田舎のRAT
イズミたちが事務所を訪れてから翌日、快晴の朝早く、ブルースは後部座席に座る彼女の案内で大衆車を走らせて田舎道を突き進んでいた。有給を使って来てくれた彼女の隣には、件の友だち、ケイトが同行して乗っている。
「ブルースさん、改めて確認しますね」イズミは案内をしながら会いに行く人物の確認を始める。「レックス・アルフ・テイラー29歳は、双子の兄弟の弟です」
ケイトの気分が悪くならないよう、ブルースはなるべく車体が揺れないように運転しながらイズミの話を聞く。
「彼は今向かっているライという田舎町で小さなビール工場を営んでいるそうです。……でも大丈夫なんですか? 直接容疑者の兄弟に会って話を聞くなんて」こちらの計画に、イズミは怪訝な顔をする。
「警察として事情聴取できなくても、探偵の俺には関係ないんでね。もしかしたらケイトちゃんと直接顔を合わせたら、何かボロを出すかも知れないし」元より小難しいことを考えることが苦手な俺は、とにかく当たって砕けろが基本方針だ。
「でも私、あの夜は当たり障りのない話しかしていません。それでも大丈夫でしょうか?」ケイトはバックミラー越しに不安な顔を見せる。
「大丈夫、なんとかなるって!」根拠のない自信を口にして、ブルースは『ようこそライの町へ』という看板を通り過ぎていく。
ロンドンから車を走らせて2時間あまり、ブルースたちは田舎町ライに到着した。ロンドンとは違い建物は昔ながらのレンガ造りでさほど大きくないものばかり、住んでいる人たちものほほんとした印象だ。それから町中を通過して、目的地へと向かう。ビール工場に近づくにつれて建物は町並みよりもさらに少なくなり、逆に畑の広がる景色へと移り変わっていく。畑の土壌からは種まきが終わって顔を出した麦の芽生え、窓を閉じていても麦特有の臭いが香ってきそうだった。
しばらく畑の間の畦道を走ると、3人は畑の真ん中にポツンと建つ工場へと到着した。全体が木で作られた小さな工場の壁面には、麦を握るネズミのマークが掠れつつも描かれている。
「調べたところ、レックスはここで地ビールを作ってるらしいです。このネズミのイラストも、彼の名前の頭文字から付けたそうです」イズミはマークを指差しながら説明を進める。「とりあえずレックスに会わないとーー」
「何か御用ですか?」
不意に3人は声をかけられる。振り返ると、そこにはオーバーオールを着た30手前の男が立っていた。
「あんたがレックスか。ちょっと時間いいか?」
それから工場の中にある倉庫の隅に場所を移して、ブルースたちは問題の夜の話を最低限に省略して説明した。あまり詳しい話をすると、ケイトが辛い出来事を思い出すと考えたからだ。
話をする間、ブルースたちは振る舞われたパンを口にするが、ビールの材料から弾かれた大麦を使ったというそれは、控えめに言っても美味いとは言えなかった。
「ーー成る程、話はわかったよ」話を聞いたレックスはテーブルの上で指を弄びながら、手元に置いた山盛りのピーナッツを口に運ぶ。ピーナッツをパリパリと食べる姿は、どこかネズミのそれを連想させる。「……確かに僕はその日、そのホテルのパーティーに兄さんと参加してたよ。でもあの夜の記憶ははっきり覚えていないんだ。試飲会って事でいろんなお酒を飲んで気分が悪くなったから。だから君とも会場で会ったかもしれないけど、見覚えはないや」
ケイトに対して残念そうに頭を下げるレックスの様子をブルースは観察するが、それが本心なのか惚けているのかまでは分からなかった。ただブルースの目からは、彼がケイトを意図的に避けているように感じられた。
その後いくつも質問をしたが、彼が問題の人物である、或いは違うと決定づける答えは得られなかった。当日は服装から髪型まで都会暮らしの兄にコーディネートをされたらしく、ロンドンに友人もいないため行き帰りは1人、つまり証人もいないとのことだった。
「その兄ちゃんだけど、弟のあんたから見てどういう奴なんだ?」ブルースは別視点からの質問をぶつけてみる。「たとえば女性にだらしがないとか酒癖が悪いとか」
こちらの質問に、レックスは胸ポケットから実家で撮ったという1枚の写真を取り出した。そこには小さなブドウ農家の工場の前に立つ子どもの頃のレックスと、隣にそっくりな顔立ちの子どもが並んで写っている。
「兄さんとは双子だから見た目はそっくりだけど、それ以外は真逆なんだ。というより、僕のほうが劣っている、というのが正しいだろうね。兄さんは昔っから両親の期待に応えて勉強もできたし、おかげで今は都会にある大きな会社で働いてるエリートのお金持ちだ。頭が悪くて親からも見放されて、おまけにお金に余裕がない僕なんかとは大違いさ」
そのまま工場を見回すレックスに釣られて、ブルースたちも周囲を眺める。確かにビール作りに使うという設備以外はボロボロだった。裕福ではないのは事実のようだ。
「兄さんの女性関係とかのプライベートな部分は分からないな。人付き合いが上手くて友人知人が多いのは確かだろうけど、僕が家を出た後は滅多に会わなくなったから」
「ちなみに家を出たのはどうしてなんだ?」
こちらの問いかけに、レックスはどこか悲しそうな顔をする。
「なんていうか、食べる物が口に合わなくなってね。それにお酒造りが好きだったんだ。自信のない人に大胆になる勇気を与えてくれるからね。だから僕が理想とする味のビールを作りたくて、家を出たのさ」
その後も目ぼしい収穫はなく、ブルースは土産にと持参したブドウの缶詰めが入った紙袋を手渡した。
「今日は忙しい中ありがとうな。これ、良かったら食べてくれ」
中身を確認すると、レックスは少し困った顔をしながらも礼を言う。
「あ、ありがとう。僕は体質的にキツそうだけど、従業員に配らせてもらうよ」そのままペコリと頭を下げて、レックスは空になったピーナッツの皿を持ってその場を後にした。