第12話 無呼吸の立ち合い
紅葉さんは攻撃をかわされても冷静だった。
すぐに構え直し、次の機会を窺う。
ヤスライヒメは回避を繰り返すだけだ。
「はっ――!」
紅葉さんが強く踏み込んだ。一気に距離を詰め、斬りかかる。
ヤスライヒメが宙に舞ってかわす。そのまま紅葉さんの背後を取った。
紅葉さんが振り返った瞬間、ヤスライヒメが右手を伸ばす。桃色のガスが噴き出した。
紅葉さんはうしろにのけぞりながら距離を取る。
「きょーいちの体に傷がなかったから、変な術を使うんだろうなって予想はしてたんだよ」
「そっか……」
この姉妹は本当に落ち着いている。
ヤスライヒメが攻勢に移った。紅葉さんと距離を詰めるようになり、ガスを連続で生み出す。紅葉さんは吸わないように動いている。離れると、大きく息を吸った。
「うーん、きつそうだね。そろそろ加勢に行くか」
「お、俺も……」
「動けないっしょ」
「いや、いける」
俺は立ち上がった。旋風丸を拾って振るってみせる。
「無茶はなしね」
「おう」
俺と椿姫は左右からヤスライヒメの背後に回った。敵もこちらの動きに気づいたようで、すかさず反転して突っ込んでくる。さっきより明らかに動きが鋭い。
伸ばしてきた爪を、俺は旋風丸で受ける。
椿姫がまた背後を取った。斬りかかるが、左に飛ばれて当たらない。
回避先には紅葉さんが回り込んでいた。斬撃を浴びせると、ついにヒットした。ヤスライヒメの左腕を切り裂いたのだ。
「ぎゃあああああッ!!!」
異形は甲高い悲鳴を上げて倒れた。
「紅葉さん、とどめ!」
「はい!」
紅葉さんが上段に刀を構えた。振り下ろされる――
「うっ!?」
その瞬間、甘い香りを察知した。俺はとっさに呼吸を止める。
「う、ううぅ……」
「やばっ、なに、これ……」
だが、紅葉さんと椿姫は吸ってしまった。
二人ともその場に崩れ落ちていく。
いつの間にかこの空間全体に、あの甘い香りが充満していた。
これはヤスライヒメの切り札か。
エリア内を、行動不能にさせるガスで満たす。
紅葉さんはヤスライヒメの目の前に倒れている。椿姫も倒れ込んで動けなくなっている。
俺は一度食らっていたから、とっさに息を止めることができた。つまり動けるのは俺だけ。しかも呼吸せずに相手にとどめを刺す。
きつい。だがやるしかない!
俺は旋風丸を構えて突っ込んだ。紅葉さんに爪を突き刺そうとしていたヤスライヒメを妨害する。
相手は爪で俺と打ち合ってきた。息を止めているから顔がすさまじい熱を帯びている。
時間はかけられない。
俺は連続で打ち合って相手を押し込んでいった。
――変だな。
さっきなら悠々かわしていたはずなのに、今のヤスライヒメは俺の攻撃を受け流すだけで精一杯の様子だ。動きが鈍って……。
――そうか!
ヤスライヒメは紅葉さんの斬撃を受けている。だから固有剣能〈絡み蔦〉の効果が発動して行動を阻害されているのだ。
そうとわかれば効果が切れるまでの勝負! 絶対にケリをつける!
顔がパンパンになってきたのがわかる。もう息を止めているのは限界だ。
倒す――!
体は熱かったが、心は冷静になれていた。
打ち合っているうちに、ヤスライヒメの隙が見えてきた。
刀と爪の接触。相手の、腕を引く動作。
ここだ――!
