間違いはない。

 ディスプレイにも、きらびやかなドレスを着たマネキンが飾られている。

 これで中身が肉屋だったら、詐欺である。


「間違ってはいませんね」


 エレノアが肯定した。

 よかった。

 テリーの視力は正常のようだ。

 それにしても分からない。


「待ち合わせ場所としては、かなり斬新な気がするのですが」

「私もそう思いますが、広場で待ち合わせするよりも目的の場所で待ち合わせた方が効率的だと思いました」


 そう、その目的である。

 ここを指定の場所にされたのは、昨日の学園の授業が終わってからの話になる。

 明日、この場所に来て欲しいというエレノアの頼みにテリーが応えただけの話だ。

 ちなみにエレノアは、シャーロットの護衛の仕事があったので、その時には詳しい話を聞けなかった。


「そもそもの要件がまだよく分かっていないのですが。ベンブロック様には伝えていただいたのですよね?」

「はい。それは間違いなく。そしてその結果、ここに来ることになりました」

「……話がよく分からないです」


 公爵令嬢に言付けをした結果が、ここでの待ち合わせ。どういうことなのか。


「それが、シャーロット様の話によりますと、ホランドさんの話を直接聞きたいということで、お茶会へのお誘いが来ています」


 これが、その招待状ですと、エレノアが手紙を差し出した。

 封蝋が施されていて、おそらくこれが公爵家の証なのだろう。


「お茶会……? しかし俺は、貴族のお茶会の作法なんて知りませんよ?」

「そこは特に重要ではありません。一般的な礼儀さえ守っていただければ、シャーロット様は寛容なお方ですし、招待する側なのですから、余程のことがなければ問題ないはずです。それよりも重要なのは、このお茶会は本来男子禁制の催しということです」

「ああ、王太子殿下の婚約者なのですから、それは当然ですよね」


 そんな人物が、同年代の男性と接触するなんて、悪い噂にしかならない。

 そこでふと、テリーの頭の中で、情報が整理出来た。

 男性が接触できないなら、女性にしてしまえばいい。

 つまり、そういうことか?

 テリーは再び、建物――女性向けの高級服飾店を見上げた。

 そんなテリーの内心を見抜いたように、エレノアは頷いた。


「はい。ですので、ホランドさんには女装していただくことになりました。ここを選んだのは、そのドレス選びのためです」

「ちょっと待ってください?」


 テリーは一歩後ずさったが、エレノアの方が一手早かった。

 エレノアの伸ばした手は、テリーの二の腕を捉えていた。

 痛くはない。

 しかし絶対に剥がれようとはしない。

 恐ろしい握力であった。


「ご安心ください。ドレスや装飾品の予算は、公爵家で出されることになっています」


 そしてそのまま、店に踏み込もうとする。

 当然、腕を掴まれたままのテリーも一緒である。

 一緒に入るというよりは、引きずり込まれるという表現の方が近い。


「心配してるのはそこではありません。あの、ハートウッドさん? 腕を離してくれませんか? 強い強い強い強い強い。話聞いてます? あのー……!?」


 そして二人は店の中に入ったのだった。




 入ってしまったからには、仕方がない。

 テリーは店内を見渡した。

 香を焚いているのか、薄らといい匂いが漂っている。

 色とりどりのドレスをまとったマネキンは多すぎず、一度に幾つものドレスが目に行くよう空間を上手に利用しているようだ。

 古着をメインとした服飾店だと、こうはいかない。棚にギュウギュウに服が詰められ、狭い場所だと真っ直ぐ歩くのも難しかったりするのだ。

 照明も明るすぎず、かといって暗くても困る。そういうところにも、気を配っているようだ。

 勉強になるなあ。

 なんてことを考えていると、エレノアがこちらを見ていた。


「意外に緊張していませんね」

「何度か、入ったことがありますからね」


 もちろん、この店のことだ。


「一人ですか?」


 この店は、女性のドレスの専門店だ。それも、高級品。

 一平民、しかも男性が入る店ではない。

 というのは、分かる。

 ただ、テリーにも理由があった。


「……いずれ独り立ちをする時のために、流行も勉強しておく必要があると思いまして。まあ、売り上げには貢献していないので、お店の人にとっては迷惑かもしれませんが」


 最初の頃は気恥ずかしさがあったが、勉強の為だ。

 慣れると、どうでもよくなった。

 それまで静かに、テリー達のやり取りを見ていた女性店員が、こちらに頭を下げてきた。

 いや、雰囲気的に店長か。


「いらっしゃいませ、ハートウッド様、ホランド様。お話は公爵家より既に伺っております」

「はい、こちらのホランドさんのドレスを見繕っていただけますでしょうか」


 という、エレノアの言葉にも、店長はまるで動じない。


「承知いたしました」


 店長は薄らと笑みを浮かべたまま、店の奥へとテリー達を促した。


「仮の衣装はご用意しておりますが、正式なドレスの為にもちゃんとした採寸は取らせていただきます。よろしいでしょうか?」

「……分かりました。というか、拒否権とかあるんです?」


 テリーはエレノアを見た。


「ないですね」

「でしょうねえ!」


 無情にも言い放たれ、テリーは採寸を取られに向かうのだった。




 試着室。

 この部屋だけで、テリーの自室よりも広かった。

 ハンガーに掛けられたドレスのデザインは素晴らしく、手触りも滑らかだ。素材も最高級のモノを使われているというのが、テリーの見立てだ。

 絶対汚したり、破いたりしては駄目な奴である。

 それ以前に、男である自分が袖を通していいモノか? という疑問もある。何せ、テリーが着た時点で、このすごいドレスは中古品になってしまうのだ。


「本当に……これを着るんですか?」


 テリーはため息をついた。


「着ていただかないと、私どもが公爵家からお叱りを受けてしまいますね」


 店長が一緒に試着室にいるのは当然で、このドレスは一人で着られる造りをしていない。

 本来なら、メイドが何人かで着せるドレスである。実際、テリー達の相手をしてくれた店長の他、部下らしい数人の店員が手伝うこととなっていた。

 テリーは、腹を括った。


「……じゃあ、しょうがないですね。経験の一つと割り切ります」

「よろしくお願いします」


 まあ、テリーにできることは、店長の指示に従い、大人しくしていることしかないのだが。

 両腕を左右に広げた格好のまま、テリーは店長に尋ねることにした。


「あの、店長さん」

「何でしょうか?」

「化粧用の道具はありますか?」

「それは一式取り揃えておりますが」


 意外な提案と感じたのか、店長は答えた。手を休めないのは、さすがである。


「じゃあそちらも準備しておいてください。ウイッグもあると助かります。どうせやるなら徹底的にやりましょう」


 こういうことは初めてではない。

 せっかくなので、エレノアを驚かせようと、テリーは考えた。

 同時に、滑ったらかなり寒いことになるな、という不安も一応あった。




 しばらくして。

 準備を終えたテリーは、試着室から出た。


「お待たせしました」

「……」


 エレノアが、動きを止めていた。

 テリーは、立てかけられている姿見を見た。

 地毛であるくすんだ金髪と同色の腰まであるウイッグ、髪の色に合わせて黄色を基調としたドレスにあるささやかな胸の膨らみは、もちろん詰め物だ。

 当然、靴も女性モノでテリーとしては歩きにくくて仕方がないが、こんな所で手抜きをする訳にはいかない。

 化粧は特に念入りに仕上げ、パッと見ではテリーとは分からないだろう美少女ぶりだ。

 うまく化けることができた。

 何も問題はない……はずだが、ちょっとエレノアのリアクションで不安になった。


「どうしました?」


 テリーが声を掛けると、ハッとエレノアは動き出した。


「ホランドさんですよね?」

「残念ながら声は変えられませんでした。練習の必要がありますね。あと、ちゃんと本人ですよ。さすがに顔だけ元のままだと違和感があったので、化粧もしました」


 エレノアは店長を見たが、彼女は首を振った。


「化粧も、自分でしました。うちの商会では化粧品も取り扱っているんです。その販売もしたことがあるんですけど、使い心地を説明するには、自分で使うのが一番理解できますからね。もちろんそれで人前に出た事はありませんが」

「私は別に個人の趣味に対してどうこう言うつもりはありませんよ?」

「仕事の一環です」


 大事なことなので、テリーは強調した。

 さて、とテリーはエレノアに、軽くカーテシーを見せた。


「で、どうですか? それなりに、化けたとは思いますが」

「これは……ちょっと、想像以上です。文句の付けようがございません。というか、そのカーテシー、妙に慣れていますけれど、それも仕事の範疇ですか?」

「仕事といえば、まあ。以前、実家の商会が後援している劇団の手伝いを少々」

「……色々、しているんですね」

「はい、自分でも呆れるぐらい。それはさておきこの格好ですが、俺個人としては、まだ今一つ不満がありまして」


 テリーは肩を竦めた。


「そうですか? 自分でさっき、うまく化けたと仰いましたよね」

「仕草とか立ち振る舞いとかはさすがに、演劇以上には学んでいませんので。不満点はそういうところですね」

「シャーロット様に伝えときます。もしかしたら、それ専門の家庭教師をご用意できるかもしれません」

「いよいよ、毒食らわば皿までになってきた……」


 とはいえ、経験としては有益かもしれないので、テリーとしては断るつもりはなかった。




 衣装だけでなく、装飾品も決めることとなった。

 テーブルに並べられたそれらを見て、テリーは身体を強ばらせた。

 イヤリング、ネックレス、ブレスレットに指輪。

 素人目にも一目で分かる高級品だし、加えてテリーの目は肥えていた。


「……こ、これは、触っちゃっていいんですか?」


 震える手を彷徨わせながら、テリーはエレノアに尋ねた。

 一般人が迂闊に手を出しちゃ駄目な奴だ、これ。

 一方で、子爵家の令嬢であるエレノアはさすがというか、不思議そうに首を傾げていた。


「ホランドさんが身に付ける為の、アクセサリーですから。高いのは分かりますが、そこまで緊張するモノですか?」

「価格もそうなんですけど、この宝石の産地、カッティング、ネックレスやイヤリングの装飾や細工を施した職人、どれも一級品です。……ですよね?」


 テリーは今度は、店長を見た。意外そうな顔をしていた。


「その通りですが、お分かりですか?」

「実家では、アクセサリー類も取り扱っていて、鑑定も勉強させてもらっています。とはいえ、これほどのモノに直に接したことはありませんが」

「実物に接したことはないのに、知識はあるのですか?」

「そこは、宝飾店を回ったり、博物館で見たりで勉強してますから」


 特に博物館はいい。

 博物館の他、美術館や図書館も、今の文部大臣の政策で、一般市民も無料で入館できるようになっているのだ。

 さすがに犯罪歴があったり住所が不定の者は入館を禁じられているが、実家が商会で現役の学生であるテリーは問題なく、休日にはいつも、どこかの文化施設に出入りしていた。


「ホランドさん、できないこと、ないんじゃないです?」


 エレノアの問いに、テリーはパタパタと手を振った。


「いや、できないことはできませんよ。たまたま、経験したことと一致しただけです。うーん、このドレスだと、これとこれでしょうかね」


 悩みながら、テリーは装飾品をピックアップしていく。

 エレノアや店長の許可も出たこともあり、やはり若干の緊張はするものの、イヤリングやネックレスを身に付けていく。

 深呼吸をして、意識を整える。

 普段のテリー・ホランドではなく、ホランド商会の三女、いや兄二人はそのままで長女でいいか。今の自分は、うら若い乙女であると暗示を掛けた。催眠術の心得などはないが、その辺は心意気である。


