102 影に隠された思い
100話、101話にあった『黒い靄』を『黒い影』に統一しました。
「よし、じゃあ俺も凛と――『リツは別行動じゃ』」
私と残るって言おうとしたお兄ちゃんの言葉をイーニスが遮る。
「はぁ!? なんでだよ、意味わかんねぇし! 『何を言っておる。私たちがここに残ったところでできることはたかが知れておるじゃろうが』 けどさ! 『リツよ。おぬしも何が最善かわかっているはず』 それは! そう、だけど……」
抗議するお兄ちゃんと落ち着き払ったイーニスの口調が交互に入れ替わる。こんな時になんだけど、ちょっと面白いとか思ってしまった。ごめん、お兄ちゃん。
「『リツ。私の言うことは?』 ――絶対……」
イーニスの鶴の一声に、お兄ちゃんは苦虫を噛みつぶしたみたいな顔をして唸った。どうやらイーニスの決定には逆らえないらしい。
お兄ちゃんの姿をしたイーニスは私を見て、それからエクスさんとお父さんたちの方へ向き直った。
「『では、そなたら三人は祠の破壊と浄化を、妹御はあの娘に加勢を、私とリツは陣の中央でこのあたり一帯に蘇った霊を鎮めるぞ』」
役割を確認して頷きあうと、それぞれが行動を開始した。
エクスさんたちとお兄ちゃんが駆け足で森の中に消えていく。その背中を見送って私も気持ちを引き締めた。
足手まといになんてなりたくない。私は私のできることをしなきゃ。
震えそうになる足を叱咤して、ルミナと戦闘を繰り広げているシルヴィーへ向かって走り出す。
「ラティス!」
私の呼びかけに、ラティスが『はいはーい』と姿は見せずに声だけで応えてくれる。
今から戦いだっていうのに、緊張感のない返事に苦笑してしまった。
「ルミナを覆ってるあの黒い影を払いたいの。力を貸してくれる?」
『お安い御用だよ』
手首のリストバンドが淡く光って薄く風を纏う。
まずはルミナを取り巻いているあの黒い影をなんとかしなきゃ。
今まで悪霊の黒い影を吹きとばしてきたラティスの力なら、ルミナをもとに戻すことができるかもしれない。
「シルヴィー、どいて!!」
ルミナに向かって両手を突き出すと、私の声を合図に手の平から勢いよく風が放たれた。
反射的に飛びのいたシルヴィーの脇を風が通り抜けてルミナに直撃する。
ルミナのローブが風にあおられてバタバタとなびき、黒い影を霧散させていく。
いける!
そう思ったのもつかの間、風が止まると同時にすぐに黒い影が湧き上がって元通りになってしまった。
もう一回!
「ルミナ! 元に戻って!!」
突き出した手から風が放たれ、黒い影を散らす。
影が取り払われた瞬間、一瞬だけルミナの目に光が戻ったように見えた。けれどすぐに目の光は失われ、虚ろな表情に戻ってしまう。
「だめよ、リン! キリがないわ!」
隣に並んだシルヴィーが声を上げた。
「わかってる!」
私はすっかり黒い影に包まれてしまったルミナを見て眉間にしわを寄せた。
シルヴィーの言う通り、これじゃキリがない。
前にアドルフさんを襲った魔獣と同じだ。
あの骸骨の人、相当恨みや憎しみが強いらしい。
前は魔獣の魂を消滅させることで影を払った。
今、ルミナを操っているのは隣にいる骸骨の人だ。元に戻すにはあの人をなんとかするしかない。
たぶんシルヴィーも同じことを思ったんだろう。
「リン、ルミナを引きつけられる?」
「シルヴィーは?」
「こうなるともうあいつを消滅させるしかないわ!」
私の返事を待たず、シルヴィーがゆらゆらと動く骸骨の人に向かって地を蹴った。
シルヴィーの動きに合わせてルミナが骸骨の人を守ろうと動きだす。
「ラティス! ルミナを止めて!」
『オッケー!』
耳元でラティスの声が聞こえたのと同時に私から突風が発せられ、猛烈な風にあおられたルミナはひらりと宙を一回転して後方へと着地した。
その隙をついて私はルミナに向かって駆けだした。
「ルミナ!!」
伸ばした手に力と願いを込める。
