探偵、"狼と青髭"登場
ロンドンの街中に、振り続けていた雨が収まっていく。
この仕事を終えるまでには止みそうだから、自慢の帽子とコートを濡らさないですみそうだ。
古いアパートの外の光景に、ブルース・ベイヤードはほう、と安堵の息を吐く。
それから目の焦点を手前に戻し、窓ガラスの内側に映る自分の姿を見る。
ブラウンのフェルトハットにミルクブラウンのチェスターコート。
内には白のシャツと青いネクタイを締め、トレードマークの無精髭もバッチリ決まっている。
そんな身だしなみを満足げに見ているとーー
「オイコラ、どこ見てやがる⁉︎」
こちらに怒鳴りつける声に、ブルースは顔を横から正面を戻す。
そこにはこちらを睨みつける紺色のツナギ姿の男たちが立っていた。
何故こんな状況になっているのか、それは「祖母がネズミ駆除を名乗るインチキ臭い男たちに困っている」という麗しい孫娘さんの相談を受けたからだ。
ブルースの背後には、おさげ頭の依頼人が祖母と共に震えている。
そんな中、男たちはさっきからネズミのようにキーキーと喚き散らしている。
これが童話か小説だったら、俺の鉄拳で悪い奴らはあっという間にボコにされてめでたしめでたしーーなのだが、現実はそうはいかない。
ブルースはポケットの中で拳を握りしめながら、隣にいる相棒をチラリと見る。
キチンと悪いことをしていると証明してからでないと暴りょkーーもとい制裁を加えてはいけないと、この男と約束しているからだ。
「じゃあアンタらは俺たちがインチキをしていると、こういうわけかよ。オイどうなんだ婆さん⁉︎」
男の1人が、こちらの背後にいる老婆を睨みつける。
「いえ、あのーー私はーー」
男たちに睨まれると、この部屋の主は隣の孫娘にしがみついて泣きそうになる。
淑女を泣かせた時点で、悪人決定で良いんじゃなかろうか。
そう思いブルースは力に訴えようと踏み出そうとする。
しかしこちらより先に、隣にいた男が進み出た。
中肉中背、ヨレヨレのピーコートを羽織りボサボサで白髪混じりの頭髪と冴えない格好。
それでもその男が近づくと、業者を名乗る男たちは僅かに怯む。
それというのも、男は顔の左側を狼を模した仮面で覆うという、不気味とも取れる様相をしているからだ。
「だからそう言ってんだろ。口だけじゃなくて頭も悪いんだな」
「ついでに顔も悪い」
相棒の言葉に乗じて、ブルースも悪態をついてやる。
そうしたこちらの言葉に、業者を名乗る男はイライラしながら丸テーブルの上を指差した。
カントリー調のテーブルクロスの上には、20ポンド紙幣の横幅程もありそうな大きなネズミの屍骸が、数匹置かれていた。
少し離れていてもわかる腐敗臭が臭ってくる。
「じゃあこのハツカネズミの屍骸はなんなんだよ! この家の天井から出て来たんだぞ!」
男は天井裏へと開けた穴を指し示す。
「それとも、これが作り物だとでも言うつもりか?
これを見てもまだインチキだって言うんなら、営業妨害と名誉毀損で訴えても良いんだぜ?」
訴えるという業者の脅しに、老婆はすっかり縮こまってしまう。
しかしその前にいる仮面男は、表情を変えずに歩を進め、驚いたことにネズミの屍骸を所々押し始めた。
その途中、死骸は腹部だけ何故か固く動かないようだった。
その様子に、相棒は満足げに顔を上げる。
「このネズミの屍骸、腹の部分が不自然に固いみたいだな。つまりこれ、冷凍マウスだろ」
男の言葉に、自称業者たちはビクッと反応する。
「ちょっと、冷凍マウスってなんですか?」
ブルースは長身を縮こめながら死骸を見て首を捻る。
「主に爬虫類とか猛禽類の食用に用いる、ネズミの屍骸だよ。
殺してから冷凍するから鮮度を保てるんだが、解凍が充分じゃないとこんなふうに腹の中が凍ったままなんだ。
まぁこの時期は気温が低いからな」
相棒はそう言うと天井を見上げる。
「実はお前らがうちの相棒と玄関で揉めてる間に、俺も天井裏を確認したよ。
するとあら不思議。こんだけの数のネズミがいたって言う割には、天井裏とかに糞尿の形跡がまるで無かった。
何より、この婆さんはネズミに対しての動物アレルギーを持っているのに、この部屋でその症状が出たことはないそうだ。
つまり、この屍骸は、外から持ち込まれたものだってことだ」
「うるせえっ! 余計なこと喋りやがって‼︎」