「お似合いですよ」

「ありがとうございます」


 店長に褒められ、テリーは素直に礼を述べた。

 一方、エレノアは何だか浮かない表情を浮かべていた。


「羨ましいです。私には似合いそうもありませんから」

「羨ましいと言われると、それはそれで複雑なんですけど。それに、ハートウッドさんは素材がとてもいいと思いますよ?」


 これは偽りのない本音だ。

 店長に同意を求めると、力強く頷かれた。


「私もそう思います」

「お世辞は結構ですよ」


 エレノアは弱い笑みを浮かべた。


「お世辞じゃないんですけどね」


 テリーとしてはもう少し強弁してもよかったが、逆効果になりそうだったので止めておくことにした。

 こういうのは、口で言うより行動に移した方が、説得力がある。

 店内を見渡すと、水色のドレスが目に入った。

 落ち着いた色のもっと大人っぽいドレスも多いが、このドレスは可愛らしさにも寄せている。「よく似合っている」テリーとしては誠に不本意ではあるが、エレノアのいう羨ましいは、こういうのを求めているのだと思う。


「例えばあのドレスとか、ハートウッドさんに似合うと思いませんか?」

「いいですね」


 店長も同意した。


「あ、でも」


 問題は、価格だ。

 これは、試着させてもらえるモノなのだろうか。

 テリーは、己の個人資産を頭に浮かべる。払える額ではある……あるが、なかなかすごい額だ。だが、エレノアの自信への投資と考えれば……!

 そんな、テリーの葛藤をお見通しとばかりに、店長は微笑んだ。


「予算の方でしたら、公爵家の方から問題はないと言われています。……こういう時も遠慮しなくてよいとも」

「本当ですか?」

「公爵家が嘘をつくと思いますか?」


 店長から、圧が放たれたような気がした。笑顔のままなのに。


「いや、そういう訳では。じゃ、じゃあ、問題ないということですね」


 エレノアは勝手に進んでいく話に戸惑っているようだったが、テリーは敢えてそちらを無視した。


「アクセサリー類も自由に使ってよいという話です。メイクに関しては、こちらでしてもよろしいですが、おそらく腕前に関して一番なのは、ホランド様ではないかと思います」

「ええ?」


 壁際に並ぶ、他の店員達を見る。一斉に頷かれてしまった。


「本番ではメイク係も用意するつもりでしたが、今日は仮衣装だけの予定でしたので。専属のスタッフは用意していなかったのですよ」

「俺も、プロって訳じゃないんですが……でもまあ、俺が一番いいって言うのなら」


 あとは、本人の意思だよなぁ、とメイクされる予定のエレノアを見た。


「あ、あの、何だか勝手に話が進んでいるようなのですが、私に拒否権はないのでしょうか?」

「ありますけど、せっかくの機会ですよ? しかも、予算は公爵家持ちです。いい経験じゃないですか」

「それは……確かに、もったいないですね」

「でしょう? ちなみにメイクに関しては、ハートウッドさん自身が行う、という選択肢もありますが、どうしますか?」

「……乙女として大変忸怩たるモノがありますが、ホランドさん、お願いします」

「分かりました」

「決まりですね。では、ホランド様。しばらくこちらでお寛ぎください」


 店長が手を打ち、エレノアは他の店員達に連れられて、試着室へと向かっていった。




 三十分後。

 水色のドレスを着、メイクや装飾品もバッチリ揃えたエレノアが、そこにいた。

 普段の凜とした印象とは異なり、可憐さが強調されている。

 パーティーに参加すれば男性陣、いや、女性陣もか、多くの人々の注目を集めるだろう。

 本人は、大きな姿見の前で、硬直していた。笑顔をキープするよう店長には言われていたので、かろうじてそれは維持しているが、明らかに強張っていた。


「絵描きを用意できなかったのが残念ですね。如何でしょうか、ハートウッド様?」

「その、月並みですが、本当に私ですか……?」

「実は鏡の魔物が化かしていました、と言って信じますか? すごくお綺麗ですよ。……あら、ホランド様?」


 店長と、エレノアがこちらを向いた。

 が、テリーはスケッチブックに走らせる筆の手を止めることはない。


「あ、筆とスケッチブックはあったようなので、お借りしています」

「絵も描けるのですか!?」


 店長が仰天するが、そんなに驚くことだろうか。


「はい、商会の仕事の一環で。服飾店にデザインを発注したり、お客様のイメージを固めるのに役立てたりとか、まあ独学なので本職の人には到底敵いませんが」


 それでも、人間を描くぐらいはどうにかなる。

 他にも、家具や調度品の注文が入った時や家族間での経営会議(商会自体の会議に参加するには、まだ若いという理由で参加させてもらえていない)の時などにも、この技能はなかなか役に立つのだ。


「ホランド様、ウチで働きません?」


 店長の勧誘に、テリーは柔らかく笑った。


「お誘いありがとうございます。でも、自分のお店を持ちたいので。……あ、絵描きの勉強ができる塾とか、もしかすると需要あったりしませんかね? と、商売のアイデアよりも今のハートウッドさんを、このスケッチブックに描き留めるのが先決ですね。すみません、もう少しそのままでお願いします」

「は、はい」


 エレノアが、その場で固まる。

 描きやすくはあるが、もうちょっとリラックスして欲しいなあと思うテリーだった。

 軽く、雑談でもしてみよう。


「うーん、ここにいる皆さんしか、生のハートウッドさんを共有できないのが、残念ですね。普段のハートウッドさんも素敵ですが、こういう姿もなかなかいい」

「あ、ありがとうございます」


 エレノアの頬が、少し赤くなった。

 店長は、テリーの絵を邪魔にならない距離から覗き込んでいた。


「ホランド様の絵も添えて、公爵家にもお伝えしておきましょう」

「よろしくお願いします」


 五分ほどで描き上げ、テリーはスケッチブックを店長に預けた。


 ◇◇◇


 服飾店を出て、エレノアが大きく身体を伸ばした。


「ん、んー……!!」


 当然、服は元のカジュアルな格好に着替えている。

 お茶会用のあのドレスで外に出たら、大通りである。

 目立つというか、とてつもなく浮く。


「どっちかというとその伸びは、俺がやる行動なのでは?」


 かくいうテリーも、元の普段着に戻っている。

 女装は以前にもしたことがあるとはいえ、普段からしたいとは思っていない。

 軽く腰を回すと、関節がそこそこいい音を鳴らした。

 身体を伸ばし終えたエレノアも、姿勢を正した。


「そう言われましても……私も、緊張していたんですよ。ああいう服は殆ど着ませんから、うっかり動いて破いたりしちゃわないかとか」

「ドレスって、ダンスもしますから、そうそう破れるようなことはないと思いますよ。……ああ、いや、お茶会用だから、そういうのとはちょっと違うか。いや、でも軽そうなドレスでしたし」


 少なくとも、テリーの着たドレスは、思ったよりも軽かった。

 これが夜会用のドレスとなると、また違うのだ。一言でいえばズッシリくる。

 それに比べれば、今日のドレスは羽毛とまではいかないまでも、常識的な重さだった。

 などと考えていると、腹の音が鳴った。

 思わずテリーがお腹を押さえると、何故かエレノアも恥ずかしそうにお腹を押さえていた。

 彼女のお腹も鳴ったようだが、それを指摘するほどテリーは無神経ではない。


「お腹が空きましたね」


 エレノアの言葉に、テリーは頷いた。


「それは同感です。……よければご一緒に?」

「そういえば、二人で食事を取ったことはありませんね。ホランドさん、どこかオススメのお店はありますか?」


 ふむ、とテリーは頭の中に大通りの地図を展開した。

 いくつかの飲食店をピックアップする。

 基本的には学生、男子が腹を満たす為の店が多い。その中でも、オススメとなると。


「この近くだと、あるにはありますけど……いや、大丈夫か」

「何か、問題が?」

「いや、東の方のカレーという香辛料の料理を扱うお店があるんですけど、女性を連れても問題ないお店かなと」


 結構男性が多い店ではあるが、店内は清潔で女性客も多い店だ。そこは大丈夫だろう。

 ただ、カレーは辛いので、好き嫌いが分かれるのではないだろうか。

 しかし、そんなテリーの懸念は無用だった。


「カレーですか。私、かなり好きですよ。行きましょう」

「ん? あれ?」


 店の名前も言っていないのに、エレノアが先に歩き出したので、テリーは戸惑った。




 そうして二人が向かった先は、カレー専門店『フラム・モー』。

 テリー行きつけのお店ではあったが、この店のことはまだエレノアには説明していなかった。

 けれど、エレノアの足は迷うことなく、この店に到着していた。


「……あの、もしかして、知っているお店でしたか?」

「ホランドさんもですか?」


 どうやら、深く考えずにエレノアはこの店だと確信していたらしい。もしかすると少し、天然が入っているのかと、テリーは疑惑を抱いた。

 それはさておき、エレノアの問いだ。


「割と来ますね」

「私も、お仕事の交代時などに……時間が合わなかったんでしょうか。とにかく、入りましょう」

「ええ」


 営業中の札が掛かっている扉を開けて、テリーとエレノアは店に入った。




 店内はカウンターとテーブルが幾つか、という造りになっていて、スパイシーな香りが漂っている。

 奥に空いているテーブルがあったので、二人がそちらに向かおうとすると、店内が何故かざわめいた。


「キング……」

「クイーンも一緒だぞ。どういうことだ……?」


 キングというあだ名には覚えがある。

 テリーはこの店の名物の一つ、多くの客を悶絶させてきた激辛カレーの完食者なのだ。

 ちなみにこの国は王制なのでこれは不敬ではないかという疑問を以前、店主に訊いてみたところ、王様が以前お忍びで食べに来て、許可をもらったと本当か嘘かよく分からない答えが返ってきたことがあった。

