その83(ビンガム男爵)
村長の家を出ると、そこにはエイベルが調達してきた荷馬車があった。
それは農作業用の荷駄みたいな代物で、それを引く馬もかなり痩せていた。
だが、ビンガム男爵領の領都ギフラまでの足としてならこれで十分だろう。
それにしてもエイベルは、いつも一体どこから馬車を調達してくるのだろう?
王都でもそうだったが、気が付くとエイベルが馬車を持ってくるのだ。
私は村長にお礼を言うと、エイベルが用意した荷馬車に乗り込んだ。
甘いお菓子ですっかり仲良くなった2人の孫達は、私達が見えなくなるまで手を振ってくれたので、私も手を振り返して別れを惜しんでいた。
ギフラに到着したらそこで馬車を買うなり男爵に頼んで早馬を出してもらえれば、お父様が迎えの馬車を送ってくれるだろう。
乗り心地が良いとは言えない荷馬車に乗りながら、私はブレスコット辺境伯領がある方向の空を見上げていた。
「ねえエミーリア、バタールに帰るのは随分久しぶりね。帰ったら何がしたい?」
「ふふふ、私はお嬢様がやりたい事を見ているだけで十分でございます」
エミーリアは私の質問にそう答えると、とても嬉しそうな顔をしていた。
「やりたい事かぁ」
私は実家に帰ってやりたい事を考えてみた。
まずはお風呂だろうか? それからのんびり眠りたいなあと思ったのだ。
荷馬車に揺られながらあぜ道を進んで行くと、ようやくビンガム男爵領の領都ギフラが見えてきた。
僅かに見える輪郭では町を巡る城壁はあまり頑丈そうには見えなかった。
町に入る門の手前までやって来ると、暇そうにしていた門番がこちらを見て慌てて外していた防具を取り付けていた。
この町にやって来る訪問者も私達以外は居ないようなので、やる気が失せているのも分からないではないが、仕事中なのにそれでいいのだろうか?
「お前達、どこから来たんだ?」
門番の誰何にエイベルがこちらを振り向いてきたので、私が頷くと、エイベルも頷き返してきた。
「こちらはブレスコット辺境伯家のクレメンタイン様です。ビンガム男爵に面会を希望したい」
「え?」
そう言われた門番は驚いていた。それはそうだろう。
どこからどう見ても私の今の恰好は貴族令嬢には見えないのだ。
だが、その兵士は頭ごなしに否定することはせず、何やら上司らしき兵士と相談すると館に馬を走らせてくれた。
その間、私達は門番達が用意した待機場所で待つことになった。
待機所は普段は兵士が通行人の尋問をする場所なのか、テーブルと椅子があるだけだった。
これで電気スタンドとかつ丼があれば現代日本のドラマで良く出てくる警察での取り調べ室の光景だろう。
そんな事を考えていると、外から馬の蹄の音が聞えてきた。
それから間を置かず、兵士が部屋に入ってきた。
「お待たせしました。男爵閣下がお会いになるそうです。私が先導しますので付いてきてください」
ようやく待機が終わったようだ。
私とエミーリアは、エイベルが待つ荷馬車に乗ってゆっくりと男爵館に向けて進んで行った。
通りから見える町の様子はとても寂れているように見えた。
そしてこちらを驚いた表情で見ている通行人の身なりも、みずぼらしくみえた。
スクリヴン伯爵領に行った時も似たような状況だったが、あちらは特産品を買いに来る商人で一部の店が賑わっていたが、こちらではそれもないようだ。
暫くバタールに帰っていないが、クレメンタインの記憶にあるバタールでは、武器や防具の店それから治癒関係の店はかなり賑わっていたので、通りを歩く人達は活気があって何より皆笑顔だった。
もしかしたらビンガム男爵がバタールに来た時、お父様に経済援助でも申し出ていたのだろうかと考えてしまった。
そして到着したビンガム男爵の館は、平屋建てでお世辞にも立派な造りとは言えなかった。
だが、今私達が乗っている馬車も農作業用に使う荷馬車でしかないので、何となくほっとしたというのが正直な反応だった。
荷馬車が正面入口に到着すると、正面玄関が開きそこから1人のメイドが現れると、私の恰好を完全にスルーしながら笑みを浮かべていた。
「ようこそいらっしゃいました。旦那様がお待ちでございます」
私は最大限の威厳を込めて荷台から降りると、メイドに一つ頷いた。
「ありがとう。それでは案内をお願いします」
案内された部屋は、男爵の執務室のようで大きな机の前に打ち合わせをするための椅子が数脚置いてあった。
男爵は記憶にあるとおりの人物で、私の顔を見るとほっこりと微笑みを浮かべていた。
「おお、これはまさしくクレメンタイン嬢ではないですか。兵士から話を聞いた時は半信半疑でしたが、そのような恰好をしていてもお顔は思えておりますとも」
ビンガム男爵は、どうやら私を覚えていてくれていたみたいだ。
「お久しぶりでございます、ビンガム男爵。前触れもせず突然訪問した非礼をお詫び申し上げます」
「いえ、全然構いませんぞ。それよりもこんなボロ家で驚かれたのではありませんか?」
「いえ、そのような事はございません」
「ほほ、それで我が家に何か御用でしたか?」
社交辞令から始まる会話は現代日本とさほど変わらないので、この点はほっとしていた。さて、そろそろ本題に入らせてもらいましょう。
「実は男爵にお願いがあって、立ち寄らせて貰いました」
「ほう、それは私に出来る事なのですかな?」
「ええ、きっとお父様も男爵には感謝することでしょう」
「ほう、それは協力しなければなりませんな」
一瞬だが、男爵の目が光ったような気がした。
やはり隣領の貴族に恩を売れる話というのは魅了的に聞こえるようだ。
「バタールに私を迎えに来るようにと早馬を出してもらいたいのです」
「成程、分かりました。ですが、それよりももっと良い方法がありますよ」
「良い方法ですか?」
「ええ、これです」
そう言うと男爵は両手を「パチン」と打ち鳴らした。
すると扉が勢いよく開き、部屋の中にどっと兵士がなだれ込んできた。
その兵士達の軍服は見覚えがある物だったのだが、それはここでは絶対ありえない物だった。
「・・・どうして」
私はあまりにもありえない光景にそう言うのが精一杯だった。
彼らが纏っていた軍服は、アンシャンテ帝国軍のものだったのだ。