105 カイナルディアへ
「エクスさん……それにお兄ちゃんも。なんでここに……?」
いきなり現れた二人にぽかんとしていると、エクスさんと一緒にきたお兄ちゃんがずかずかと歩いてきて、私の両肩を掴んで脱力したように項垂れた。
「なんでって、お前な……いきなりいなくなったらびっくりするだろうが! シルヴィアさんがお前がいなくなったって血相変えて来た時には、何かあったんじゃないかと……!」
「ご、ごめんなさい……」
だいぶ大変なことになってた。
そうだよね。目の前で急に消えたら心配するよね……。シルヴィーにちゃんと謝らないと。
そう思ってシルヴィーを探したんだけど、あたりに彼女の姿はなく、エクスさんとお兄ちゃんしかいないみたいだった。
「お兄ちゃん、シルヴィーは?」
「シルヴィアさんならまだ向こうが片付いてないからって、お父さんたちと残ってる」
「そうなんだ……」
「みんなに心配かけたんだ。あとでちゃんと謝っとくんだぞ」
「うん。わかってる」
不可抗力だったとはいえ、心配をかけちゃった自覚はある。
しゅんと項垂れると、お兄ちゃんは髪の毛をかき回すみたいにわしゃわしゃと私の頭をなでた。
「まぁ、なんだ。みんなお前がラティスに無理矢理連れ出されたのは知ってるから、そんなにしょげるなよ。あいつには兄ちゃんから勝手に狭間に放り込むなって言っといてやったから……な?」
さっきから姿が見えないなーとは思ってたけど、どうやらラティスが姿を現さないのはお兄ちゃんにお説教をくらったかららしい。
優しい声音に顔を上げてみれば、励ますようにニッと笑ったお兄ちゃんと目が合った。
そうだ、お兄ちゃんっていつもそう。
私がへこんだりしょげたりすると、こうやって頭をなでて励ましてくれたっけ。
雑な頭のなで方も昔とちっとも変ってなくて、懐かしさに口元が緩んだ。
「うん」って小さく頷いてみせると、お兄ちゃんは満足そうに頷いてエクスさんに向き直った。
「さて。こっちはもういいので、あとはそっちですね」
お兄ちゃんの口調が改まったものに変わり、湖を眺めていたエクスさんがこちらを振り返った。
「ええ。宜しくお願いします、神子様」
こっちとかそっちとか、なんのことだかさっぱりわからない。
二人の間で話は済んでいると言わんばかりの空気に、私ははっとなってお兄ちゃんとエクスさんの話に割り込んだ。
「あの! カイナルディアを目覚めさせるっていうのは!?」
「文字通りですよ。トレヴィスはこの世を去ったのでしょう? ならば、カイナルディアを眠りから解放させなくては」
エクスさんはそう言うと、ルミナを見ておどけるように肩をすくめてみせた。
「本当はもう少しゆっくりでもよかったのですが、ルミナを助けるためには神子様の力がどうしても必要でしてね」
『――――お前、まさか……!』
ルミナはエクスさんが言わんとしていることがわかったようだ。
驚きのあまり声も実体化させずに固まってしまったルミナに向かって、エクスさんがにっこりと含みのある笑顔を浮かべた。
「言ったでしょう? 瀕死だって――ルミナ、私は貴方のこともみすみす死なせるつもりはありませんからね」
助ける? 瀕死? 死なせるつもりはない?
なんのことだかさっぱりわからないけど、エクスさんの言い方はまるでルミナがまだ生きてるみたいに聞こえる。
え? え? 待って。どういうこと?
説明を求めてルミナを見れば、目が合った瞬間にふいっと顔を反らされた。
え? なんで反らすの?
なんだかやましいことがバレた子供みたいな反応なんだけど。
そんな私とルミナのやり取りを見て、エクスさんが呆れたように額を押さえた。
「ルミナ……まさかとは思いますが、リンさんに言ってないんですか?」
「…………」
あからさまに視線がつつーっと横に流れた。
「図星ですか……まったく……自分から話すと言っていたのに――――リンさん」
「へ!? あ、はい?」
「驚かないで聞いてくださいね。ルミナなんですけどね、実はまだ死んでないんですよ」
「はぁ……………………はぁ!?」
いったん間の抜けた返事を返してから遅れること数秒、エクスさんの言葉の意味を理解した私は素っ頓狂な声を上げてしまった。静かな湖畔に私の声がこだました。
いや、だって生きてるって!?
