その78(ツォップ洞窟第4層2)
切りが悪くなってしまったので、少し長めです。
私はゆっくりと目を開いた。
そこには心配そうに私の顔を覗き込むエミーリアの顔があった。
そして後頭部には柔らかい感触も。
それから徐々に記憶が戻ってくると、タイヤのような魔物に襲われた事や、そしてそこにあった穴に飛び込んだ事を思い出したのだ。
そしてはっとして上体を起こすと、穴に飛び込んだ時に体をぶつけたので怪我をしていないか手で触って調べ始めた。
するとエミーリアが声を掛けてきた。
「お嬢様、体の方は大丈夫です。私が隅々まで調べましたのでご心配には及びません」
え、そうなの? でも、体の隅々って。
ま、まあ、問題ないというのならそれでいいでしょう。
それよりも今は現状把握が先ですね。
「アレはどうなりましたか?」
私がエミーリアにあのダンゴムシの事を聞くと、エミーリアは一度見上げる仕草をしてから答えてきた。
「今はどこかに行ってしまったようです」
当面の危険は去ったという事ね。
すると次はこの穴の底からどうやって脱出するかという事ね。
まずは場所の確認だが、ここは井戸の底のような円柱形の窪みになっていて、壁の断面は意外と滑らかだった。
落ちた穴の深さは10mはあるので、3人で肩車をしても到底届かない。
そして幅もあるので、両手両足を突っ張って登っていく事も無理だ。
ロッククライミングの要領で登っていくには、足がかりとなる場所もなさそうだ。
そもそも私にロッククライミングなんかできなんだけどね。
壁の岩の固さを調べるため、エミーリアにお願いして持っているアイスピックで岩を削ってもらうと、かなり固く足場を作るのは難しそうだ。
次は使えそうな物がないか調べた方が良さそうなのだが、王都で購入したマジック・アイテムや他の道具の中に登山用の物を買った覚えが無いのだ。
有り合わせの物で梯子でも組み立てられたらいいのだが難しそうだ。
2人ともロープの類は持っていないようなので、現在は詰んでいる状態だった。
そこで先程から無視していた事案を、そろそろ調べてみる事にした。
この穴の底には、白骨化した人間の骨が何体分も転がっているのだ。
その骨は所々強い圧迫を受けて粉砕されているので、あのダンゴムシに轢かれたのだろうと想像できた。
そして白骨が着ているボロ切れになってしまった軍服には、裏向きに襟章を付けているようだった。
私は両手を合わせて冥福を祈ると、その襟章を外して調べてみる事にした。
するとそれは鳥の首を握り締め雄叫びを上げている熊を模った図柄だった。
こんなところで帝国は何をしているのだろうという疑問が浮かんだが、今はそれよりも差し迫った問題があるので後回しにしておくことにした。
ガイドブックをもう一度見直してみると、やはりこの場所は他の冒険者が殆ど来ないようだ。
残る方法は、あれだが、まさか自分が使うことになるとは思わなかった。
だが、この際仕方が無かった。
そして左手首の冒険者プレートを見ると、いつもはDと表示された右隣に一本の目立つ黒色の横線が入っているのだが、今はその線が消えていた。
あれ、なんで?
黒い線が消えているのは私だけでは無かったようで、エミーリアやエイベルも自分の冒険者プレートを見て同時に「あれ?」って声を上げていた。
そして慌ててガイドブックを広げると目的の文字を探していた。
そしてそれはあった。そこに書いてあったのは、緊急通報が効かない場所の項目だった。
「どうやらここは緊急通報が効かない場所のようね」
最後の頼みの綱が切れてしまったことに絶望感からパニックになりそうになったが、大きく深呼吸をして何とか落ち着きを取り戻すことに成功した。
だが、他にどうする?