 仮にこの時嘘だったとしても、一応役所かどこかに確認ぐらいはしただろう。そのままキングが使われているという事は、おそらく問題なかったのだろう。そう、おそらく。

 しかしキングは分かるが、もう一つがよく分からない。


「何か、聞こえてますけど、あの、クイーンというのは?」


 テリーは席に座りながら、エレノアに聞いた。

 普通に考えて、クイーンはエレノアを指すのだろう。


「ホランドさんこそ、キングって何ですか」

「俺のは、あの……あれですね」


 テリーは壁に貼られた、激辛カレーの挑戦者一覧を指差した。

 挑戦はベリーハード以上からで、制限時間以内に食べられれば無料に加えて、特典として特製ドリンクがもらえるようになっている。

 リタイヤ、もしくは制限時間を超えると高額の代金支払いになっており、より早く完食できた者が、ランキングの上位となっていた。


 ベリーハード 一位:テリー・ホランド

 ナイトメア  一位:テリー・ホランド

 インフェルノ 一位:テリー・ホランド

 ヘル     一位:テリー・ホランド


 ヘルは店主も作っている最中に、ゴーグルと手袋が必須という辛さで、周りの客も避難する逸品である。

 テリーもかなり刺激を感じられたが、それでも美味しく頂いた。

 辛い食べ物は、大好きなのだ。ただで食べられて、しかも特典まで頂けるのだから、通うのも無理はないだろう。


「……ダントツの一位じゃないですか」


 心なしか、エレノアの顔が引きつっていた。


「それを言ったら、ハートウッドさんこそ、トッピング全盛り十人前、完食って何ですか?」


 テリーは、激辛チャレンジから少し離れたところに貼られてあった、このお店もう一つの名物、大食いチャレンジの張り紙を指差した。

 こちらは一種類しかなく、テリーの指摘した通りトッピング全盛り十人前である。

 ルールは時間制限あり、完食できなければ代金支払い。

 完食できれば無料と、特典としてレギュラーカレー無料券一枚になっている。


「仕事終わりで、お腹が空いていましたので……」


 こちらは達成者は全員、名前が貼られていたが、横に星があった。

 エレノアは星十個。

 ……完食した回数のようだ。


「あの、ハートウッドさん。一応確認しますけど、無料券って……チャレンジ終わってすぐに使ったりしてます?」

「ご想像にお任せします」


 十一人前を、食べていたらしい。

 よし、レディーをこれ以上追求するのは、マナー違反というモノだろう。

 テリーは、考えるのをやめた。


「俺の場合は、お金を節約したい時に、ちょっとお世話になっているというか。……ちなみにこのお店、見ての通り、ちょっとずつ辛さのレベルがアップしているんですよね。でも、味のクオリティは落ちてない」


 テリーの感想に、エレノアも頷いた。


「分かります。カレー自体が、とても美味しいんですよね。もうちょっと味わって食べたいんですけど、さすがに食べきれなかった時のペナルティーが痛いので、制限時間内には完食していますけれど」


 さて、とテリーはメニューを広げた。


「今日は、どうします?」


 どうも、周りの客が期待している雰囲気があるが、テリーはそれに応える必要はないと思っている。


「普通程度に留めておきます。……三人前ぐらいに」

「おおう。じゃあ、俺も、ベリーハードぐらいにしておきます。ナイトメア以上は、周りの人達の目にも来るみたいなので」


 テリーは何故か平気だが、何故平気なのかと問われると、自分でもよく分からない。

 耐性があるとしか言いようがなかった。

 エレノアは大食いはすごそうだが、だからといって辛さに極端に強いという訳でもなさそうだ。

 テリーも常識的な辛さにしておくべきだろうと、自重することにした。


「それはそれで見てみたいですけど、好奇心で目を潰したくないので、やめておきましょう」

「ご飯は、美味しく食べるモノです」


 テリーは、カウンター近くにいた給仕に手を上げた。注文票を手に、給仕がこちらにやってくる。


「まったく、同感です。……何か期待されているみたいですけど、しませんからね?」

「対決とかしません。ジャンルが違いますし」


 周りの客達は残念そうだが、それ以上の要求はしてこなかった。

 こういう客層も、テリーは嫌いではなかった。


 ◇◇◇


 ベンブルック公爵邸。

 シャーロットの部屋で、エレノアはテリーとのその日の行動を報告した。


「それで、完全にデートを楽しんだ、と」

「いえ、そういう訳では」


 背筋を伸ばしたまま、エレノアはブルブルと首を振った。

 シャーロットは、天蓋付きのベッドに勢いよく飛び込んだ。クッションの効いたベッドが、シャーロットの身体を柔らかく受け止める。


「あーあ、こっちはレオン殿下やその取り巻き達と戦わなきゃならないのに、エルは仲のいい男の子と楽しんで。やってらんないわー」


 大きな枕を抱きしめたまま言うシャーロットに、エレノアは頬を赤らめたまま否定した。


「で、ですから、そういうのではなく、お茶会の準備でした。それが終わった後、ご飯を食べただけです」

「でも楽しんだ」


 シャーロットの目が、ジトリと細まった。


「食事を、美味しく、楽しめるに超したことはありません」


 エレノアは胸を張って言う。

 まったく嘘偽りない、本音であった。


「モノは言いようね。報告はいいとして、頼んでおいたことは聞いてくれた?」

「お茶会への招待状に使う偽名ですね」

「そ。まあ、こっちで適当な名前を使ってもよかったんだけど」


 男子禁制のお茶会である。

 招待状の宛先が『テリー・ホランド』では困るので、適当な名前が必要だった。

 なので、テリーとの別れ際に聞いてみたのだ。

 すると、長く悩むこともなく、テリーはこう答えたのだった。


「名前は『ライア・ドーシャ』にして欲しいとのことでした」

「……『ライア・ドーシャ』!?」


 枕を抱いたまま、シャーロットがガバッと起き上がった。

 あまりの勢いにエレノアは驚いたが、顔には出さない。なるべく表情を変えないのも、仕事の一つである。


「そうですけれど。何か問題がありましたでしょうか」

「いいえ、問題はないわ。ただ、聞きたいことが一つ増えただけ。あと、ホランド商会について、もうちょっと調べておきたいわね。何に出資しているのかとか」


 さっきまでとは明らかにシャーロットの様子が違う。

 妙にソワソワし出しているシャーロットに問い質したいところだが、侍女がやってよいことではない。

 何より、シャーロットの要望が最優先だ。


「分かりました。他には何かありますでしょうか」

「お茶会の日には、ウチの絵師を一人呼んでおいて。それと、貴方はホランド君のコーディネートしたドレスを着用すること。スケッチ見たけど、なかなかいいじゃない」

「っ……!? わ、私にはお嬢様をお守りする仕事があります」


 そういう意味では、今着ている侍女用の制服が、一番しっくりくる。暗器も隠せるし、エレノアの動きに最も適した服装なのだ。


「けれど、その日はホランド君を案内する仕事が優先。平民だから貴族の慣習なんて知りもしないでしょうし、多少の無礼は大目に見るとしても、それでもお目付役は必要でしょ?」

「分かりました……」


 シャーロットの言うことはもっともだし、こうなると抗うのは難しい。

 実際、テリーをサポートする必要はあるのだ。

 この家の関係者で、一番それに適しているのは、間違いなくエレノアであった。


「心配しないで。ドレス代はホランド君のと一緒に、こちらで払っておくから」

「そちらの心配はしていないのですが……」


 慣れない服装(ドレス)をまた着ることになり、小さくため息が漏れるエレノアであった。


 ◇◇◇


 公爵邸の巨大な正門が、ゆっくりと開いていく。


「デカ……広……」


 ハートウッド子爵家所有の馬車から顔だけ外に出したテリーだったが、公爵家の財力に圧倒されていた。

 風に揺れるくすんだ金髪のウイッグを、手で押さえる。それほど強い風ではないが、うっかり落としたら大変なことになる。

 テリーは、ここに来る前に女装は済ませてある。見た目はもう、完璧にどこかのご令嬢であった。

 それにしても、とテリーは馬車が進む正面庭園を眺める。

 庭だけでこれ、街の何ブロックかが入るのではないか。


「それはもう、公爵邸ですから」


 エレノアは平然としている。

 公爵令嬢のシャーロットの護衛をしているのだから、当然だ。

 巨大なのは、門や庭園だけではない。

 少しずつ近付いている、屋敷もそうだ。

 まだ遠い。なのに、その大きさがここからでも分かるのだ。


「あの屋敷とか、殆どもう城じゃないですか」

「そうですね。案内は私が務めさせて頂きますが、はぐれた場合、迷子になることも覚悟しておいてください」

「そんなに!?」


 テリーは、改めて屋敷を見た。

 いや、横幅だけでも大したモノだが、奥行きだっておそらくテリーの想像している以上の可能性がある。

 最悪、自分が何階にいるか分からなくなる恐れもありそうだ。


「一人で行動しているのが邸内の場合、警備の者に不審者として捉えられる可能性があります。一方外だと森もありますので、迷子どころか遭難の危険性もありますね」

「……冗談ですよね?」


 邸内はまだともかく、外の方はさすがに……しかし、エレノアは、微笑みを浮かべているだけだった。


「どちらも割と本気です」


 テリーは決心した。


「ハートウッドさんから、目を離さないように行動します」

「それはどちらかといえば、私の台詞なんですけどね」

「……というか、門を潜ってからまだ、馬車下りないんですね」

「はい。歩くとかなりの距離になりますから」


 馬車は緩やかな速度で、屋敷に近付いてはいる。

 近付いているが、いつ着くのか。


「……公爵家、すごい」


 まだ、かなり掛かりそうだと、テリーは馬車の座席に座り直した。




 屋敷に到着してからも、長い廊下を歩くこととなった。

 テリーが通されたのは、見事な薔薇の咲き誇る庭園だった。

 白いテーブルクロスが掛けられた長いテーブルには、鮮やかな花が生けられた花瓶が並んでいる。左右には色とりどりのドレスを着た令嬢が座り、その奥には一際目を引く美貌とドレスの少女が座っていた。

 目の醒めるような見事な金髪に強さを感じる青い瞳、ドレスは白地に金の縁取り。アクセサリー類も金色でまとめられている中、組んだ手の上に顎を載せ、弧を描いている赤い唇が印象的だ。

 このお茶会の主催者、シャーロット・ベンブルックだ。

 普通こういう場合、口元って扇で隠すモノってどこかの本で読んだ気がするが、彼女はそうしていない。

 他の令嬢達はどうか。

 何やら、こちらを見て目を見開いたり、隣の令嬢と小声で囁き合ったりしている。

 そんなに、自分の格好はおかしいだろうか。いや、女装しているのだから、男子としては普通におかしいのだが。

 と思っていたら、彼女は扇を広げた。これまた、いい扇だなぁ、とテリーは感心した。当たり前だが、この屋敷には安物は何一つ、存在しないらしい。

 ……一番手前、つまりテリーの席の前に飾られた花瓶の花は、事前にテリーが公爵邸に贈ったモノだ。いや、これだってかなり奮発したのだ。安物じゃないぞ!

