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103 憐れな魂に安らかな眠りを

『シルヴィア! どけ!!』


 耳元にルミナの鋭い声が聞こえたすぐ後、何か大きなもの同士がぶつかり合った。

 視界の隅に、トレヴィスさんと対峙していたシルヴィーが飛び退くのが見えた。多少擦り傷は負っているものの、大きな怪我はなさそうで安心する。

 一体何が起こったのかと首を反らして前方に目を向けてみれば、黒い影とラティスの風がぶつかってバチバチと黒い火花のようなものが散っているのが見えた。


『ラティス! もっと出力をあげろ!』

『もう! 人使い荒いなぁ! そんなこと言われなくてもやってるってば!』


 ルミナの要求にラティスの苛立った声が返ってくる。

 今までいとも簡単に黒い影を吹きとばしていたラティスだけど、トレヴィスさんが纏う影は思うように吹きとばすことができないようだ。

 私を中心に吹いていた風の勢いが増したけど、相手の黒い影も同じだけ圧を増したようで、押し合うようにぶつかり合った力は互いに拮抗して、あとほんの少し――手を伸ばせば届きそうな距離なのに、これ以上トレヴィスさんに近づけなくなってしまった。

 思うようにならないもどかしさからなのか、今まで姿を見せなかったラティスがルミナの前に現れた。


『ちょっとルミナリス! この影なんかおかしいよ!』

『おそらく魔術の反動だろう。本体と影が癒着してしまっている』

『なに冷静に観察してるのさっ! あの黒いのなんとかならないわけ!?』

『なんとかか……』


 ルミナは少し考えた後、『リン』と私を呼んだ。


「なに?」

『力を貸してくれ』

「いいけど、どうやって手を繋ぐの?」


 抱きかかえられてる状態でどうやって手を繋ぐのか聞いてみれば、ルミナは涼しい顔をして『このままでいい』と答えた。

 このまま!? え、ちょっと待って。このままなの!?

 後ろ向きで抱えられたまま何をどうしろと!?

 私の焦りを知ってか知らずか、ルミナは集中しろと促してくる。この状態で集中しろとか、無茶言わないでほしい。


「ムリムリムリムリ! こんな状態で集中とか無理だってば! 下ろしてぇ!」


 恥ずかしすぎて集中なんてできるわけがない。

 やだやだやだやだ! 絶対重いから下ろしてほしい。

 改めてこの状況を自覚してしまって、恥ずかしいやら居たたまれないやらで頭がいっぱいになる。

 足をジタバタさせて下ろしてって訴えたのに、下ろしてくれそうな気配は微塵にもない。それどころかルミナは楽しそうにニヤリと笑った。


『ちゃんと集中できてるじゃないか』

「はぁ!?」


 太ももを支えていたルミナの手が離れて、彼の手のひらに光が集まっていく。

 しっかり力が集まっていることに仰天する。


「えええええええええ!?」


 待って、それ集中じゃない。断じて集中じゃない。

 ただ恥ずかしいだけなのに! っていうか、思いが強ければなんでもいいの!?

 ルミナの手の光が増すのを見て、さらに恥ずかしさがこみ上げた。もう顔を手で覆うしかない。

 なんという負のスパイラル。

 ああ、もう! 早く終わって!!

 恥ずかしさも最高潮に達した時、ピュン! と風を切る音がした。

 音の方向に顔を反らせてみると、ルミナの手のひらから小さな光の球が放たれるのが見えた。


 ピュン! ピュン!


 前に魔獣と対峙した時と同じだ。

 ルミナから放たれた光の球は、トレヴィスさんとの間に壁のように立ちはだかった黒い影に腕が通るくらいの穴をいくつか開けた。

 やった! と思ったのも束の間、すぐに穴は塞がってしまう。


『チッ……厄介な……』


 ルミナは毒ずいて、それならばと今度は光の球を出現させた手をそのまま影に押し当てた。

 影に穴が開くのと同時にずぷりとルミナの腕が影の中に沈んで、すぐそばにあったトレヴィスさんの腕を掴んだ。


『――――来い!』

「ガガ……アアアァ……!」


 ルミナが力まかせに引っぱると、トレヴィスさんの腕がもげてしまった。

 白骨化した肘から先だけだが穴を越えてこちらにやってくる。


「ヒッ!」


 思わず悲鳴を上げてしまった。

 うで……腕が……!

