豊作の種
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
あなたは毎日、規則正しく起きることができる人かしら?
前の日に夜更かし、飲み会なんかにつき合って、ついつい朝寝坊……なんて経験ない?
「早起きは三文の徳」。されど「春眠暁を覚えず」。さわやかな目覚めが欲しいこともあれば、惰眠を求めたくなることもあるわよね。
私も昔はだらだら眠りたくなる派だったんだけどね。ちょっと前に気味悪い昔話を聞いちゃってから、ちょっと警戒ムードっていうか。
――えっ、聞いてみたい?
うーん、まああなたが好きそうな話かな? それじゃちょっと聞いてもらいましょうか。
むかしむかし。とある地域の村にはちょっと変わった決まりごとがあったわ。
それは今の時間でいうところの午前4時ごろ、皆は一度起き上がって動かなくてはならない、というもの。たとえ二度寝をすると決めているものでも、そこから30分ほどは再び寝ることを許されなかった。
すでにこの時間から起き出し、働きに出る者なら問題ない。子供であったり、寝たきりの者であったりしても、それを補ってくれる家族がいれば大丈夫。
そのぶん、独り身の者は誰かが手を貸してくれない限りは、自分で起きなくてはならなかったの。
その理由は、神隠しが起こる恐れがあるからとのこと。
ただし、突然に起こるものじゃない。ここの場所においてはその予兆があった。
決められた時間に起きない者には、その二本の足のどちらかに、輪をはめられたような黒々としたアザが浮き出るの。ひっかいても、刃でほじって血を出しても、消えようとしないそれは、素のままだと非常に目立つものだったわ。
これが発覚してしまうと、実家から引きはがされて、村のはずれにある小屋の中で生活することになる。そして大人たちの厳重な監視のもと、特に起きる時間に関しては4時起きが厳守されるのよ。
「このアザは、神様が目をつけたという証。神妙にしておれよ。いまの自分の暮らし、お別れしたくないならな」
見張る者たちは、しばしばそう告げて、小屋の中で暮らす者を戒めた。
アザさえ出ているなら、老若男女の別はない。数が増えればお互いがお互いを気にかけ、時間通りに起きやすくなる。
けれども、これはあくまで連れ去られる確率を下げるための策。完全に防げるわけではなかったみたい。
一度アザをつけられた者は、たとえ厳格に時間を守って起き上がる生活を続けたとしても、なお証を刻まれてしまうことが多かったわ。
ふたつ目の印は、両腕のいずれか。やはり腕輪のように、腕の一部を巻く形で現れるの。
事情を知っている村人の場合、落胆を隠せない。これは3つある段階のうちの2つまで、自分が上ってしまったことを示すから。
1段階目の者と、2段階目の者との間でいさかいが起こるのを避けるため、再び居住する場所が分けられる。監視も強化され、これまで以上に寝起きが徹底されるけど、一部にはもう諦観にとらわれてしまい、やけっぱちな行動を起こす者もいたとか。
これらのアザを本格的にのぞこうと、自分の体ごと切り裂いた例もあったけど、得策とはいえなかった。いずれのアザも、仮にその部分の皮と肉をはいだとしても、箇所を変えてどこかしらに姿を現わしてしまう。残されるのはケガの痛みと手当だけ。
そしてここから先、3つ目の段階に進んでしまう者についてだけど、実はそれほど多くなかったとか。
一段階目、二段階目でつけられたアザは、外科的処置に関しては無敵のしぶとさ。けれども、ある日突然、ふっと消えてしまうことがあるの。
アザが生じる時はみんなばらばらなのに、消える時はみんなが一緒。それを持ってこの集まりは解散し、彼らは各々の家へ帰り着くことができるの。
当事者たちにとっては、刑の執行が伸びたのと同じようなもの。あるいは安心し、あるいは神に感謝しながら去っていくけど、事情を知る一部の人にとっては、暗い表情が変わらない。
こうして自分たちが解放されるのは、別の村の誰かが犠牲になったということだから。
この現象はひとつの村に限らず、この地域に住まう者なら平等に起きることだったわ。いずれの場所でも、多かれ少なかれ同じようなことが実施され、目をつけられた者は心休まらぬ日々を送ることになっていた。
いずれの村で3段階目のものが現れるかどうかの、いわばチキンレースのごとき状況が繰り広げられていたとか。
そうして迎えてしまった3段階目は額にアザが現れる。たんこぶのような隆起とともに現れるのは、これまでに見たような頭を取り巻く輪じゃないの。
ハチの巣を思わせる、六角形の穴がびっしりと集まった黒いおでき。人によっては鳥肌が立つようなその形状は、時間と共に顔全体、そして身体全体にまで広がっていく。
この段階を迎えると、必死に彼らを起こしていた者たちの態度が変わる。
その人を小屋から連れ出し、生家へ連れて行って家族へあいさつをさせるの。永遠のいとまごいのあいさつを。
その顔が、文字通りのハチの巣になってしまうまで、2時間もかからない。まともに口がきける間に、まともに前が見られる間に、彼らはぜいたくの限りを尽くすことが許されるの。
そうしてそれらが終わると、彼らはわずかな供に連れられて、村の中央の祭壇に寝かされる。その周りに幕が張られ、一晩の間、誰の目にも触れられないよう処置されるの。
翌日の、やはり午前4時近く。
ゴロリと、晴れた空にもかかわらず、雷に似た轟きが空を走れば、それが合図。次の瞬間には張られた幕が真っ二つに裂け、中にいたはずの者はいなくなっているの。髪の一本、血の一滴すら残さずにね。
そうして人がさらわれると、その年は豊作が約束される。たとえ冷害や水不足といった凶作の条件がそろっていても、時期を迎えたなら、確実に作物たちは実り、人々から飢餓の苦しみを遠ざけていく。
ただ、犠牲を出してしまった慙愧の念がそうさせるのか、はたまた本当のことなのか。
野菜の表面、米粒ひとつの表。そこへときおり、いなくなってしまった人の面影をしのばせる、しわや傷ができることがあったらしいの。