幕間 地下の底、闇の中
地下の底、闇の中、何も見えないはずの空間で、ゆっくりと目を開く。
そこはありとあらゆる生物の処刑場。終わりとなる地だった。
目を開いた男……かつて『星王』と呼ばれた男は静かに周辺を見渡す。
「…………まだ悪趣味なことをしているのか」
静かに呟いた『星王』の前には数多の死体が転がっていた。
死ぬまで弄ばれ、死んだ後も有効活用の名の下その肉体を斬り刻まれて。ありとあらゆる尊厳を壊しつくされた成れの果ての姿。
『星王』がそうなっていない理由は二つ。一つは彼の肉体があらゆる刃物を通さぬ最高と言っていい肉体を持っているから。物理的に傷つけることが出来ないのだから、あらゆる実験もすべては意味を成さない。
もう一つは彼を寵愛しているのがブリテンにおける最高権力者の一つ、『六天』のキャスルーク家の現当主だからだ。
『六天』の財産ともなればおいそれと触れることも許されない。触れれば『神体』の怒りを買い、確実な死が待っているのだから。
「十数年経っても変わらないな、ここは。相も変わらず聖樹とやらに魂をささげているのか」
「――――それが私達の役目です、父よ」
『星王』の独り言に返ってくるはずのない返答が戻ってくる。
その事実に彼は多少の驚愕を持ちながら、それを決して表に出さず声の主に視線を向ける。
そこにいたのはクロネ・キャスルーク。『星王』の血を引く娘だった。
「我々は聖樹様のお陰で今を生き残ることが出来ている。聖樹様こそが我々の生を保証してくれる存在です」
「違うな。聖樹なんてものはただの寄生生物にすぎん。人間はあんなものがなくとも生きていけるし、それを証明し続けているからこそ、この国の外に人は今も存続し続けている」
この親子の話はいつも平行線だった。
聖樹を信じ、常にそれにふさわしく在ろうと努力を続ける娘と。
聖樹なんぞ不必要と、そんなものに縋ることは絶対に間違っていると言い続ける父。
「お前は外を知らなすぎだ、クロネ。いいや、お前だけじゃない。この国のほぼ全てがこの国の歪さを認識していない。だから今もこうして無様を晒している」
「我が父と言えどそれは聞き捨てなりません。私達のどこが無様だというのですか」
「それを認識できてないことが無様だと言っているんだ」
『星王』は静かに溜息をつく。
クロネの母親が『ヴァリマヤーナ王国』に仕事で向かった時、彼女は『星王』と出会った。
『星王』はその時すでに嫁と言える者が何人かいたが、その強さと人柄で多くの者に親しまれていた。
クロネの母親もまた同じように惹かれるが、結局敵国同士。最後には戦い、そして三人の『六天』を倒した後で敗れた『星王』をこうして捕縛し、拘束して自らの手の中に収めた。
その結果生まれたのがクロネ・キャスルークという最高傑作だ。
「世界は広い。これが正しいと断言できる生き方なんぞそうはない。だが、「これは絶対間違っている」とそう言い切れるモノならあるんだ。この国は間違っていると俺は断言できる」
「違いますよ、父。間違っている者は淘汰されていきます。その中で今もなお残っているモノこそが正しい。そしてブリテンは今もまだ残っている」
ならば正しいのはどちらか、言わずともわかるはずとクロネは言葉を止めた。
その言葉に『星王』は悲しみを抑えられない。
襲われ、そして作った娘でも。彼にとっては大切な繋がりだった。
『星王』は間違いなく娘を、クロネを愛している。だからこそその行く先に悲しみを抑えることが出来なかった。
「我が父。今からでも間に合います。いえ、貴方が生きている限り間に合います。その強さは唯一無二のもの。その強さを評価する者は私達だけではありません。だから――――」
「下れ、と。身も心も聖樹という名の汚物の為に使えと?俺の家族をあのくだらん存在の為に捧げろと?それこそありえない。俺は俺が守りたいものを守る」
ぎしり、と。『星王』を拘束しているはずの鎖が音を鳴らす。
人の胴体ほどもある太さの鎖を四肢に巻き付けられた上で、何の苦も無く障害とも思わず、動こうと、ここから出ようと思えばいつでも出られると言いたげに音を鳴らす。
「俺がここにいるのは、俺がここにいる限りブリテンが『ヴァリマヤーナ王国』に手を出さないとお前の母が誓っているからだ。アイツが約束を守る限り俺はここにいるとそう決めた」
『王国』を攻めれば数多の資源が手に入る。だが現在ではその活動の殆どが行われていない。
『導き手』と呼ばれる部隊もほぼ『王国』には手を出さない。それはシロネ・キャスルークが『星王』と取引した結果。手を出さない限り『星王』という存在はここに囚われ続けるという約束だった。
「俺がここにいる限り俺の家族は無事でいる。なら今はそれでいい。この国を、聖樹を潰すのはいずれで構わない」
「それは無理です、父よ。私がここにいる限り貴方は決して逃がさない。この国も聖樹様も必ず私が守って見せる。貴方はここに囚われ続けるでしょう」
クロネはその言葉の強さとは裏腹に弱弱しく呟いた。
『六天』の半数を殺しきった目の前の父を、彼女はそれでも尊敬していた。