 驚きのあまり、はくはくと言葉にならない声で腕を凝視していると、さらに目を疑うようなことが起こった。

 ルミナに掴まれたトレヴィスさんのもぎれた腕が、まるで意思をもっているかのように動いて彼の首に掴みかかったのだ。


『ぐ……このっ……』


 首を絞められてルミナが苦しげに顔を歪める。どうやらトレヴィスさんの手はルミナに触れることができるらしい。


「ルミナ!」


 なんとかしなきゃ!

 ただその一心で、ルミナの肩から飛び降りて、彼に掴みかかったトレヴィスさんの手を掴んだ。

 その瞬間、目の前に別の景色が広がった。



 ***



「トレヴィス」


 呼ばれた名前にはっとすると、目の前に白地に濃紺のラインが入ったローブを着たルミナがいた。

 今より幾分か若い彼はこめかみのあたりをトントンしながらトレヴィスさんに訊ねた。


「一昨日の実験データをどこにやったか知らないか?」

「もう! またですか、師匠。一昨日のやつなら、自分でまとめるって持ち帰ってたじゃないですか!」

「――――――ああ」


 二拍ほど置いて思い出したらしく、ルミナはそうだったと踵を返して鞄の中を漁りはじめた。

 トレヴィスさんはそんなルミナの後ろ姿を見て苦笑した。

 実験の内容は死者復活とかいう物騒なもののはずなのに、この研究室にはほの暗い印象がまったく感じられなかった。

 研究室にいる誰もが、どうしたら自国民の犠牲を出さずにこの国を守れるかを真剣に考え、日々研究にいそしんでいた。

 トレヴィスさんはそんな人たちの裏で一人、諜報活動をしていることへの罪悪感を感じるようになっていった。

 私はトレヴィスさんの視点から、彼が主演の映画を見ているような感覚でその様子を見ていた。

 祖国では番号で呼ばれて肩身の狭い思いをしながら生きてきたトレヴィスさんにとって、カイナルディアでの生活は穏やかで充実したものだったようだ。

 気の知れた仲間に、人一倍研究熱心な師匠。

 対して自分は魔術の研究を盗んで来いと命を受けた諜報員。

 カイナルディアの人たちと仲良くなればなるほど、誰にも言えない秘密はトレヴィスさんの心に暗い影を落としていった。

 このままここで暮らせたらどんなにいいかと思ったのは一度や二度ではない。

 けれど、トレヴィスさんは真面目な人だったようで、野垂れ死ぬところだった自分を拾って育ててくれた恩人を裏切ることはできず、かといって割り切ることもできず、秘密を抱えたまま周囲を欺き続けることに苦痛を感じていたようだった。

