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13 転移の先にいたもの

 落ちる感覚はすぐに治まって、お尻への衝撃と共に真っ暗だった視界に光が戻ってきた。


「ぃたたた……もう、なんなのよ」


 昨日から散々すぎる。人生最大の厄日なんじゃなかろうか。

 打ちつけたお尻をさすりながら、目の前の木々を睨みつける。

 …………木?

 おかしい。だって、さっきまで村の中にいたはずなのに。

 私が立っていたのは村の泉の畔じゃない。うっそうと茂る木々に薄暗い視界、足元を漂う赤い霧――そこはオルト村ではなく、不気味な森の中だった。


「……ここ……どこ……」


 愕然した呟きに返事を返してくれる者はいない。

 先程まで目の前にいたピティも、離れていたところにいたエクスさんの姿もなく、森の中だというのに虫の声一つ聞えない。静まり返った森に聞こえるのは、木々が風で揺れるザザーという音だけ。

 こちらの世界に来たばかりに落とされた森の中とは違い、明らかに雰囲気がおかしい。

 そもそも、ここは先ほどまでいた世界と同じ世界なんだろうか。

 怖い。

 生き物の気配が全くしない。


『…………シテ……』


 不意に頭の中に直接呼びかけるような声が聞こえてきて、はっと顔を上げた。

 だれ?

 顔を上げた先には誰もいなかったけど、声が聞こえてきた方向だけはしっかりとわかった。震える足を叱咤して立ち上がると、声が聞こえた方向へ向かって歩き出した。

 正直怖かったけど、このままこの場所に一人でいるのはもっと嫌だった。

 赤い霧で足元が見づらくなっているせいか、何度も木の根に足元をすくわれながら歩いていくと、微かにしか聞こえなかった声が少しずつはっきり聞こえてくるようになった。声音の感じから男の人だろうと推測する。


『……ドウシテ……』


 その声は『ドウシテ』と『ナゼ』を繰り返す。

 声のする方向に歩いていくにつれて赤い霧も濃くなってきて、私はいよいよ自分が間違った選択をしたのではないかと思い始めた。

 森なのに、不思議なほど他の生き物の気配を感じることができない。

 まるで森全体が死んでいるかのようだ。

 今からでも引き返した方がいいのかもしれないという思いと、声の主のところまでいけば誰かいるかもしれないという淡い期待がせめぎあって、引き返すことができないまま歩みを進めてしまった。

 声の感じから、生きている人ではないことはわかっていた。

 今までの私だったら、自ら進んで幽霊と関わることはなかったと思う。

 けれど、エオ君の成仏に立ち会った私は、幽霊に対して少し前向きな感情を抱き始めていた。

 だから、失念していたのだ――この世にはエオ君のような無害な幽霊だけではないということを。



 ***



 急に開けた場所に出た。目の前には湖が広がっていて、水面の上を赤い霧が漂っている。どうやら赤い霧の発生源はここのようだ。

 赤い霧が濃いせいで湖全体が赤く染まっているように見える。まるで血の池地獄のようだ。

 対岸を見ようと目を細めたところで、体を強張らせた。

 湖の上――赤い霧の中を漂ように人間大くらいの黒い影がいた。


 ドクンと心臓が跳ねて嫌な音を立て始める。

 圧倒的存在感と威圧感、それに嫌悪感を肌で感じ取る。

 全身の毛が逆立って、嫌な汗が噴き出るのがわかった。


 これ……やばいやつだ……。


 悪寒が走って、息が上がる。

 あちらの世界で白い影に遭った時に似ているけど、あの時よりも気持ち悪い感じがする。

 逃げなきゃ。

 そう思っているのに、足が地面に縫い付けられたように動かない。

 目が離せない。

 顔なんてないはずなのに、目が合った気がした。


 次の瞬間、黒い影から衝撃波のようなものが放たれた。

 赤い霧を割って一直線に私に向かってきた空気の塊は、避ける間もなく私に直撃した。

 とっさに腕を顔の前で交差させて守ろうとしたけど、踏みしめた足はあっけなく地面を離れて背後にある木に背中からぶつかった。


「……ァウッ……!」


 そのまま木の幹を滑るようにずるずると座り込むと、少し遅れて全身に痛みが走った。

 喉をせりあがってくる感覚に咳をすれば、微かに血が吐き出された。口の中に鉄の味が広がる。


 やばい……逃げなきゃ……。


 そう思っているのに、体が鉛のように思うように動かない。

 動かない体とは裏腹に、気持ちは焦りと不安と絶望感に支配されていく。体の震えを抑えることができない。


 怖い怖い怖い……私、死ぬの……? このまま……こんなところで……?


