あの、ファンなんですけど……
お笑い芸人っていうのは素晴らしい職業だと思う。
だってそうだろ? 人を笑わせる、楽しませるってやつらだ。
慈愛の心ってのに満ちたもんだろう。最高だぜ。
ま、じゃあ笑わせられない芸人はどうなのかって話だがな……。
おっと、いけない、いけない。こういう時は相棒に慰めてもらうに限る。
と、言ってもタバコだがな。俺はピン芸人だ。
『売れない』は付け忘れたわけじゃないぜ。
自分の事、そんなネガティブに言いたくはないんだ。
顔に出ちまう。それじゃ客が笑わない。
付けるなら『売れかけている』ピン芸人。
……いや、イマイチだな。それに嘘も良くない。
『今年売れそうだと言われていそうな気がする』ピン芸人
『売れる兆しは自分の中でひしひしと感じている』
『売れる予定、むしろ売約済み』
『え、キャンセル? 契約金は半分しか返ってきませんよ?』
『え? 土地が汚い? 臭い?』
『そんなことないですよ! 私が保証します!』
『ええ、だって毎晩何時間も見張ってますもん! 不法投棄とかないない!』
『え、トイレはどうしているか? いや、それは、はははは……』
と、脱線しちまったが何かに使えそうだな。メモメモと。
それにしてもはははは、こんな小さい劇場の裏手に
よくもまあ出待ちのファンが、ああ声援が響くぜ。耳に肌に心にな。
まあ、俺のじゃないんだけどな。俺には一人も来ない。
劇場を出る直前に火をつけるこのタバコの煙のせいだ。虫除けさ。
いや、実際煙たがられちゃってねははは、事務所や後輩連中にもね。
陰で散々な言われようさ。
それを俺がどうして知っているかって?
アイツらが俺の噂話をしているところを立ち聞きしたのさ。
売れない先輩を嘲笑うお前らのその笑顔、客には見せるなよ?
なんて俺に言われなくてもわかってますって感じだろうな。
アイツらはキッチリ笑いを取ってやがる。
まだ新人だがあっという間に俺と別のデカいステージで漫才なりコントなりするのさ。
ああ、もう何回も経験した。若い連中に踏まれ、先を行かれる経験はな。
押し退けられるのもって、痛い! くぅー、まったく勢いが凄まじいね。
アイツは特に顔が良いからな。ファンが池の鯉みたく寄って行くんだ。
もう好きにして! ってなもんだ。あのうちの何人抱いたのかねぇ。
「あの」
まな板の上の鯉。あ、まな板の上の恋。うーん、イマイチかな。
「あの」
もうちょっと上手い事を考えたいもんだね。
「あの」
「ん? え、俺にようかい?」
この妖怪『普通の中年男』に? いや、普通なんかい! っと、これはなしなし。
「はい、あの、ファンなんですけど……」
「え」
()
っておいおいおいっ。頭、真っ白になっちゃったよ。
いやー、白髪が最近髭にも出てきて……じゃなくて! え!?
「お、俺の……ファン? あ! いや、ああ、アイツらのかな?
ははは、な、何か渡してきて欲しいとか?」
って童貞高校生みたいな反応だぞ俺よ。
むしろ間違えに行けよ。俺のファン!? やったー! って
恥の経験なんて全部、笑いの道具箱だろう?
「いえ、あなたのファンなんです」
「え……う、お、あ、ないのは『い』」
「はい?」
「あ、いや、その、おー! 嬉しいよ!」
若くはないが若そうな恰好の女。
若作りって言うか引き籠りが何年かぶりに服着て外に出てきたって感じだ。
美人じゃないがそれでもファンだと言われると
可愛く見えてくるんだから不思議なもんだ。
好きですって言われたらこっちも好きになっちゃうやつ。
ってウブか! 童貞高校生リターンズか!
