幕間 世の中には不要な存在がいる
そこは学校の一室とは思えないほど豪奢な部屋だった。
扉の作りからしても現在の部屋の主人の為に一から作られたと言っても過言ではない。中に鎮座する椅子や机もまた扉と同じように存在感を持っている。
そんな室内でそれらを圧倒する存在感の持ち主が静かに茶を飲んでいた。
「――――入りなさい」
ノックの音がする前、扉の向こうに呼び出した相手が来たことを悟った声が静かに響く。
響いた声はその落ち着きと雰囲気とは裏腹に少女と呼べる声色をしている。
それのそのはず、彼女は今年この学園に入学する権利を得た十代の少女なのだから。
艶やかな黒の髪に金色の瞳、人形を思わせる華奢で同じ年頃の少女の平均よりさらに小さい肉体をしていた。
だがそれでも、この少女が現在この学園に存在する者でただ一つの例外を除き最強の化け物だった。
そんな白い少女の静かな命令は聞く者に恐怖を与えるのに十分な重圧を放っていた。
「失礼します」
短い躊躇いの後、部屋の扉が音を立てないように開いていく。
扉の外にいたのは美しい空色の髪をした少女、ノア・ノイズハート。その表情は彼女らしからぬ緊張と僅かな恐怖があった。
その後ろをノアの従者であるホムラと、この部屋の主人の従者と思われる数人の少女が続き入室した。
「話があるのはノア・ノイズハートのみ。他の者は邪魔です。早く下がりなさい」
「ですがクロネ様、それでは御身に万が一のことがあった場合」
入室と同時に出て行けと言われた従者達。流石にそれは出来ないと言い繕うとする。
何せ今からクロネと呼ばれた少女が二人で話すと言った少女は約15年前にこの国で歴史に残る程のことをした犯罪者を父に持つ少女。
『反逆者』と呼ばれ、未だに姿をくらませている大罪人。
ノアにその精神が少しでも残っていた場合クロネに危険が及ぶ可能性がある。
「万が一?」
その場の空気が凍った。
明らかな怒りの雰囲気を纏う主人に恐怖が芽生える従者の少女達。
だが何故彼女が激怒するか、その理由を従者達は分からない。もしやノアに情でも湧いたのかと思ったが、その考えは次の言葉で掻き消えた。
「私が。このクロネ・キャスルークが。この程度の存在に傷つけられるとお前達はそう言うのですか。『六天』の次期当主にしてキャスルークの歴史で最高傑作と呼ばれるこの私が?」
そこで従者達は理解する。クロネの怒りの根源。
「私は誰にも傷つけられない。我が血に不安があるというなら貴女達が試してみなさい」
それは絶対的なまでの自分への自信、そして続いてきた一族の誇り。
その全てがノア如きに傷つけられると思われたという事実を決して許さない。
クロネの小さな手に軽く掴まれた長机に『六天』たる力の片鱗を発揮する。机は掴まれた部分からひび割れし激しい音を立てて割れた。
「もう一度言います。三度目はないと思いなさい。早くこの部屋を退室するように」
机のあまりにあっけない破壊に呆然となっていた従者達はすぐに我に返りその命令に従い急いで部屋から飛び出す。
このままこの部屋に居続けようとしたらあの机のようにいつなってしまうかがわからない。
クロネの従者は全員消え、残ったのはノアとホムラだけだった。
「……聞こえませんでしたか?三度目はないと言いましたよ」
その小さい身体からは想像もできない威圧を発する。
それでもホムラはその場から動かない。冷や汗をかきつつ、逃げ出そうとする生存本能を抑え込み言葉を紡ぐ。
「お言葉ですが、私はノア様の従者です。クロネ様のご命令を聞く立場ではございません」
「……いいでしょう。その場に立ちつづける胆力に免じてこの場の会話を聞くことを許します」
その一言に安堵のため息を漏らす。この少女は誇り高いが故に一度己が言い出したことは破りはしないだろう。
僅かに機嫌を損ねただろうが、確固とした自我を持つ相手をクロネ・キャスルークは決して軽んじたりはしない。
軽んじたりしないだけで、自然と見下すのはその血と地位あっての事だろうが。
「ただし、許すのは会話を聞くことだけです。いらぬ口出しをした場合力ずくでこの場を退出していただくのでご覚悟を」
「あ、ありがとうございます」
