8 裏庭の気になる幽霊
この世界に季節があるかどうかはわからないけど、夏のようなぎらついた日差しは元の世界の太陽と似ている。暑い。
私はブラウスの袖を肘上までまくり上げて、よしっと教会の裏庭を見渡した。
腰くらいの高さの細長い石が七つ等間隔に並んでいる。その表面に文字のようなものが刻まれているけど、私には何が書いてあるかさっぱりわからない。お墓だというのなら、きっと名前が彫られているんだろう。
私は気づかれないように目線だけを動かして、墓石のそばに立つ幼い少年を盗み見た。
小学校に上がったばかりくらいの少年は、短めの明るい茶色の髪に焦げ茶の目をした可愛らしい顔立ちをしているけれど、相変わらず目は虚ろで生気は感じられない。
こんなに小さいうちに死んじゃったのか。
幼くして死んでしまった少年に同情しそうになって慌てて首を振る。
覚悟もないのに幽霊に関わるべきじゃない。
彼らのことを見えても、私たちには何もしてあげられることはできないから関わらないほうがいいと、私と同じく霊感のあったお父さんがよく言っていた。
私は気を紛らわすように手近にある膝丈くらいまで伸びた草をつかんで根っこから引き抜くと、少し離れたところにぽいっと放り投げた。そうして人が一人座れるスペースを確保して、マキシ丈のロングスカートの裾を整えて地面にしゃがみこんだ。
虫よけが効いているのか、茂った場所なのに蚊が一匹も寄ってこない。
黙々とした同じ動作は心を無にしてくれた。
私はただひたすらに草をむしっては投げ、むしっては投げを繰り返した。
墓石のエリアが半分ほど綺麗になった頃、少し太めな茎の草に手を伸ばした。よほど根が深いのかちょっとやそっとの力じゃ抜けなくて、私は立ち上がって改めてむんずと草をつかんだ。
「ん――――――――!!」
力を込めてもなかなか抜けず、しまいには体重をかけて後ろへ引っ張る。
「むむむむ――――――――――わっっ!!」
『ギャアアアアアアアアアアアアア!!』
一気にすっぽ抜けた勢いで盛大に尻もちをつくと同時に、耳をつんざくような叫び声が響き渡った。
まともに聞いてしまった私は、きーんとする耳を抑えてその勢いのまま仰向けに倒れた。
な、なに!?
気絶をするほどではなかったけど、体から力が抜けたかのようにすぐに立ち上がることができない。何事かと思っていると、私の上に影が落ちた。
続いて、耳から入ってくる音ではない声が直接頭の中に聞こえてきた。
『姉ちゃん、大丈夫か?』
「へ?」
ぱちくりと目を瞬かせてから、私はざっと顔を青ざめさせた。
倒れた私を上から見下ろしていたのは、墓石のすぐそばに立っていた少年の幽霊だったからだ。
どういうわけか虚ろな目をしてぼんやりと立っていただけだった少年の目には、今や光が宿っている。
やば……。
がっつり目が合ってしまった。そう感じたのは向こうもだったらしい。
『姉ちゃん、俺のこと見えるの?』
期待のこもったキラキラした瞳を向けられてしまい、私はそっと目をそらした。
「…………」
『あっ! ぜってー見えてるだろ! なぁなぁ!』
「…………」
『なぁなぁ! 無視すんなよ!!』
「…………」
『なぁってば!!』
「…………」
『なぁ……』
必死な少年の叫びが悲し気な呟きに変わったのを聞いて、私は思わず少年に目を向けてしまった。今にも泣きそうになっている幼い少年の姿に心が締め付けられる。
だめだ……知らんぷりなんてできないよ。
「…………ごめん……見えてる……よ……」
『! ほん、とう……?』
「うん……」
『え!? 俺の言ってることもわかるの!?』
「うん。ちゃんと聞こえてるよ」
きちんと伝えると、少年の目に輝きが戻ってくる。嬉しそうに笑顔を浮かべた少年は喜々として声を上げた。
『じゃあさ、じゃあさ! 一緒に遊んでよ!!』