……んー、このツッコみも微妙かな。
なんて、予防線、処方箋。恋の病はここから始ま――
「あの、それでなんですけど」
「おお、はいはい、なんですか?」
「その、欲しいんですけど」
お、俺の貞操を!? なわけあるかい!
って、さっきからのボケ、頭の中だけ。声に出さなきゃ俺よ。
たった一人のファンを笑わせてやりたいだろ、俺? いや、カッコよ!
「なに……を?」
ちょいと色男風な間になっちまった。
「何か……なんでもいいんですけど……」
「あ、ああ、えっとじゃあ、あー、このライターとか100均だけど
あ、ほら、ここにマジックペンで絵を描いたんだ。
ははははは! 出番中、暇でさ、客を前にせっせとせっせとね。
いや、お前なにしとんねーんって話だけど客は客で内職始めたもんだから
逆に俺がいや、ここ海外の安月給の工場かい! ってなんつってはははは……」
「あ、ありがとうございます!」
やっとでたボケはスルーでした。シースルーが好きです。なんつって。
とたとたと駆け出していく姿はどっか愛らしく……って危ない危ない。
浮かれてるな俺よ。ここからだ。俺のええ恋への……じゃなくて俺の栄光への道は。
次の目標はファン二人! ははは、現実見過ぎだぜ……。
「あの、ファンなんですけど……」
それからちょうど一週間後。別に運命的な再会ってわけじゃない。
俺の出番はネットのサイトやらSNSやらで告知してある。無反応だがな。
だからまたあの女が俺の前に現れても驚きはしなかった。むしろ嬉しかった。
「その、何かいただけませんか?」
と、前と同様、女は俺にそう言った。まあ、ファンなら私物が欲しいよな。
俺だってあの女優、この女優、AV女優やらの私物は欲しいから気持ちはわかる。
でも普通は何かくれるもんじゃないのか? 差し入れですって。
それとも最初はこういうものなのか? 徐々に徐々にか?
一度でいいから食べてみたい。叙々苑弁当と可愛いファン。
とまあ、それは置いといて初めてのファンだからまあ、やっぱり嬉しいもんだ。
「お前なぁ、そのオバハン、肩に鳩乗っけてなかったか?」
「いや、ねーですけど……あ、マジシャンっすか? お前の私物消したるわ! 的な」
ほいほい、場面転換。居酒屋。先輩と酒の席でこの話をしてみたわけだが。
「ちゃうわ! ホームレスやホームレス。恵んでくださいってな。
なんや、でもお前が言ったやつのほうがおもろそうやないか」
「へへ、あざっす」
「褒めてないわ。んで、お前何やったんや?」
「あー、劇場にあったペットボトルの緑茶を。何本か貰ってきてたんで」
「ほう、喜んどったやろ? 『ひひぃ、ありがとぉな、あんちゃん』って」
「いや、普通にありがとうございますって」
「お前の返しも普通やなぁ」
「あ、しまった」
「んで、お前、どうするつもりや」
「え? そりゃファンですからね。大事に一生添い遂げる覚悟です」
「重い重い! 向こうさんがびっくりするわ!
あとな、お前かい! お茶多く持ってったの! 足らんかったんやぞ!」
「え、あ、すみません!」
「冗談や。アホ」
「はは、ははははは!」
「かわええ笑い方するわお前は」
「え、そうっすか? はははははーははん! ははん!
はぁぁぁぁははんはんはんはんはんはん!」
「やめい、かわいくないわ!」
「はははははっ!」
「で、お前どうするんや?」
「え、嘘、ループしてる? 選択肢ミスった?」
「ちゃうわ、さっきのもそうや。どうするんや。芸人、続けるんか? 今のまま」
その先は言わないでってこと、今まで何度かあったなぁ。
オトンとオカンの離婚とか、バイトクビとか彼女にフラれたとか
まったく怖い怖い。ホンマ怖いわって先輩の口調がうつってまいましたわ!
