プロローグ
新連載始めてみました。
一章は三万字程度で収まる予定です。
神聖暦六七八年十月十日。エルメラ王国の首都レンスターリ。
大陸の最西端に位置するその国で、二人の兄弟が剣の稽古をしていた。
街から少し離れた草原に、カン、カンと小気味よい音が鳴り響く。
「やぁ――!」
金色の髪に碧色の瞳。手に木剣を持った幼い少年が、正面に構えている兄にめがけて木剣を叩きつける。
――カン!
「どうしたクラウ。そんな弱い攻撃じゃ、勇者にはなれないぞ?」
もう一人の青年。少年と同じく金髪碧眼の青年は、向かってくる木剣を自身の木剣で受け止めると、そのまま力で押し返す。
「うわっ!」
後ろに倒れるようにして尻餅をつく少年。兄はそのクラウの様子を見て、ひとつ息を吐くと、「今日はここまでにしよう」と切り上げを提案する。
「ええー! まだやれるよ、兄さん!」
すると途端に口をとんがらせそう言う少年。クラウは継続を願うが兄はそれを拒否した。
「ダメだ、今日はもう終わりだ」
「……ケチ」
数年前より、勇者となった兄――ラインハルトは多忙の身であった。各地を旅して回り、事件を解決しては、また旅に出て、ようやく帰ってきたかと思えばすぐに旅にでる生活。
もっと兄と一緒にいたかった幼少期のクラウは、自分の相手をしてくれない兄に対して不満を感じていた。
むすっと顔を膨らませ、不機嫌ですよアピールをするクラウを見て、ラインハルトはくすりと微笑む。
「仕方ない」
木剣を地面に差した彼は、腰に差した魔剣を手に取り、その剣身を抜き放つ。その美しい銀色の刃を見て、クラウが飛びつくように起き上がった。
「わぁー。きれー!」
キラキラと目を輝かせながらそう言うクラウ。
「クラウも勇者になりたいのか?」
「もちろん! 僕も兄さんみたいなカッコよくて、優しくて、強い勇者になって、この手で皆を守れる人になるんだ!」
すると、兄はにっこりと笑顔を浮かべると弟に向けて言った。
「そうか。それならお前に大切な条件を教えておく。いいか、クラウ……よく聞けよ。勇者にとって最も大切なことは――………」
*
――ブチン!!!!
何かが絶たれた音が、クラウの身体に駆け巡った………。
腕が舞っている。
あれは一体誰の腕なのだろうか……。
四方にある魔導ランプが照らす部屋の中で、クラウはそんなことを考えていた。
右腕が焼けるように痛い。二の腕から先の感覚がまるでなかった……。
右腕が炎で焼かれているように熱い。あの見覚えのある腕は自分のモノなのだろうか?
宙を舞う腕がやがて地に落ち、周囲に血をまき散らしても、彼はまだ、その腕を自分の腕だと信じることが出来ないでいた。
次の瞬間、ドゴォン! と壁を破壊して駆けつけた兄。彼は、地面に座り込んでいるクラウを見て、酷く歪んだ顔をしていた……。
温かい光が右腕を包み込む。
「――――」
何かを話しかけながら、治癒魔法を発動する兄の姿に、クラウはどうやら自分の腕は切られたらしいと理解をした。しかし、実感がまるで湧かなかった……。
自分の腕がない……そのことがあまりにもショックだったのだ。
まるで灰色の世界に閉じ込められたみたいに、ぼーっとしているクラウを庇うようにして立ちふさがるラインハルトを四人の黒装束が取り囲んだ。
闇を纏ったかのようなその外套。
頭まですっぽりと外套に身を包んだ黒装束たちは、それぞれの手に異形の武器を構えた。
次の瞬間――クラウの目に映ったのは、壮絶な戦いの一幕だった。
ギン! ガッ、キンギン! キンガ、ギンギンギン! キン、キンキンキン、ガッ、ギン! ガッ……。
――キン!!
それは瞬きすら許されぬほどの剣戟だった。
連携を取りながら攻撃を仕掛けてくる敵の攻撃を攻撃を、全て剣一本で捌くラインハルト。
激しくぶつかり合う金属音が部屋に響き、飛び散る火花が絶え間なく周囲を照らす。
四人同時の攻撃にもかかわらず、一歩も引かないラインハルトの様子に、埒があかないと思ったのか、黒装束の一人が彼から距離を取って魔法を発動する。
――ゴウ!!
と、迫ってくる炎の塊。ラインハルトは槍を模した光魔法を発動すると、迎えうつ。
「チッ……」
火球を打ち出した男が舌打ちをする。
――バゴォォン!!!
男の炎を打ち破り、壁へと激突する光槍がけたたましい轟音を発てる。その反撃を受けた敵は、横へと大きく回避すると、しかし、再び魔法を発動した。
クラウの腕に痛みが戻ってくる。
「……う、うわあああああぁああああああ!」
途端、身体中に襲いかかってくる激痛にクラウは絶叫した。
止血は既に兄がしてくれている。おそらく痛み緩和の魔法も掛けてくれていることだろう。
だが、それでも腕を失ったこの凄まじい痛みにクラウは我慢が出来なかったのだ。
「――っ、クラウ!」
ラインハルトの気が一瞬逸れたその時だった……。
その膝が地面についた。
「ゴフッ……」
「……! に、いさん……!」
血が混じった咳が地面へと吐き出される。
信じがたい光景だった。
自分のせいで気を取られてしまった兄は、敵から投げつけられた剣を諸に受けてしまい、その直剣は背中にまで貫通をしていた。
クラウの頭の中に嫌な未来が想像される。
(……ぼくのせいで、兄さんが死んじゃう)
「にいさん……ぼく……ことはいいから……逃げて……」
激痛から耐えるように歯を食いしばって、そう懇願するクラウ。兄はそんな弟ににこりと笑みを浮かべると、再びその足を踏みしめ、立ち上がった。
「そうだよな……クラウ。お前はそう言う奴だよ。大切な人を守るためだったら命を投げ出せる、そんな凄い奴さ」
彼は言った。
「……けどな、忘れてないか? 俺はお前のお兄ちゃんだ。弟の性格は兄貴譲りって昔から相場は決まっているんだ。だから……」
――俺がお前を、必ず救ってやる!
