7 教会のお仕事
一睡もできなかった……。
翌朝、カーテン越しに明るくなった部屋で気怠い体を起こした私は、ひとまず制服に着替えて食堂に向かうことにした。
うじうじと色んなことを考えていたら、完全に眠るタイミングを逸してしまった。
でも不思議と眠くない。これが俗にいう徹夜ハイというやつか。
食堂に向かう道すがらに廊下の窓から外を見れば、お墓のそばには今日も虚ろな目をした少年の幽霊が立っていた。
気にしちゃダメ。関わってもいいことなんてないんだから。
私はなるべく外を見ないように廊下を歩いて、食堂へと続くドアを開けようとドアノブに手を伸ばした。
だけど、私がつかむより早く、何の前触れもなくドアが開いた。
のわっ……!
ドアノブを掴み損ねた私は、その勢いのままたたらを踏んで前のめりに倒れこんでしまった。
ボスっというやや硬めの衝撃と共に、目の前が白一色に染まる。
「おっと、大丈夫ですか? リンさん」
頭上から聞こえてきた声に上を向くと、エクスさんの整った顔が間近にあって更に焦った。
イケメンさんのドアップは心臓に悪い。
「わわっ、ごごご、ごめんなさいっ! 大丈夫です!」
どうやら抱き留めてもらったらしい。うう、恥ずかしい。
慌てて離れた私は、改めて正面からエクスさんを見た。
エクスさんは昨日と同じ神官の服をきっちりと着こなして、穏やかな笑みを浮かべていた。
「おはようございます、リンさん。よく眠れましたか?」
「おはようございます。えと、はい……」
一睡もできなかったとは言い出しにくくて曖昧に頷いてみせれば、エクスさんも何の疑いもなく騙されてくれた。
「それはよかった――――さて、リンさん。今日から私と一緒に教会の仕事をしてもらうことになるのですが、詳しくは朝食を食べてからにしましょう。準備にもう少しかかるので、先にこちらの服に着替えてきてください」
そう言って、エクスさんは綺麗に折り畳まれた白と藍色の洋服を手渡してくれた。
「これは?」
「ルッツの奥方様が貸してくださいました。本来であれば教会既定のお仕着せを着ていただくのですが、こちらの教会ではしばらく女性の神官がいなかったものですから、すぐに準備できなくて……かといって、リンさんのその服はとても目立つので……」
「なるほど……」
確かに日本の女子高生の制服はここじゃ浮くに違いない。
私はルッツさんの奥さんから借りたという服を受け取って部屋に戻ると、四苦八苦しながらも着替えて全身が映る鏡の前に立った。
白を基調とした長袖のブラウスに、濃い藍色のマキシ丈のハイウエストのロングスカート。ウエスト部分でサイズを調節できるように前側で紐がクロスして結ばれている。
鎖骨辺りまで伸びる真っすぐな黒髪を手櫛で軽く整えて鏡の前で一回転してみる。
可愛い洋服に内心テンションが上がった。
おかしなところがないことを確認して食堂へ戻った私は、朝食の準備を手伝うことにした。
朝食は昨日食べた白い平べったいパンに、野菜と焼いたお肉を挟んだケバブサンドのようなものだった。ぱさぱさして単体だと食べにくいパンは野菜の水気や間に挟んだソースのおかげでしっとりして食べやすくなっていた。
食事を終えると、エクスさんはお茶を飲みながら教会での仕事を説明してくれた。
「まず三の刻に起きて朝食をとります。そのあと礼拝堂の掃除と礼拝をして、村の祠の聖水を替えに回ります。お昼は五の刻、午後は特に決まった仕事はありません。部屋の掃除をしたり、村の仕事を手伝ったりしています。そうだ、リンさんさえよければ、時間がある時は字を教えて差し上げましょう。夕食は七の刻半で、夕食後は各自自由な時間としています」
「…………」
何その、三の刻とか五の刻とか。丑の刻とかと同じ類のものだろうか。
「リンさん? どうかされましたか?」
「あ、あの……三の刻とか五の刻とかって……?」
素直に疑問を口にしてみれば、エクスさんは信じられないものを見るような目を向けてきた。
やばい。向こうの世界でもそうだけど、きっと時間とかは世界共通の単位なんだ。そもそもこっちの世界の時間の概念がわからないなんて、どうやって誤魔化せばいいのか。
冷や汗をたらしながらぐるぐると思考を巡らせていると、エクスさんが深いため息をついて、今度は可哀想なものを見るような目を向けてきた。
「…………狭間に落ちたショックで忘れてしまったんですね」
「へ?」