はははは、はははは……それくらい、心に残ったっちゅーことやな。ああ怖い怖い……。
「あの、ファンなんですけど……」
それからまた一週間後。そう、怖いのは俺のお笑いの仕事の量。
週に一度の小さい劇場でのほんの数分。毎回、打ち切り漫画の最終回の気分だ。
とそれはさて置き、そう怖いのはこのファンさん。
ファンサービス旺盛、もりもりもりな俺も背筋がゾクッとした。
「何か……いただけませんか?」
まるで飢饉に襲われた村人。なんてブラックジョークか?
いやしかし、先輩の言っていた通りホームレスってわけでもなさそうな気がするが……。
服装だって毎回違うし、ただ単に厚かましいだけだろうか。
それとも自分を客観的に見れない、考えが及んでいないだけ?
「あ、じゃあこのボールペンとか、まあ無料で配ってたやつなんだけど」
「んー、他に何か……」
「ええ……そう言われてもなぁ……」
「あ、じゃあお財布を……」
「え! 金!?」
「いや、それはさすがに……」
「ですよね、えっと、まあこれがボロイいけど財布ですけど」
「あ、じゃあ、これを」
「え、ポイントカード? なんで?」
「ポイントください」
「だよね。ま、まあ別にポイント全然貯まってないし
たまたま作っただけだからいいけどさ……」
「あ、ありがとうございます!」
「……ってだけの話なんだけど」
「あー、そうだったんすね。先輩、え、金!? って大声出してたから
何かと思いましたよ。中絶の費用でも要求されたのかと」
「はははは、そんなわけないって」
「ですよね。あ、ビールお願いしまーす」
「ですよねって……」
はいはい、場面転換ね。居酒屋。後輩。
ああ、あのモテてる後輩ね。『売れかけている後輩』でもある。
「まー、でもなんなんすかねぇその女」
「さーなー。ま、俺のファンだっていうから邪険にするのもな」
「あー、先輩、ファンいないっすもんね」
「おお、おお……。そういや、お前、相方は?」
「んん? 別にバイトかなんかしてんじゃないっすか?」
「ほー、相方なのに知らねえのか」
「そういうもんすよ。コンビ芸人って。
ああ、別に仲悪いわけじゃないっすから心配しなくていいっすよ。先輩じゃないんで」
「俺は……まあ、仲悪かったって言うか方向性の違いというか
そうだな、あの頃は俺も尖ってて」
「あ、塩唐揚げで」
「って聞いてないないなぁーい!」
そう、俺は昔コンビを組んでいた。でも冒頭で言ったように今はピン。一人だ。
それはなぜか。解散したからだ。
なぜ解散したか? 相方が辞めたいと言ったからだ。
それはなぜか? 売れないからだ。
なぜ売れないのか。……なんでなんだろうな。
でも食っていけないなら、食っていけないってこと。それこそ飢饉に遭った村人さ。
腹を鳴らして、武士は食わねど高楊枝ってか?
いいや、俺らは農民だった。何も持たない農民さ。
「あの、ファンなんですけど……」
むしろここまで続けて来られたのが奇跡。
だからファンだと言われ嬉しかった。だから何でもしてやりたくなっちまう。
ほら、言っただろ? お笑い芸人は人を笑わせたい。尽くしたい。優しい奴らなんだよ。
とは言えなぁ……。
「何か、いただけませんか?」
「……なあ、あんた。いや、俺も悪いよ。言われるがままあげちゃう俺もさ。
笠地蔵とかそんな昔話を思い出したしな。あげたらあげただけ何か返って来るとか。
でもな、ポイントカードの次は金か? じゃあ、金の次はなんだ?