 そして、彼女の行動一つで、テーブルの左右に座る令嬢達が、姿勢を正した。


「ようこそ、ホランドさん。ベンブルック家へ。私が、シャーロット・ベンブルックですわ」

「ほ、本日は、お招きいただき、誠に光栄です。ライア・ドーシャこと、テリー・ホランドです」


 テリーは、スカートの裾を摘まみ、頭を下げた。


「あら、殿方のカーテシーにしては、ずいぶんと様になっているわね」

「じ、事前に、ハートウッドさんから……あ、いや、この場合はハートウッド嬢? です?」


 普段通りにすべきか、こういう場では呼び方を変えるべきか。

 迷っているテリーに、シャーロットは扇を閉じた。微笑んでいる。


「どちらでも呼びやすい方でいいわ。こちらが招待した側ですもの。ホランドさんなりの礼節を保って頂ければ、それで結構です」

「あ、ありがとうございます。カーテシーは、ここに来る前にハートウッドさんから少し、教わりました」


 一応及第点はもらえているので、無様は晒していないと思う。

 そんな風に考えているテリーに、シャーロットが声を掛けた。


「その前にも、少し覚えがあるのでは?」

「はい?」

「『ライア・ドーシャ』という偽名ですけど、別の場所でも使用したことがあるのではなくて?」

「え、あ、は、はい!? ……も、もしかして、ご存じで?」


 カーテシーの他、貴族の礼儀作法は実は、もっと以前に教わったことがあった。

 といっても、本物の貴族からではない。

 ホランド商会が後援した、旅の劇団の一座からである。

 当時、十歳にも満たなかったテリーだったが、色々と経験を積めという親の指示で雑用係をしていた。実際、色々な経験をしたが、その中には体調不良で倒れた子役の代役も含まれていて、その時に使った偽名が『ライア・ドーシャ』だったのだ。

 カーテンコールで名乗る時に、テリー・ホランドでは差し障りがあったし、貴族令嬢役の少女として出演していたので、それっぽい名前をでっち上げたのである。

 そんな、ごく短期間しか使わなかった偽名の出処を、公爵令嬢が指摘したのだから、テリーは驚くしかない。

 公演だって、一週間程度しかなかったし、何より場所は平民が使う市民広場だった。

 公爵令嬢と接点なんてないだろうに、何で知ってるのさ。

 テリーは大いに戸惑ったが、シャーロットに尋ねる無礼を働く訳にもいかない。相手は、大貴族のお嬢様なのだ。


「さすがに、幼子とはいえ殿方が演じていたというのは、盲点でしたわ。ですが、その話はまた後にしましょう。どうぞ、お座りになって」


 シャーロットが手で指し示したのは、かなり離れているとはいえ彼女と対面となる、テリーの目の前の席だ。

 横に並んでいる椅子は、エレノアの席だろう。

 メイドがスッと現れ、椅子を引いた。


「あ、ありがとうございます……っと、すみません!」


 テリーは席に座ろうとしたが、直前でやめた。

 直立したまま、右手を挙げて硬直する。

 どうしたのかと、左右の令嬢がこちらを見たり、互いの顔を見合わせ合ったりしているが、テリーとしてはそれどころではない。


「どうかいたしまして?」

「本当に失礼な、それもこちらからこういう問いをするのはいいのかどうか分かりませんが、その、本当によろしいのでしょうか!?」


 何しろ、己の命の危機である。

 同時に失礼というか無礼を働けば、それはそれで死ぬかもしれない。

 今、テリーはそういう状況にあるのだが、傍目には突然椅子に座るのをやめて、直立不動で変なことを言い出す変人だ。

 さすがのシャーロットも戸惑っているようだった……が、自然に口元を扇で隠す辺りはさすがだった。


「本当に、話が見えないわ。どういうことなの?」

「言ってよろしいでしょうか」

「どうぞ」

「警備の人が、俺、いや、私が動くたびにすごい殺気を放ってきてて、困ります」


 そう、木の上に潜んでいる人物が、テリーに向かって殺気を放っているのだ。公爵家のお茶会が開かれている庭園だ。さすがに泥棒ということはないだろうし、他にも潜んでいる者が数人いる。なので、テリーは警備と推測した。


「どういうこと?」


 シャーロットは壁際に立つ、メイドを見た。なるほど、姿勢がいいし、ここにいるメイド達は皆、警備の役目も果たしているようだ。

 ただ、殺気を放っているのは、彼女達ではない。


「あ、いや、そちらではなくて。木の上に潜んでいる人の方です」

「は!?」

「お嬢様が驚かれているという事は、おそらく閣下の手配ですね」


 それまで、テリーの後ろでずっと気配を潜めていたエレノアが、口を開いた。

 はぁ……と、シャーロットはため息を漏らした。


「まったく過保護なんだから。……私が招待した客です。失礼な真似は許しませんよ」


 すると、木の上の気配が、スッと薄れていった。


「すみません、よろしくお願いします」


 シャーロットと話すたびに、殺気が漏れていたのだ。おそらく、平民の、それも男が彼女と話すことが気に食わないとか、そういうことなのだろう。

 あー、でもこれ、なんか納得してない感じだなあ……でも、シャーロット様の命令だし、多分大丈夫だろう。多分だけど!


「謝ることなんてないわよ。そうだ……ふふ、庭に潜む警備を見抜いたようだけど、全部で何人隠れているか分かるかしら? せっかくだから、他のみんなも考えて?」


 シャーロットの突然の出題に、お茶会の参加者達はにわかに盛り上がった。


「まったく分かりませんわ」

「本当に、潜んでいますの?」

「あっ! ひ、一人おりましたわ」

「お見事です」


 そんな風に令嬢達が騒ぐ中、テリーは隠れている警備を数えていった。


「それでホランドさん? 貴方の答えは、何人かしら」

「あ、えっと、九人……ですよね?」


 すると、シャーロットの視線が逸れた。

 後ろのエレノアに、確認しているようだ。

 エレノアがどういうリアクションを取ったのかは、テリーには分からない。

 なので、依然として正解は分からないままだ。

 シャーロットの表情から読み取ろうとしたら、扇で口元を隠されてしまった。


「特に難しかった二人が、どこに隠れているか、教えてもらえる? ああ、言い当てられた人は出てきてね」


 シャーロットが、庭園を見渡して言う。

 さて、とテリーはシャーロットの右斜め後ろの木に視線をやった。


「じゃあ、一番難しかったのは……そちらの木、というか正確には潜んでいません。普通にいます。茶色と緑の服を着てます」

「えぇっ!?」


 令嬢達が、一斉にそちらを見た。

 さすがにシャーロットはそこまで驚くことはなかったが、目を見開いて、やはり同じ方角に首を回した。

 そう、そこにいるのだ。

 隠れていたというか、潜んでいた人物が、木とズレてその姿を露わにした。感情の読めない顔をした、女性だった。


「気配を消してるというか、溶けてるというか、それですごく分かりづらいんだと思います。あともう一人は、そちらの茂みがそうです。これも茂みに潜んでいるとかじゃなくて、茂みそのモノです」

「ちょっ!?」


 こちらは斜め左、一見すると庭師の巧みな仕事のように見える丸い茂みが、潜んでいた二人目だった。

 テリーが指摘すると、丸かった茂みが動き、立ち上がった。顔は緑色の覆面に覆われていて、表情は分からない。こちらも、女性だ。

 令嬢達からは、悲鳴が上がった。


「えっと、すみません。仕事の邪魔をしてしまい……」

「ふぅ……なるほど。二人は仕事に戻ってちょうだい」


 シャーロットが言うと、木の傍にいた女性は再び気配を溶かした。茂みに擬態していた女性は別の場所で仕事に戻るのだろう、薔薇の植え込みの向こうへと消えていった。


「ちなみに今の二人は、ウチの警備じゃないわ」

「え、それはまずいんじゃないですか!?」


 警備じゃないなら、部外者ではないのか。いや、それにしては皆、落ち着き払っている。


「平気よ。いわゆる王家の影ってヤツだから。ウチの警備は七人だったの。そこまでは、エルも分かったみたいなんだけど……どうして、分かったの?」


 テリーとしては困る質問だった。


「いや、どうしても何も、見たまんまだったというのもあるんですけど」


 テリーの答えに、シャーロットは軽く噴き出した。


「ぷっ……失礼。続けて」

「まあ、その、多分色々と、家で見てきたからでしょうか。偽物の美術品とか、父と取引先のやり取りとか」


 だから、『違和感』にはちょっと敏感なのだ。いちいちそれについて考えているとキリがないのだが、今回は一種のテストみたいなモノだったので、真面目に頭を使った。結果、見つけたのは王家の影だったのだが。


「なるほど、経験から身についた観察眼という訳ね。面白いわ」

「それにしても、そうですか。王家の影……」


 となると……王太子が計画している婚約破棄について、王族は把握していることになるのだが、それなのに……。


「何か?」


 シャーロットの問い掛けに、テリーは思考を中断した。

 かといって、中断した考えを口にする訳にもいかなかったので。


「あ、いえ。すごい隠形術だなと思いました」


 そんな風にテリーは答えた。実際、テリーだって最初はちょっとした違和感程度しか憶えなかったのだ。あんなあからさまに木の前にいるのに。


「貴方には見抜かれちゃったけれどね。と、余興はここまでにして、いい加減に座って。このままじゃ、お茶もお菓子も楽しめないでしょう?」

「失礼します」


 言われてみれば、テリーもエレノアもここに来てから、立ったままだ。

 二人は並んで、席に着いた。

 すると、メイド達が動き出し、静かにお茶の準備が整えられていく。

 数分もしないうちに、テーブルには様々な茶菓子が並べられ、テリーの前にも湯気の立った紅茶の入ったティーカップが置かれた。


「さて、お茶が行き届いたところで、本題に入りましょうか」


 楽しそうに、シャーロットが手を合わせる。

 その目は、テリーに向けられていた。

 周りの令嬢達も、同じくテリーに注目していた。こちらを見ずに静かに微笑んでいるのは、エレノアだけだ。

 つまり。


「俺、じゃなくて私が本題なんですか!?」


 招待を受けたし、おそらく自分が立ち聞きしてしまった王太子達の計画の詳細を知りたいというのは分かるが、メインだとは思わなかったテリーであった。


「ふふふ、本来は派閥の令嬢を集めて親睦を深める事がこのお茶会の目的なんだけれど、今日の主役はホランドさん、貴方ですわ。それ以外にも色々と聞きたいことは沢山あるけれど」