「え?」
『ずっと一人でつまんなかったんだ。一緒にかくれんぼしよ?』
「えっと……」
『なぁ、いいだろ? ちょっとだけ! ちょっとだけだから!!』
ぐいぐいと詰め寄ってくる少年に答えあぐねて困っていると、『うわっ』という声と共に急に目の前から少年が消えた。代わりにエクスさんの姿が飛び込んでくる。
よほど慌てて戻ってきたのか、長い髪は振り乱れて肩で荒く息をついている。
「エクスさん!?」
「だいっ、じょぶ、ですか!?」
「どうしてここに……」
エクスさんに手伝ってもらってようやく動くようになった体を起こして聞くと、彼は呆れたようなほっとしたような顔をした。
「どうしても何も、マンドラゴラの、強烈な、悲鳴を聞いて、戻ってきたんですよ――――はー、見たところ大丈夫そうですが、よからぬものに詰め寄られていたので驚きました」
「マンドラゴラ!?」
「つっこむのはそこですか!?」
なんだかわからないけどエクスさんにつっこまれる。
いや、だって目の前の幽霊よりもマンドラゴラの方がよほど珍しかったもので。
小説やおとぎ話の中でしか出てこない植物は、こちらの世界には普通に現存しているらしい。引っこ抜くと悲鳴を上げて聞いた者の意識を奪ったり死に至らしめたりするらしいけれど、こちらの世界のマンドラゴラの悲鳴はそこまで強烈なものではなかったようだ。
少年の幽霊のせいで忘れていたけど、そういえば先ほど抜いた草が見当たらない。どこにいったのかときょろきょろしてみても、やはりそれらしい草は見当たらなかった。
「マンドラゴラでしたら、今村の者が手分けして探していますよ」
「え?」
「あれは捕まえて乾燥させれば生薬になるのです。自走して逃げるので捕まえるのは骨が折れますがね」
なんと。こっちの世界の草は自力で走ることができるらしい。
エクスさんは「そんなことより」と言って、少年の幽霊の方へ向き直った。その表情は険しい。
エクスさんと入れ替わるようにして一瞬のうちに私の上からいなくなった少年は、少し離れたところにぺたりと座り込んでいた。右腕のあたりをさすっているのでエクスさんに突き飛ばされたのかもしれない。
「ぼんやりと佇んでいるだけだったので無害だと思っていたのですが、彼女が見えないことをいいことに憑りつこうとするなんて……」
氷のように冷たい声音に、ぞくりと私の背筋を悪寒が走る。穏やかそうなエクスさんからは想像もできない豹変ぶりに、そして何よりエクスさんにも少年の幽霊が見えているらしい状況に戸惑いを隠せなかった。
『あ……』
少年の方もエクスさんからただならぬ気配を感じたらしい。怯えたように体を縮こまらせて、がたがたと震えだした。それでもエクスさんの物々しい気配は収まらない。
本能的にまずいと思った私は、二人の間に入って制止を試みた。
「ま、待ってください! この子は憑りつこうとしてたわけじゃないです!!」
私の行動が予想外だったのか、エクスさんが戸惑いの表情を浮かべる。
「リンさん!? 何を……」
「一緒に遊びたがってただけです! それにまだ子供じゃないですか!」
それを聞いたエクスさんの顔が戸惑いから驚きへ変わる。
「!? まさか……見えるだけでなく、あの少年の声も聞こえるというのですか!?」
エクスさんの問いかけに、決意をもって頷いて見せた。これでもう誤魔化すことはできなくなった。でも、怯える少年を前に見て見ぬふりもできなかった。
「見えますし、聞こえます。あの子はかくれんぼをしたかっただけです」
「かくれんぼ……」
確認するようにエクスさんが少年に顔を向けると、少年はこくりと首を縦に振って肯定した。
エクスさんはふむ、と少し考えた後、突拍子もないことを言い出した。
「じゃあ、三人でやりましょうか。かくれんぼ」