 祖国で自分の居場所を見つけられず、カイナルディアでは偽りの生活の中に身を置いていたトレヴィスさんは、いつも心のどこかで孤独を感じていた。

 優しくされるたびにトレヴィスさんの罪悪感は増して、毎夜悪夢にうなされるようになった。


 親しくなった同僚に自分の秘密を打ち明けて軽蔑される夢――。


 悪夢が現実になるのを恐れ、トレヴィスさんはますます上部だけの付き合いをするようになった。

 そうして研究が大詰めを迎えようとしていたある日、育て親であり主でもある魔導士から一通の手紙が届いた。

 『五十三番』と自分宛てに書かれた手紙に、トレヴィスさんは現実に引き戻された。


 もうここで終わりにしよう。


 研究がすべて終わる前に、トレヴィスさんは自国へ戻る決意をした。

 そうして『あの日』――ルミナが大規模な実験をした日がやってきた。

 トレヴィスさんは術を発動させているルミナに背後から襲いかかると、エクスさんの猛追をかわして国を飛び出した。

 トレヴィスさんが国の外に出た瞬間、轟くような振動と共に背後にあった国が湖の中に姿を消した。

 トレヴィスさんはすっかり変ってしまった景色を前に腰を抜かしてへたりこんだ。


「はは……」


 口から洩れたのは乾いた笑いだけだった。

 もうどう反応したらいいかわからなかった。

 実験は失敗に終わるだろうと思っていた。けれど、まさか国が湖に沈むなんて誰が想像できただろう。

 トレヴィスさんはカイナルディアに来てから今日までのことを思い出して、泣いた。笑いながら泣いた。


 全部壊した。壊してしまった。壊したのは、オレ。

 もう何もかも取り返しがつかない。


 トレヴィスさんから強い後悔の念が伝わってきた。


 もう後には引けない。

 自分はやるべきことをやっただけだ。


 湖に姿を変えたカイナルディアを背にして、一歩一歩踏みしめながら後悔の念を振り払った。

 トレヴィスさんには、もうカイナルディアから盗み出した魔術の研究を報告する道しか残されていなかった。



 そこで視点が切り替わって現実に引き戻された。

 さっきルミナに触れた影からは憎しみばかりが伝わってきた。

 けれど影に覆われていないトレヴィスさん自身から伝わってきたのは、憎しみではなく深い悲しみと後悔の念だった。

 影の奥底にあった悲しみと後悔の正体を知って、胸がぎゅっと締めつけられた。


 この人、ずっと自分の居場所を探し続けてたんだ……。


 誰にも言えない秘密を抱えて、自分を偽りながら居場所を探し続けていた。

 私にも覚えのある感覚だった。

 あちらの世界で、幽霊が見えることを誰にも言えず、上辺だけの付き合いをしていた私――特に家族を火事で亡くしてからは、本気で自分の居場所なんてないと思い込んでいた。

 状況は全然違うはずなのに、どこか似た境遇に自分を重ねてしまった。


 トレヴィスさんのやったことは許されることじゃない。

 それでも、彼の気持ちは痛いほどわかってしまった。


「トレヴィスさん! 後悔してるなら、もうこれ以上はやめて……!」


 ルミナの首に掴みかかったままのトレヴィスさんの手に呼びかけると、骨だけになったトレヴィスさんの手がびくりと震えて、サラサラと灰になったように崩れて消えていった。

 今まで首を絞められていたルミナがゲホゲホと苦しげに咳き込んだ。


『……リン、お前……()()()()?』

「ルミナこそ……()()()()?」


 お互いに顔を見合わせて頷きあう。

 たぶんルミナも同じ気持ちだと思った。

 無言で手を差し出されて、そこに自分の手を重ねる。


 もう一回……!


 私は今度こそ手のひらに願いを込めて意識を集中した。

 トレヴィスさんが安らかな終わりを迎えられるように。

 手のひらに熱が集まってきて、ルミナへと伝わっていく。

 同時に、ルミナと手を繋いでいない方の手もじんわりと熱を帯びた。

 うっすら光る手を、ルミナと同じようにトレヴィスさんと私たちを阻む影に向かって掲げる。


『いくぞ、リン!』

「――――うん!」


 影の中に手をねじ込んで、トレヴィスさんの左肩を私が、右肩をルミナが掴んだ。


『トレヴィスッ!』


 力強い呼びかけに、俯いていた顔がわずかに上を向いてルミナを捉えた。


「シショー……ガ……アア……」


 トレヴィスさんは何かと葛藤しているかのように頭を押さえて前かがみになった。

 今だ!

 影の威力が弱まったのを感じて、精いっぱいの声でラティスを呼んだ。


「ラティス! お願いっ!」

『オッケー!』


 ラティスの返事と共に、手首のリストバンドが青白い光を放って風を巻き上げた。

 くるくると渦を巻きながらトレヴィスさんを覆っていた影を空へ昇華させていく。

 やがてモヤモヤした影がすべて取り去られると、そこには呆然立ち尽くした様子のトレヴィスさんが残されていた。


「…………」

『トレヴィス、俺がわかるか?』

「……シショー……」

『ああ』

「アア……オレ……シショーを……」


 カクンとひざが折れて地面に倒れ込みそうになるのをルミナが支える。


「……全ブ、オレのセイデ……」

『…………』

「シショーモ、カイ、ナルディアノミンナ、モ、ゼンブ……オレガ、壊しテ……」


 項垂れて罪を告白するトレヴィスさんは、影が取り払われたせいなのか先ほどまでの残忍さは感じられなかった。

 ルミナは憐れむような視線を向けてトレヴィスさんの話に耳を傾けていた。


「オレ、トンデもナイことヲ……」

『…………トレヴィス』

「……申シ訳、アリマセン。オレ……オレ……」

『…………俺の方こそすまなかった』

「シショー?」

『俺は、お前が一人でずっと悩んでいたのに気づいてやれなかった。いつも研究のことしか考えてなくて……何度か話してくれようとしていたのに、察してやれなくてすまなかった。おまけに俺の魔術のせいでお前はこんな姿に……』