「き、緊張しますね」


 相手は公爵令嬢、周りの令嬢達も貴族で、しかも周囲には警備に加えて王家の影もいる。

 テリーに拒否権は、なかった。


「そんなに難しいことではないわ。単にこちらの質問に答えてくれればいいだけだもの。それに、答えられないような質問を用意したつもりもありませんし。それで、何より聞きたいのは、貴方の思惑ね。どうして、エル――エレノアを介して、私に殿下が行う予定だった婚約破棄計画を、教えてくれたの? 何か、褒美が欲しかったのかしら」


 シャーロットにそんな事を言われて、テリーは戸惑った。


「ほ、褒美ですか?」

「ええ、そうよ? 何かを望んで、公爵家に婚約破棄のことを教えてくれたのではなくて?」

「あ、あー……」


 どうしよう。

 テリーは何か言わなければとは思ったが、考えれば考えるほど、思考が空転した。


「ホランドさん?」

「す、すみません。そうか、ああ、そりゃそう考えますよね……」

「まさか、考えてなかったの?」


 シャーロットも、目を丸くしていた。


「いや、動機に関しては完全に自分の為でしたし……褒美というのは頂けるのでしたらそれはとても光栄なことですが、正直、まったく頭にありませんでした」

「そう」


 テリーにだって、欲はある。

 でなければ、商人なんてやっていられない。

 ただ今回は、自分ではどうにもならないことを、公爵家に代わりにやってもらっているという意味合いが強い。

 礼をと言われても、逆に俺の代わりに仕事をしてくれてありがとうございますと言いたいぐらいだったのだ。

 まあそれを口にするほど、テリーは謙虚ではなかったが。


「それで今、お話に出た褒美に関してですが、思い付いたことが一つあります。でもそれは、順序を置いて話をしてからじゃないと拗れるモノだと思うので、保留にさせてください」

「それってもしかして、今聞いたら私が不機嫌になる内容なの?」


 シャーロットは、目を細めた。

 左右に座る令嬢達が、その様子に気圧されていた。

 テリーは、気圧されている場合ではない。


「分かりません。けれど、ややこしいことになる気はします」


 シャーロットが扇をパチンと鳴らすと、圧が消えた。


「そ。なら、楽しみにしていましょう。もちろん? 叶えられるかどうかは別だけどね。話を戻しましょう。褒美を求めてもいなかったのに、それなのに何故、我が公爵家との接触を試みたの?」


 なるほど、とテリーは思った。

 思惑が分からない相手からの情報提供、というのは気持ちが悪いのだろう。

 テリーの思惑を問い質したかったのか。

 なら、後ろめたいこともないし、正直に答えるだけだった。


「ハートウッドさんを介して公爵家に計画をお伝えしたのは、一番確実に阻止できる力を有していそうだったからです。利害関係を考えても、一番聞く耳を持ってくれそうでした。ハートウッドさんを頼ったのは、たまたま、ベンブルック公爵家と繋がりがあることを知っていましたし、人柄的にも他に漏らすことはないかなと思ったからですね」

「商会、つまり親を頼らなかったのは何故? ホランド商会は、幾つかの貴族とも懇意にしているはずよ」


 確かに、親を頼ればもう少し、話は早かった。

 しかしそれができない事情があったのだ。


「それは最初考えましたが、クローバー男爵令嬢の取り巻きの一人が、恥ずかしいことにウチの長兄なんです。両親に相談した結果、うっかり長兄を叱責した場合、婚約破棄計画が漏れたと気付いた王太子殿下達の行動が読めなくなってしまいます」

「そこで、殿下が計画を諦めるという可能性は?」

「勿論ありましたが、諦めなかった場合、うっかり学園の食堂辺りで婚約破棄騒動が起きるかもしれません。なので、親を頼るという選択肢はありませんでした」

「食堂……それはまた、締まらないわね」


 シャーロットは苦笑いを浮かべた。

 テリーが最も恐れたのは、王太子やその取り巻き達の行動が読めなくなることだった。

 予想外の行動を起こして大惨事、では困るのだ。

 さて、とシャーロットは笑みを消して、テリーに向き直った。


「殿下達が話していた婚約破棄計画を貴方が立ち聞きして、四日してからエレノアに相談したわね。この空白の期間は何故?」

「ああ、それは、その、色々と準備もあったのですが、その前に王家が接触してくるかもしれないと思って、待っていました」

「何故、そこで王家が出てくるのかしら」

「あ、その時点では王家とは分からなかったんですけど、えっとほら、今さっきの王家の影です」


 テリーは、木の前にいる王家の影を手で指し示した。

 なるほど、と頷いたのは、隣にいたエレノアだった。


「シャーロット様に王家の影が付いている以上、当然王太子殿下にも付いています。立ち聞きした時点で、その存在に気付いていたということですね?」


 王家の影という存在は知らなかったが、立ち聞きしていたテリーはそうした人物がいたことに気付いた。

 それは相手も同じで、こちらのことに気付いていたのだ。


「そうです。王太子殿下の計画を聞いていたのは、私だけじゃなかったんです。でも、私には何の接触もなかった。普通口止めしますよね。口外するなと」


 なるほど、とシャーロットも納得したようだった。


「……王家の影の立場からすれば、まずは王家への報告が優先される。現場にいた人間の口止めも、その時点でするか後でするかは場合によるわね。この場合は後者だった訳だけど、そうだとしても四日も放置はおかしい。貴方の言う通りね。貴方の見解は?」


 王家が何を考えているかなんて、テリーには分からない。

 が、推測しろと言われれば、それに応えるしかない。


「私が口止めされていない理由は単純に、そんなリスクを冒すとは思われなかったか、仮に言いふらしたとしても事を収める力があったからかな、と考えます。平民が王太子殿下が婚約破棄を計画しているぞ、なんて発言は、例え事実だとしても不敬でしょっ引かれて牢獄行きでしょう」


 シャーロットは自分の首に指を当てると、スッと横に切った。


「その後、首を刎ねられるわね。それと、王家の権力は貴方が思っている通り、平民の発言なんて、幾らでも握りつぶせるわ」


 おっかねえ、とテリーの身体から、冷や汗が出ていた。

 その間も、思考は休めない。

 苦し紛れに出した自分の答えと、シャーロットの言葉。

 これを組み合わせて、次の言葉を紡いだ。


「王太子殿下の計画がちゃんと王家に伝わっていたと仮定した場合になりますが、考えられることは二つです。一つはいざとなればすぐに止められると思っている。もう一つは……王太子殿下がまさかそんな馬鹿なことを本気でするとは考えていない。……という風に私は思っています。今の時点でも、王太子殿下とその取り巻きの人達は、クローバー男爵令嬢と接触し続けています。それはつまり、王家は王太子の計画を知った上で、黙認しているという事ですよね? ……まあ、私の知らないところで、王太子殿下の婚約者であるシャーロット様と、公爵家には何かしらの行動を取っているのかもしれませんが」

「何も言ってきていないわね。私に関わることだし、王家からお父様に伝えられていれば、私にも話は通るわ。でも、それもない」


 つまり、王家は沈黙を貫いている、ということだ。


「さすがに王家と高位貴族の間の話まで私に知る術はありませんでしたが、とにかく四日待ちました。もっと正確に言うなら、どうやってこの婚約破棄計画を阻止するか、四日悩んで、そしてハートウッドさんを頼った、という流れになります。それと、この私の行動ですが、本当に私自身の為なのです。それが最優先でした」


 これは危険な発言だな、とテリーは自分で思った。

 今のところ、公爵家とは敵対していないが、味方でもない。

 不機嫌になれば、罰せられるかもしれない。

 かといって、目の前のシャーロットという公爵令嬢は、腹に一物抱えたまま、やり過ごせそうにもないのだ。

 自分の思惑を、答えるしかない。


「詳しく聞きましょう」


 シャーロットの許可が出て、テリーは口を開いた。


「私は将来、商人になります。実家の商会の中で働くという道もありますが、自分の店を持ちたいという野望があります。なので、王太子殿下に公衆の面前で婚約破棄なんてされては、困るんですよ」


 何より、テリーの動機はこれが全てだ。


「貴方の野望と、婚約破棄計画の間の話が、スッポリ抜けている気がするわね」


 店を持ちたい。

 だから、婚約破棄の阻止をしなければならない。

 テリーの中には答えが出ているが、確かにこれでは他の人達は分からないだろう。

 左右の令嬢達も、首を傾げている。


「そうですね……どういえばいいんでしょうか。王太子殿下は王族です。王族、つまり王家はこの国の顔、いわば代表です。大袈裟な表現をすれば国そのモノと言ってもいい」

「確かにそれは大袈裟かもしれないけれど、かといって間違いでもないわね」

「つまりですね。王太子殿下の画策する婚約破棄計画は『国の代表が、書面を交わした正式な契約を、己の感情一つで破棄する』ということなんですよ。卒業パーティーですから、それなりの数がいる他国の留学生も参加します。勿論、王族や貴族の」


 テリーの答えに、シャーロットの顔から心なしか、血の気が引いたように見えた。

 分かったのだろう。

 婚約破棄が、国を傾ける可能性があるということに。


「……この国そのモノが、そういうことを仕出かしかねない国だと、他国からは見做されるってこと?」


 微かに、その声は震えていた。


「はい。でも、どちらかといえば、相手が本当にそう思うかどうかよりも、シャーロット様の仰る通り、他国からそう見做される、という所が問題です」


 そこで、スッと右にいた令嬢の一人が、手を上げた。


「あの……ちょっと、よく分からないです」


 他の多くの令嬢も、同様のようだ。

 確かに、テリーとシャーロット、おそらくエレノアも理解しているようだが、分からない人がいるまま話を進めるのもよくはないだろう。

 テリーはもう少し、分かりやすく説明することにした。


「ええと、つまり契約の際に揉めるんですよ。貴方の国は信用できない、と。『書面を交わした正式な契約でも、そっちが一方的に破棄するんじゃないか?』ってこの国が思われるようになるんです。それも一回だけじゃなく、契約のたびに。何回も。何年も。ずっとです」

「外交が破綻するってこと」


 シャーロットが言葉を加えると、理解した令嬢達は騒然となった。


「一般的な外交だけではなく、平和条約とか不可侵条約とか、そういうのにも関わります。軍務大臣がぶっ倒れます。貿易にも関わるので財務大臣もぶっ倒れます。外務大臣は一番最初にぶっ倒れます。メチャクチャになるんです」

