17 私、憑りつかれることになりました
憑りつかせてもらうぞ、という言葉に私は凍りついた。
「はい!?」
『霊体のままだとここから長時間離れることができないようなんだ。一緒に行くためにはリンに憑りつくしかない』
「………………はい?」
『だから、憑りつかせてもらうと言ったんだ』
説明を聞いてもよく理解ができなかった。
それって、さっきの水まんじゅうに乗り移って憑依するようなことと同じだろうか。意識を乗っ取られて体を奪われてしまうってこと?
「そ、それって憑依ってこと……? さっきの水まんじゅうみたいに体を乗っ取られるの……?」
『いや、憑依ではない。さっきのは理性のない相手にしかできないんだ』
「理性?」
『そうだ。スライムのような理性を持たない生き物は自我を持っていないから憑依できるが、人間のような複雑な思考をもった生き物には憑依できないといったらわかりやすいか?』
「な、なるほど……」
とりあえず人間には憑依できないってことは理解した。
「じゃあ、憑りつくっていうのは?」
『簡単に言うと、憑りついた相手から離れられなくなる。同行人が増えると考えてもらえればいい』
「同行人……」
ゲーム的に言うなら『仲間が増えましたー!』ってやつか。
真っ先に思い浮かんだのはロールプレイングゲームのマップを連なって歩くキャラクターの姿だ。
憑りつくって表現は怖いけど、正直このまま人気のない山の中に一人放り出されるのも怖い。
私は心の中でその二つを天秤にかけて考える。
結局、一人で生きて山を下りられる自信がなかった私は、ルミナリスさんについてきてもらうことにした。憑りつくっていっても山を下りるまでだし。
「…………じゃあ、憑りついてもいいので道案内お願いします」
『了解した』
そう言ったルミナリスさんは私に顔を近づけて、そっと頬に口づけた。
同時に、白い光が私とルミナリスさんの表面を薄く包んで弾けて消えた。
「!?」
一瞬のことで何が起きたかよくわからなかったんだけど。
え、今、私……キス、された……?
思わずのけ反ってキスされた頬を押さえる。急に顔に熱が集中してくるのがわかった。
「ななななななな!?」
『これからよろしくな、リン』
ルミナリスさんはそう言って楽し気に口元を緩ませた。
***
私に憑りついたことで湖から離れることができるようになったルミナリスさんは、なるべく歩きやすいような道を選んで先導してくれた。
山歩きに慣れているのか、ルミナリスさんの案内は安全でかつ的確だった。
ルミナリスさんはラティスのようにお喋りではないようで、移動中は基本無言だったけど、幸いなことに沈黙が苦痛に感じることはなかった。
時計を持ってないから何時間歩いたかはわからない。
歩き始めた頃は真上にあった太陽が赤く染まって傾きかけているのを見ると、数時間は経ったんじゃないかと思う。
普段歩かないせいもあるけど、慣れない坂道に足が痛くなってきた。
そろそろ休憩したいかも。
そう思い始めた頃、ザーという水が流れるような音が聞こえてきた。
「水の音……?」
『近くに沢があるな……今晩はそこで野宿するとしよう』
「野宿……」
都内在住の高校生には無縁だった言葉が重くのしかかる。
アウトドアなんて、今までキャンプ少々の経験しかない。
しかも、テントかバンガローのあるところしか行ったことがない。
今の私にはテントもなければライターもナイフもない。
この身一つという絶望的な状況に、私は足取り重くルミナリスさんの後を追いかけた。
沢はすぐに見つかった。
沢周辺は水の流れがあるせいかごつごつした岩でできていて、上流から転がってくるのか大小さまざまな大きさの石がそこかしこに転がっていた。
三メートルほどの高さから落水する小さな滝を前にしたら、ここまで歩いてきた疲れが癒されるようだった。
そのままふらふらと水辺に寄って覗き込むと、透き通った水の中に緑色のサワガニのような生き物を見つけた。
長袖の袖をまくって、両手で水を救い上げてみる。冷たくて気持ちいい。
綺麗な水を前に、思い出したかのように急に喉が渇きを訴えてきた。
綺麗だから大丈夫だよね?
そのまま口をつけようとすると、ルミナリスさんに止められた。
『待て、リン。その水は飲んではだめだ』
「どうして? こんなに綺麗なのに……」
『綺麗なように見えて、何が混ざってるかわからん。俺は昔、沢で水を飲んで腹を下したことがある』
「う……」
ルミナリスさんの経験談を聞いて、私は両手にくんだ水をそっと沢の流れの中へ戻した。
でも、一度覚えた喉の渇きは何かを飲むまで満たされることはなさそうだ。その上、飲めないとわかると余計に喉が渇いた気さえする。
何か代わりになるものはないかとルミナリスさんに尋ねてみた。
ルミナリスさんは目を閉じて考えを巡らせた後、思い出したように手のひらを打った。
『リャナの実が近くにあるといいが……』
「リャナの実?」
『あれは水分が多くて、山で遭難した時に重宝される食べ物なんだ』
「それは素敵な食べ物ですね! さっそく探しに行きましょう!」
『いや、待て。暗くなる前に火を起こしておかないと』
「うー……そんな簡単に火を起こしておかないとって言われても……私、火なんて起こしたことないんですけど……」
私はどこかの歴史館でみた木の板に棒をこすりつけて火起こしする古代人の模型を思い出しながら、ルミナリスさんを恨みがましくねめつけた。どう考えても日が暮れるまでにできる気がしない。
『なんだ、火起こししたことないのか?』
「そりゃそうですよ! だって、にほ……今まで火起こしなんて必要なかったから」
日本と言いかけて慌てて言い換えれば、ルミナリスさんはこちらの世界での火の起こし方を教えてくれた。
どうやら今いるベルナ山は大昔に大規模な噴火があった山らしく、山のそこかしこに火の精霊の力が宿った石が転がっているんだとか。
私は教えてもらった通りに卵大くらいの赤みがかった石を三つ拾い集めて手のひらに載せると、火の精霊に加護を求めてみた。
「火の加護を」
願うとすぐに私の手の中の石がじんわりと熱を持ち始めた。
熱くなりすぎないうちに沢沿いの乾いた岩の上に置くと、石はみるみる赤くなっていきボッと火がともった。
「おおっ!」
本当についた。異世界すごい。
尊敬の念を持ってルミナリスさんに視線を送ると、彼は白い巨木に向かってふよふよと移動しているところだった。
何か見つけたのかと思って、私も小走りで追いかける。
「ルミナリスさん! 何かあったんですか?」
『何という訳でもないんだが、セゼの木があると思って』
「セゼの木、ですか?」
私は初めて聞く単語に首を傾げた。
この白い幹に白い葉っぱをつけた巨木がセゼなんだろうか。日本じゃみたこともないような色をした木だ。
『セゼは古の時代から生きる聖なる木だ。沢なんかがある綺麗な空気のところによく生えていて、魔獣や魔物なんかは嫌がって近づかないから、魔除けにちょうどいいんだ。ちょうど根のところに隙間があるから、今日はここで寝るといい』
と、ルミナリスさんは木の根が絡み合ってできた網目状の隙間を指さして提案してくれた。
外で寝るよりも数段安全らしい。
青白い肌に足元まで隠れるローブを着ているせいか、インドアな印象の強いルミナリスさんだけど、意外とアウトドアの知識も豊富だった。人は見かけによらないものだ。
火起こしもできたし、寝床も決まったので、ようやくリャナの実と夕食用の木の実を探しに出かけることにした。