番外43(お嬢様の秘密の買物5)
丁度良く噂のパン工房の人がパンを納品にやって来たというので、作業を見学させてもらう事にした。
店の前に止められた荷馬車からは、慣れた手つきの男達が焼き立てのパンを入れたパレットを次々と店の中に運び込んでいた。
私がその様子を眺めていると、アランさんがパン工房の人に苦情を言っていた。
「最近、パンの質が落ちているようだが、何とかならないのかね?」
その一言にパン工房の男はアランさんを睨みつけていた。
「それは領主様への文句ですか?」
「い、いや、決してそんな事はないんだが」
「それなら文句を言うのは止めて下さいよ。私達だって与えられた材料で作るしかないんですよ」
パン工房の男が言っている事はその通りなのだが、何だか御館様を馬鹿にされているようでつい一言言ってやりたくなった。
「辺境伯様が補助金を元に戻してくれたら、パンの質も上がるのですか?」
私がそう言うとパン工房の男は、今度は私の方を睨みつけてきた。
「おい、小娘、それは辺境伯様への侮辱だぞ。その小生意気な口を閉じておけよ。それにその恰好は何だ、この料理屋では貴族の真似をして給仕にメイド服を着せるようになったのか?」
どうやら私はこの店の給仕だと思われているようです。
「おい、この娘さんは」
アランさんがそこまで言ったところで、男は大声をだした。
「いいから作業の邪魔をしないでくれ。他にも納品先が待っているんだ」
その後、男は会話を拒否するとさっさと作業を終えて帰って行ってしまった。
男が去った後、納品されたパレットからアランさんがパンを1つ取りだすと、私に差し出してきた。
「エミーリアちゃん、試してみるかい?」
それは私に味見をしなさいと言っているのですね。
そして口に含んだパンは、ちょっと固くて味もなんだか変だった。
そのパンを噛んでいると、あのジブソン商会が領主館の使用人用として納入したパンと具材を思い起こさせた。
領主館で酷い物を食べさせられた経験がある身からすると、これは見過ごせませんね。
バタールの人達が一生懸命働いて稼いだお金で家族サービスをしようと食事に来たのに、こんな物を食べさせられたらきっとがっかりしてしまうでしょう。
そこでふっとお嬢様が購入された物が、白粉なのではという疑念が湧いて来た。
お嬢様の年齢ではまだ早いですし、こっそり買った可能性は十分にありそうです。
奥方様にバレたら怒られそうですし、こっそり買ってもおかしくありませんよね。
その考えを確かめたくても、ここにはアシュリーさんは居なかった。
「ああ、もう、デールさん、急いでパン工房に行きますよ」
お嬢様が注文した品が白粉だとしたら、小麦粉の中に紛れ込んだらもう分離は不可能でしょう。
そうなったらお嬢様がどんなに悲しまれる事でしょう。
ここは何としてでもパン工房で、リドル商会から納品された商品を確かめなければなりません。
私はデールさんと一緒にパン工房に急いでいると、見覚えがある人物が私に気が付いて手を振っていた。
「おーい、エミーリア、お前が町に居るなんてお嬢様のお使いか?」
それはマレット達だった。
「マレット、謹慎が解けたのね」
「ああ、酷い目にあったぜ。リンメルの旦那に睨まれると、自分がカエルになった気分になるんだよ」
ああ、確かにそんな感じでしたね。
丁度いい、マレット達にも手伝ってもらいましょう。
「マレット、重大な事案が発生しました。ちょっと手伝ってもらえませんか」
「それは町の治安に関する事か?」
治安? お嬢様の白粉を混ぜたパンが流通したら、皆さんお腹を壊してしまうかもしれません。
そうしたらきっと町に人達は怒って抗議にやってくるでしょう。
これは治安に関する問題と言ってもいい案件ですね。
「はい、そうです。重大な問題です」
「よし、分かった。おい、皆、行くぞ」
「「「おおお」」」
せっかく人手が集まったので、デールさんにはアシュリーさんを呼んできてもらう事にした。
そしてマレット達とやって来たパン工房では、パンの匂いが漂っていた。
マレット達には、このパン工房に間違えた商品が配達されたと説明していた。
建物には小麦を粉にする製粉所と、その奥にはパンを焼く大きな釜もあった。
そしてその隣には大きな倉庫があり、リドル商会から納入された樽はそちらにありそうだった。
「多分あの倉庫だとは思うのですが、念のためパン工房の人達から話を聞いた方が良さそうですね」
「よし分かった。俺が一緒に行こう。お前達は倉庫の前で待っていてくれ」
そして私とマレットはパン工房の中に入って行った。
そこにはカウンターがあったが、誰も居なかった。
「すみませ~ん、誰かいませんかぁ~」
私が建物の奥に向かって声を張り上げると、奥で動きがあった。
やがて見覚えのある男が顔を出した。
「何だ、アランの店の給仕か」
そこで隣に居るマレットに気が付いたようだ。
「おい、衛兵を連れてきて嫌がらせか? 衛兵の旦那、この小娘は納品したパンが不味いと言って言いがかりをつけてくるんです。取り締まってくださいよ」
「ああ、だが、その前に倉庫を見せて貰えないか」
マレットがそう言うと男は明らかに挙動不審になっていた。
やっぱり倉庫の中にお嬢様のナニがある可能性がありますね。
「そ、そんな小娘の戯言を信じると言うので?」
「ああ、先程からお前が小娘と言っているこの娘は、領主館の使用人であり、モス男爵家のご令嬢だからな」
「え?」
男は私が誰だか分かると、それこそ目玉が飛び出るんじゃないかと言うほど大きく見開いていた。
せっかくだからご挨拶でもしておきましょうか。
「そう言えばご挨拶しておりませんでしたね。私はモス男爵家の3女でエミーリア・モスと言います。そして今はブレスコット辺境伯家の一人娘クレメンタイン様の専属メイドです。どうぞお見知りおきくださいね」
「き、貴族様だと・・・」
そう呟いた男はその場に力なくへたり込んでいた。
「それでは、リドル商会から納入された樽を確かめさせてもらいますね」
そして倉庫にあったリドル商会から納品された樽を開けてみると、そこには小麦にしては色合いが悪い粉が入っていた。
他の樽も調べてみたのだが、お嬢様が注文したと思しき白粉は何処にも無かった。
その結果に落胆しているところに、此処まで走ってきたようで息が上がったアシュリーさんが踊り込んできた。
「はぁ、はぁ、デールから知らせを受けて来ました。それでこれは?」
「リドル商会から納品された小麦粉のはずなんですが・・・」
私が困惑した顔でそう言うと、アシュリーさんが私が指さす樽を覗き込んだ。
「驚きました。これ劣化小麦じゃないですか。家畜用の餌ですよ、これ」
そこに先程の男が衛兵に引っ張って来られたので同じ質問をしてみた。
「リドル商会から購入した小麦粉は何処にあるのですか?」
するとすっかり観念した男は、小麦が不足している他領に横流ししていたことを白状したのだ。
なんと、この工房では補助金を貰いながら、安物を混ぜて誤魔化し、浮いた小麦を他領に流して利益を得ていたようだ。
「アシュリーさん、それで酒場の方はどうだったのです?」
「それが酒を薄めて提供するような姑息な店でしたが、お嬢様の注文品はありませんでした」
これでバタールの市民が不味いパンを食べなくて良くなったのは良い事ですが、お嬢様が注文した商品の行方がまた分からなくなってしまいました。