10 思い出したエオ君は
「え……?」
ここで死んだ? エオ君が?
私の見つめる先で、エオ君はぎゅっと目をつむったまま震える唇をかみしめた。
いても立ってもいられなくてエオ君に手を伸ばしたんだけど、私の手は無情にも実体のないエオ君の体をすり抜けてしまった。
その瞬間、胸を締め付けられるような感情が私の中に流れ込んできた。
なに、このすごく悲しい感じ…………これ、エオ君の?
誰かの気持ちを感じるという初めての感覚に、私は戸惑いを覚えて思わず手を引っ込めた。
手を引っ込めると、悲しいという思いも感じなくなる。
どういうこと?
自分の手のひらに目を落として握ったり開いたりしてみたけど、何の変哲もない手にしか見えない。
私が戸惑いに手を見つめる横で、エオ君がおもむろに口を開いた。
『そうだ……俺、あの日もみんなでかくれんぼしてて……』
外に目を向けたエオ君は、昔を思い出しているのかどこか遠い目をして静かに語り出した。
『――――あの日もこんなふうに夏の暑い日だった。俺はルッツたちとかくれんぼをしてて、ここに隠れてミリアが探しに来るのを待ってたんだ……でも、急に夕立が来て……この木の中に隠れたまま雨が止むのを待つことにしたんだ』
外はひどい雨なのに、エオ君の声は頭の中に直接語りかけてくるみたいによく響いた。
知ってる名前が出てきてびっくりしたけど、私はひとまず静かにエオ君の話に耳を傾けてみることにした。
『だいぶ待ったけど、雨が全然やまなくて……このままだと日が暮れそうだったから、急いで家に帰ろうとして、それでうっかり足を滑らせてそこの池に落っこちたんだ』
そこの池、と言われて私も池に目を向ける。
雨で白く霞んでよく見えないけど、直径五メートルほどの小さな池の水面は大量の雨が降り注いで波打っていた。
ここに落ちた……エオ君が。
そして、命を落とした。
ぽつぽつと無表情に話すエオ君の姿に胸が締めつけられて、気がつけば私は手を伸ばしていた。
その手はやっぱりエオ君の体をすり抜けてしまったけど、エオ君の体をすり抜けた瞬間に、今度はエオ君の見た情景のようなものが断片的に見えた。
バチャバチャと水面を叩く手、バタバタと動かす足、息を吸いこもうと必死に開く口、そこから入ってくる水の感覚。
苦しい。苦しい。苦しい。助けて。誰か。助けて。
親父。母ちゃん。ルッツ。リッツ。ミリア。助けて。誰か。誰か。
池で溺れた時のエオ君の気持ちが流れ込んでくる。
死に際の叫びに、私は溢れる涙を堪えることができなかった。
急に泣き出した私に、エオ君はぎょっとなって立ち上がった。
『うおっ!? 姉ちゃん、どうしたんだよ!?』
若干引き気味のエオ君の体を抱きしめるように、私はエオ君に体を添えた。
触れることはできないから、抱きしめた腕はただ空を切って自分自身の腕を抱きしめる形になってしまったけれど。
『姉、ちゃん……?』
「……苦しかったよね……」
感じたまま言葉にすると、エオ君が小さく息をのむのがわかった。
「でも、誰も助けに来てくれなくて……」
『……うん……』
「頑張ったね……」
『……うん』
誰にも気づいてもらえず、自分で死んだことすら気づかずに、ただずっとエオ君はあの場所に孤独に立っていた。
抱きしめられたエオ君の目から一筋の涙が零れ落ちると、その体が青白く光を放ちはじめた。
驚いてエオ君を抱きしめていた腕を離すと、正面から彼を見た。
エオ君の体から発せられた青白い光は、細かい光の粒になって少しずつ蒸発するように空へと消えていく。
エオ君は驚いたように自分の体を見下ろして、体と同じように光を放つ両手をじっと見つめ――そして、唐突に何かを理解したかのように空に目を向けた。
その様子から目が離せずにいると、突然左腕を引かれて私はびくりと体を震わせた。
「何事ですか!?」
少し焦ったようなエクスさんの声がすぐそばで聞こえる。どうやら私の腕をつかんだのはエクスさんのようだ。
声のかけられた方に目を向けると、この激しい雨の中走ってきたにも関わらず一つも濡れていないエクスさんの姿があった。よく目を凝らしてみると、薄い空気の層が覆っていて雨を弾いているように見えた。どうやらこの雨の中、ずっと私たちのことを探してくれていたようだ。
エクスさんは私の奥に立っていたエオ君に視線を向けると目を見開いた。
「エオ君!?」
エクスさんの呼びかけに、エオ君は空に向けていた視線をこちらに戻した。
『…………兄ちゃんに見つかっちゃったし、俺そろそろ行かなきゃ』
「行くって、どこに……」
私の問いかけに、エオ君は無言で片手をあげて小降りになってきた雨空を指さした。
それだけでわかってしまった。
ああ、成仏するんだ。
話している間にもエオ君から発せられる光の粒は少しずつ空へ空へと消えていく。
だんだんと薄くなっていくエオ君の姿を、私もエクスさんもただじっと目をそらさずに見送ることしかできない。
エオ君の姿を通して向こうの景色が透けて見えてきた頃、土砂降りだった雨が上がって暗い雲の隙間から日の光が差し込んできた。
エオ君は木のうろから外に出ると、私とエクスさんに向かってニカッと笑った。
『姉ちゃん、兄ちゃん、ありがとう!』
「エオ君……」
『最後に遊んでくれて嬉しかった! できたらお願いがあるんだけど、聞いてくれる?』
「なに?」
『もし、俺の友達……ルッツやミリアに会うことがあったら伝えてほしいんだ……一緒に遊んでくれてありがとう、最高に楽しかったぜって』
「うん! 絶対に伝える!」
私が力強く頷くと、エオ君は晴れやかな笑顔を浮かべて消えていった。
エオ君を形作っていた最後の光の粒が空に消えていくのを、私とエクスさんはただ無言で見つめていた。
暗く重い雲間から柔らかな光が差し込んで、眩しいくらいの青空が垣間見えた。
あの綺麗なところへちゃんと行けたのかな。
私は最後に笑ったエオ君の姿を思い出して、堪えきれなくなって泣いてしまった。