驚くなっていう方が無理がある。
私は口をパクパクさせながら隣に立つルミナを仰ぎ見た。
驚きのあまり言葉にならない。
金魚のように口をパクパクさせる私に、ルミナはばつが悪そうな顔で「そういうことらしい」とエクスさんにも聞こえるように声を実体化させて肯定した。
「俺もずっと自分は死んでいるものだと思ってたんだがな。その直前に国中の時間が止まったようで、かろうじて死なずに済んだらしい」
「死んで、ない……?」
「まぁ、死にかけてはいるがな」
「死にかけ……あれ? でも待って。それって、カイナルディアの時間が動き出したら……」
かろうじて一命をとりとめていたルミナは――想像して身震いした。
あえて口にできなかった言葉をルミナが続ける。
「今度こそ死ぬだろうな」
「だから、死なせませんって!」
エクスさんが話に割って入ってきた。
「なんのために神子様を連れてきたと思ってるんですか」
「お兄ちゃんを?」
どういうことだろうと向かいに立つお兄ちゃんを見れば、お兄ちゃんは見事なドヤ顔で自分の胸をトントンと叩いた。
「俺、回復スキル持ち」
「――――ああ!」
ここでようやく話が繋がった。
エクスさんが言うには、これまでトレヴィスさんを探す傍らで回復魔法を使える人を探していたんだって。
どうやらこの世界では回復魔法を使える人が極端に少ないらしく、お兄ちゃんが回復魔法を使うの見て、この機会を逃してなるものかと思ったそうだ。
うちのお兄ちゃん、やっぱりラノベの主人公なんじゃないかなってくらいスペックが高すぎやしないだろうか。
エクスさんはサクサクと草を踏んでこちらに歩いてくると、私とお兄ちゃんに手をかざして唱えた。
「汝らに水の加護を」
エクスさんの手のひらがほんのり青白く光って、私とお兄ちゃんの周りの空気が同じ色の光をまとった。
何事かと体を見下ろした私たちに、エクスさんはニコリと微笑んで今起こったことを説明してくれた。
「水の中で息ができるよう加護を授けました――――さぁ、行きましょうか」
かくして、私たちは湖に沈んだ国カイナルディアへ向かうことになった。
***
水の中は月灯りがほぼ届かず、不気味なほどの暗闇と静けさで満ちていた。
一体どのくらい深いのか見当もつかない。
カイナルディアが眠りにつくと同時にできた湖には魚一匹見当たらない。まるで湖全体が眠りについているかのような静寂に少しだけ怖くなる。
水の中でも消えない不思議なランプの灯りだけが頼りだ。
エクスさんを先頭に下へ下へと泳ぎ進めていくと、人工的に造られた石垣のようなものが見えてきた。
私たちの世界で言うところのビル三階分くらいの高さがある。暗くてよく見えないけど城壁なのかもしれない。
やがて湖の底が見えてきて、ヒュッと息をのんだ。
道路のような場所に何人もの人が倒れていた。
どの人も仰向けやうつ伏せに倒れたままピクリとも動かない。
「なに……これ……」
異様な光景に呟きを漏らせば、それを聞きつけたエクスさんが「カイナルディアの民ですよ」と教えてくれた。
「みんなあの日のまま眠っているんです」
前を行くエクスさんの表情は見えないけれど、静かな声音からはどことなく哀愁のようなものが感じられた。
ルミナ、大丈夫かな?