正体がバレてヤケになったのか、業者を語っていた男たちは拳を振り上げて男に迫っていく。
しかしその直後、ブルースがサッと間に入り、まるでネズミでも散らすかのように、迫り来る男たちを殴り飛ばしてしまった。
「くそぅ。テメェら何なんだよ?」
床に打ちつけた腰を押さえながら、男は苦々しげに仮面な男を睨みつける。
「何かと訊かれたら探偵だと答えるしかないな。それと、俺はテメェなんて名前じゃねえ」
そう言うと男は左顔面を隠した狼の仮面を近づける。
「ウォルフ。ウォルフ・リグレットだ」
痛みで疼くまる詐欺師たちは、ウォルフの仮面とこちらの顎髭を見ると一気に青ざめる。
「その仮面に顎髭……。
まさかテメェら、あの"狼と青髭"……⁉︎」
「ほう、俺たちのこと知ってんのか。だったら俺の前で女性を脅すべきじゃなかったな」
そう言ってブルースは笑顔で近づくと、男たちをトドメの右ストレートで仕留めるのだったーー。
▷▷
「本当にありがとうございます。おかげで騙されずにすみました」
玄関先で、老婆は仕切りにこちらに頭を下げる。
「お礼なら、素敵なお孫さんに言ってください。
彼女が相談してくれたから、俺たちは動いたんです。
それにハムスターを飼っているお孫さんの家に遊びに行くと、よくくしゃみや鼻水が出るというお話のおかげで詐欺だという確信が持てました」
もっとも、ハムスターの下りについては俺は何も気づけなかったけどね。
心の中で、ブルースはボソッと呟く。
「ほらねお婆ちゃん、言った通りでしょ。
頼りになる人たちだって」
嬉しさを全開にして、孫娘は祖母と笑い合う。
「いえいえ、困っている女性を助けるのは当然のことですから。そうっスよね、ウォルフさん」
クスリと微笑んだブルースはウォルフを見るが、肝心のウォルフはそっぽを向きながらポケットから取り出した薬を水で流し込む。
照れ隠しかそれとも病気の影響なのか、毎度のことながらこの男は愛想が無いのが困りものだ。
そんなこちらの悩みに気づかないのか、探偵はそのまま視線を老婆たちに向けずに報酬を請求する。
「最後の挨拶は済んだか?
それなら早く依頼料をもらって帰りたいんだがな」
まったく、この男には愛想どころかデリカシーも無いのか……。
ウォルフの無遠慮な言葉に、ブルースはガックリとする。
「そうですよね、ごめんなさい。私ったら気づかなくて」
孫娘は軽く頭を下げて報酬をこちらに手渡す。
「こちらこそ無遠慮にすいません」
報酬を受け取る時に、ブルースはさりげなく孫娘の手を握りしめる。
「お詫びと言ってはなんですが、今度ご一緒にお食事でもーー痛っ‼︎」
笑顔で食事に誘った瞬間、ブルースはすかさずウォルフにもも裏を蹴り飛ばされて顔を苦痛に歪める。
「無遠慮なのはオメーだ。オラ行くぞ」
そのままブルースを引きずりながら、ウォルフは鼠色の曇り空の下へ歩いてゆく。
「まったくもーアンタは。
自分がモテないからって人の恋路を邪魔しないで下さいよ」
雪の残る石畳の歩道を歩きながら、ブルースは横を歩くウォルフにブツブツと文句を漏らす。
「邪魔されなけりゃ、今頃あの娘とランチでもしていたのに。
あの娘、俺ともっとお話ししたかったはずですよ。
俺には分かる」
「俺の病気じゃあるまいし、妄想もいいかげんにしとけよ」
顔を見ないまま、ウォルフは白い息と共に会話をする。
「お前と話をしたいのは、あのグレイたち警察だろうよ。
今回も相手をボッコボコにしちまいやがって、そのうち傷害罪でとっ捕まるぞ」
「はっ! あの人たちの代わりに小悪党退治をしてあげてるんじゃないっすか。
捕まえられるもんならどうぞお好きにしなさいってなもんですよ」
それから長い会話の苦手なウォルフに合わせて、2人は無言で事務所へと続く裏路地を歩く。
入り組んだ建物間の隙間を通っていくと、隠れ家のようにひっそりと建つ事務所へと辿り着いた。
しかしその手前に、見慣れた黒いステンカラーコートの男の姿が立っていた。
その大きな体に隠れるように、小柄な女の子も立っている。
「ようやく帰ってきたか」
グレイ警部はこちらに気づくと、大声で話しかけて来る。
「ウォルフ、ブルース。お前らに話があるんだ」
「……よかったな。好きにしてもらって良いんだろ?」
からかい気味に囁くウォルフの言葉に、ブルースは顔色が青ざめていくのだったーー。