私の絶望的な表情に気付いたのか、エミーリアも不安そうな顔でこちらを見ていた。
「大丈夫よ。他に何か方法が無いか考えてみましょう」
そう言って手を握りしめた。
そこで私は上層で使っていたライトを思い出した。
早速ライトを取り出すとそれを天井に向けて灯した。
これなら誰か冒険者が第4層に来れば目に付くだろう。
そして救援が来るのを祈りながら待つことにしたのだが、意外にも助けは直ぐにやって来た。
落とし穴の上からライトを照らされたのだ。
暗視機能をオンにしていたので物凄く眩しい光に一瞬目が眩んだが、直ぐにオフにして見え上げるとそこにはライトの傍に人の輪郭がうっすらと見えていた。
「なんだ、生きているのか。お前達は馬鹿なのか? それとも自殺志願者なのか?」
いきなり馬鹿と言われてカチンときたが、相手は私達を助けてくれそうな相手なので怒らせるのは得策ではないという計算は働いた。
「初対面でいきなり馬鹿は無いでしょう。それに自殺したいとも思っていませんよ」
すると上の男が小首を傾げてから、先ほどの魔物について話してきた。
「グラインダーに魔法攻撃が効かない事を知らなかったのか?」
あのダンゴムシにはそう言う名前があったのね。
それにしても魔法が効かないと言うけど、切っても殴っても全く効果がありませんでしたよ?
それよりも今は助けが来たことに感謝しつつ、ここから出してもらうための援助をお願いしてみる事にした。
「ねえ、私達をここから出してもらえませんか?」
私がそう言うと上の男は何か考え込んでいるようあった。
何を考えているのか分からない不気味さはあったが、今は彼に頼るしか方法が無かったので、出来るだけ怒らせないように発言は注意することにした。
「そうだな。助けてやってもいいぞ」
そう言うと上の男は、細いロープの先に籠を付けて下ろしてきた。
そのロープの太さでは、とても人の体重を支える事は出来そうも無かった。
どうするのだろうと思っていると男が声を掛けてきた。
「助けて欲しいならその籠の中に有り金全部入れな」
日本人の感覚ではお互い様と言う物があるので、この発言には一瞬何を言われたのか分からなかった。
だが、直ぐにエミーリアが私の耳元で囁いてきた。
「信用できません。相手の口車に乗ってはいけません」
うん、それは分かるんだけど、今は何とかあの男から協力を取り付けなくてはならないのだ。
「先に出してもらって緊急通報が出来る場所に戻ってから、緊急通報を受けたというやり方ではいけませんか?」
「駄目だ」
余りにも酷い返事に、一瞬腹立ちを覚えたが、立場的に怒ったら御終いなので、何とか自分で自分を宥めると、もう一度提案してみる事にした。
「一人分の代金を先払いするのでそのお金で1人助け出してもらえませんか? それを後2回繰り返すというのはどうでしょうか?」
「駄目だ」
とても胡散臭いのだが他に方法も無いのだ。
「どうします?」
「胡散臭いけど、拒否したら私達は御終いなのよね。仕方がないわ、ここは従いましょう」
私がそう言うとエミーリアは小さく頷いた。
私は上に居る男に聞こえるように声を張り上げた。
「この籠の中に金目の物を入れたら本当に助けてくれるんでしょうね?」
「疑うならそれでもいいさ、お前達に残された選択肢は、籠に有り金を入れるか、拒否するかのどちらかだ」
それは選択肢が無いと言っているのと同じでは?
私達は金目の物を全て籠の中に入れた。
すると上からまた声が降りかかってきた。
「おい、そのバッグも入れろ」
男が何を言っているのかと思っていると、私は先程マジック・バックの中味をたしかめるため、ベルトを外して傍に置いていた事に気が付いた。
しまった。だが目ざとい男ね。これがマジック・バックだって分かるなんて。
しぶしぶマジック・バッグを籠の中に入れると、文字通り身ぐるみはがされたのだ。
籠が上がって行き、男がその籠を受け取るのを確かめると、次にロープが降りてくるのを待っていたが、それはいつまで待っても降りてこなかった。