「私も話でしか聞いたことはありませんが、狭間に落ちた方にはよくあることのようですよ。狭間に落ちて見ず知らずのことろに放り出されてしまったショックから、記憶障害を起こしてしまうそうです」
「はぁ」
と力のない返事をしてから、もうこれに乗っかるしかないと考えを改める。
どうせ別の世界から来たっていう話をするつもりはないのだ。
それなら、いっそ部分的に記憶喪失ということにしてしまった方が都合がよさそうだ。
「すみません。自分でもよくわからないですけど、忘れてるのかもしれません……ね……?」
小首をかしげながら答えてみれば、エクスさんはおもむろに席を立って私の優しく頭を撫でてくれた。まるで慰めるような手つきに、私は嘘をついていることへの罪悪感を感じて机の下で手をぎゅっと握りしめた。
そうして、エクスさんは部屋の隅に置いてあった子供くらいの大きさの砂時計の前に私を連れてくると、この世界の時間について教えてくれた。
思った通り、砂時計のような置物がこちらの時計らしい。
落ちた砂の量で時間がわかるようになっているところは、あちらの世界の砂時計と同じようだ。
砂時計の上と下のガラスの部分にメモリが十個ずつついていて、その横に文字のようなものが書いてあった。
エクスさんが言うにはその文字は一から十までの数字で、一の刻から十の刻を意味しているのだという。こちらの一日は一の刻から始まり、十の刻で終わる。地球の一日が二十四時間なので、あちらの二時間ちょっとがこちらの一時間ということになる。
今は三の刻をちょっとすぎたあたりだから、あちらの世界での朝の七時半くらいのようだ。
昨日は気がつかなかったけど、どの部屋にも大なり小なり砂時計が置いてあって時間がわかるようになっている。
時間がわかったところで、私はもう一つの疑問を口にした。
「エクスさん。村の祠って何ですか?」
「ああ、村を囲むようにある六つの祠ですよ。村の守護を強固なものにするためにあるのですが、毎日聖水を替える必要があります」
「なるほど……」
神棚や仏壇に備えた水を毎日取り換えるようなものか。
そういえば、今朝は両親とお兄ちゃんに水をお供えすることができなかったなとぼんやりと思う。寮に仏壇を持っていくことはできなかったから、せめてもと思って家族が映った写真を前に水を備えるようにしていた。
そこまで思って、ふと先ほど廊下の外に見たお墓を思い出す。
墓石の三分の一が草に埋まるほど荒れているように見えた。
草ぼーぼーだったな。
「あの、エクスさん。廊下から見えるお墓って誰のお墓なんですか?」
「ああ。裏庭のお墓ですか? あれはこの村で亡くなった方のものですよ」
「こっちってお墓参りって習慣はないんですか?」
「個人的に身内の方が死者を悼みに来ることはありますが……それがどうかしました?」
「あ、いえ。さっきちらっと見た時に、お墓に草がだいぶ生えちゃってるのが見えて……」
そう言うと、エクスさんは気まずそうに顔をそらして答えた。
「あー……恥ずかしながら、墓地の管理は教会がしているのですが、最近はちょっと手が回ってなくてですね……」
思えば、教会に来てからエクスさん以外の人と会っていない。あちらの教会のように神父さんの他にシスターが何人かいるという感じではないのかもしれない。教会のことを一人で切り盛りしていたら確かに手が回らないだろう。
「あの、さっき午後は決まった仕事はないって言ってたじゃないですか」
「ええ、言いましたね」
「午後、お墓の草むしりをしてもいいですか? どうにも気になっちゃって」
気にるのはお墓だけではないんだけど。
定期的にお墓参りをしてお墓を綺麗に保ってきた私から見たら、あの草が覆い茂った状況は見過ごすことができなかった。あのお墓の人たちと自分は無関係だけど、あの虚ろ気な目で佇んでいる小さな少年がどうにも気になって仕方がなかった。
あそこに眠る子だったら、自分のお墓が草ぼーぼーになっているのは気持ち悪いんじゃないかな。
幽霊に関わるわけじゃない。お墓を綺麗にしたいだけ、と自分に言い聞かせる。
私の提案に、エクスさんは最初こそ難色を示していたけど、ふと何かを思い直したかのように最後にはいいでしょうと草むしりを容認してくれた。
なんだったんだろうと首を傾げつつも、私は午前中の仕事を教えてもらうためにエクスさんと一緒に席を立った。
***
礼拝堂は毎日掃除されているためか綺麗に保たれていてあまりやることがない。
簡単な掃き掃除と拭き掃除で終わり、エクスさんに礼拝の仕方を教わる。