あくまでクロネが話したいのはノアだけ。それ以外は有象無象、余計なことを言わないのならば許すがこの場にいること以外は許さないとホムラに釘を刺す。
クロネはその返事に満足したのか、持っていたカップを置きノアに対して話し始める。
「さて、ノア・ノイズハート。あなたも運がいいですね。あの暗殺者の手から生き延びるとは」
「……アレは貴女の仕業、ではありませんよね」
いきなり、単刀直入に危険な話題を振ってくるクロネに対し、ノアもまた冷静に聞き返す。
あの手のやり口を彼女は非常に嫌うと把握しているからだ。
よってその返答もまた予想の範疇だった
「当然です。あのような者を使うくらいならば私が真正面から殺しに行きます。私の手にも、我が家にもあの手の存在は不要なので」
呼吸をするかのように、それが当然のごとく語る。
いや、実際彼女の中でそれは当然のことなのだろう。
誰であろうと、敵対するのなら堂々とまっすぐ叩き潰しに行く。それが可能な力をクロネは持っており、自覚しているからこそ無駄な行動を嫌う。
「第一貴女を殺す理由が私にはありません。確かに母上が貴女のことを保護下に入れていることに対して物申したいところはありますが、それは母に言うべきこと。貴女に言ったところで意味もありません」
現在ノアの身柄は『六天』のキャスルーク家の保護下にある。それはクロネの母親であり、現在キャスルーク家の当主であるシロネ・キャスルークの意志である。
このブリテンにおいて『六天』とは絶対的な存在である。『六天』の当主が白と言えば鴉でさえ白に染まる。
「クロネ様は、どこでそれを知ったのですか」
「貴女の動向は全てキャスルーク家の手の者によって把握されています。そういう『固有』もありますので。無論条件付きのもので、そう何度も使える手ではありませんが」
「……………………」
簡単に言うが、それは常に監視されていることを意識しろと言われてるのも同義だった。
思わず鋭い視線を目の前の少女に向けてしまうが、それさえそよ風にすら思わないのか静かに受け流す。
「言っておきますが貴女を監視するというのは私の意志ではありませんし、その動向も私が知りたいわけではありません。ただ我が家の中にも貴女に対し不信感を持っている者がいるというだけ。今回の暗殺騒動もその手の者でしょう」
もっとも、既に処置はしているので二度と来ることはありませんが。目の前のクロネは当然のごとくそう続けた。
ノアはその青い瞳を見開き驚愕する。読心する条件の整っていない今、その真偽を確認することは出来ないが彼女がそういう嘘を言わないということは嫌というほど知っている。
「処置した」、彼女がそう言ったのならそれは間違いないことで。下手人達の辿った結末は一つしかない。
「成功していたのならば見過ごしましたが、貴女如きを殺し損ねる程度の殺し手なら不要です。元から必要としていないのに腕も悪いとなれば存在を見過ごすこと自体が不快。あの後すぐに処分しましたので当分は安心して生活するように」
恐らくはこれが本題だったのだろう。
従者とはいえ他人の前でこれを言うのをやめていたのはノアの立場が危険になるから。
肉体的性質が重要視されるキャスルーク家に保護されているノアだが、その扱いははっきり言って悪かった。
読心という優秀な『固有』も、肉体的強さを重視する家からすれば無用の長物。それどころかそんなものを持っているというだけで白い目で見られる。
現当主であるシロネ・キャスルークでもそんな家中の空気を何とかしようとはしなかった。それは一人の為にそれだけの労力を割くのを嫌ったか、他に理由があったからか。
その真相は分からないが、ノアにとって完全な見方と言えるのは母親の代からの従者であるホムラだけだった。
「貴女の父親が『六天』の宝を盗み取ろうとした大罪人であること、母親が貴女を生み数年後に死に、当時友好関係にあった私の母が貴女の保護を言い出したこと。はっきり言いますが、そんなことは私にとってどうでもいい」
他のブリテンの者が聞けば眉をしかめ、軽蔑の視線を向けるであろう事実をあろうことか『六天』の少女が全否定する。
親の罪などどうでもいいと。そこに存在してもしなくても同じことなのだと、その目は語っている。