 私を吹き飛ばした黒い影は、真っ赤な湖面の上を浮遊しながらゆっくりとこちらに向かってきた。


「いや……こないで……」


 みるみるうちに溢れた涙で、目前に迫っていた黒い影が歪む。

 あっという間に湖から陸地へと上がった黒い影は、私の退路を塞ぐかのように大きく膨らんだ。せめてもの抵抗にと両手を顔の前に構えてみたけど、状況が変わるわけがない。


 死にたくない! 誰か……誰か! 誰か助けて!!


 固く目を閉じて、心の中で誰にともなく助けを求める。

 黒い影が徐々に近づいてくるのが気配でわかる。

 こないで。お願い、こないで。

 恐怖に奥歯がガタガタと震える。

 腕を構えたまま縮こまってやり過ごそうとしたけど、やはり見逃してはもらえないらしい。黒い影が私の右腕に絡みついてくるのを感じた。


 憎い、酷い、なぜ、恨めしい、なぜ、酷い、憎い、憎い、なぜ、恨めしい、憎い、酷い、なぜ、恨めしい、なぜ、酷い、憎い…………………………悲しい。


 黒い影の感情なんだろうか、頭の中にごちゃごちゃした感情がながれこんでくる。

 押しつぶされそうなほど強い負の感情に、私は黒い影に触れられていないほうの手で首から下げていたネックレスを服の上から握りしめる。

 呑まれちゃダメ。

 私は正面から黒い影を向かい合った。

 ごちゃごちゃした感情の一番底にあったのは『悲しい』という想い。


「…………どうしてそんなに悲しいの……?」


 胸が張り裂けそうなほどの悲しみを感じてぽつりと呟けば、黒い影は今初めて私のことに気づいたかのように動きを止めた。


『ドウシテソンナニカナシイノ?…………オレ……オレハ、カナシイノカ……?』


 自問自答するような言葉を口にした黒い影に、私は痛む体に鞭打って立ち上がると、おそらく顔があるであろうあたりに手を滑らせた。

 感触もない。顔もない。ただのっぺりとした黒い影にしか見えはしない。

 けれど、どうしてだろう。私には、その黒い影が泣いているように見えた。


「じゃあ、どうして貴方は泣いているの……?」

『オレ……オレハ……ナゼ……』


 それっきり黙りこんでしまった黒い影は、やがてカタカタと小さく震え出した。

 黒い影に触れている手からは、ごちゃごちゃになった負の感情が絶え間なく流れ込んでくる。雑念が多すぎるせいなのか、エオ君の時のように死ぬ間際の情景は見ることはできなかった。

 強すぎる負の感情が、彼の中で急激に膨れあがっていくのを感じる。


『アア……アアアアアアアアア!!』


 突然、震えていた黒い影が割れんばかりの叫び声をあげたと思ったら、その体から先ほどまで湖や森を覆っていた赤い霧が一気に吹きだした。

 赤い霧の発生源はこの黒い影だったようだ。

 霧と共に吹きだされた強い風に立っていられなくなって、私はその場に膝をついてしまった。

 なんて激しい想い。

 私はいったん離してしまった手をもう一度黒い影へと伸ばした。

 どうしてそんなに苦しんでるの?

 何がそんなに悲しいの?

 泣かないで。

 どうしてだかはわからないけど、なぜだか放っておけなくて。

 我を失って泣き叫ぶ黒い影に触れた瞬間、私を中心に風が巻き起こった。

 巻き起こった一陣の風は、一瞬にして赤い霧を霧散させて澄んだ空気を呼び込んでくる。

 なに、これ!?

 突然のことに驚いて目を見開く。

 何が起こったのかと自分を見下ろすと、私の手首――ちょうどラティスがくれたリストバンドのあたりが青白く光っているのが見えた。

 赤い霧を吹き払った風は、その勢いのまま黒い影の影をも吹き飛ばしていた。


 風が治まった時、それまで黒い影のいたところに黒い髪の青年が立っていた。

 もうその姿からは憎しみも悲しみも感じない。

 もう大丈夫。

 安心感からか、私はそのまま意識を手放した。

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