番外28(夜に鳴く声9)
「駄目よ」
その声に食堂に集まっていてメイド達の視線が一斉に声がした方に向いた。
私もそちらを見ると、そこにはいつの間にやって来たのかクレメンタイン様の姿があった。
本館メイドの申し送り事項では、この時間はまだ眠っている時間のはずだ。
そのせいかクレメンタイン様の顔はとても不機嫌そうに見えた。
そしてその後ろにはブリタニーが付き従っていたが、その無表情の顔からはクレメンタイン様がどうしてここに居るのかを伺い知る事は出来なかった。
「あの、クレメンタイン様、それはどういう」
突然の乱入に狼狽したメイド長がクレメンタイン様に話しかけると、クレメンタイン様の顔はより一層不機嫌さが増していた。その表情には流石のメイド長も気後れ気味だ。
「エミーリアは私の為にやったのよ。今回の件で責があるというのならそれは私だわ」
私はクレメンタイン様が初めて私の名前を呼んでくれた事に気が付いた。
それはなんだか、自分という存在をやっと認めて貰えたようで、とても嬉しい気持ちになった。
それと同時に、何故私の行動がクレメンタイン様にバレているのだろうという疑問が湧き上がったが答えは直ぐに分かった。
クレメンタイン様の後ろに居たブリタニーが、メイド長に見えないように私の方に向かって親指を突き出してきたからだ。
ブリタニー、貴女、クレメンタイン様にチクったわね。
だが目の前では、まだメイド長がクレメンタイン様に食い下がっていた。
「ですが今回の件でエミーリアは、主家様を危険に晒しました」
するとクレメンタイン様は、両足をやや開き左手を腰に付け、右腕をメイド長の前に突き出した。
「エミーリアは私の専属にするの。勝手にクビにしたら許さないわよ」
「ですが・・・」
「私の言う事が聞けないとでもいうの?」
「い、いえ、とんでもございません」
クレメンタイン様の余りの剣幕に、さしものメイド長も顔色を青ざめ深々と頭を下げていた。
そして私の方に振り返ると、口元をぴくぴくさせながら先の命令を撤回した。
「エミーリア、クレメンタイン様の言った通りです。貴女はクレメンタイン様の専属になります。ですが、本館3階に賊を入れた行為は許されません。1週間の謹慎を命じます。よろしいですね?」
「あ、はい」
私が返事を聞くと、不満そうな足取りで食堂を出て行った。
私は、クレメンタイン様の傍に駆け寄るとそのままの勢いでぺこりと頭を下げた。
「クレメンタイン様、ありがとうございます」
「べ、別に貴女の為じゃないわよ。ただ、私の為に働いてくれた事へのお礼ってだけよ」
そう言って横を向いて頬を膨らましたクレメンタイン様の顔は、ほんのりと赤みが差していた。
本館3階のバーカウンターを備えたサロンではこの館の主人であるダグラス・ガイ・ブレスコットとその妻エメライン・ジェナ・ブレスコットがワインを片手に今回の件について話し合っていた。
「リンメルの報告では、あのカークランド公爵夫人の偽物はシミットで入れ替わったようだ」
「全くもう、幾ら素性を調べても調べた本人が入れ替わっていたんじゃ、何の役にも立たないじゃない」
「いや、全くだ。本物のカークランド公爵婦人やその付き人は徹底的に調べたというのに、2人とも入れ代わっていたんだからな。今回の件は教訓にするよ」
そう言うとダグラスはバツが悪そうな顔をしていた。
「それでシミットで入れ替わったのでしょう? という事はスィングラー公爵の差し金なの?」
「どうやらそのようだ。スィングラー公爵はアデラインが現王の御手付きになったメイドだと知っていたようだね」
そう言ってダグラスは手に持ったグラスをテーブルに置いて、お代わりを注いだ。
「それで付き人は誰だったの?」
「ああ、リンメルの調べによると、アデラインの子供が預けられていた領の領主の間者だったらしい。ベイン伯爵に子供を託されたのに、それをアデラインに連れて行かれたんだ。面目丸潰れだったんだろう」
すると今度はエメラインがデカンターからお代わりを注いでいた。