「で、でも、お優しい国なら、そういうことはないかも……」


 別の令嬢が、そんなことを口にした。

 テリーはそれを馬鹿にすることなく、真面目に頷いた。


「あるかもしれません。しかし、多くの国は、自国の利益を得る為なら、弱っている国があるなら遠慮なく、その弱い部分を突きます。そしてこれは、民間にも適用されるんです。ホランド商会は、他の国の商会とも取引をしています。絶対、同じことを言われます。貴方の国は契約自体が信用できない、と。そうして、不利な契約を結ばされることになります。何故確信しているかというとですね、もしも余所の国で同じような婚約破棄が行われたとすれば、私が商人なら同じことをするからです」


 テリーが言うと、令嬢達は非難するような目をテリーに向けてきた。

 パチン、とシャーロットが扇を閉じる音で、令嬢達はハッとした。


「勘違いしちゃ駄目よ。これは卑怯でも何でもないの。弱みを見せる方が悪い。そういう事ね?」

「はい」


 テリーは、何一つ悪びれることはない。

 相手が弱っているならそこを突く。商人ならば当然のことなのだ。

 勿論、テリーだけではない。

 国だって同じことをするだろう。

 ふぅ、とシャーロットがため息を漏らした。


「完全に理解したわ。貴方が必死に動いた理由。本当に、自分のこと最優先だったのね。将来、自分がこの国で商売を立ち上げた時、不利にならないように行動する必要があった」

「はい。褒美が、とかそういうことを考えている余裕なんて、なかったんです。知らなかったのならともかく、王太子殿下の話を聞いてしまった以上、行動するしかありませんでした」

「お父様も動いているとは思うけど、念押ししておくわ」

「それについてですが、公爵夫人の方に相談されるのもいいかもしれません」


 テリーの提案に、シャーロットは首を傾げた。


「何故かしら。お母様は、お父様の仕事、政治には関わっていないわよ」

「王太子殿下の婚約破棄計画についての話に戻りますが、王家は動いていません。考えられるのは本当にやるとは思っていない、というのが私の推測だと、さっき申し上げました。それに絡むのですが、男が浮気をした時、『若気の至り』とか『学生でいる間のちょっとした火遊び』とか、そういう風に軽く考える風潮があります」

「ああ、直接聞いたことはないけれど、何故かよく聞く話ね」


 シャーロットは微笑みながら頷いた。

 テリーは指を二本立てた。


「これを言う人は、大きく二種類です。一つは同性である男。女性はあまり言いません。女性が浮気をした場合でも、あまり聞かない気がしますね。いるにはいると思いますが」

「今の若気の至りとかそういうのは、貴方も同じ考えなの?」


 シャーロットは楽しそうだが、何だか周りの令嬢達の目が冷たい。

 テリーは肩を竦めて、首を横に振った。


「いえ、男の方も知っているだけで、共感する人間なんてごく少数ですよ。具体的には、自分も同じように浮気している男とか」

「なるほど。もう一種類は?」

「やらかした男の、身内です」


 なるほど……という納得の空気が、令嬢達の間で広がった。


「……つまり、お父様は男であるから、どちらにも該当しないお母様にも話を通しておいた方がいい、という訳ね。お父様が、一般的な不貞という行為を容認しているかどうかは分からないけれど?」

「当然の話ですが、公爵閣下に関して含むところは、何一つありません」


 一応、弁解しておく。


「分かっているわよ。そうね、お母様は顔が広いから、各大臣の夫人とも親しいわ。そちらから、味方を増やしてもらうのもありでしょうね。王妃様は、あの王太子殿下の母親だから、味方とは言い難い……というか、王家が動いていない現状を鑑みると、間違いなく庇う側でしょうし。他に、やっておいた方がいいことはあるかしら?」


 テリーは少し考え、左右の令嬢を見渡した。


「そうですね。……ここにいる人達には少し、デリケートな話になるかもしれません」

「私達?」

「はい。クローバー男爵令嬢に関する事です」


 シャーロットの問いに、テリーは頷いた。

 そして、周囲が数度、冷え込んだような空気になった。

 迂闊なことは口にできなさそうだ。


「それは……確かに、ちょっとデリケートね」


 シャーロットの態度はこれまでと変わらないが、令嬢達はそうではない。表情も身体も、強張っているようだ。

 しかし、これは話さなければならない内容なのだ。


「彼女の関してですが、私は学園内で同じクラスメイトという以外に接点はありませんでした。王太子殿下やその取り巻きの寵愛を受けている男爵の娘。元は平民だったが、男爵の先妻が亡くなって、市井にいた母親と共に、男爵家で暮らすことになった。というのが、聞いていた噂です」

「私も、その噂は聞いているわね」


 シャーロットは否定せず、ふむと頷いた。

 その様子を確認し、テリーは気を引き締めた。


「……ここから幾つか、本当に失礼な質問をさせて頂きます。よろしいでしょうか」

「私の名誉に関わることかしら」

「場合によっては」


 シャーロットは姿勢を正し、テリーを直視した。


「公爵家の娘、シャーロット・ベンブルックの名に誓って、貴方を罰しないことを約束します。もちろん、ここにいる全員を含みます」

「ありがとうございます。では伺います。シャーロット様は、クローバー男爵令嬢に興味はないのでしょうか? この場合は、王太子殿下の寵愛を受けている事への嫉妬だとか、そういうモノはないとしても、王族や高位貴族とみだりに接する男爵令嬢、という存在とか、そういう事も含めてです」


 シャーロットは目を細め、扇で口元を隠した。


「本当に失礼な問いかけね。先に誓っていなかったら、何らかの罰を与えていましたわ。興味……興味深い存在ではあるわね。不快という感情も、ないわ。一人の女性を複数の男性で共有する、という事はおぞましいけれど、現実問題としてはいずれ破綻してしまうでしょう? どうでもいい、というのが正直答えになるわね」


 だろうなあ、とテリーは思った。

 クローバー男爵令嬢のことを少しでも気にしていたのならば、今のテリーの発言にも何らかの反応があったはずなのだ。


「という事は、やはり男爵令嬢について、調査などは行わなかったのですね」

「何か、問題があったの?」

「シャーロット様にとっては取るに足らない問題です。まず、クローバー男爵令嬢は庶子ではありません」

「ん?」


 シャーロットは首を傾げ、令嬢達もざわめいた。

 気にせず、テリーは話を続ける。


「その、男爵が結婚していながら、平民と浮気をして作った子ども、というのは事実ではありません。彼女は、両親やその親族に祝福されて、生まれました。一方で元平民だったというのは事実なので、少しの事実が紛れている分、噂に真実味があったのでしょう」

「男爵家で生まれたけれど、平民ってことなの?」

「これは少しややこしい事情があって、今のクローバー男爵は、男爵家の三男でした。長男が男爵家を継ぎ、次男がそのスペア。この辺は、私とも被りますね。三男である……すみません、名前を存じ上げていないので、この場合は『彼』とさせていただきます。彼は平民となって市井に下り、花屋の娘さんと結婚しました。そうして生まれたのが、クローバー男爵令嬢です。この時点では、ただのミリスさんです」

「長男と次男に、何かあったのね」


 さすがシャーロットは察しがいい。その通りだ。


「クローバー男爵家は領地はありませんでしたが、小さな鉱山を所有していました。その調査中に崩落事故がありまして……夫人は、その報告を聞いて衰弱し、そのまま。お腹には赤ちゃんがいたそうです。次男夫妻は、当時の流行っていた病に二人とも罹ってしまい、やはり亡くなられました。こちらもまだ、子どもはいませんでした」

「……引退していた前男爵が、市井で暮らしていた三男の『彼』を妻と子どもも一緒に男爵家に戻し、跡を継がせた」


 テリーの話の流れを汲み、シャーロットが続きを答えた。


「滅多にないことですが、そういう事だそうです。少なくとも噂で流れている形の庶子では、ありません。そして、クローバー男爵令嬢に興味がないという話でしたが……彼女が虐めを受けていた事について、関わりはありませんか?」

「虐めですって?」

「はい。筆記具を壊されたり、ドレスを破かれたり、噴水や階段の上で突き飛ばされたりと、そういった被害がありました」

「私は関わっていないわ」


 シャーロットは断言した。嘘ではないようだ。


「そうですか……」


 ただ、左右の令嬢達は違う。

 何人かの様子が、目を逸らしたり、落ち着かないように身体を揺らしたり、不自然なモノになっていた。

 それを、シャーロットも見逃すことはなかった。


「貴方達に、聞きたいことがあります」

「っ!」


 令嬢達が、身体を強張らせた。


「クローバー男爵令嬢に、危害を加えたことがある者は、名乗り出なさい。これは、命令よ。声を上げられないなら、手を上げるだけでもいいわ」


 すると、何人かの令嬢がおずおずと手を上げた。


「そう……」


 すると、シャーロットに一番近い、右の席に座っていた令嬢が、頭を下げた。


「も、申し訳ございません! 王太子殿下の婚約者であるシャーロット様を差し置いて、あの方にすり寄る彼女が、あまりに不快で……」

「それは、何について謝っているのかしら。そもそも、私と王太子殿下は政略結婚で、愛がないのは分かっていたでしょうに。私のせいにしているけれど、それは私をダシにしているだけで、ただ、貴方達が不快なだけでしょう? 謝るなら、その部分ね」


 シャーロットと令嬢の話の途中だが、テリーは手を上げた。


「そのことについても、少し話をさせていただきます」

「そのこと、というのはどの部分になるの?」

「ええと、そもそも、クローバー男爵令嬢は、王太子殿下やその取り巻き達を侍らせてはいません」

「それは、さすがにおかしいわ。私も、彼女が王太子殿下達と一緒にいるのは見たもの。それに、夜会でも私を差し置いて、エスコートやダンスの相手をしていたわ」


 見た目はそうかもしれない。

 夜会は参加したことがないから知らないが、学園では常にクローバー男爵令嬢は、王太子や高位貴族に囲まれている。

 そこは、否定できない……が、見たモノがそのまま正しいとも限らないのだ。


「確かに、そうは見えるんですが、クローバー男爵令嬢からは、王太子殿下達に近付いたことはありません。あったとすれば、移動教室の際に廊下の曲がり角でぶつかった最初の一回だけ。それにしたって、ただの事故です」


 シャーロットは、テリーが何を言いたいのか、察したらしい。


「つまり、クローバー男爵令嬢が侍らせているのではなく、王太子殿下達が一方的に彼女を囲っている……?」

「はい。休み時間のたびに、ウチの教室に押しかけてきています。彼女は、とても迷惑しています。頼んでもいないのに王太子達は親しげに接してきて、周りの女生徒達からは敵視され、嫌がらせを受ける。そりゃあ、迷惑ですよね」

「何てこと……って、ちょっと待って。休み時間のたびに王太子達が来ていて……それって昼休みや放課後も同じようなモノよね。なのに、どうして貴方はクローバー男爵令嬢のことや男爵家の内情に詳しいの?」