「我が家が保護するのであればそれ相応の価値を見せつけなさい。怠惰に過ごすことは許しません。生きるということは責任を果たすこと。世の中には不要な存在がいる。それは果たすべき責任も持たず、またやるべきことを見出すことさえしない存在。私はそんなものの生存を許しません」
今のお前には生存価値もないのだと、静かに断定する。
ノアは俯きつつ、それでいてその評価を甘んじて受け入れる。
自分が何もしていないのも、何をすべきかもわからないのは事実だから。目の前の「王道」を行く少女の目をまっすぐ見ることが出来ない。
「……ですがまぁ、貴女を助けた少年。確かグレン・ブラッドフィールド、でしたか。彼と交流を持ったことだけは誉めておきましょう」
だからその言葉に俯いたまま驚愕した。
それはグレンのことを知られていたのもそうだったが、目の前の少女が自分を評価するなどと言うことを初めてしたからだ。
その驚愕の空気が伝わったのかクロネはジト目でノアを見つめ不快そうに、小さい声で言い繕う。
「正当な評価はします。私は貴女のことを嫌っているわけではありません。父親が大罪人というのならば私も同じです。むしろ敵国の最強戦力であり、当時の『六天』当主三人を殺しきった人です。母上が言い出さなければ檻の中で繋がれるだけでは済まなかったでしょう。……それだけ肉体的価値も魅力もあるのだからやはり罪びとなのでしょうが」
早口に、今までの冷静な様子を考えれば激しく動揺したクロネの姿にこれまた動揺するノア。
というか同様のし過ぎで自分が何を口走っているのかさえ自覚していない辺り重症だった。
それほどまでに話に聞いたグレンの活躍が気になるのだろうか。確かに実際見たノアからしても彼の動きは凄いと評価せざるを得ない。
肉体的頂点であろうキャスルークをよく知っていながら、同年代でありながら鍛え抜かれたその肉体に驚いたのだからそれを作るためにどれだけ苦労したのかは想像できない。
「『血濡れの竜童』。神童と言われてもおかしくない才能を持ちながらその素行から神の名は不遜とされ、天災と等しいとされる竜の子供と評されることになった少年。噂だけは聞いておりましたが情報不足でした。まさか同年代だったとは」
クロネの目はそれまでの興味のないものを見る目ではなく、その頬と共に熱を伴って上気している。
キャスルーク家の人間、特にその『固有』を継いだ者に特に顕著に表れる特徴の一つ。それは強い人間に対して惚れやすく、その熱が冷めることが決してないという点だ。
たとえそれが犯罪者であろうと。他国の最大戦力であり、同胞を数多く屠っていたとしても。彼女たちの情愛の前では関係はなくなる。
そしてクロネの目は、彼女の母親が、父親に向けた目に近い光を放っていた。
「直に見たいですが、焦ることはありません。噂通りの人物であるならすぐにこの学園でも台頭するでしょう。もしかしたらシェパード家の倅が取り込もうと考えているかもしれませんが、そうなったら実力行使をするまで。いえ、『竜童』が私の目にかなったらの話ですが。叶えば私のモノにします」
「…………グレンは、誰の物でもない。私の物じゃないし、貴女の物にもきっとならない」
クロネの独白を遮り苛立ちを隠さずノアが言い放つ。それは数少ない自分の味方を奪われる恐怖か、それともほかの感情からなのか。
今まで感情を表すことをしてこなかった彼女にその判別は出来なかったが、それでもグレンがクロネの物になると仮定した瞬間に感じた不快感を無視することだけは出来なかった。
「……いいですね。先ほどまでの何を言われても反論しないサンドバッグ状態に比べればはるかにマシな顔になりました。ですが、はいそうですかと納得するような生き方を私がしていないことは分かっているでしょう?」
「当然、です」
「であれば私の敵にふさわしく在れるように精進しなさい。私の敵であるのならそれ相応の格が必要だということを認識するように。以上、私の言いたいことは終わりました。もう下がっていいですよ」
どこまでも、終始上から目線で見下した発言だったが反論という新鮮な反応に上機嫌になりながら話を終了させた。
それが闘争でなくても、彼女に戦いを挑む存在など久しくいなかったのだから嬉しいのだと、ノアは読心をしなくてもなんとなく察することが出来た。