その時だった。この場に似つかわしくない音が聞こえてきたのは……。
「パチパチパチパチパチ」
それは拍手の音だった。
音の鳴る方へと視線を向けると、それは部屋の片隅に立っていた五人目の黒装束だった……。
他の四人とは違う……銀で出来た仮面で目と鼻を覆ったその男。
彼の登場に四人の攻撃がぴたりと止まった。
「さすがは勇者ラインハルト。まさしく勇者の称号に相応しい愛に溢れる会話だったよ」
拍手をしながらこちらに向かってくる銀仮面は、心の底から感心したというような口ぶりで語りかけてくる。
それまで気配を悟らせず、たった今その存在に気づいたラインハルトが、最大限の警戒態勢を取りながら答える。
「そいつはどうも、ついでにその『愛』に免じて、ここから逃がしてくれるとありがたいんだけどね」
「それは出来ない相談だな。我々が聖陽教を滅ぼす上で、『勇者」であり『光の魔剣』を扱うことのできる貴様は、我々にとって邪魔な存在。みすみす逃がすわけがないだろう? なにせ、この場は貴様を殺すために、わざわざ作り出したものなのだから」
その言葉にラインハルトの耳がピクリと動いた。
「……今、なんと言った?」
「フッ……もっと分かりやすく言ってやろう。そこにいる役立たずは、おまえをここに招くために連れてきた『餌』だ」
笑いながらそう告げる銀仮面の男。
「……ふざけるな……」
その声は震えていた。
「ふざけるなよ! そんなことのために……俺を殺すためだけのために、お前たちは俺の弟をさらったのか? そんなことのためにクラウの腕を切り落としたのか? クラウには……クラウには勇者になるという夢があったんだぞ!!」
「そうか……それは可哀想に」
「――黙れ!」
その時、兄の身体から光の魔力がほとばしった。
それはクラウと行う稽古の時のような優しい光ではなく、めらめらと燃え上がる炎のような光だった。
「お前たちだけは絶対に許さない!!!!」
銀仮面の目に驚きの色が浮かんだ。
「凄まじいな……まだこれほどの余力を残しているとは……」
そして彼は、言った。
「さて、それならば私も少し本気を出さねばなるまい」
ゴウッ! と闇の魔力を解き放つ銀仮面。
光と闇。その二つの魔力がぶつかり合い、互いが互いを消し去っていく。
兄の輝く光はやがて魔剣へと凝縮され、銀仮面は噴き出てくる闇の塊から一本の魔剣を取り出した。
そして彼らはそのまま剣を上へと振り上げると――――互いに向けて振り下ろした。
飛ぶ斬撃として、互いに迫る光と闇。
それらが衝突したその瞬間――ボン! という爆風が巻き起こった。
それらは壁を取っ払い、他の黒装束たちを吹き飛ばし、地を赤く染め上げた。
しかしその均衡はすぐに傾く。
闇が光を飲み込み始めたのだ。
「――くっ……」
「どうやらここまでのようだな」
グオッ! さらに出力を上げる銀仮面。増大する闇は光を飲み込み、そしてラインハルトの目前まで迫ってくる。
もはやこれまでか……と思われたその時だった。
ラインハルトがにやりと笑う。
「お前たちこそ覚悟するんだな。俺たちはお前らが思っているよりもずっと強いぞ?」
「? 何を――ッ!」
「魔剣よ、温かき光を持って、かの者の道を顕現せよ!」
<ライトエンゼーション>
その瞬間、クラウを中心として光の柱が立ち上った。天井を貫き、月まで届かんとする光の柱。
予期せぬ光景に、ラインハルトを除く全員が目を剥いてしまう。
その直後の事だった。
ラインハルトが突然、腰に差していた鞘と魔剣をクラウへと投げ渡してきた。
「……え?」
「ちょっと魔法に集中したくてね。少しの間でいいから持っておいてくれるかい?」
そう言って、説明する兄。
しかし、あまりにも不自然なその行動にクラウは思わず訊ねてしまう。
「何を、いっているの……?」
「後のことは頼んだよ、クラウ」
そう言ってにこりと笑うラインハルト。
クラウはなにがと聞かずとも分かってしまうその言葉の意味に、思いつく限りの言葉を兄に投げかけた。
「そうだ。今度兄さんに見せたいものがあるんだ! だから一緒に帰ろう? ……兄さんがいない間に新しい魔法を覚えたんだ……だから一緒に帰ろう? それからね、僕……兄さんと、もっと一緒に稽古がしたい……だから……だから、一緒にかえろうよ……」
……それは、大好きな兄に構ってもらいたいという、ただの幼心だった。
立ち上がり、兄の身体を掴もうと必死に左手を伸ばすクラウ。しかし、その手は光の柱によって遮られ、どんなに手を差し出してもぺたぺたと光の壁に手をつくだけだった。
そんな弟を、嬉しいような悲しいような目で見つめる兄。
その碧の瞳に映るクラウの顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
地面に描かれた魔法陣の輝きが強くなり、徐々にクラウの顔が見えなくなっていく……。
「クラウ――愛してるよ」
そう言って、にこりと笑いかける兄。
その横顔を最後に、クラウは飛ばされていった……。