「本人から聞きました」

「接触する時間がないでしょう? 噴水や階段での突き落としの件みたいに、一人になるところを狙った?」

「いえ。彼女が一人になる機会は殆どありませんでした」

「なら……」

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「!?」


 テリーの答えに、全員が驚いた。

 授業中にメモのやり取りをする、というのはもしかすると、シャーロット達のような高位貴族には高い授業料を払っているのだから、授業は真面目に受けるのが当たり前、という考えが頭にあって、むしろ盲点だったのかもしれない。

 まあ、テリーだって基本的には授業は真面目に受けているが、たまに教室の中でメモをやり取りしている生徒は見たことがあった。

 今回は、それを使ったのである。


「だから、正確には聞いたと言うよりも読んだと言うべきですね。途中からはメモじゃなく手紙になりましたが。ハートウッドさんに言伝を頼むまで四日間あったので、情報を集めるには充分でした」

「四日間も、クローバー男爵令嬢と仲良くしていたんですね」


 何だか、隣に座るエレノアの言葉がとても冷たかった。


「あれぇ!? 変なところから、不機嫌オーラが出てますよ!?」

「……シャーロット様にも手紙を送ったのに、私には下さらないんですね」


 エレノアはこちらを見ずに、正面を向いたままだ。何だかツーンとしている。

 いや、どうしよう。

 何だか予想外の方向から、修羅場の空気になっている。

 とにかくここは弁明しなければならないと、テリーは焦った。


「いや、シャーロット様への手紙は、俺の見聞きした王太子殿下の婚約破棄計画についての情報ですよ!? クローバー男爵令嬢とのことも、相談事でしたし」

「では、今度落ち着いたら、私の相談事にも乗ってもらいます」


 エレノアが、やっとこっちを向いた。


「それは全然構いませんけど、相談事とは」

「これから考えます」


 考えてないんかい。

 テリーは頭の中で突っ込んだ。


「……普通に文通でよくないです?」

「それか、交換日記とか?」


 シャーロットが楽しそうに、話に割り込んできた。

 何だか少し空気が軽くなったところで、テリーは咳払いをした。


「少し話が逸れました。クローバー男爵令嬢は、王族や高位貴族に囲まれて身動きが取れず、誰にも相談できない状況にありました。父親は貴族としての教育は受けていたとはいえ、いきなりの代替わりで仕事が忙しい。母親も急に貴族の世界に放り込まれて、お茶会や夜会で失態を犯さないようにといっぱいいっぱい。自分のイジメの話で、これ以上両親に心労を掛けたくなかったという事です。自分さえ我慢すればいいと」


 シャーロットが顔を俯かせた。


「健気な話ね。彼女からすれば、授業時間を除けば常に王太子殿下達に囲まれ、友人も作れないし、頼れない。もしも親に相談したとしても、男爵家だもの……殿下達に娘に近付くなとは言えないわね」

「それで、私への褒美の話ですが」


 テリーの唐突な申し出に、シャーロットは驚き、俯いていた顔を上げた。


「あら、このタイミングで?」

「はい。クローバー男爵令嬢と和解してください。できれば保護もお願いします」


 左右の令嬢達がざわめいた。

 先に、無礼を不問にするというシャーロットの宣言がなければ、危なかったなとテリーは思った。

 そしてそのシャーロットの反応はといえば。


「私は何もしていないのに?」


 少し楽しそうだった。

 まあ、彼女は何もしていなかったとしても、周りの令嬢達はそうではない。


「ベンブルック公爵令嬢の一派としてです。もちろん、シャーロット様に何の非もないのは理解していますが、必要な事でもあります。王太子殿下達は、クローバー男爵令嬢が受けているイジメの証拠や証人を集めているそうです。こちらは、男爵令嬢からの情報です。婚約破棄の根拠は、それにするようですが、その前に皆さんがクローバー男爵令嬢と和解をすれば――」

「根拠そのモノが潰れる。なるほど、そもそもその計画自体起こさせないとしても、こちらの弱みになりそうなモノはない方がいいわね。加えて、男爵家自体を公爵家(こちら)で取り込んでしまえば、怖いモノはなくなるわ」

「ただ、婚約破棄が行われたとしても、その証拠や証人は意味がないんですけどね……」

「どうして?」

「一応、図書館で調べましたが、王太子という身分に人を裁く権利は含まれていません。それは裁判官の仕事です。百歩譲って緊急時に国王陛下が裁定することもあるようですが、王太子がそれを行った事例はありません」


 この国は法治国家なのだ。

 人を裁く場所は、裁判所であって卒業パーティーの会場ではない。

 テリーの答えに、シャーロットは小さく笑った。


「ふふふ、言われてみれば確かにそうね。被告となる私は弁護士を呼ぶ権利も使えなさそうだし。王太子による断罪劇なんて、もし本当に公衆の面前で行われたら、いい恥さらしだわ。正に無法だもの。貴方流に言うなら、法務大臣がぶっ倒れるわ」

「司法に関わるとなると、他国に逃げた犯罪者の引き渡しなんかにも、支障が出るでしょうね」

「本当に、百害あって一利なしね。でも、クローバー男爵家を保護することが、貴方にとっての褒美になるの?」


 左右の令嬢達も不思議そうだった。

 まあ、説明がないとテリーがただのお人好しみたいになってしまうが、そうではない。テリーにもちゃんと利益はあるのだ。


「私が提案した、という話をして頂ければ、それはつまり男爵家への貸しになります。いや、平民が貴族に貸しを作ったなんて話はおこがましいことなのですが、私の目的は男爵家が行っている事業の方なんですよ」


 言って、テリーはテーブルに飾られた花を手で指し示した。

 自分に最も近い、手元の花瓶だ。


「まさか……この花は」


 シャーロットは、男爵が家を継ぐ前に何をしていたのか、思い出したようだ。


「クローバー男爵夫人の実家が営んでいる、花屋で見繕ってもらいました。今は貴族としての仕事で、こちらの稼業は店長を雇って経営していますが、現男爵は元は植物学に通じていて、その繋がりで珍しい草花も、仕入れているんですよ。私は、その人脈(コネ)が欲しい」

「貴方、花屋さんになる気?」


 テリーは首を振った。

 テリーの目標は、もう少し大きいのだ。


「どういえばいいんでしょうか……国内にある様々な名店を一所に集めた、大きな建物を造りたいんですよ。有名な化粧品や服飾店、お菓子の店も入る。空いているスペースで、美術展や演劇のようなイベントを行うのも面白そうだと思っています。まだ構想段階ですが、そうですね。『百貨店』とでも言いましょうか。クローバー男爵家へ恩を売るのは、それが目的です」


 百貨店を造る前に、様々な準備は必要だ。

 男爵家への貸し一つでできるモノではないが、手札が多いに越したことはない。


「興味深いわね。話の内容によっては、公爵家も一枚噛むかもしれないわ。あくまで、仮定の話よ。とにかく、貴方の為人と目的は分かりました。……何か、他に要望はあるかしら?」

「できれば……という要望はありますけど、許してもらえるかどうかが、自信がないですね」


 さすがに、少し畏れ多い要望だ。

 許してもらえるかどうかは、シャーロットに掛かっている。


「それは、聞いてみなければ、分からないわね」

「では、こちらを、その、シャーロット様のお父様、公爵閣下へお願いします」


 テリーは、帯に挟んでいた手紙を出した。ドレスには、モノを隠せる場所が少ないので苦労したのだ。

 テーブルの距離があるので、メイドが手紙を受け取ってシャーロットへと届けた。


「まあ、お父様へ……ラブレター?」

「いや、違います」


 そんな色っぽいモノではないし、そもそもテリーに枯れ趣味も同性愛の気もない。


「それは駄目よ。お父様にはお母様がいるわ。傍目にはドライな関係に見えるけど、互いへの敬愛は娘の私には分かるもの」


 シャーロット様、こっちの話を聞いて? とテリーは内心突っ込んだ。

 まあ、聞いた上でからかわれているのだろうが。


「ですから、ラブレターじゃないです。というか、別に今、シャーロット様が中を検めて下さっても構いません」

「あら、そうなの。残念」

「今、残念って言いました?」

「公爵閣下にもお手紙を……」


 横を見ると、ジッとエレノアがこちらを見ていた。


「分かりましたから。日記帳を今度、買いますから」


 言っておかないと、結構しつこそうな気がした。

 このお茶会が終わったら、文房具店に行こうと、テリーは考えた。


「まあ、私が検めなくても、家宰が確認するでしょうけど……読んでもいいなら、そうさせてもらうわ。誰か、ペーパーナイフを持ってきて」


 シャーロットはメイドが持ってきたペーパーナイフで封を切り、手紙を取り出した。

 文部大臣のベンブルック公爵は、文化推進の施策を推し進めている。

 その中でも、美術館や博物館の、学生の入場無料はテリーにとっては大きな恩恵だった。

 そのお礼の手紙であり、同時に幾つかの美術館の絵画で抱いた『違和感』への感想でもある。

 作者の年代も違うのに、同じタッチを感じる。

 不思議なことがありますね、と、そういう内容の手紙だった。

 シャーロットはさすがに、これがただのお礼や感想の手紙とは思わなかったようだ。


「これは……つまり、そういうこと?」


 美術館の絵画に、贋作が混じっている恐れがある。

 できれば、別の鑑定士を用意して、調べ直した方がいい……が、さすがにそこまで手紙に書くのはおこがましいと、テリーはそこは省いた。


「あくまで、私が抱いた『違和感』です。何もなければ、余計なお金と手間を掛けさせるだけというか……」


 シャーロットは手紙と畳み、封筒に戻した。


「でも、その違和感が当たっていたら、それこそ貴方、公爵家に恩を売ることになるわよ」

「本音を言えば、当たって欲しくはないんですよね」

「それはまあ、そうね。分かりました。これは預かっておきましょう。……さ、それじゃ本来の意味でのお茶会を始めましょうか」


 パン、と手を打つと、メイド達が一斉に動きだした。


 ◇◇◇


 翌日の公爵家。

 ベンブルック公爵の執務室に、シャーロットはいた。

 お茶会であったことの、報告だ。

 父である公爵が書類に走らせていた筆の手を止めたのは、娘が誇らしげに色紙を掲げた時だった。

「……それで、彼から『ライア・ドーシャ』のサインももらったと」

「ええ、これは額に飾っておきますわ!」


 シャーロットは、テリー・ホランドがサインした色紙を掲げたまま、クルリと一回りした。


「そうだな……お前は昔から()()のファンだったものな」


 何なら今のシャーロットの今の人格を形成する要素の一つといっても、過言ではない。

 男勝りで木剣や木登り大好きなお転婆だったシャーロットが初めて憧れた女性が、まさか芝居に登場する貴族令嬢であった。

 しかも、演じていたのは男児である。


「ええ。ですけど、一言挨拶をしようと思ったら劇団はもう海外。調べても『ライア・ドーシャ』のことは分からず、まさか男の人だとは思いませんでしたわ」


 夢を壊すこともないだろうと、公爵は旅の劇団は既に他国へ渡ってしまい調査は打ち切ったと嘘をついていたが、巡り巡って結局出会ってしまったということは、これはもう運命か何かなのだろう。