今までずっと掴みたくて掴めなかった手――その手を、今度は私から掴むんだ。
拒むようにくり出されたルミナの黒い影をラティスの風が弾いて、私は今度こそルミナの腕を掴んだ。
その瞬間、手を通してルミナの感情が流れ込んできた。
相変わらず明確な情景は浮かんでこなかったけど、ルミナからは深い悲しみと後悔を感じた。
渦巻く悲しみは出会った頃のルミナよりも深いものに感じられて、胸がぎゅっと締めつけられるような感覚を覚えた。
一方、ルミナはまさか私が腕を掴んでくるとは思っていなかったのか、驚愕の表情を浮かべたまま固まっていた。だけどその表情もすぐに消えて虚ろな表情になってしまう。
今度こそって思ったのに。
どこからともなく湧き出してきた黒い影が、掴んだままの腕を伝って私の方まで伸びてくる。
ゾクリと悪寒がはしった。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。
激しい負の感情に吐き気がせり上がってくる。
これ、骸骨の人の感情だ。
黒い影に意識を向けた途端、唐突に目の前が真っ白になった。
続けて瞼の裏に浮かんできたのは、見たこともない景色だった。
***
石の枠組みでできた小さな窓からお城のような建物が見える。
そんな煌びやかな敷地の一角――薄暗い無機質な石造りの部屋に黒いフードをかぶった黒髪の男の人がいた。
不思議とこの人が骸骨の人だとわかった。
生前の記憶なんだろうか。『五十三番』と呼ばれたその人は、見るからに高価そうな服を着た初老の魔導士の前に跪いて頭を下げた。
懐から取り出した紙を二枚ほど読んで『五十三番』さんが恐る恐る顔を上げると、報告を聞いた初老の魔導士は歪んだ笑みを浮かべて「おもしろい。今すぐその魔術を試してみよ」と言った。
『五十三番』さんは準備が足りてなかったにも関わらず、雇い主であり育ての親でもあるこの魔導士に失望されたくなくて、その場で魔術の使用を了承してしまった。
その後は悲惨なものだった。
不完全なまま発動しそうになった術を止めようとした『五十三番』さんは、術の反動をその身に受けてゾンビのような見るに堪えない姿になり果ててしまった。
それを目の当たりにした魔術師は恐ろしいものを見るような目を彼に向けた。
そして、吐き捨てるように言ったのだ――禁呪を使った罪人め、と。
カイナルディアに潜入して研究している術を盗んで来いという命令通りに動いたはずなのに。
術を使ってみせろと言ったから使ったのに。
すべては身寄りのなかった自分を育ててくれた恩に報いるためだったというのに。
その魔術師は変わり果てた姿になった『五十三番』さんをあっさりと見限った。
今まで信じ続けていたものが壊れた瞬間だった。
罪人として囚われそうになったのを命からがら逃げて暗い森の中に身を隠した。
必死の思いで近くの村にたどり着いたのに、村人から恐怖の視線を向けられ石を投げられた。
泉の水面に自身の顔を映して変わり果てた顔を見て絶望し、どうしてこんなことになってしまったのかと悔やんだ。
後悔はやがて怒りとなって、自分を裏切った者たちと国へ向いた。
滅ぼしてやる。国も世界も全部なくなってしまえばいい。
全てがもうどうでもよくなってしまった。
何もかもがもう手遅れで、時間を巻き戻すことはできないとわかっていたから。
ただ一つだけ――自分を『五十三番』という番号ではなく『トレヴィス』という名で呼んでくれたカイナルディアの人たちを裏切らなければ、どんな未来があったんだろう。
その思いは胸の奥深くに突き刺さったまま、抜けない棘のように時折彼の心を苦しめた。
***
『リン、離れて!』
耳もとでラティスの声が聞こえて現実に引き戻された。
視界が戻って、体の周囲に風が集まってくるのを感じる。
離れてと言われた通りにルミナから距離をとらないといけなかったはずなのに、私はルミナの手を掴んだまま動けなかった。
いまの……あの人の記憶……?