許されぬことをしたと言い切っていいだろう。それでもその強さが、その優しさを彼女は知っていた。
幼い頃、憎まれていると思った目の前の男に迷い込んだ時その頭を優しくなでてもらった時から、クロネは父を愛している。
だからこそ、このままでいることが彼女は悲しかった。
「父よ。何故そこまで頑なになるのです。貴方の家族であれば、私の家族であるのと同じ。私が『六天』になれば保護下に置くことも出来る。誰にも手出しをさせないことが」
「そうやって自分達だけ安穏と暮らすと。あまり俺を過大評価するなよクロネ」
『星王』は獣のように口角を吊り上げ、馬鹿な自分を自嘲するように、それでいてどこか誇り高さを見せつつ笑った。
「俺に惚れてくれた女達はな、目に付いたもの全てを守りたいと思った馬鹿を好いてくれたんだよ。俺は俺に惚れてくれた女達に誇れない生き方はしない。誰がなんと言おうと絶対にこれは曲げない」
自分でも馬鹿なことを言っていると分かっているのだろう。目に付く者全てを守り切ることなど不可能だと分かっているのだろう。
それでもあきらめきれなかった。罪もない人達が傷つけられるのは、その日常が侵されるのは我慢ならなかった。
その果てがこの暗闇の中で十年以上拘束された日々でも、そう思い行動したことだけは間違いではなかったと誇らしげに娘に語る。
「もっと楽な生き方はあっただろうな。だが俺はこの道を選んだ。そして選んだことに微塵の後悔も存在しない」
その強さがあればもっと傷つかない生き方があった。こうして不自由に囚われ十年以上を無駄にすることはなかった。
きっと愛した、愛してくれた女達を悲しませる事はなかった。
それでもと彼は笑う。
「馬鹿だろうがなんだろうが、自分で決めた道を歩まなきゃ嘘だ。誰かに決められた道じゃなく、自分で選んだ道を曲げたら一生戻れなくなる」
だから『星王』はここにあり続ける。それが自らが決めたことだと言って。
お前はどうだ?そう彼はクロネに問いかけるようにその視線を向ける。
それは厳しい父親が娘に向けるものそのものだった。
「お前の生き方は誰が決めたものだ、クロネ。聖樹がそうあれと決めたからこの国を守っているのか。本当にこの国全てを見渡して、この国を守りたいと思っているのか」
「…………私が、この国を守るのは当然です。私はキャスルーク家の」
「お前がどうしたいかを聞いているんだよ、クロネ」
その強い言葉に思わず息をのんで黙ってしまう。
これが他の者であれば、自信をもって「これは私が決めたこと」だと言い切れるだろう。
だがこの父の前ではそれが出来ない。彼はクロネを次期『六天』として見ていないから。彼女自身を見つめて言葉を紡ぐその姿にいつも気圧されてしまう。
そのことが父の言葉を肯定していると思い悩んでしまう。
「言っておくがお前が間違った道を進んだと思った時には俺がお前を殴りに行くぞ。娘が間違った道を行こうとしている時に黙っているほど親の自覚がないわけじゃない」
「……その結果、ここを出れば『王国』は我が国に襲われますが」
「言っちゃなんだが俺がいなくても何とかなるよ、あの修羅国家は。俺より強い奴はそうそういなかったが、俺より下でもアホ程強い奴もいる。だからそこらへんは心配してない」
ただこうして繋がれていればその間だけでも平和になるから。だからここにいると『星王』は笑う。
気安く、ただ堅物の娘と話している父のように。
四肢に繋がれた鎖など関係なく、檻によって娘と出来た距離など関係なくただ強く笑う。
本当はそんなことはないだろうに。『星王』という戦力だけではなく、かつての戦いで多くの戦士たちが消えていった『王国』にそこまでの余裕はないはずなのに。
そんなこと関係ないとばかりに、多大な信頼をかつての仲間達に抱いている。
それがこの父親の強さの一つなのだと、娘は知っている。
「それでも平和であることに越したことはないからな。だから今はここにいるんだよ」
「……いずれ、私が『六天』となった時。その時あなたの家族を迎えに行き、保護します。その時また聞きましょう。その時の父の選択を楽しみにしています」
「そう簡単にいくと思うなよ。俺の女達だぞ?」
「覚悟の上です。父に子がいればそれは私と同じ血を半分継いでいるという事になる。間違いなく強敵でしょう」
それでも決して負けはしないと彼女はその拳を握りしめる。
空間が圧縮されていると錯覚するほどの力強い本気の握りしめ。それを見ても『星王』の余裕は決して崩れない。
「自分の間違いに気づいた時、お前の強さは弱さに変わる。その時支えてくれる誰かを今のうちに見つけておけよ、クロネ」
「間違いなどではありません。だからその未来も心配も不要なものです。……またいずれ会いに来ます。その時こそ考えが変わっていることを祈っています、我が父よ」
暗闇の中、娘が遠ざかっていく音を聞きながら『星王』は嘆息する。
かつての自分がやったことに間違いはなかったと断言できる。
それでも娘とのコミュニケーション方法は間違っているのではないかと、暗闇の中で一人頭を悩ませるのだった。