 とはいえ、公爵令嬢と平民の商人子息である。

 念のため、確認しておく必要はあった。


「一応確認しておくが、妙な感情は抱いていないだろうな」

「あらあら。今の婚約者の件はどうなっていますの?」


 公爵は、痛いところを突かれた。


「……妻の後押しもあったからな。王家とは、近い内に婚約を撤回する話し合いの場を、設けることになった。クローバー男爵家の保護も済ませた。娘のことで、驚いておったな」

「それはそうでしょう」


 平民の商人子息、テリー・ホランドからの話通り、男爵令嬢は両親に学園での問題を何も相談していなかったらしい。

 親の立場からすれば相談して欲しいところだが、さて自分の娘(シャーロット)が何らかの問題を抱えていたとして、話してくれるかどうか。

 公爵の場合、王城に詰めることも多く、激務であることは娘も分かっているので……なるほど、話してくれないかもしれない。

 そういう意味では、他人ごとではなかった。

 それはそれとして、目下の問題点だ。


「クローバー男爵令嬢のイジメに関しては、面白い結果になった。カーセル侯爵家の娘が噛んでおったとはな。そういう意味では、危ないところだったのだぞ」

「そうですわね。こちらも気を引き締めなければならないと、反省いたしますわ」


 危うく、クローバー男爵令嬢へのイジメの全てを、シャーロットとその一派が押し付けられるところだったのだ。

 勿論、状況が分かったからには、そうはさせない。

 カーセル侯爵家に悟らせないよう立ち回り、奴らのクローバー男爵令嬢へのイジメの証拠を集めている最中である。


「それでお父様。例の件は?」


 シャーロットの言う例の件とは、テリー・ホランドから託された手紙の件だろう。

 普通なら平民からの手紙など相手にしない案件だったが、王家の影を見抜いたことや『ライア・ドーシャ』のこともあり、興味を持った。

 半信半疑ではあったが、手続きを行った。


「……指摘の通り、以前のとは別の鑑定士に見せたところ、贋作だった。窃盗団の一味だったようでな。ホランドと言ったか、彼のお陰で、一網打尽にできた。私の政策である文化推進に水を差したのだ。法務大臣とタッグを組んで、重罪にしてやるふふふふふ」


 今、思い出しても腸が煮えくり返る。

 笑いでもしなければ、手にある筆がベキリと折れていただろう。


「お父様、黒い黒い。オーラが出ておりますわ」

「おっと。まあ、そこでこれよ」


 気を取り直して、公爵は脇にやっていた平たい箱を引き寄せた。

 紺色のシンプルな箱だが、文字や装飾は金色で凝っている。

 中身は葉巻型の焼き菓子だ。


「……この間のお茶会で出た、お茶菓子ですわね?」

「あのホランドという子が、持ってきたという話じゃないか。この茶菓子の店はな、老舗の店から独立した職人の店だ。独立してから少し問題が生じてな。そこの茶菓子が、老舗の店のモノを真似たのではないかという騒ぎがあった。まあ独立した店の経営者、独立した職人の嫁親が勝手に元祖だの何だの言い出して拗れたのが原因だったのだが、老舗の店の師匠職人と独立した方の職人が直接話し合って、和解したのだ。絵描きの連中も最初は、窃盗団の一味と同じく重罪に処するつもりだったが、手紙と一緒にこの茶菓子を送ってきたことを思い出した」


 そこで、絵描き達にそれぞれ尋問を行った。


「どういう処遇となりましたの?」

「窃盗団の連中には重い罰を与えるとして、贋作の絵描き連中は軽い労役と罰金で済ませることにした。彼らの多くは家族や恋人を人質に取られて、情状酌量の余地があったからな。罪を精算した後は、ウチが支援する」

「贋作の絵描きのパトロンになるんですの?」


 軽く目を見開く娘に、公爵は肩を竦めて笑った。


「贋作を本物と偽るから問題となるのだ。だったら、最初から偽物として売ればいい。勿論、彼ら自身が描きたいモノを描いている合間にな。それにしてもこのやり口は、平民の子どものそれではないぞ」


 公爵は箱を開け、焼き菓子を二本手に取った。

 一本は、シャーロットへ向けた。


「でも、楽しそうですわ」

「名前を憶えておいて、損はなさそうだとは思っただけだよ」


 公爵とシャーロットは揃って焼き菓子を口にし、いつの間に用意していたのか執事が二人分の紅茶をデスクに静かに置いた。


 ◇◇◇


 それから、しばらくして。

 テリーはエレノアと共に、学園敷地内にある遊歩道を歩いていた。

 テリーの手には食堂の購買部で購入した惣菜パンとドリンク、エレノアの手には家の料理人が作った弁当と水筒があった。


「いやぁ、中庭がまた使えるようになってよかったです」

「殿下達がいなくなりましたからね」


 そんな話をしながら、足を進める。

 公爵家でのお茶会から、婚約破棄計画の阻止はテリーの手から離れた。

 王家に対抗するには権力が必要であり、それは公爵家が有していたからだ。

 という訳で、あれから何があって、どういう経緯で、、王太子一派がいなくなったかは、テリーは知らないままだった。


「学園は、退学でしたっけ」


 これに関しては、学園内のことなので、テリーも知っていた。

 突然の、王太子の退学に、学園内は騒然となった。


「はい。王城の方に更生プログラムというモノがあって、殿下やその他、クローバー男爵令嬢を囲っていた高位貴族達も受けることになったそうです。一部、辺境の兵役に就かされた人もいるそうですが。ちなみに、ホランドさんのお兄様は?」

「一応、学園(ここ)には通っていますよ。学費も高いですし、元はちゃんと取らないとというのが父の言い分です。ただ、商会の跡継ぎは次兄になりそうですね。長兄は商会の下働きから始めるか、お金を幾らかもらって独立するかって形になりそうです。俺の状況は変わらないまま」


 要するに、跡継ぎと予備が入れ替わるだけだ。

 長兄が今後どうするかは知ったことではないが、テリー自身は何も変わりない。


「でも、ホランドさんの活躍のこと、本当に黙っていていいんですか? 欲しがっている人脈も、広まりますよ?」

「それはそうなんですけど、今の俺はまだ商人ですらありませんから。好意的な相手なら喜ぶところですが、無理難題を吹っ掛けてくる厄介な貴族に絡まれたら、為す術がないんですよ。有名になるってことは、そういうことですから」


 また、表沙汰になると、テリー個人というよりも、ホランド家の手柄になる可能性があった。

 ホランド商会が栄えるのは結構だとは思うが、テリーが独り立ちする時に、今回の行動による成果全部、実家に使い切られていては、何というか割に合わないではないか。

 もうちょっと深く掘り下げると、親からの事情聴取が面倒くさかったとか、長兄のやらかしとプラスマイナスゼロになるかもしれないとか、そういうところまで考えた結果、テリーのことは伏せてもらうことにしたのだった。


「ホランドさんの考えを、重んじることにします」

「ありがとうございます……っと」


 校舎一階の吹き抜け廊下を、女生徒達が歩いていた。

 その内の一人は、クローバー男爵令嬢だ。

 王太子達がいた頃には笑顔でも憂いのあった表情は、すっかり元気なモノになっていた。

 こちらには気付いていないようだ。


「彼女も近い内に退学となります」


 彼女の場合は、不祥事を起こした訳ではない。

 むしろ、その逆だ。


「公爵家のメイドになるんでしたっけ。そういう意味では、退学も悪くないですね。でも、せっかくできた友達と別れるのは、もったいないかも」


 かくいうテリーも、彼女の友人の一人ではある。

 そんなことを考えているとエレノアの目が、微かに見開かれた。


「もしや……彼女とも、交換日記を!?」

「違いますよ!? 彼女の周りの友達は、視界に入ってないんですか!?」


 テリーは、クローバー男爵令嬢と一緒にいる友人達を、手で指し示した。


「冗談ですよ」

「目が本気っぽかったんですが」

「冗談です」


 笑顔と無表情の中間ぐらいの、いつもの顔なので、ちょっと感情が読めない。

 テリーは、息を吐いた。


「……深く追求しない方がいいってことは、分かりました」


 再び遊歩道を歩き始める。

 そんなテリーの横で、エレノアが何やら呟いていた。


「実際、近付かれると厄介な相手なんですよね。平民としての生活も長く、家格的にもホランドさんを入り婿に据えることはできそうですし。シャーロット様は婚約がなくなって独り身とはいえ、こちらも油断できません」

「あの、普通に聞こえてます。どちらも魅力的ではありますけど、二人とも貴族の令嬢ですし、俺の一存ではどうにもならなくないです?」


 どう考えても、公爵令嬢であるシャーロット様とか無理だろ、とテリーは思う。考えること自体、不遜というか不敬極まりない相手である。


「それを言ったら、私も貴族の令嬢なんですよ」

「そうなんですよねえ」


 どうも自分にはモテ期が来ているらしい。

 さすがに自惚れではなく、その自覚がテリーにはあったが、かといって平民である自分からはどうにもならない。何しろ相手が皆、貴族令嬢である。

 いやまあ、できることもあるかもしれないが、商売関係とは違い、色恋沙汰は素人同然なのだ。ノウハウがない。どうすりゃいいのよ。


「親からは、自由にしていいと言われていますけどね。まずは、こちらからです」


 言って、エレノアが差し出してきたのは日記帳だった。


「分かりました。えっとこれ、もう先に書いてます?」


 さすがに、エレノアの目の前で日記帳を開くような真似はしなかった。


「書いてありますけど、読むのは寮に戻ってからにしてくださいね」

「それは勿論。感想も、こちらに書かせていただきます。何せここは――」


 テリーは足を止めた。

 目的地である中庭の少し奥まった場所にある、小さな広場だ。


「こっそり話をするには向いていない場所ですので」


 王太子達が、婚約破棄計画を立てていた場所でもある。

読んでいただきありがとうございました。

よければ評価など付けていただけると嬉しいです(執筆のモチベーションになります)。

あと、生活魔術師達のシリーズの新作『生活魔術師達、王国会議に挑む』が発売しております。

こちらもよろしくお願いします。

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綺麗にまとまっていて読みやすかった
すごく面白かった
テリーすげぇ!! 身長が低くてもコンプレックスにならないわけだ。 それに、卒業までにニョキっと伸びそう。 スパダリになっちゃうね! 今のところ、エレノアさんが一歩リードなのかな。 大人になってからのお…
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