その82(ツォップ洞窟第3層)
マルコムと別れた私達は、ツォップ洞窟の第3層をタバチュール山脈西側の出口に向かって進んでいた。
エミーリアの怪我はマジック・バックに入っていた治癒ポーションで治療済みだったので、後はこの通路を抜けてビンガム男爵領に入るだけだった。
ビンガム男爵とはバタールの辺境伯家の夜会で会った記憶がある。
その姿は、気苦労が多いのか頭髪はすっかり抜け落ちており、口髭と顎髭が目につく中年男性だった。
派閥争いに負けてタバチュール山脈西側の今の領地に爵位降格のうえ、領地替えをされられてしまったとお父様に教えて貰ったのだ。
貴族社会では負け犬と呼ばれているそうで、なんだか後姿も哀愁が漂っていたような気がしていた。
そのせいか気の弱い人に見えたのだ。
変な人ではないので、領都のギフラに辿り着ければ、お父様に早馬を出してもらえるだろうと期待していた。
そして目的地のバタールが近づいてきた事に少し嬉しくなった私は軽い足取りで通路を進んでいると、先頭を歩くエイベルが突然止まったので、その背中に激突してしまった。
「ちょ、エイベル、急に立ち止まってどうしたのです?」
私がそう尋ねると、エイベルが目の前を指し示して困った顔をしていた。
私が先を見ると、そこには通路を塞ぐ大量の浮遊クラゲが居たのだ。
ここは一本道なので、ここを通らないと出口に辿り着けないのだ。
まだ持っているガイドブックの記載が正しいのであれば、浮遊クラゲは切ると腐食性の液体を放出するので体や武器にかからないように注意が必要なのだ。
フィセルのカフェでそれを読んでいたので、打撃系の武器を準備したのだ。
試しにメイスで叩いてみるとそのまま浮遊クラゲの中にめり込んでいき、全くダメージを与えていないようだった。
エミーリアとエイベルも各々持っている武器で攻撃を仕掛けてみたが、やはり効果が無いようだった。
試しにとばかりにエイベルが両刃剣で切り付けると傷口から液体が噴き出し、その液体が降りかかった場所からは白い煙が立ち昇っていた。
どうやらガイドブックに記載されていた内容は正しかったようだ。
ではどうするか?
一瞬「楽々掘削」で吹き飛ばしてみようかとも考えたが、それで崩落でも起きたら大変な事になるのでそれは止める事にした。
そしてマジック・バックの中をかき回していると、最後のスクロールが目に付いた。
これは「空間圧殺」というAランク冒険者アビー・グウィネス・キャナダインが得意とする空間魔法であり、これもまた家が買えるほどの値段がするのだ。
「仕方がないわね。これを使いましょう」
私がスクロールを手にすると、2人とも浮遊クラゲへの攻撃を止めて私の後ろに退避してきた。
私は封印の帯封を切るとスクロールを広げた。
すると封印された魔法が発動し、洞窟に詰まっている浮遊クラゲをその空間の中に閉じ込めると徐々に空間が縮んでいった。
浮遊クラゲはその縮んでいく空間の中で圧縮された空気に次々と潰されていった。
そして魔法の効果が消えた後は、綺麗になった通路が現れたのだ。
また浮遊クラゲが集まってくると厄介なので急いで通路を抜ける事にした。
暗い通路の先を歩いて行くとやがて先の方に小さな光が見えてきた。
その光は徐々に大きくなってきて、それが出口であることがようやく分かるようになってきた。
トンネルを抜けるとそこは雪国だったという有名なフレーズがあるが、残念ながらタバチュール山脈の出口には雪は無く、ごつごつとした岩場だった。
足元に注意しながら洞窟から出ると、そこには入った時と同じように魔法による結界が張られていた。
そして結界の向う側には石で作られた演説台のような台座があり、その表面には魔法陣が刻まれていた。
出る時には冒険者プレートを翳す台座は無いようなので、そのまま出られるのだろうとは思うのだが、念のためガイドブックを見るとそのまま出ても大丈夫なようだ。
まさかこんな所まで嘘を書いてはいないだろう。
だが、私が出ようとするとエミーリアに止められ、先にエイベルが試してみる事になった。
エイベルは慎重に結界に近づくと直ぐに目の前に穴が開いたので、そのまま外に出て行った。
その姿を見て異常はなさそうなので、私もその穴から外に出るとそこで大きく深呼吸した。
やっぱり暗い通路の中よりは、こうやって外の方が何倍も気持ちがいいわね。
結界の外のごつごつとした岩場を抜けようやく平らな地面にたどり着いたが、そこから先も不毛な固い地面が続いていた。
何もない平地に僅かに道と判別できる物が続いていたので、それに沿って歩いて行くことにした。
初めて訪れたビンガム男爵領がこんな不毛な土地だとは思わなかった。
そう言えばビンガム男爵領の更に西側にも名前は知らないが男爵領があったようだが、ここと同じように痩せた土地なのだろうかと疑問が浮かんだ。
暫く歩いていると小さな村を見つけることが出来たので、そこで休憩させてもらうことにした。
村長の家を尋ねると、快く竈を貸してくれたのでそこで久しぶりの温かい食事にありついた。
家の中には村長夫婦と孫と思われる男の子と女の子が居たが、その子達の両親はいなかった。
尋ねてみると2人ともギフラに出稼ぎに出ているそうだ。
村長にギフラまでの距離を尋ねてみると徒歩で2日との事だった。
手持ちの食糧で持ちそうかバックパックの中を調べていると、興味深そうに2人の子供が覗き込んできた。
どうやらそこにあったシュトーレンの甘い香りに興味を引かれたようだ。
指をしゃぶりながらじぃっと見つめられてしまうと、流石に何もしないわけにはいかなかった。
私は心の中で泣きながら、最後の一切れとなったシュトーレンを取り出すと2人の子供に分け与えた。
2人は甘い食べ物にとても喜んでくれたので、これはこれで良かったと思う事にした。
この痩せた土地では根菜類しか収穫出来ないそうで、両親が出稼ぎに出て必要な物資を買ってこなければならないそうだ。
村長と世間話をしていると、家の前に馬車の音が聞えてきた。
そしていつの間にか居なくなっていたエイベルが顔を出すと、私に向かってにっこりと微笑んできた。
「お嬢、足を持ってきましたぜ」
どうやら出発の時間のようだ。