何が欲しいんだ? どこまで欲しがるんだ?」
「……お返しが欲しいんですか?」
「いや、そういう話じゃ……え、くれるの?」
「どうぞ、これを……」
「え、なにこれ? ブレスレット?」
「お守りです。それじゃ……」
「へー、シャレてるなってあ、お守りって、あんた、まさか本当に……」
福の神の類……かどうかはわからないが
それから俺は少しずつ、客にウケるようになった。
後輩は不思議がり、先輩は一皮むけたな、包茎だけにって言ってくれた。
いや、包茎ちゃうわ! ははは、こんなのでもステージではウケちゃうんだぜ。
まだまだバイトは辞められないけど少しずついい方向に向かっている。
「たまたまだろ」
「またもー! そんなこといってぇん」
へいへい、お馴染み場面転換ね。場所は居酒屋。相手は元相方。
「急に連絡来たと思ったら、そんな話か」
「えー、でもおもろいだろ?」
「まあまあだな。ま、調子いいならいいな。んじゃ」
「あ、おい、もう行く気かよ。まだ来てから全然経ってないじゃんか」
「明日も普通に仕事だからな」
「おいおい、俺だって仕事だぜ?」
「バイトだろ? こっちは大変なんだ」
「おいおい、なんだよ。ははぁ、自由な俺が羨ましいんだな? うんうん、わかるぞ
でもでもでもでもぉそんな疲れた顔のくらーいお前にもいい話があったりてぇん」
「……痛々しいんだよ。
お前は虫かごの天井に引っ付いているのを自由と言っているだけだ」
「なんだそれ、わからんらんらーん!」
「てっきり、俺に口利きして欲しいのかと思ったよ。
うちの職場で働かせてほしいってな」
「なんでやねん! そんなわけあるかい!」
「もう行くよ」
「あ、おい、おーい! もしもーし!
もしもーしって電話切れた後、実際に言う奴っていないよね! はははは……」
逆だ。俺はちょっと週末だけでもコンビ組めないかって思っただけなんだ。
だってなぁ、やっぱり俺ら面白かったと思うんだ。見つかってないだけでさぁ……。
「あの、ファンなんですけど」
「ああ、おお、知ってる知ってるつってね。ははははっ」
例のファンの久々の出待ちだった。
てっきりご利益を授けた後はもう会わないパターンかと思っていたから
俺はちょっと驚いた。でも嬉しいもんだ。
「その……」
「ああ、あんたのくれたこのお守りのお陰で運気が上昇したよ。
ほら、あそこで一塊になっているのも俺のファンさ。
でも、大丈夫。あんたが俺の一番のファンだよ」
「何か、いただけませんか?」
「ん、え、何かって言われてもなぁ……もうよくない? あ! ほらさ
楽しい時間をあげたじゃなーい? 今日の俺も最高に面白かったでしょ?
めっちゃウケたしねぇ」
「……それはこっちがあげたんです」
「……は?」
「ちょうだい」
「ください」
「ねえ、ちょうだい」
「ちょうだい」
「ちょうだい」
「はやくちょうだい」
「ちょうだい」
「え、な、なにちょ、ちょっと! みんな、やめ!」
「ちょうだいよ」
「だめよ、くれないと……」
「ちょうだい」
「くれないなら……」
「はやく」
「くれないつもり?」
「捧げて」
「そ、その、ブレスレット、みんな、同じ、まさか」
「目玉」
「耳」
「指」
「歯」
「舌」
「鼻」
「供物を、捧げて」
と……こんなもんでご静聴どうもありがとうございました。
ええ、あ、どうもどうも大きな拍手を、ははははは。
今夜のお話はこれにてお終いです。あ、お花も、ああありがとういやどうもね。
こんな大きな会場でね、みなさんああ、どうも本当にありがとう。
集まってくれて、おや、フルーツも、ははははは。
いやぁ、怪談師に転向してみるもんですなぁ。
ええ、ええ、こっちのほうが向いていたようでいやどうもねはははは。
ははっはははは、おや……みなさん……そのブレスレットは……
なんつって、ははははは!