番外26(夜に鳴く声7)
カークランド公爵夫人に追われながら第1見張塔を目指して廊下を走っていると、前方からも足音が聞えて来た。
その足音は1人分にしか聞こえない事から、どうやらツバメが回り込んできたようだ。
挟み撃ちにされているという最悪のケースに陥っていた。
何かこの場から切り抜ける方法は無いかと必死に考えていると、前方に2階に上がる階段が現れた。
そう言えば、警備兵が緊急時に3階に向かう階段があるとブリタニーが言っていたのを思い出していた。
きっと、これがそうなのだろう。
迷っている暇は無かった。
私はアデラインに手で目の前の階段を指さすと、アデラインもそれを見て私の意図が分かったようで頷いてきた。
そして私達はその階段を駆け上がった。
狭くて急な階段を転びそうになりながら、必死に階段を上っていった。
そして永遠とも思える時間足を動かして、ようやく階段を上がりきった頃には息が完全に上がっていた。
だが、ここで倒れる訳には行かないのだ、何とか息を整えると一本道を足を引きずるようにして走り始めた。
脳に酸素が周りようやく冷静になると、ここが本館3階であることを思い出し、主家様達を危険に晒している事に思い至った。
だが、今更戻る事も出来ないので、後はなんとか罠部屋に誘い込んで誰も怪我をせずこの事態を収拾することを願うだけだった。
一本道の廊下は直ぐに突き当たり、そこからは左右に分かれていた。
始めて来る場所だったので、どっちに行けばいいのか分からなかったが、ここは直観に頼った。
そして自分の感が合っている事を願いつつ、早く知っている場所に辿り着いて欲しいと思っていた。
後ろからアデラインの荒い息遣いが聞えて来て、そろそろ限界なのが窺えた。
そこで思いが通じたのか、ようやく私が知っている場所に辿り着いた。
あの場所まではもう少しだ。
私は、後ろを振り返ってアデラインを励ました。
「もう少しです。頑張ってください」
「何だか良く分からないけど、もうそろそろ限界よ」
同じような景色が広がる空間を走りながら、自分の記憶が正しければ次を左に曲がれば、あの部屋があるはずだと確信していた。
そして左に曲がると目的の扉があった。
私は迷うことなくその扉に突撃した。
その部屋は他の部屋とは違って、何もない殺風景な部屋ではなく、中央に寝そべる事が出来る大きなソファが置かれ、その上には大きなクッションが幾つも置いてあった。
この部屋は、侵入者にここが主家様達の居住空間だと勘違いさせるための演出なのだ。
老公爵夫人を一時的にとはいえ閉じ込めるのだから、ゆったり寛げる設備があれば、後で苦情を言われた時に少しは言い訳になるだろうと思ったのだ。
私は少し遠回りをしてソファの上に無造作に置いてあるクッションの一つを掴むと、その奥にある扉を目指した。
だが、私達はその扉に辿り着けなかった。
カークランド公爵夫人がおそろしい力を発揮して、置いてあった椅子を掴むとそれを私達目掛けて放り投げたのだ。
慌てて後方に退避すると、その隙にカークランド公爵夫人が私達が向かっていた扉に先回りしていた。
私達の逃げ道を塞いだ優越感からか、カークランド公爵夫人の顔には勝利の笑みが浮かんでいた。
だが、実は笑いたいのはこちらの方なのだ。
素早く手に持っていたクッションを夫人の顔目掛けて投げると、夫人は手に持った剣でそれを切り裂いた。
その瞬間、クッションが爆発し中身が弾け飛んだ。
白い羽や綿やらが四方に広がり、まるで煙幕のように視界を塞いでいた。
私はアデラインの手を握ると、先程入って来た扉目掛けて走り出した。
即席の煙幕のおかげで、妨害されずに何とか扉に辿り着くと、アデラインが飛び出してくるのを待ってから扉の取っ手を掴み、扉を閉じようと力を込めた。
だが、扉は、あと数センチで閉まるという所で動かなくなった。
扉を見るとそこにはカークランド公爵夫人の手が扉を抑えていたのだ。
そして猛烈な力で扉を引っ張られた。
老婦人にどうしてこんな力があるのか不思議だが、力負けしているのは確かだった。
徐々に開いて行く扉に足を入れられてしまい、閉じるのが困難になると、次は顔が現れた。
その顔は恐ろしくゆがんでいて、私の必死の努力をあざ笑っているかのようだった。
「ちょっと、老人はもうお休みになる時間ですよ」
思わず、ボヤキが口をついて出てしまったが、扉は徐々に開いていた。
もう駄目だと諦めかけたところで、私の顔の横に足が現れた。
そしてカークランド公爵夫人の顔面にめり込むと、夫人は後ろに吹き飛んでいた。
それはアデラインの足で、なんと、カークランド公爵夫人を足蹴にしたのだ。
そして扉の向う側に吹き飛んだカークランド公爵夫人の頭からかつらが取れ、短い髪の毛が見えた。
え? 男?
私が驚いて固まっていると、後ろからアデラインの声が聞えて来た。
「扉を閉じるのでしょう? 早くした方がいいわよ」
あ、はい、そうでした。
私は扉を閉めると、扉から「カチリ」とロックが掛かった頼もしい音が聞えてきた。
私はその音に安堵を覚えながら、その扉に寄りかかっていた。
そして力比べをして震える手を見つめながら、心の中でカークランド公爵夫人の偽物に「顔を蹴ったのは私ではありませんからね」と心の中で言い訳していた。
私が寄りかかっている扉からは、中のカークランド公爵夫人の偽物が何とか扉を開けようと暴れている音と振動が伝わってくるが、この扉は中からは開かない構造になっているので、安心できた。
だが、それを知らないアデラインは不安そうに私を見ていた。
「ねえ、大丈夫なの?」
「ええ、中からは開きませんから」
それを聞いたアデラインの顔にも安堵の色が浮かんだ。だが、それは直ぐに恐怖に変わった。後ろから男の声が聞えてきたからだ。
「ほう、すると外からは開くのか?」
突然、アデラインではない声が割り込んできたので、慌ててそちらを見ると、そこにはツバメが立っていた。
「あ」
全く、一難去ってまた一難だ。
私は座り込んでいた床から立ち上がると、扉を開けられないように一歩前に出た。
試したことは無いが、廊下側から扉を開ける事が可能なら、この場所をツバメに譲ってしまったら、また2人に追いかけられることになるのだ。
そうなったら、今度は逃げられる自信が無かった。
「貴方がアデラインを狙う理由は何?」
何とか会話で時間稼ぎをしつつ、この場を切り抜ける方法を必死に考えていた。
「お前には関係がない事だ」
どうしてこの人達がお館様の妾に興味があるのかさっぱり分からなかったが、誰も私には教えてくれそうも無かった。
「それではアデラインに何をするつもりなのですか?」
「お前には関係が無い事だ」
何も教えないという事ね。
「それでは引き渡せませんね」
「時間稼ぎは止せ。いい加減そこをどかないとひどい目に遭うぞ」
「さて、それはどうかしら?」
私はそう言ってにっこり微笑んだ。