 トレヴィスさんと目の高さを合わせたルミナは、そっと彼の頬に触れた。すっかり骨になってしまったかつての弟子の姿に、ルミナはくしゃりと顔を歪めた。


「オレのハ、自業自得デス。シショー、イツモ、準備ハ怠ルナって言ッテクレテイタノニ」

『馬鹿たれが』

「シショー、ハ、オレノコト、恐くナイんデスカ?」

『怖い?』

「オレ、コンナ姿二成リ果テタのに……」

『そんなこと言ったら、俺だって霊体だ』


 お互い変わり果てた姿に、どちらともなく笑う気配を感じた。


「――――シショー」

『うん?』

「ドウカ、シショーノ手デ終わラセテクレマセンカ?」


 静かに告げられた内容に、私もルミナも息をのんだ。


「オレ、トリカエシノツカナイコト、シマシタ。助カロウトハ思ッテイマセン。ダカラ、ドウカオレヲ消滅――」

『断る』


 自ら消滅を望んだトレヴィスさんを、ルミナは一刀両断して彼の望みを退けた。

 唯一の希望を断ち切られて絶望したトレヴィスさんから再び小さな影が生まれだす。


「……シショーハ、オレにコノママの姿デ生キロトイウノデスカ?」

『違う、そうじゃない! 消滅なんかじゃなく、成仏しろと言っているんだ』

「無理デスヨ……シショーヲ死二追イヤッテ、カイナルディアヲ滅ボシた自分ガ、ドノ面下ゲテ成仏デキルト?」

『滅んでないと言ったらどうする?』

「――――――ハ?」

『やはり知らなかったか。カイナルディアは滅んでいない。湖の底で眠っているだけだ』

「眠ッテイルダケ……?」

『国の守護精霊がカイナルディアを守るために湖の中に沈めて国全体を眠りにつかせているんだ』

「ジャア……ミンナ、マダ生キテ……?」


 信じられないとトレヴィスさんが地面にへたりこむ。

 目の前で国が湖の底に沈んだのを見たトレヴィスさんにとって、ものすごい衝撃だったと思う。エクスさんの話を聞いただけの私だってすごく驚いたんだもの。にわかに信じられないのも無理はない。

 ルミナはトレヴィスさんの傍らに膝をつくと、彼の両肩に手を乗せて大きく頷いてみせた。


『ああ。だから、安心して逝くといい』

「シショー……オレ、許サレテもイイんデショウカ?」


 迷子になった子供のように訊ねたトレヴィスさんに、ルミナはやんわりと首を振った。


『それを決めるのは俺じゃない――――お前は確かに許されないことをした』

「…………ハイ」

『だがな、トレヴィス。俺はお前の師匠だ。弟子の不始末は俺の責任でもある。だから、あとのことは俺にまかせておけ』

「シショー……不出来ナ弟子でスミマセンデシタ」

『不出来なものか。お前は頼りになる弟子だった。ほら、胸を張っていけ』

「ハイ」


 ルミナに促されて立ち上がったトレヴィスさんの体が淡く光りだす。

 あ……この光……。

 前にも何度か見たことがあった。エオ君やテト君を見送った時と同じだ。

 トレヴィスさんの体から発せられた淡い緑色の光が、細かい光の粒になって少しずつ空へと消えていく。


「師匠、ありがとうございました」


 最後の最後、骨となったトレヴィスさんに生前の姿が重なって見えた。

 黒髪に濃い緑色の瞳をした青年は、穏やかな笑顔を浮かべて深々とお辞儀をすると、光が弾けるように消えていった。

 それと同時に、今までトレヴィスさんの魂の依り代になっていた体がボロリと崩れた。まるで役目を終えたとでもいうようにサラサラと灰のようになって風に流されていく。

 私もルミナもその様子をただ黙って見つめているしかできなかった。

 吹き荒れていた風が止んで静寂が戻ってくる。

 

 終わったんだ。


 ほっと息をついて、ふと隣にいるルミナを仰ぎ見た私はぎょっとなった。

 ルミナが透けてる!?

 今まで生きている人と同じくらいしっかり見えていたはずのルミナの体がみるみるうちに薄くなっていく。


「ルミナ!?」


 慌てて手を伸ばしたけれど、私の指先がルミナに届くよりも早く、彼の体は夜の闇に溶けるかのようにかき消えてしまった。

やばい……前の更新からもう1か月も経ってる……。

お待たせしてしまってすみませんでした。

今月中の完結目指して頑張ります!←言ったからには守らねば!

残り数話、最後までおつきあいいただけましたら幸いです。

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