「それで、どうしたの?」
「ああ、ランドン・ベイリーと名乗る男とは、取り決めが成立したよ。先方の心配事は現王の子供が騒乱の種になる事だったからね。それは無いと保証してやった代わりに、アデラインの子供は亡くなった事にしたんだ」
そう言うとダグラスはテーブルの上にある皿からつまみを取り上げて口に運んだ。
「そう言えばエミーリアは、アデラインがダグの妾だと思っているそうよ」
そう言ってダグラスの微笑みかけると、ダグラスは渋い顔になった。
「全く、どうしたらそう言う結論になるんだか、さっぱり分らんね」
「あら、私も最初アデラインを連れてきた時はそう思ったわよ」
「おい、止してくれよ。俺にはお前だけだよ」
「まあ」
そう言ってエメラインは嬉しそうにグラスを傾けた。
「エミーリアと言えば、今回はあの娘に助けられたな。クーも喜んでいたし、何よりだ」
「それにしてもクレミィが怖がっていたなんて知らなかったわ」
「そうだな。隠し部屋に繋がる壁の一部が壊れていて、そこから風が漏れていたそうだ」
「それよ。メイド達も全員知っていたそうよ。どうして私達は知らないの?」
そう言ってエメラインは指を一本立てて不満そうな顔をしていた。
「いやあ、それがケアードにアデラインの件で箝口令を敷いただろう。それを愚直に守っていたようだよ」
「それで、私達に重要な情報が来ないんじゃ。本末転倒よね。」
「いや、それを言われると返す言葉も無いよ」
そう言ったダグラスは真面目な顔になった。
「それでエミーリアの事をどうするかだ。ケアードからは俺達を危険に晒したのだから即刻クビにするべきだと言ってきているんだが」
「あら、それなら既に結論は出ているわよ。クレミィが自分の専属にするって言って来たわ」
それを聞いたダグラスは意外そうな顔をしていた。
「ほう、すると貴族達からの要求を跳ね返すために設けたメイド試験という茶番も、あながち無駄ではなかったという事か」
「そうね。今回の件もそうだけど、新しい風を入れないと空気も淀むという事よ。使用人もブレスコット領の人材で固めないで、少しは他領の人も集めた方がいいかもしれないわね」
「そうだな」
私が謹慎している間、様子を見に来たブリタニーは、ブレスコット辺境伯館の使用人の間で、3度謹慎処分を食らってもクビにならず、あまつさえ一人娘の専属に出世するという、信じられない焼け太りをした私が一種の伝説となったと面白可笑しく話してくれた。
全く、人を何だと思っているんだと抗議したかったが、ブリタニーの嬉しそうな顔を見ていると、いつの間にかそれもどうでもよくなっていた。
それからクレメンタイン様の専属になったら呼び方は「お嬢様」にするようにと言われた。
確かに主家様のご夫妻はお館様に奥方様と言っているのに、その一人娘を名前で呼ぶのはおかしいか。
そして1週間ぶりに職務に復帰した私は、最初の仕事をするため、本館3階のクレメンタイン様の部屋の扉の前に立っていた。
そこで扉を3度ノックしてから、一拍置いて、扉の向う側に朝食の時間だと告げていた。
先輩メイドからの申し送り事項をしっかり守って、10分待ってから扉を開けて中に入った。
「クレメンタインお嬢様、おはようございます。今日からお嬢様の専属メイドとなったエミーリアです。どうぞ、よろしくお願いします」
そう言って深々と頭を下げた。
「エミーリア遅いわね。私は忙しいんだから手早く済ませてよね」
「はい」
どうやらクレメンタイン様は私の名前をしっかり覚えてくれたようだ。
「な、なによ。とっととしなさいよね」
そう言って横を向いたクレメンタイン様の横顔は、なんとなく喜んでいるように見えた。
エミーリアは、この目の前の愛情表現が下手な少女にこれから一生仕えて行くのだと思うと、何だが嬉しくなっていた。
「はい、畏まりました」
ブックマーク登録ありがとうございます。
予定ではこれが最終話だったのですが、ブクマが増えて嬉しかったのでもう少しだけ続けてみます。蛇足になりますがお付き合い頂ければ幸いです。