その92(懐かしの我が家1)
ようやく目的地に到着します。
ブレスコット辺境伯領の領都バタールは、帝国軍が侵攻してきた時に守りの要となるため、堅固な壁に取り囲まれていた。
壁には北側を除く3方向に城門があり、馬車はまっすぐ南門に向かっていた。
思えば卒業パーティーで婚約者である第一王子に婚約破棄を言い渡され、ここまで辿り着くまで随分遠回りをしたものだ。
そしてその道中では色々な出来事もあった。
まさか私が冒険者になるとは思わなかったし、2回も牢屋に入れられ、ツォップ洞窟では一歩間違えば死んでいたのだ。
だが、こうして無事実家に帰ることが出来ると、そんな苦難も懐かしい思い出になるのだから不思議だった。
まあ、またやってみろと言われても御免被りますがね。
それよりも今はお風呂でさっぱりして、ベッドで死んだように眠りたいのだ。
バタールの門までやって来るとなにやら慌ただしい動きがあり、門を守る兵士達が完全武装して飛び出してきた。
もしかしたらビンガム男爵領が裏切った知らせが齎されたのだろうか?
「おい、お前達は何者だ。まさか馬車1台で攻めてきた訳ではあるまい?」
私はその声で、今乗っているのが帝国の護送馬車だったことを思い出した。
そう言えば私も相当疲れていて、そこまで気が回っていなかったのだ。
だが、私が対応することも無くエイベルが大声で言い返していた。
「おい、マレット。俺だ、エイベルだ。この馬車にはクレメンタインお嬢様が乗っておられる」
「な、なんだと。そんな馬鹿な。いや、お前が居るのならそうなのか。だが、これも任務だ。確かめさせてもらうぞ」
そう言うやり取りの後、足音が馬車の後ろ側に近づいてきた。
「中のお方、失礼します」
そう言うと幌が開けられ、こちらを覗き見る2人の男の顔があった。
そして男達の視線が私を捕えると、大きく目を見開いていた。
「これは驚いた。お嬢様、ご無沙汰いたしております。てっきりまだ王都だと思っておりました」
私は半分瞼が下がった顔で右手を上げて答えていたが、私の状態を察したエミーリアが直ぐに私に代わって返事を返してくれた。
「マレット様、お嬢様はかなりお疲れです。早急にお屋敷までご案内する必要がございます」
「お、おう」
流石に帝国の紋章が入った馬車で町中に入るのは拙いという事で、帝国の紋章が入った幌は取り除かれていた。
そして館まではマレットが先導してくれていた。
その途中に練兵場があり、そこには領地内からかき集めてきたような大量の馬車やら荷馬車が置いてあった。
私がそれを眺めていると、マレットが私の視線に気付いて解説をしてくれた。
「ああ、あれは、お館様が領地中から集められたんです。領軍を運ぶためだそうです」
迅速に兵を目的の場所に送るのですね。
お父様も帝国軍が潜り込んでいる事実に気付いているようで安心しました。
次に見かけたのは、頑丈な造りの武骨な馬車だった。
車輪も太く車軸もかなり強化されているようだ。
こんな重い物をどうやって動かすのだろうと思っていると、またマレットが解説してくれた。
「お嬢様も気が付かれましたか。あれはお館様が開発された戦闘馬車です。馬の10倍の馬力があるゴーレム馬が引っ張るんですよ。馬車には足の遅い弓兵や魔法師を乗せて機動性と高めるそうです」
こ、これは、現代版の装甲兵員輸送車って事でしょうか?
きっと重みと頑丈さで敵陣を蹂躙して、敵陣の側面や背面から矢や魔法弾で攻撃をするのでしょうね。実にえぐいですわ、お父様。
辺境伯館に到着するとそこには小さい時から見てきた壁があった。
この辺境伯館がこの町最後の防衛線になる事を如実に表すものだ。
でもここまで攻め込まれたら負けは確定でしょうから、お父様なら脱出用の秘密通路を作っていても不思議ではありませんわね。
門を潜り敷地内に入るとそれまでの様相が一変していた。
それと言うのも、館前の庭が臨時の野戦病院になっていたのだ。
簡易テントが幾つも張られてその中に負傷者が休んでいて、その周りを治癒術師達が忙しそうに仕事をしていた。
どこかで戦闘があった事を物語る光景だった。
私は負傷された方々が快方に向かうように祈る事にした。
ようやく実家の玄関まで辿り着くと、そこにはお父様が小刻みに足を揺らしながら待っていた。
あの癖は焦ってイライラしている時のものですね。
「クー、そこに居るのかい? 早く私に元気な顔を見せておくれ」
私はその懐かしくも頼もしい父親の声を聞いて、ようやく自分が心から安心できる場所に帰ってきた事を実感していた。
疲れて重くなった体を何とか動かして馬車から出ようと一歩足を踏み出したところで、急に体が軽くなりそのまま上空に持ち上げられていた。
「クー、大きくなったなあ。前に会った時はあんなに小さかったのに。いやあ本当に今日はとっても良い日だ。わぁーっ、はっはっ」
どうもお父様に「クー」と呼ばれると、なんだか私が飼い犬にでもなった気分になるのは何故だろう?
それから私はもう17なのです。
その高い高いをするのは、いい加減恥ずかしいのでお止め下さい。
私の顔色がみるみる不機嫌なものに代わっていくのに気が付いたエミーリアが、お父様にそっと私の状況を耳打ちしていた。
するとお父様の満面の笑みが急速に失われていった。
「お館様、お嬢様がとても不機嫌な御顔をされております。もうそろそろ下ろして差し上げないと以前のように3日間口を聞いてくれなくなりますよ」
「な、なんだと。それは一大事ではないか。ご、ごめんよう。クーが疲れているのに気が付かなんだ」
そう言うとやっと私を地面に下ろしてくれたのだ。
すると今度は懐かしい女性の声が聞えてきた。
「まあ、まあ、そこに居るのは私の可愛いクレミィなの?」
振り返るとそこには母親の姿があった。
「お母様、お久しぶりでございます」
だが、お母様は私の恰好に直ぐに気が付いたようだ。
「まあ、クレミィその恰好はどうしたのです?」
どうやら高い高いをやられた時に羽織っていたマントがずれて、ボロボロにされた服が露わになっていたようだ。
私はお母様の命令で駆け寄ってきたメイド達に取り囲まれ、そのまま館の中に運ばれていった。