エクスさんは祭壇の前で分厚い経典を読み、その間私は後ろで両ひざをついた状態で両手を組んで目を閉じる。エクスさんには主神イーニスに祈りを捧げながらって言われたけれど、あいにく祈ることは元の世界に戻りたいという願いだけだ。
お願いします。私を日本に帰して。
叶うかどうかもわからない祈りを捧げ終わると、聖水の入った革袋を持って村の祠を巡回する。
祠は全部で六ケ所。丸太でできた柵の内側にあって、教会を出てすぐのところにある祠から回り始める。
大きくて平らな紫の石をバランスよく積んでできた祠には蓋がついた綺麗な細工のガラス瓶が一つ備えられていた。この中に入っている聖水を毎日変えて祈りを捧げるのだという。
一か所目はエクスさんがお手本を見せてくれて、残りは見よう見まねで私がやってみる。
ただ交換して祈るだけなので、そう難しいことはない。
村の人に挨拶をしながら、柵の周りを一周するころにはお昼になっていた。
エクスさんは趣味で野菜を育てているらしく、教会の庭の片隅にある菜園スペースに案内してくれた。料理を作る時はこちらから収穫していいそうだ。
つやつやと実るトマトのような実や黄色のピーマンのような実を、小さなナイフ片手に手際よく収穫していくエクスさんを見ていると微笑ましい気持ちになる。
ちなみに昨日のように村人からの食事のお裾分けもたまにあるらしい。
今日はエクスさんについて台所で料理を手伝うことになった。
一応、寮では食堂があって毎日ご飯が提供されていたけど、夏休みなどの長期連休は寮に残る生徒が少ないので、自由に使っていいキッチンスペースで自分で作っていいことになっていた。一人分作るよりも買った方が安上がりなこともあるけど、作るのが好きだったということもあって、連休中は毎日のように料理をしていた。慣れてはいないけど作るのは好きなのでどうにかなるはずだ。
エクスさんの言う通りに野菜を切っていき、調理器具の使い方を教わった。
調味料は名前が長くて覚えられなかったけど、あちらでいうところの塩とこしょう、酢、醤油、唐辛子なんかがあった。醤油に似た調味料があることは意外だった。
よく読むラノベでは、転移先で醤油と味噌が恋しくなる主人公が続出だというのに。
驚いたのは冷蔵庫に似たようなものがあることだった。
電気があるわけでもないのに、どうやって動いているんだろう。
不思議に思ってエクスさんに聞いてみると、この世界の家電は『加護』という摩訶不思議な力で動いているということを教えてくれた。定期的に冷蔵庫に向かって加護を求めないとだんだん冷気が失われていくそうだ。なんとなく、毎日充電するスマホを彷彿とさせた。
エクスさんが作ってくれたのはお肉と野菜の炒め物だった。ご飯やパンの代わりに蒸かしたジャガイモのようなものが添えてある。濃いめの味付けに白いご飯が恋しくなったけど、代わりにホクホクの芋がいい仕事をしてくれた。主食に芋、十分アリだ。
食後のお茶を飲み終えると、お墓の草むしりに取りかかろうと立ち上がった。
エクスさんは村の人にいくつか仕事を頼まれているそうで、一緒に草むしりはできないそうだ。
朝からずっとエクスさんにくっついて色々教えてももらってきた私だけど、草むしりまで一緒にしたいとは思っていない。どこの世界も草をむしるのは同じ動作のはずだ。
そもそも私がやりたいと言い出したことなので、エクスさんまで付き合わせるのは悪いと思っていた。別々と聞いてちょっとほっとしたのはここだけの話だ。
台所で自分の飲んでいたカップを洗って戻ってくると、エクスさんが私を引き留めた。
「あ、リンさん。待って」
「はい?」
立ち止まった私に何か液体のようなものがかけられた。思わずぎゅっと目を閉じて身を縮こまらせると、微かにミントのような香りがした。
「――汝に水の加護を……はい、もういいですよ」
何事!?
私は怪訝な顔で全身を見回した後エクスさんに視線を戻すと、彼はなんということはないといった様子で緑色の瓶を片手に説明してくれた。
「貴女に虫よけの液剤をかけて水の加護を授けただけですよ。今の時期は吸血虫や毒蛇なんかもでますからね。加護が続く間は虫よけの効果も持続するはずです」
「なるほど……」
それならそうと液剤をかける前に言ってほしい。何事かと思ったじゃない。
私は恨み言をかみ殺すと、いつの間にか用意されていた帽子と鎌に似た刃物のついた道具を手に裏庭に出た。