浅く呼吸を繰り返していると、右腕を掴まれた。
はっとして顔を上げると、虚ろな表情のルミナが私を見下ろしていた。
なんだろう、なぜだか初めて会った時のことを思い出した。
そうだ、あの時もこうしてルミナに右腕を掴まれたっけ。
今でもはっきりと覚えてる。
ルミナは憎しみと恨み、なぜという思いとともに胸の奥深くに渦巻いていた悲しみにとらわれていた。
そして今も。ルミナは深い悲しみにとらわれている。
見つめ合った彼の口がわずかに動いたのが見えた。
『リン』
声は聞こえなかったけど、ルミナは確かに私を呼んだ。
「ルミナ!? もとに戻ったの!?」
『……グ……ハナ……ロ……』
――はやく離れろ――
体を覆う影に抵抗しているのか、呻くように吐き出された声は酷く苦しそうで、気づけば私はルミナに抱きついていた。
「お願い! この影ぜんぶ吹きとばして!!」
声に応えてラティスの加護が発動した。
私を中心に竜巻みたいに風が巻き起こってルミナを覆っていた影を吹きとばしていく。
ルミナを覆っていた影が跡形もなく消え去ると、懐かしい声が耳に届いた。
『リン……』
「ルミナ!」
『バカ……なんで来たんだ……』
今にも泣きそうな顔をして言うルミナに苦笑してしまう。
まったく、なんて顔してるのよ。
「ルミナが連れてってくれなかったから……」
本当はもっと言いたかったことがあったはずなのに、こうして面と向かったら全部吹っ飛んだ。
代わりに抱きついた手に力を込めれば、ルミナが私の頭をぽんぽんとなでてくれた。
ああ、この感じ…………ルミナだ。
七日しか経ってないのに、こうしてまた会えたことが嬉しくて不覚にも泣きそうになってしまった。
だめだめ! まだ終わってないんだから!
私はぎゅっと目を閉じて涙を目の奥に追いやると、ルミナから体を離してシルヴィーの方へ顔を向けた。
シルヴィーもあの骸骨の人もお互い一歩も引かずに攻防を繰り広げている。
とはいえ息が上がっているところを見ると、シルヴィーの方が不利だ。早く加勢しないと。
できることといったら風での援護射撃くらいだけど、やらないよりはいいはず……。
援護のタイミングを測っていると、ふとルミナの呟きが聞こえた。
『トレヴィス……』
え?
呟かれた名前はあの人のものだった。
「ルミナ、もしかして……あの人ルミナの知り合い?」
『…………ああ。あいつ……トレヴィスは俺の弟子だった……』
「弟子……」
『俺は師でありながら、あいつのこと何もわかってなかった』
ルミナは眉間にしわを寄せて一度固く目を閉じ、ゆっくりと目を開いた。
『――終わりにしてやらなければ』
決意のこもった眼差しにドキッとする。
ルミナ、あのトレヴィスさんって人のこと消滅させるつもりなんだ。
みなまで言われたわけではなかったけど、掴んだままだった腕からルミナの覚悟が伝わってきた。
深い悲しみと後悔。
影にのまれても抱き続けていたのは、トレヴィスさんへの思いだったんだね。
悪霊化して憎悪と恨みにのまれてしまったトレヴィスさんを救う方法はもう魂の消滅しか残されていない。
本当にそうなの?
ルミナとトレヴィスさん、それにシルヴィーを視界に入れて考える。
さっきトレヴィスさんの影に触れて、あの人もまた苦しんでいることを知ってしまった。
苦しくて、辛くて、行き場のない思いを怒りと憎しみに変えて、それでもなお心の奥底に後悔と悲しみを抱いていた。
――『五十三番』という番号ではなく『トレヴィス』という名で呼んでくれたカイナルディアの人たちを裏切らなければ、どんな未来があったんだろう――
魔獣を消滅させた時と違って、トレヴィスさんにはまだ憎しみ以外の感情が残されていた。
「…………あの人、まだ間に合うかもしれない」
『なに?』
ぽつりと呟いた言葉にルミナが反応する。
勘でしかない。だけど、まだ間に合うかもしれないなら試したい。
私はルミナの綺麗な紫の瞳をまっすぐに見つめて、トレヴィスさんの記憶を見たことを伝えた。
神妙な顔をして私の話を聞いたルミナは『わかった』と言って、何の断りもなく私を担ぎ上げた。所謂、お米様抱っこというやつだ。
「ふぇええええ!? なんなんななな!?」
なんで!?
『仕方ないだろう。俺はこの風から出るとまたあいつの影にまとわりつかれるんだから。こうしてお前ごとあいつのところまで行くのが手っ取り早い。いっそこのままあいつの影も全部吹きとばしてやるか』
名案を思いついたみたいに言ってるけど、いくら手っ取り早いからってこれはないと思うの!
重いと思うし、何より恥ずかしくてしょうがない。
抗議したいのにテンパりすぎて上手く言葉にすることができない。
あわあわする私を見てフッと笑ったルミナは、『行くぞ!』と口の端を上げて地を蹴った。
その頃のお兄ちゃん「ちくしょおおおお、俺も残りたかったぁ!!」(除霊準備中)