カイナルディアのことを知らない私でもこれだけ胸にくるものがあるんだもの。ルミナの受けた衝撃はきっと計り知れないと思った。
心配になってちらりと後方を振り返ってみれば、ルミナは眉間に深いしわを刻んで痛々しいものを見るような顔で眠る人たちを見つめていた。
「――まずはルミナのところに行きましょうか」
そう言って、エクスさんが右へ方向転換した。
お兄ちゃんもそれに続く。
私もそれを追いかけようとして、ルミナがその場に立ち止まったままなのに気がついた。
エクスさんたちが移動したのも気づかないほどに眠っている人たちに目を奪われているようだった。
「ルミナ?」
『あ……ああ。どうかしたか?』
「エクスさん、行っちゃうよ?」
『……ああ』
心ここにあらずって感じの相槌が返ってきて、私はたまらなくなってルミナの袖を掴んで小さく引っぱった。
「…………大丈夫?」
『ああ。問題ない』
どう見たって問題ないって顔色じゃない。
それなのに問題ないと言って弱みを見せてくれないルミナが――しいては何もしてあげられない自分がもどかしくて、服の袖をつかんだ手に力を込めた。
わずかな表情の変化も見逃さないようにじっとルミナの顔を見つめていると、沈黙の後にルミナが重い口を開いた。
『…………リン、俺……俺は……このままこの人たちと一緒に目覚めてもいいんだろうか?』
苦悶の表情を浮かべたルミナは、横たわる人たちに視線を戻して心の内を吐き出した。
「ルミナ……」
スーリアでカイナルディアのことを聞いたルミナは、どうしたら罪を償えるかと自分を責めていた。
実際に湖の底で眠る人たちを見て、改めてその思いを強くしてしまったようだった。
あの時、私はルミナの話を聞くだけで何も言ってあげることができなかった。
正直、今も私なんかがルミナの事情に口を挟んでいいものかと足踏みする自分がいる。
だけど。
ルミナがずっと抱えていた思いとか、トレヴィスさんのこととか、前よりもわかったことが増えた。
それから、自分がルミナに対してどう思っているかも。
今のルミナにはたぶん優しいだけの言葉は届かない。
誰かに向かって厳しめな意見をするのはすごく勇気がいる。今までは関係が壊れてしまうのが怖くて全部飲み込んで胸の内にしまってきた。
だけど、今は怖がってる場合じゃない。ルミナに生きていてほしいから、私はあえてそれを言うことにした。
「ねぇ、ルミナ。前にスーリアで言ってたじゃない? どうしたら罪が償えるかって――――死んじゃったら罪は償えないと思うんだ。私のいた世界にはさ、生きて償うって言葉もあるくらいなんだから」
『だが、国を危険にさらした俺が生き返ったら、みんなどう思うか……』
「そんなの、この人たちを起こしてみないとわかんないじゃない」
『それは……そうかもしれないが……』
「それからね、これは個人的なことなんだけど…………私はルミナに生きていてほしいよ」
ルミナはゆっくりと顔を上げて私を見た。
どこか頼りなさげな表情をしたルミナと目が合う。
私は袖を掴んでいた手を放して、彼の頬にそっと手を添えた。
「返事、遅くなってごめん――――今ここであの時の返事をするね」
私は一度言葉を切って小さく息を吸った。
あちらの世界に居場所がないのなら、この世界に残って俺の居場所でいてほしいと言われたのがずいぶん前のことのように感じる。
あれからいろんなことがあったけど、これからもルミナと一緒にいたいって気持ちは変わらなかった。ううん、一度離れてから前よりもずっと強くなった気がする。
「私、ルミナのことが好き。これから先、ルミナにどんな辛いことがあっても一番近くで支え続けるって約束する。だからお願い。私と一緒に生きて」
『リン……お前……』
大きく目を見開いたルミナに、私は泣きそうになるのを必死に堪えながら無理矢理笑ってみせた。
「生きるのを諦めないでって、ルミナが最初に言ったんじゃない。忘れちゃったの?」
『生きるのを諦めるな、か……俺はずいぶん酷なことを言ったんだな』
ベルナ山で滝から落ちた時、死んじゃいたいって泣きじゃくっていた私に、ルミナは生きるのを諦めるなって言った。
あの時はもう生きているのが辛くてしんどくて。本当に酷なことを言ってくれたものだと、当時のことを思い返して苦笑してしまった。
「ほんとだよ――生きてくのって結構しんどいんだからね」
『ああ……』
「だけどね……私、今はあの時死んじゃわなくてよかったって思ってるの。人ってさ、もうダメだって思ったところからでも生きてればなんとかやり直せるんだよ」
『…………』
ルミナは肯定も否定もしないまま、眠る人たちに視線を戻した。
その表情からは何を考えているかはわからなかったけど、頬に触れた手を伝ってルミナの凪いだ気持ちが伝わってきた。うん、きっともう大丈夫。
私は頬に添えていた手を下ろしてルミナの前に差し出した。
「ほら、行こう? 早く追いかけないと迷子になっちゃう」
遠くなりつつあるエクスさんのランプの光を目で追いかけて言えば、ルミナは『そうだな』と差し出した手を握り返してくれた。