18 初めての野宿
沢から少し離れた斜面にリャナの木はあった。
そんなに背の高い木ではなかったので、頑張って背伸びをすればあまり力をいれなくても実をもぎ取ることができた。
ヒョウタンのような形をしたリャナの実は表面はツルツルしているけど、固くてとてもじゃないけど割ることなんてできなさそうだ。
どうやって飲むのか聞いてみると、なんとヘタのところを強く引っ張れば中の芯ごと簡単に取り除けるらしい。
言われた通りにヘタを引っ張ると、甘ったるい香りと共に種がくっついた芯がにゅるっと出てきた。
こうみると本当にヒョウタンみたいだ。
軽く左右に振ってみるとちゃぷちゃぷと水の音が聞こえる。
食欲のそそる甘い匂いに、ヘタを引っこ抜いてできた穴に口をつけてリャナの実をあおると、さらりとしたほんのり甘い液体が口いっぱいに広がった。
「おいしい……!」
一口飲んで、残りは一気に飲み干した。
もっと欲しくてもう一つもぎ取る。
今度はゆっくりと、味わうように飲み切ると乾ききった喉が潤った。
喉が渇いた時用にあと三個もぎ取ってから、焚火のところに戻ることにした。
晩ご飯用の木の実を収穫しながら焚火のところへ戻るころには、辺りはすっかり夜の闇に包まれていた。
燃え盛る火を見てほっと安心する。
確かにこれは日が落ちる前に火おこしをやっておかないと、石の色の見分けがつかなくて探すのに苦労しただろう。
火のそばに腰を下ろした私は、暖を取りながらルミナリスさんを仰ぎ見た。
「ルミナリスさんは座らないんですか?」
暖かいですよと付け加えたら、ルミナリスさんは一瞬変な顔をした後、ふっと笑みをこぼした。
『リンは幽霊にも気を遣うんだな』
「幽霊でもなんでも、ルミナリスさんはここにいるじゃないですか」
それを聞いたルミナリスさんは驚いたように目を見開いた。
何か変なことでも言ったかな?
こちらの世界の幽霊はあちらの世界の幽霊よりもはっきり見えるせいもあって、あまり幽霊っぽさを感じないというか、触れないのが不思議なほどの存在感がある。
そんな人を前に一人だけ座っているのが何となく気まずくて、「ほら、座って?」と促せば、ルミナリスさんはおずおずといった感じで、ゆっくりと私の隣に腰を下ろした。
急に近づいたルミナリスさんの横顔に、昼間のキスを思い出してしまって心臓がドクンと跳ねた。
そっと右頬に触れて、なんであんなことしたのか考える。
理由を聞きてみたかったけど、小心者の私には聞く勇気がなかった。
もやもやした気持ちを抱えたまま、誤魔化すように収穫した黄色い木の実に手を伸ばす。
「いただきます」
念のため木の実をローブの内側で軽く擦ってきれいしてから口に放り込んだ。
こりっと殻が砕ける感覚の後に、香ばしい風味が鼻を抜けていく。触感はピーナツに近い。
一応、ルミナリスさんに聞きながら取ったので全部食用で間違いはないはずだ。
私は無言でぱくぱくと食べ、痛み止めの紫色の葉っぱを見つけて手を止めた。美味しくないから激しく食べたくない。
「ルミナリスさん、これ食べなきゃだめですか?」
『その葉は即効性はあるが、持続性はない。一日三回食べないと途中で痛みが戻ってくるぞ』
「う……」
『痛くてかまわないなら食べなくてもいいが、俺は食べることを勧めておく』
「うう……」
食べたくはないけど、背中の痛みが戻ってくるのは勘弁である。仕方ない。
私はまだ木の実の残っているうちに葉っぱを噛みしめて、残りの木の実で口直しをすることにした。
***
お腹がいっぱいになってくると眠気が押し寄せてきた。
私は焚火の後始末をしてから、セゼの木の下の根が絡まってできた網目状の隙間に入り込んだ。
先日エオ君と隠れた木のうろよりも広い。
ここで寝るといいとは言われたけど、さすがに地べたに寝転がるのは気が引けたので、網のようになった根に寄りかかるようにして眠ることにした。
――――――――だけど。
あんなに眠気を感じていたはずなのに、いざ寝ようとすると本当に安全なんだろうかという不安や、真っ暗闇に風で揺れる木々のザワザワした音が気になって、変に目がさえてしまった。
眠ろうと強く目を閉じても、全然眠気は訪れない。
どうしよう、眠れない。
『どうした、眠れないのか?』
セゼの根の隙間の入口から、こちらに背を向けて座っていたルミナリスさんが声をかけてきた。
この人、後ろに目でもついてるんだろうか。
「なんか、こういうふうに外で寝るのって初めてで……そっち行ってもいいですか?」
『ああ』
色よい返事がもらえたので、私は四つん這いで根の隙間を這い出てルミナリスさんの隣に座った。
「ルミナリスさんは眠くならないんですか?」
『ああ、霊体なせいか不思議と眠気はないな』
「へー、そうなんですか」
『そうだな……』
「………………」
『………………』
「………………」
『………………』
「………………」
『………………』
「………………あの」
沈黙に耐えかねて私が話を切り出す。
「あの、ついてきてくれてありがとうございます。でも、湖から離れちゃって大丈夫だったんですか?」
『ああ。問題ない…………どの道あそこにいても暇を持て余すだけだからな』
「暇を持て余すだけって、ルミナリスさんは成仏とかしないんですか?」
『どうしたら成仏できると思う?』
質問に質問で返されて、言葉に詰まった。
どうしたら成仏できるかなんて私も知るわけがない。
エオ君のことを思い起こす。
確かエオ君はやりたかったかくれんぼをして成仏していった。
「んー……やりたいこととか思い残したことがなくなったら、じゃないですかね?」
『思い残したこと、か……』
「ルミナリスさんもあるんですか? 思い残したこと」
『さぁ、どうだろうな…………実は悪霊として存在していた頃のことはあまり覚えてないんだ』
さらっと聞き捨てならない単語が出てきた。
「ええええええ!? ルミナリスさんって悪霊だったんですか!?」
『何を驚いてるんだ? 知ってて影を払ってくれたんじゃないのか?』
「いやいやいや! たまたまですよ!!」
慌てて否定すると、ルミナリスさんは眉間にしわを寄せて苦虫を嚙み潰したような顔をした。
『…………確証もないのに俺を助けたのか?』
「助けたというか、このリストバンドにあんな力があるなんて知らなかったし……あ。でも、結果的にルミナリスさんが助かったみたいでよかったです」
『……………………お人よしめ』
ルミナリスさんが小さく呟いたけど、なんて言ったかは聞き取れなかった。
「今なんて?」と聞くと、ルミナリスさんは乱暴に私の頭わしゃわしゃとかき回して目をそらして言った。
『もう寝ろと言ったんだ。眠れなくても目を閉じてじっとしていれば少しは休まるはずだ』
頭をかき回される感覚はなかったけど、ルミナリスさんの気遣いは十分に伝わってきた。
私は素直に頷いて、来た時と同様に四つん這いで根の隙間に戻って膝を抱えた。
『おやすみ、リン』
不意に頭の中に聞えてきた声はとても優しい響きで。
不安で眠れなかった心が安心感に包まれた。
「…………おやすみなさい、ルミナリスさん」
心が温かくなるのを感じながら、私は眠りに落ちていった。