俺は刀を引かず、刺突に移行した。全体重を乗せてヤスライヒメに突っ込んでいく。
相手の腹に刀が突き刺さった。
「ぎぇああああああッ!!!」
ヤスライヒメが絶叫した。俺はそのまま押し込んで壁にぶつかっていく。
意識を集中し、刀身に業火の属性を宿す。
炎がほとばしった。
ヤスライヒメに炎が移り、全身が燃え上がる。
異形は必死にもがいて暴れた。俺は何度も切り裂かれたが、壁に固定した旋風丸を離さなかった。
どんどんヤスライヒメの体は炎に覆われ、ついには肉体が崩れ始めた。
「あああ、妾が、なぜ……」
それが最後の言葉になった。
ヤスライヒメの全身は炎に包まれ、消失した。
その瞬間、部屋中のガスも同時に消えた。
「ぷはっ!」
俺は息を吸って、深く吐いた。
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……」
反動で全身が痛い。涙も止まらない。
「くう……」
俺はひっくり返って仰向けに倒れる。こんな体験、もう二度とやりたくない。
「伊吹さん!」
「きょーいち!」
四季園姉妹が駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!?」
「ちょっと、呼吸を、整えないと……」
「マジで息止めて戦ってたの? 無茶はなしって言ったじゃん!」
「でも、あのままじゃ、全員倒れて、殺されてた……」
「そうかもしれないけど……」
椿姫はしょぼんとしていた。こういう表情も見せるのか。意外。
「伊吹さん、ありがとうございました。また助けられてしまいました」
「あっ」
紅葉さんが、いたわるように俺の頬を撫でてくれたのだ。
「汗がすごいです」
そうして、ハンカチで俺の顔の汗をぬぐってくれた。手つきは優しかった。
「紅葉さん、あいつの勾玉が出たはずだ。紅葉さんが使ってくれ」
「な、なぜ私なんですか!? 伊吹さんが使うべきです!」
やっぱりこうなったか。でも譲らないぞ。
「あいつに攻撃が当たったのは、紅葉さんの〈絡み蔦〉があったからだ。紅葉さんの手柄なんだよ。俺はいらないから」
「で、でも……」
「ほら、きょーいちもこう言ってるんだから甘えなよ。紅葉姉にも強くなってもらわなきゃ困るんだからね」
「う……、では、ありがたく頂戴します」
紅葉さんは勾玉を拾ってきた。それを〈長緑〉のスロットにはめ込む。
「固有剣能を増やしてみます」
すぐに効果が反映された。
――――――
〈長緑〉
・武器攻撃力7
・保有属性〈植物〉
・固有剣能〈絡み蔦〉
攻撃を当てた際、相手の動きをわずかに鈍らせる。
・固有剣能〈清眼の一撃〉
会心攻撃の発生率が上昇する。
――――――
「へえ、会心率の上昇か。いいの引いたね」
「発生率って、そもそも会心率なんてステータスになかったぞ?」
俺は椿姫に訊いてみる。彼女が一番、情報を知っている。
「ステータスの中に〈技巧〉ってあるでしょ。それが高いほど会心攻撃が出やすくなるんだよ」
「あれってそのための数値だったのか」
「まあ、ポンポン出るわけじゃないから効果は実感しにくいかもね。でも、これで紅葉姉の火力はさらにアップだ。いいじゃん」
「そうね。毎回伊吹さんに頼ってしまっているし、そろそろ自分だけでも倒せるようにならないと」
「期待してますわよ、お姉さま」
「気持ち悪いからやめて」
「は? 淑女になに言ってくれてんの?」
「どこが淑女なのよ。ふしだらギャルのくせに」
「言ったな! 紅葉姉だって清楚のふりしてるけど無双ゲーの男×男で妄想小説書いてるじゃん!」
「なっ!? ななななんで知ってるのよ!?」
「あっ、マジだったんだ」
「か、鎌をかけたのね!? うううっ、よりによって伊吹さんの前で言わないでよ! ばかばか!」
「語彙力ひくーい。これじゃ小説の内容もしょぼそう。『チューをしようぞ』とか書いてそう」
「ふざけないでッ! いくら私でもそんな下手くそな台詞は書かないッ!」
俺は痛みをこらえつつ、ひたすら気まずい思いをしていた。
……だからさ、姉妹喧嘩は俺のいないところでやってくれないかな……?