その97(軍隊殺し2)
私はアビーの腕を掴むと、そのまま馬車に向かって走り出した。
その間も軍隊殺しの足音が次第に大きくなってきており、それに加えて何だか他の音まで聞こえてきたような気もしていた。
だが、今はそれらの音を気にしている暇も無く、わき目も振れず全力で馬車の扉に飛び込んだ。
私達の後に続いてエミーリアも馬車に飛び込んでくる音が聞えて来ると、直ぐに馬車が走り出した。
全速力で走っていた馬車が急停車すると、そこは黒霧の外だった。
そこから霧の中を見ていると、やがて「ズズーン」というくぐもった破裂音が聞えてきた。
どうやら「楽々掘削」がきちんと仕事をしたようだ。
「やったか?」
誰かが、言ってはいけない不吉な言葉を口にしていた。
あれ? これって、まさか。
私は馬車の中から台座を上り天窓から上体を出すと、爆発があった方向を見た。
その場所からは白い煙が舞い上がっていて、それが次第に収まってくると、そこは爆風で黒霧が吹き飛ばされた見通しの良い空間が広がっていた。
そしてそこにあったのは軍隊殺しの死体ではなく、タイヤ状に丸まったツォップ洞窟で見たあの姿だった。
それは人が縦に5人分はあるだろう巨大なタイヤで、グラインダーと同じ外殻にあった山形の紋様がそのままタイヤの溝になっていた。
それを見た私は叫び声を上げていた。
「逃げて」
私のその声を聞いたエイベルが、馭者台に座る兵士に命令を中継してくれていた。
「おい、急いで馬車を出せ」
馬車が急発進すると私の体は後ろの仰け反り、そのままくの字の形になって馬車から落ちそうになったが、馬車の中からエミーリアが足を捕まえていてくれたので、落ちずに済んでいた。
戦闘馬車が全力疾走を始めると、後ろから巨大なタイヤが回転しながらこちらに迫って来た。
どこかのニュースで大型トラックから外れたタイヤが乗用車に襲い掛かる映像を見た事があるが、まさに凶器となったタイヤが私達を殺そうと襲い掛かかってきていた。
それはぞっとする光景だった。
こちらも全力疾走しているのだが、軍隊殺しの回転半径は大きく1回転で進む距離もかなりあるため、回転数が上がるほどその距離は縮まっていた。
拙い、このままでは追いつかれるのも時間の問題だった。
何か地形効果でも無いものかと馬車の前方に目をやると、そこには小さなシミのようなバタールの町が見えていた。
今頃バタールの町では、お父様が住民の避難誘導を行っている頃だろう。
だが、そこではっとなった。
今の方角だと、アレをバタールの町に案内しているのと何ら変わらないのだ。
焦った私は、馭者台に向けて叫び声を上げていた。
「駄目よ。右に曲がって」
「無理です。追いつかれます」
直ぐに否定する声が帰ってきたが、それを認めるわけにはいかないのだ。
「このままではバタールの町にアレを連れて行ってしまうわ。いいから、早く曲がりなさい」
「・・・承知しました」
すると馬車が急に右に方向転換すると車輪が悲鳴を上げていた。
遠心力で体が外側に持っていかれると、何人かは側壁に押し付けられていた。
何とか態勢を立て直して後ろを見ると、軍隊殺しは直ぐ目の前まで迫っていた。
このままではもう間もなく軍隊殺しに押しつぶされそうだった。
すると三頭の龍の3人が馬車の後部扉を開けていた。
何をするのかと見ていると、キャヴェンデッシュが私にウィンクしてきた。
「クレメンタイン様、俺達にも活躍の場をもらうぜ」
そう言うと「火炎放射」の魔法を軍隊殺しに向けて放っていた。
その魔法はツォップ洞窟でグラインダー相手に使ったが全く効果が無かったものだ。
「キャヴェンデッシュさん、アレには魔法は効きませんよ」
「だが、時間稼ぎ位にはなるのでは?」
そう返してきたが、軍隊殺しの方をみやると、そこには炎を上げながら回転するタイヤがあった。
その姿を見て日本の妖怪である火炎車を連想したが、それよりも何倍も凶悪な姿だった。
だが、ますます回転数が上がったような感じで、火炎魔法が全く効果を発揮していないのだけは分かった。
すると今度はリッピンコットが「瞬間氷結」で手前の地面を凍らせていた。
地面を凍結させてスリップさせる作戦のようだ。
上手い手だと一瞬思ったのだが、氷った地面の上に差し掛かっても滑る様子も無く、バリバリと氷を砕きながら突き進んでくるので、効果が無いのは明白だった。
ツォップ洞窟で見たグラインダーの外殻には山形の紋様が付いていて、それがタイヤの溝と同じ効果を発揮していた。
氷の上でもその効果は同じなのだろう。
2人の攻撃は効果が無く、更に距離が縮まったようだった。
最早逃げきれないのは明白なので、後は衝突する直前で方向を変えて何とかやり過ごすしか生き残る方法はなさそうだった。
「エイベル、いい、私が合図したらまた右に急旋回するのよ」
「承知」
軍隊殺しは今にも馬車の後方を踏み潰しそうな距離に迫っていた。
実際、後数秒で踏み潰されるだろう。
そのタイミングで私は叫んだ。
「今よ」
「右旋回」
私の言葉に合わせてすかさずエイベルがそう叫ぶと、馬車がぐいっと右に急旋回を始めた。
だが、それよりも早く軍隊殺しが馬車の後部に接触したのだ。
「グワワーン」という音と衝撃が伝わってくると、次の瞬間、私は空中を飛んでいた。
目の前では天井と床下が交互に現れる光景が繰り返されると、体のあちこちに痛みを感じた。
どうやら私の体が回転しているようだが、自分の力では止める事も出来ず、成り行きに身を任せるしかなかった。
ようやく体の動きが止まると、今度は何か重たい物に体を押さえつけられていた。
何とか動かせる右手で周りを探ると、それは他の人の体のようだ。
その体を右手で叩くと、意識を取り戻してどいてくれたようで、体にかかっていた圧力が消えていた。
だが、今度は体の節々から痛みが伝わってきて、力が入らなかった。
どうやら怪我をしているようだった。
動くたびに悲鳴を上げる体を何とか誤魔化しながら、腰にあるマジック・バックから治癒ポーションを取り出すと、蓋を開け一気に飲み干した。
すると体の周りが淡い光に覆われ、体の痛みが引いて行った。
ようやく余裕が出てきたので、周りを見回してみると重厚な造りの戦闘馬車が軍隊殺しに弾き飛ばされて横倒しになっていて、破壊された箇所から青空が見えていた。